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死に物狂いの英雄  作者: 椿 冬華
第二部 フランス編
31/49

【ジャーナリスト ⑹】


 二〇三三年 一月 九日 午前四時十分(ドイツ時間)

 ミュンヘン、ミュンヘン大学病院内。


 まだ朝焼けを望むには早すぎる時間帯、ドイツのミュンヘン大学病院には多くのジャーナリストがこぞって詰め掛けているのをドイツ軍がせき止めていた。

 つい数時間ほど前、軍用ヘリによってレドグリフ・キリングフィールドと神社戦がこの病院に運び込まれたという情報を得たジャーナリストたちが集まっているのだ。元々フランスでのヒトガタ襲撃事件の取材のために世界中からジャーナリストが集まっていたためにその規模はもはやデモと変わらない。


「ふたりは生きているのか!?」

「助かるんですか!?」

「世界中がふたりについて知りたがっているのですよ!!」


 口々にふたりの情報を寄越せと叫び、少しでも中に圧し入ろうとするジャーナリストたちをドイツ軍が今は待てと、我々も知らぬと叫びながら押し留めている。

 もはや暴動と変わらぬジャーナリストたちの熱狂具合だが、それも仕方ないと在独日本人カメラマンは思う。

 なんせ〝英雄〟である。

 日本とアメリカで数多のヒトガタを倒し、特殊個体にも怯むことなく挑んで死闘の末に倒し──あまつさえにはフランスにまで渡り、命を懸けて巨大なヒトガタと戦い──見事、打ち勝ってみせたのだ。

 〝英雄〟以外の何者であるというのか。


「……でも、さすがにヤバいんじゃないか? ここに搬送された時ふたりに息はなかったんだろ?」


 隣でジャーナリストたちに揉まれながらも必死に押し流されぬよう踏ん張っている同僚がそう声掛けてきて、カメラマンは首を横に振る。


「搬送される寸前にレドグリフ・キリングフィールド中将がアメリカ大統領と会話をしたという噂がある。ヤバい状態なのは間違いないだろうけど……」

「あの状態で大統領と会話できたのか? マジかよ……」


 ここに搬送されてきた時のレドグリフと戦の姿は世間に対して公開してはいないものの、ジャーナリストたちの間では普通に流出していた。

 ──フランスで巨大なヒトガタを討伐した直後のレドグリフと戦は、もはや死体と称していいレベルのものであった。

 顔さえ識別できないほどに傷と血と煤とにまみれ、焦げた服が皮膚に張り付いて同化してしまっていたあのふたりを生きているなど、誰が思えるのか。

 けれどカメラマンは信じていた。

 信じたかった。

 信じなければ、心が折れそうであった。

 通常個体は全て駆逐され、三国に現れた特殊個体も討ち取られ──今や残っているのは最後の個体、〝デウス〟のみ。

 けれどこのデウスが、問題であった。

 夜遊びして回る若者のようにユーラシア大陸東部を這って回り、今や被害は中国のみに留まらずモンゴルやロシアにまで拡大していっている。無機物さえ呑み込むその食欲は留まるところを知らず──今や八十メートルを超える巨体となったヒトガタは人類の築き上げてきた文明をおもちゃのように弄んでいるのだ。

 時折、気紛れのように触手を海の向こうに伸ばしては島々を弄ぶこともある。今のところ海を渡る気配はないものの──海底に潜んでいた潜水艇を呑み込むために触手を海に沈ませ、胴体も半分ほど沈めたことがあった。だから海は渡れないとは、断定できない。

 特殊個体デウスがいつ海を渡るか。いつユーラシア大陸の西部に来るか。いつ自国に襲い掛かってくるか──人々は恐慌しきり、〝英雄〟にその恐怖をなすりつけるように縋っている。

 それはもはや、宗教と変わらなかった。

 けれどだからといって諫める気にはとてもなれないとカメラマンは唇を噛み締める。カメラマン自身もまた──〝英雄〟に縋る想いであったからだ。

 怖い。恐ろしい。死にたくない。そんな気持ちからくるふたりへの渇望というだけじゃない。カメラマンには──日本に、家族がいた。

 ヒトガタによって重傷を負わされ入院している、家族が。

 そんな家族から──連絡が来るのだ。〝戦さんが頑張っているのに諦めてなんていられない〟と。触手に腹部を貫かれ、身動きどころか呼吸さえ機械に頼らねばままならぬ体で家族は──テレビに映る〝英雄〟の死に物狂いの姿に励まされているのだ。

 だから、カメラマンは怖かった。

 もしもここで〝英雄〟が堕ちるなんてことになれば──心の支えを失った家族は、耐えられるのか。


「──どうか死なないでくれ」


 酷だとは、カメラマン自身思っていた。

 戦いに戦い続け、命を削ってもなお戦いに戦いを重ねて倒れたふたりになおも頑張れと言っているのだ。まだ立ち上がれと言っているのだ。まだ──戦えと、言っているのだ。

 酷以外の何物でもない。

 だがそれでも、カメラマンは圧しつける。圧しつけずにはいられない。


 〝希望〟を〝英雄〟に圧しつけずには、いられなかった。


「誰か出てきたぞ!!」


 ジャーナリストたちの中からそんな声が上がって視線を上げてみれば、病院の出入口から黒いスーツに身を包んだ壮年の男がこちらに向かってきているところであった。


「あれは確か、国連ドイツ事務局の局長だ」

「おい、カメラ回せ!! マイクも出せ!!」

「録音ちゃんとしろよ」


 ただでさえ熱狂的に騒いでいたのがさらに盛り上がるが、こちらに向かってきている壮年の男に臆する様子はない。

 そしてドイツ軍を挟んでジャーナリストたちと向き合った男は静かに、口を開く。


「──ふたりの〝英雄〟であるが、未だなお治療は継続中である。だが少なくとも死んではいない。それだけは確かである」


 〝死んではいない〟

 ──頼りない言葉ではあるが、それでも救いの一言にするには十分であったらしい。ほっと無意識のうちに安堵の息を漏らしてしまったカメラマンは慌ててしっかりとカメラを構えてまっすぐ男を映す。


「そしてこれはレドグリフ・キリングフィールド中将よりの伝言である」




 〝三日〟耐えろ。




 男が口にしたレドグリフからの伝言、それにジャーナリストたちは戸惑ったような声を上げる。どういうことかと問うたひとりのジャーナリストに対して男は言葉を濁すことなくはっきりと答えてくれた。


「正直言って、キリングフィールド中将も戦氏もいつ死んでもおかしくない──いや、本来ならば死んでいるべきである重傷である。しかし両者ともにまだ諦めてはいない。それどころか未だ戦う気でいる。だからこその〝三日〟である」


 つまり、レドグリフは宣言したのだ。

 〝三日〟で回復させるからその間は耐えろと。〝三日〟後には自分たちが戦いに行くから、それまで踏ん張れと──そうレドグリフは言ったのだ。

 死に瀕してなお戦意を少しも失っていないレドグリフの力強い伝言にカメラマンは興奮で呼吸を荒くする。その感情の赴くまま、淡々とレドグリフや戦の状態を語っている男の顔をアップで映し出す。

 ──そしてふと、気付いた。

 レドグリフと戦について語っている男は無表情であったが、よく見ればその顔色がよくない。特に、レドグリフからの世間に向けての耐えてほしいという願いについて語る時──どこか苦しそうに、辛そうに──何かを必死に堪えるように、男は言葉を紡いでいた。


「──そういうわけで、キリングフィールド中将と戦氏は三日間ミュンヘン大学病院で治療を受けることになる。当然、国連としても〝英雄〟に頼らずともいいよう各国軍と連携を撮って特殊個体デウスの討伐を行う心算であることも併せて伝える」


 何故男がそんなにも苦しそうにしているのか読み取れずにいるうちに男は話を終えてしまい、ジャーナリストたちの質問に答えることなく身を翻して病院の中へ戻っていってしまった。


「…………」


 色々と思う部分はあったものの──レドグリフと戦がまだ生きているということが分かっただけでも大きな収穫であるとカメラマンは早速得た情報を本社に送るべくタブレットを取り出した。

 ついでに、家族にもふたりの無事とレドグリフからの伝言を伝えておく。


「〝希望〟潰えず──記事の見出しはこれで決まりだな。〝皇帝〟レドグリフ・キリングフィールドからの伝言。これも併せれば大盛り上がり間違いなしだ」

「そうだな──おっと、早速ネットジャーナリストがSNSにアップして波乱を呼んでいる」

「マジか、俺たちも急がねぇと」


 SNSではレドグリフからの〝三日耐えろ〟という伝言に焦点を当てて盛り上がっていて、レドグリフと戦が頑張っているのだから自分たちも頑張らなければならないと奮起しているコメントで溢れている。

 つい数日前まではただの一般人であった戦と、ただの米軍兵であったレドグリフが今や──世界にとってなくてはならない〝英雄〟となっている。

 映画のヒーローのように華麗に戦うわけではないし優雅に飛び回るわけでもない。血みどろの血まみれになって這い蹲るように、泥と煤とに汚れた体でみじめったらしく、物語の英雄のような豪奢さも気品も何もないただの人間の体で、ふたりはただ死に物狂いになっているだけである。

 けれどその姿が、人々の心を支える。


 まさに──〝死に物狂いの英雄〟である。





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