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死に物狂いの英雄  作者: 椿 冬華
第三部 中国編
43/49

【一般市民 ⑹】


 二〇三三年 一月 十五日 午前一時十分

 香川県高松市、九尾(くお)神社。


 神社(かみやしろ)(まもる)は、眠れなかった。

 当然である──彼の妹である戦が後数時間後には死ぬのだ。

 眠れるわけが、なかった。


「護くん、ほらあたたかい甘酒」


 神社一家を心配して駆けつけてくれた近所の老婦人が護に甘酒を差し出してくる。護はそれを有難く受け取り、一口含んだ。


「ふーっ」

「戦ちゃんならきっと大丈夫だよ。だってあの子、四歳の時に大型トラックに轢かれても無傷だったんだよ」


 老婦人とは別のご近所さんが笑いながらそう励ましてきて、護は弱々しいながらも頷く。護は深い隈を目に刻み込んでいるばかりかろくな食事も摂れていないのか、頬がやつれているように見えた。

 二十八という男盛りで宮司である母親を手伝いながら学校の教諭を勤めている護はご近所から何かと慕われており、年末年始の繁忙期には毎年ご近所さんたちが創出で手伝いに来てくれていた。

 そんなご近所さんたちである──今の護の様子が心配にならないわけがない。

 護の母親である轍も数日前からご神体である木彫りの尾が九本ある狐に手を合わせ続けていて、ご近所さんたちがいくら声を掛けようと本堂の中から出ようとはしなかった。唯一、出たのは轍の弟である倭からの電話が入った時だけだった。

 警官である父親もずっと不在にしていて、ご近所さんたちにとってはとても放ってはおけない状態であったのだ。


「戦ちゃんはすごいねぇ。こんなにたくさんの人から愛されて」


 老婦人がリビングのテレビに映っている、レドグリフと戦に向けての世界からのメッセージを紹介している番組を眺めながらそう言う。


「本当本当。あのぼんやりした戦ちゃんがなぁ~」

「ぼんやりしすぎて壁に激突して、でも壁の方にヒビが入っていたわねぇ」

「ラーメン屋の大食いチャレンジで店長を泣かせたこともあったな~」

「そうそう、食い意地も人一倍だったねぇ」


 年末年始やお盆に親族で集まった時に親戚のおじさんおばさんたちがこぞってしてくるような昔話を和気藹々とご近所さんたちで駄弁っているのを眺めて護はほんの少しだけ口元を緩ませる。

 ご近所さんたちがこんな話をするのはひとえに護を励ましたいからだというのが痛いほどにわかる。だからこそ護は、ひとつ深呼吸をして背筋をしゃんと伸ばした。


「──戦がこんなに死に物狂いで頑張っているんだ。その覚悟を、最後まで──最期まで、きちんと見届けてやらないとだな」

「……そうだねぇ。戦ちゃん、あんなに傷だらけになって……頑張っているもんねぇ」


 老婦人の言葉に護は頷き、ぴしゃりと自分の頬を張ってその勢いのままに熱い甘酒を一気に飲み干した。

 火焔に燻られているかの如き激痛が喉と食道と胃とを迸り、一機に熱が全身に広がる。だが護はその激痛に悲鳴を上げることなく歯を食い縛って堪える。


 ──戦はこれ以上に痛い想いをしながら戦っているのだ。


「バカな子だねぇ! そんなことしなくてもいいだろうに!! ──ほら、水!」


 護の蛮行に慌てて水を取りに行った老婦人がぷりぷりと怒りながら水を差し出してきて、護は苦笑と共に礼を言いながら水を受け取る。


「……それにしても、戦ちゃんもやるよなぁ。あんな男前を射止めちまうなんてよ」


 ご近所さんのひとりがテレビで流れている、アメリカ軍の式典VTRに映っているレドグリフを見ながらそんなことを言ってきて、護は片眉を上げる。


「……普通だと思うけどね」

「あ~、シスコンはこれだから~」

「別にシスコンじゃない」


 でも、と護はテレビに映るレドグリフを眺めて鼻を鳴らす。


「まあ見る目はあるな、とは思うよ」


 護の答えにご近所さんたちは笑ったが、実際のところ護は本気でそう考えていた。戦を見初めたレドグリフは見る目がある、と。

 戦はその強さゆえに、昔から男子にはバカにされていた。

 あだ名はゴリラ。中身デブ。女失格。

 ──当然、バカにしてきた男子を戦は全て返り討ちにしていたが。男子のプライドを粉々に砕き踏み躙り、蹂躙し尽くした上で〝弱い〟と言い放ち──その心をへし折っていた。

 そんな戦を止めて窘めるのはいつも護の役目であった。戦は強い。強いからこそ、弱きに対して理解が必要なのだ、と。

 結果として戦は自分を戒めるようになり、人間らしく在ろうと努め──人間社会に溶け込むことには成功していた。けれどやはり戦に色恋目当てで近付く男は戦の本性を──戦の中身を知って恐れ、怯え、そしてそんな情けない自分を誤魔化すように戦を〝女らしくない女〟として責任を押し付けた。


「レドグリフ、ねぇ」


 戦を見初め、選んだ男。

 〝皇帝〟と呼ばれる人類最強の男。

 叔父である倭の話によれば、戦のありのままの姿をそのまま当然のように受け入れたとのことだから、まあ認めてやらなくもない──そう考えて護はまた鼻を鳴らす。


「……おや? 護くん、スマホがピコピコ光ってるよ」

「ん? ──ああ、叔父さんからメッセだ。どうし──なんだこれ」


 決着を数時間後に控えて叔父から突然送られてきたもの、それはレドグリフと戦のツーショット写真であった。しかも、枚数が半端ない。


「あらまあ。戦ったらまたお弁当ほっぺにつけて……見て、お弁当を取ってあげるレドグリフさん。とっても優しそうな顔」

「!? 母さん!?」


 いつの間にか護の背後に母親である轍が立っていて、護のスマホを覗き込んでいた。


「おやま、轍さん。相変わらず察しがいいねぇ。甘酒どうだい?」

「なんとなく倭くんから何かがありそうな気がしてね。ありがとう、頂くわ。──ほら護、次の写真見せなさい」

「…………」


 気楽だな、と思わずため息を吐いてしまう護であった──が、轍が娘の無事を誰よりも何よりも──血の滲む想いで願っていることは痛いほどに知っているため、何も言わずスマホを弄った。


「まあ。戦ったら相変わらず食べてばっかり」

「元々あの体を維持するために食欲旺盛だったしね。──レドグリフ中将、結構戦を甘やかしてるんだな……」

「ま。駄目よ護。ちゃんと義兄さんって呼ばなきゃ」

「…………」


 結婚していない以前に一度も会ったことないし第一妹の旦那になるのなら義弟だ──と、いう護の無言のツッコミを轍は笑顔で受け流す。


「いいわねえ。戦もとっても楽しそう」

「……そうだね」


 写真に写る戦はほとんどが無表情である。表情筋がその異常な筋肉ゆえに硬すぎるからというのもあるが、それ以前に戦はあまり感情を露わにしないたちなのだ。

 だから戦の感情を読み取るのはとても難しい──だが、写真の中の戦はとても楽しそうだと、護も轍も感じた。


「……うん、楽しそうだ」


 レドグリフの服を掴みながら見上げ、微笑んでいるレドグリフに微かに口元を上げて微笑み返している戦の写真に──護は微笑む。


「さて、いいものも見せてもらったし行ってくるわ」


 飲み干した甘酒を机の上に置きながら轍はそう言い、立ち上がった。

 止めても無駄なことはこの場にいる誰もが知っているため──制止の声は、かからない。


「せめて羽織りはかけなさいな。あなたが肺炎にでもかかったら戦ちゃん、怒るわよ」

「……ええ、そうね。ありがとう、武藤さん」


 老婦人が差し出してきた着物の羽織りを轍は有難く受け取り、そのまま本堂へ去って行った。

 母親が去っていくのを見届けてから護は時間をみやり、パソコン台に向かってマウスを手に握る。


「──これって」

「テレビだと血生臭いのはあまり中継されないから──」


 護がパソコンの画面に表示させたもの、それは海外メディアと国連軍が連携して行っている、レドグリフと戦の死闘の生中継であった。

 日本のテレビ局はさすがに非常時ということもあり、レドグリフと戦の血生臭い様子を全く映さないというわけではないが──それでも配慮して一部ぼかしたりカットしたりなど編集を行った上で録画放送を行っている。

 倭はどかりとパソコンの前に座り込み、まっすぐ画面を直視する。


「戦」


 死ぬなよ、とは言わない。

 頑張れよ、とも言わない。

 踏ん張れ、とも言わない。

 愛する妹の、名前を紡ぐ。

 ただそれだけに護は全ての想いを込める。




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