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死に物狂いの英雄  作者: 椿 冬華
第三部 中国編
36/49

【ジャーナリスト ⑺】


 二〇三三年 一月 十二日 午前五時五分(中国時間)

 ウルムチ市、ウルムチ地窩堡国際空港内。


 中国内陸部の北西にある、新疆ウイグル自治区ウルムチ市の国際空港。

 ヒトガタ襲撃事件を受けて閉鎖されているこの空港に利用客はひとりもいない。いるのは──〝英雄〟の到着を今か今かと待ち望んでいるメディア陣だけである。


 〝三日〟耐えろ。


 レドグリフのその伝言から三日。

 人類はその言葉を信じ、糧にし、支えにして──言葉通り、耐えた。

 三日──耐えた。


「来たぞ!!」


 空港の敷地内に一機の軍用機が着陸したことでメディア陣がわっと沸き、一斉にカメラを構える。外に出ようとせめぎ合うメディア陣を国連軍が押し留めるが、一度上がり出した熱気は止まることなく昇り続ける。


「お疲れ様です!! キリングフィールド中将!! 戦さま!!」


「──ああ。ご苦労」

「…………」


 中将であることを示す四つの銀星が肩章で煌めいている憲法色の真新しく糊の効いた軍服、それに身を締めているレドグリフ・キリングフィールド中将が神社戦を傍に従えて軍用機から降り、靴音を鳴らしながらターミナルの中へと入ってきた。

 戦はレドグリフの軍服によく似たワンピースを着ており、何故か肉まんを頬張っていた。もきゅもきゅと肉まんを頬張りながらレドグリフの横をちょこちょこと歩いており、レドグリフはそんな戦に合わせてゆっくりとした歩調で歩を進めている。

 そんなふたりの立ち振る舞いに傷病を窺わせる気配は一切なく、ほんの三日前には死線を彷徨っていたとは思えないほどであった。


「まずはラウンジへお越しください。畿内で現状についての説明はあったかと思いますが、改めてデウスの現状を中継している映像と共に説明させていただきます。また、国連本部からも中将と戦さまにお話したいことがあると」

「分かった。──ああ、戦は英語が分からぬのでな。問題ない、私が分かっていればよいこと」


 レドグリフの隣で国連軍兵士からの案内を聞いたにも関わらずもっきゅもっきゅと肉まんを頬張るだけの戦にレドグリフがそう言う。


「戦は本能で戦っているゆえにな。むしろ何も知らぬ方が強いだろう」


 確かにレドグリフの言う通り、日本やフランスにおいての戦は力任せに薙ぎ払い、抉り落とすという技能も何もない、野生動物そのものの戦い方であった。そのことを思い返しながらジャーナリストは改めて戦に視線を向ける。

 何も知らぬ無垢な目で肉まんを頬張りながらレドグリフに寄り添うようにくっついて離れようとしない。レドグリフの一挙一動が洗練された軍人そのものの厳粛たるしなやかさを持ち備えているのに対し、戦の一挙一動はまるで素人そのものだ。歩き方ひとつでもその違いがよく分かる──それほどに、戦は普通過ぎて、レドグリフは洗練されすぎていた。

 最強の一般人と最強の軍人──まさにそれを体言したようなふたりにジャーナリストは興奮を押し殺せぬ様子でカメラのシャッターを切る。


「すみません!! 戦地に赴かれる前に、どうか一言我々に!!」


 そこで堪えきれなくなったのか、メディア陣の中からレドグリフと戦に言葉が投げかけられる。それを合図にして他のジャーナリストたちからも声が上がる。


「デウスを倒す心算はおありですか!?」

「世界中からおふたりに多くのメッセージが寄せられています!! どうかコメントを!!」

「おふたりはつい三日ほどまえに出合ったばかりですが、相当息が合っておられるご様子、何か感じるものでもありましたか!?」

「この三日間、どのように過ごされていましたか!?」


 次から次へと、矢継ぎ早に質問が浴びせかけられたことに驚いてか、或いは聞き取れぬ英語の山に思考停止してか戦がぽかんと口を開けて足を止めた。レドグリフも戦につられるように足を止め、感情の凪いだ静かな面持ちでメディア陣に視線を寄越す。


「やれやれ、戦は英語が分からんと言うに」

「……れど」

「ああ、気にしなくてよい。私がいるからな」

「ん」


 レドグリフの言っていることもおそらく理解できてはいないだろうに、戦はレドグリフの言葉に安心したように頷いて手に持っていた紙袋から新たな肉まんを取り出してもふもふと食べ始めた。


「……聞きたいことが多々あるのは分かるが、時間が惜しいのでな。とりあえずひとことふたこと、諸君らに寄せるとしよう」




 ──〝三日〟よく耐えてくれた。


 ──後は任せるがよい。




 そんな、世界中のどの格言よりも心に染み広がってゆく言葉に。

 安堵と歓喜と切迫とで胸が詰まり苦しさを覚えてしまう言葉に。

 言葉に形容できぬ無為の叫びが喉をついて出そうになる言葉に。

 けれど声ではなく涙という形で感情が溢れ出そうになる言葉に。

 ──〝英雄〟はかくありきを体言した、真の〝英雄〟の言葉に。


 ジャーナリストは、知らぬ間に涙を零していた。


「あ……」

「これでよいかね? 申し訳ないが、状況などに関する質疑は国連の方に頼む」


 呆けたように静まり返ったメディア陣にレドグリフはそう言い、戦の肩を抱いて再び歩き出した。

 その威風堂々たる後ろ姿はまさに〝皇帝〟そのもので、何者をも寄せ付けぬ──いや、ただひとり。神社戦ただひとりに傍に侍る許しを与えて、戦を連れ添ってレドグリフは戦場へと君臨すべく歩を進めていく。

 三日前には死にかけたというのに。

 今度こそ、本当に死ぬかもしれないというのに。

 ふたりの歩みに──迷いという迷いは一切見られない。

 それを目の当たりにして、ジャーナリストは零れ落ちてしまった涙を拭い取って意を決したように声を張り上げた。


「すみません!! 最後にひとつだけ!! ──ご家族から、メッセージがあります!!」


 ヒトガタ襲撃事件によって交通網が混乱状態に陥り、ほとんどの空港が閉鎖されてしまっていた中ジャーナリストは異国の友人たちを頼り、アメリカにいるレドグリフの両親と、日本にいる戦の両親とにどうにか取材を行っていた。

 レドグリフと戦に伝えたいことがあるか、と。

 それ以上の取材は行っていない。ただ伝えたいメッセージがあれば伝えると、それだけを聞いた。


「……ふむ?」


 ジャーナリストの言葉はレドグリフの興味の琴線に触れたようで、レドグリフが緩慢ながらも振り返ってその鷹のように鋭い目でジャーナリストを見据える。

 その眼光に圧されながらもジャーナリストはもつれそうになる舌を必死に動かし、家族からのメッセージを読み上げた。


「ごちそうを作って待っているから、終わったら家に寄りなさい──そう仰っておられました」

「……フフ。戦の両親も似たようなことを言っていたのではないかね?」

「はい。おいしいものいっぱい作って待っているから早く帰ってきてねと、そう言付かっています」

「そうか。まあ、言われずとも戦は分かっているだろう」


 レドグリフは微笑みながら戦を見下ろし、肉まんを食べ終えて満足そうにしている姿に目を細める。


「ではこちらからも家族にメッセージを送るとしようか」


 そう言ってレドグリフは、戦の腰に手を回して強引に引き寄せた。

 突然の力に戦はおわ、と小さな悲鳴を上げながら仰け反るような恰好でレドグリフに引き寄せられる。

 そして腰に回されたレドグリフの手を支点に戦が仰け反った不安定な格好でいるのも構わず、レドグリフは腰を折って顔を寄せた。


「!?」


 戦の目が、見開かれる。

 メディア陣や国連軍もその突然の事態に目を丸くし、けれどジャーナリスト魂からかメディア陣からは無数のシャッター音が鳴り響く。

 そんな雑音なぞ馬耳東風とばかりにレドグリフは戦の唇にその薄く硬い唇を押し付け続けた。

 時間にすれば十数秒程度だろうが、レドグリフの唇が戦から離れるころには戦の顔は熟れた林檎のように真っ赤に染まっていた。それを見てレドグリフはくすりと笑い、戦の頭を撫ぜながらじゃーナリストの方に再び顔を向ける。


「──そういうわけだ。しっかり伝えておくように」

「へっ、あっ……は、はい!」


 どういうわけだ。

 一体何を伝えればいいのだ。映像を見せればいいのか。これがおふたりからのメッセージですと、見せればいいのか。

 ──などと混乱しているジャーナリストをよそにレドグリフはまだ顔の赤い戦の腰を抱いたまま今度こそ、戦場へ君臨すべく歩き出した。


 今度はメディア陣の誰が何を言っても振り返ることは、なかった。




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