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死に物狂いの英雄  作者: 椿 冬華
第二部 フランス編
32/49

【一般市民 ⑷】


 二〇三三年 一月 九日 午後十三時三十分

 東京都立川市、災害医療センター内。


 ヒトガタ襲撃事件で傷付いた人間たちで溢れ返り、病室どころか廊下や待合室さえも埋め尽くす勢いで患者とその家族で混雑している中、年中組か年長組であろう幼い少女が待合室の端に置かれている簡易ベッドに寝かされている三十代と思しき男性の手を握って笑顔を浮かべた。


「おとうちゃん、おねえちゃんがかったんだって。あのこわいのをたおしたんだって」


 男性からの返事は、ない。

 けれど少女は笑顔で必死に語りかける。


「みらい、あんよいたいけどがまんするよおとうちゃん。おねえちゃんはもっともっといたいけどがんばってたもんね」


 少女はそう言いながらぎゅっと、足首から先のない左足のひざを掴む。何千、何万もの患者で溢れ返っている東京においては現状、満足いく治療が行き渡っていない。少女も簡易な治療を施されて鎮痛剤を処置された後は待機するよう申し付けられ、こうして男性の──父親の傍でじっとしているのである。


「おとうちゃんもがんばって。だいじょうぶだから。だって、おねえちゃんいってたもん。おとうちゃんしなないって」


 そう言いながらつい、零れ落ちてしまった涙を少女は慌てて拭って泣いてなんかいないとばかりに笑顔を浮かべる。

 つい二日前──七日の朝、父親に連れられて幼稚園へ向かっていた少女はヒトガタの襲来を受けて左足の足首から先を失った。

 少女を抱きかかえて必死に逃げる父親をヒトガタの触手が絡め取るように屠り──間一髪、父親の体が八つ裂きにされる寸前に〝最強〟神社戦によって救い出されたのだ。その時のことを思い出しながら少女はぐっとベッドに伏せっている父親の手を強く握り締める。


 ──大丈夫だ。

 ──まだ死んでいない。

 ──泣くな、泣くよりも手を握ってやれ。

 ──そうだ、握れ。手を離すな。絶対に離すな。

 ──痛い? ああ、痛いさ。痛くないわけがない。泣きそうだ。

 ──でも泣いていても何も変わらない。だからわたしは泣かない。戦う。


 父親と少女を助ける際にヒトガタからの攻撃を喰らい、脇腹から血を流していた戦は痛がる様子も呻く様子も見せることなく力強い眼差しで──少女が毎週日曜日に見ているアニメの主人公のような、芯のあるまっすぐな目で少女を見下ろしていた。


 ──どんなに(ねじ)くれても、曲がりくねってもいい。

 ──折れるな。


 戦と別れる時、最後に戦が少女に向けて言った言葉。

 それはまだ幼い少女にはよく理解できないものであった。けれど、少女の心に仄かな火種として根付いていた。


「みらいちゃん、ごめんね。足の様子、少し見せてね」


 その時看護師がワゴンを押しながら少女の元にやってきて、少女は頷いて看護師に左足を差し向ける。


「だいじょうぶ? あせ、びっしょりだよ」


 はいたおる、と少女が差し出してきた可愛らしい熊がプリントされたハンドタオルに看護師はほんの少しだけ目を見開き、けれど笑顔でありがとう、とそれを受け取った。

 少女の言う通り──看護師の顔色は土気色と称してもいいほどに悪かった。この騒ぎである──徹夜続きだったのだろう。


「消毒してまた包帯を変えるわね。……ああ、膿んではいなくてよかった。ごめんね、もう少ししたらちゃんと先生が診てくれるから」

「んーん、だいじょうぶだよ。おとうちゃんもみらいも、がんばるもん。おねえちゃんもがんばってるもん」

「お姉ちゃん?」

「てれびにもいっぱいでてるよ! すっごくすっごくつよくて、すっごくすっごくかっこいいの。おとうちゃんとみらいをたすけてくれたんだよ!」

「まあ、もしかして神社戦さん? 戦さんに助けてもらったのね? ──そうなのね」


 看護師はちらり、と待合室の壁際に置かれているテレビに視線を向ける。そこに映し出されているのは当然、報道番組であるのだが──今日はもうずっと〝英雄〟のことしか報道していない。

 〝最強の一般人と最強の軍人〟──特に、日本人である〝最強〟神社戦について日本メディアは大々的に取り上げている。そしてここにいる患者たちやその家族はみな、テレビに釘付けとなっている。


「おねえちゃんもいたいのに、なかなかったの。だからみらいもなかないの。おとうちゃんのてをぎゅっとしてるの」

「……そうね、とってもえらいわ。きっとお父さんも、みらいちゃんの手の温もりでそのうち目を覚ますわ」


 看護師の言葉に少女は満面の笑顔で頷き、けれど看護師が足の傷口に消毒液を吹きかけたことで次の瞬間には涙目になっていた。それを見て看護師は思わずくすりと笑い、痛いのに頑張っててとても偉いと少女の頭を撫でて褒めた。

 ──こんなにも凄惨な事件が起きたにも関わらず病院の中に陰鬱な空気はそれほど濃く流れてはいない。

 事件が発生した当初は多くの血と悲鳴と死とに支配されて病院の中は悲惨な状況であった。大切な人の死に咽び泣く姿は珍しくなく、血錆の匂いで充満した部屋の中で深い傷に喘いでいる患者の絶望に満ちた声だってもはやBGMのように当たり前になっていた。

 陰鬱な絶望感。

 ただそれだけが、充満していた。

 ──そこに変化が現れたのは七日の夕方あたりからだろうか。それまでもSNSやラジオでちらほら囁かれる程度に話題になっていたが、七日の夕方をきりにテレビで〝最強〟神社戦について大々的に取り上げられるようになり──それから、空気が一変したのだ。

 その時のことを思い出して看護師はふっと吐息のように笑みを漏らす。


「戦さんは本当にすごいわね。みんなに〝希望〟をくれてる」

「きぼう?」

「〝生きたい〟って思うことよ」


 戦とレドグリフという〝英雄〟が話題になるようになった直後から病院の中はふたりについての話で持ちきりであった。

 日本とアメリカ、それぞれで自国のために血まみれの血みどろになって戦い抜いただけに留まらず、フランスにまで渡って戦いに身を投じたことが特に話題に上がっていたように看護師は思う。

 物語に登場する英雄とは違い、とても泥臭く血錆にまみれた〝英雄〟ではあったが、だからこそ他人のために死に物狂いになれるその姿に人々は勇気づけられたのだ。励まされたのだ。教えられたのだ。示されたのだ。


 〝死に物狂い〟というものの本質を。

 〝生き抜く〟ということの本髄を。


「みらいもおとうちゃんもね、〝きぼう〟あるよ!」

「ええ。そうね。絶対に捨てちゃだめよ、〝希望〟は」


 ただ前を向く、それだけでもいいのだ。

 下ばかり見て絶望に暮れず、何も考えなくともいいから前を向いて足を踏み出しさえすれば、それでいいのだ。それだけで人間というのは生きていけるのだ。

 そのきっかけを──〝英雄〟はくれた。

 この二日間、数えきれないほど多くの患者と接してきた看護師は染みるようにそれを痛感していた。


「私も……頑張って前を向かなくっちゃね」


 嫌なことは絶えない。辛いことも多い。看護師としてやっていく以上、常に何らかの傷と向き合うことになるのだ──それが心の傷にせよ体の傷にせよ、その傷は必ず看護師自身を蝕む。

 八つ当たりという形であったり、クレームという形であったり、はたまた激務による摩耗という形であったりと様々だが──いずれにせよ、傷は患者だけでなく看護師も負うことになる。

 だから彼女もまた、疲れていた。疲弊しきっていた。衰弱しきっていた。

 〝英雄〟のおかげで前向きになる患者が増えたことで多少はマシになったものの、それでもやはり看護師に圧しかかる負担は大きかった。


「──さあ、みらいちゃん。もうちょっとここにいてね。また後で来るわ」


 これ以上ここにいれば弱音を零してしまいそうだと看護師は少女から手を離して立ち上がり、踏ん張らねばいかないと自分を奮い立たせる。

 ──そんな看護師に、少女が朗らかな声で言葉を投じた。


 〝英雄〟の、言葉を。


「あのね、おねえちゃんいってたよ。〝どんなにねじくれても、まがりくねってもいい。おれるな〟って」


「……!」


 どんなに捻くれても曲がりくねってもいい。

 折れるな。


 それはまるで、前を向かなければならないと自分に言い聞かせている看護師に向けて言い放ったような言葉であった。

 ああ、と看護師の喉からため息のような声が漏れる。


「──……そうね、ちょっぴりヒネちゃったって、いいのよね」


 人間、前さえ向いていれば生きていける。

 けれど別に横を向いてもいいし後ろを振り向いてもいいのだ。

 歩む足さえ、止めなければ。

 心さえ──折れなければ。






第二部 了

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