【国際連合職員 ⑵】
二〇三三年 一月 八日 午後十八時五分(アメリカ時間)
ニューヨーク市マンハッタン区、国際連合本部ビル内。
宵闇を赤く彩る炎に包まれたフランスの荒廃しきった街、その中心部で死闘を繰り広げていたふたりの〝英雄〟が巨大なヒトガタに一撃を入れたのが見えたかと思った瞬間、画面が真紅色に染まってしまった。
「何が起きた!?」
大統領が机を乱暴に叩きながら叫ぶが、誰にも答えられるわけがない。
画面は真紅色に染まり、そのまま数分が経過している。カメラが破壊されたのかと職員たちが画面の切り替えを行っているが、どれに切り替えても真紅色が映るだけであった。
ふいに職員のひとりがドイツのニュース番組をモニターに映し出して見てくださいと叫び、その場の一同の視線がそちらに集まる。
そこにはドイツのミュンヘンからフランスにカメラを向けた映像が映し出されていた。月さえ出ておらぬ宵闇を真紅色の美しい光が半円状に浸透していくように広がっていっているその景色はひどく幻想的で、けれど何が起きているのかまるで分からぬ恐ろしさも孕んでいた。
「この光はなんだ?」
「軍より伝達!! 放射線は観測されず。ただ光源中心部に進むにつれて熱量が増大していっているとのことです」
「気象庁より連絡!! ヨーロッパ各地の雷監視システムがシャットダウン!! 膨大な放電が行われているものと考えられます!!」
「ふむ」
どうもこの真紅色の光は膨大な放電からくるものであるらしいが、解析は科学捜査班がおいおい行ってくれるだろう──そう考えて職員はヨーロッパ各地に在留している国連関係者に報告を要請する。
『市民がパニック状態で、あの光は何であるのかという問い合わせが各メディアや各公共機関に殺到しているようです』
『こちらイタリア、ヴェネツィア。イタリアからも光は観測できています。空港が閉鎖されているため、観光客が恐怖から大使館に向かおうとしている様子が各地で見られるようです』
「……各メディアに伝達しろ、これは〝英雄〟の戦いによる残滓だと──だから落ち着いて今は待機していてほしいと、大々的に報道するよう要請しろ」
ヨーロッパ各地からの報告を受けた大統領がふいにそんなことを言い出し、職員は状況も分かっていないのにそう断定していいのかと問うたが、大統領は構わないと言い切った。
「パニックになるのが一番危険だ。何が起きているのか分かっていないからこそ、今は落ち着く必要がある。──それに」
私はレドグリフを信じている。
──そう言い切った大統領に職員は思わず背筋を伸ばしてはい、と答えていた。理論ではなく感情で語るなど大統領としては失格かもしれない。だが、職員にはとても頼もしく見えた。
──そしてなるほどと、同時に思う。この〝頼もしく想える〟ことこそが心を支えてくれるのだ。だからこそ大統領は〝英雄〟の存在をアピールすることに決めたのだと、理解する。
それから職員は各メディア社と連絡を取り、全世界──特にヨーロッパの住民に向けて〝英雄〟の存在をこれまで以上に大々的に宣伝するよう伝えた。
「中国の化物の様子は?」
「現在ロシア国境に向けて移動中とのことです。ロシア軍による迎撃が行われていますが、効果は見られません」
「そうか。科学捜査班の方は?」
「あ! ちょうど科学捜査官の方から連絡が入っています!!」
そう言って職員のひとりがパソコンを操作し、科学捜査局とテレビ電話を繋いで通信ができるようにする。ぱちりと音を立ててパソコンの画面に科学捜査本部が映し出される。ありとあらゆる人種が画面の向こうで忙しなく動いていて、まさに休みなく操作し続けているといった感じでみなの顔には深い隈が刻み込まれている。
科学捜査官だけでなく専門家や研究者、医者に獣医とありとあらゆる分野のエキスパートが集っているようで非常に雑多な有様となっている。それだけ──必死で、死に物狂いなのだということだろう。
『ポーカー大統領、早速ですが報告です。時間がなかったため全てはまだ推測に過ぎないということを前提に置いてお聞きください』
「わかった、続けてくれ」
『まず、ヒトガタは素体が〝人間〟であることはほぼ確実だと思われます。素体となる人間をあらかじめ代替神経に繋いだ上で地球外種子〝ネメス〟の遺伝子を注入したことによって作られたのが〝Humanoid〟だと思われます』
「地球外種子〝ネメス〟?」
『二〇二四年に中国に墜落した隕石より採取された種子のことです。地球上のどの植物とも合致しないDNA型を持つ種子として〝ネメス〟と名付けられ、しかし中国政府により回収されてそれ以上の解明はされておりません』
そして、と科学捜査官はひとりの男性を呼ぶ。鋭い目つきの、アジア人のような男であった。
『こちら当時、植物学者として当時解析に携わっていた中国の学者です。現在はカナダで大学の講師をしておりますが、このたび来ていただきました』
『お会いできて光栄です、ポーカー大統領。早速ですが〝ネメス〟についていくつか知っていることをお伝えしたい』
──そしてその男が語るところによれば。
地球外種子〝ネメス〟は地球で言う鳳仙花の種によく似ており、しかし地球上の植物種子と違い、内部がまるで動物の体内のそれのようにいくつもの臓器らしきものから成っており、神経らしきものも無数に通っていたのだという。そのことから植物のように見えるが生命体の一種ではないのかと考えられ、研究が進められようとしていたのだそうだ。
結局途中で解散になり頓挫してしまったものの、当時目にした種子の内部構造と、そしてヒトガタの通常個体及び特殊個体の状態からして〝ネメス〟は寄生植物ではないかと男は言った。
『残念ながらこれ以上のことはまだわかりません──しかしキリングフィールド中将や神社氏が発見した、特殊個体に潜む〝核〟というのがおそらく寄生植物〝ネメス〟の本体ではないかと思います。それを破壊さえできれば──』
人類は、勝てる。
そう言ってそれきり口をつぐんだ男に大統領は顎を撫ぜてため息を吐く。破壊さえできれば──簡単に言うが、それができれば苦労しないということは男も大統領も、そしてそれ以外の人間たちもよく知っていた。
「改めて──レドグリフとイクサの人外っぷりが分かるな。特殊個体をよく破壊できたものだ」
そう言いながら大統領は重い腰を上げてレドグリフや戦がいるはずの、真紅色に包まれて何も見えぬフランスを映し出しているモニターを眺める。
気付けば──真紅色の光が次第に暗紅色へと落ち着いて行っており、少しずつ収縮していっていた。それを確認して大統領が現地にいるであろうクリスタや倭、フランス軍に連絡を入れて中継を繋ぐよう叫ぶ。
職員は即座にアメリカ軍と通信を繋ぎ、大統領の指示を伝えた。アメリカ軍の方でもクリスタに中継を繋ぐよう連絡を入れていたようでクリスタの所持しているタブレットとモニターが繋がるのにそう時間はかからなかった。
「ルクゼン大佐、聞こえるかね? 無事か?」
『ええ。なんとか──全身痺れて痛いし熱いですが、死んでいませんよ。何も見えないのですが──』
「こちらも赤色しか見えていない。赤色に見えているのであれば君の目は正常だ」
『そりゃよかった──ぐっ』
相当大きなダメージを喰らったらしく、画面の向こうからはクリスタをはじめとした兵士たちの呻き声が聞こえる。
『光がだんだん収まっていく──ああ、こりゃひどい……あたり一面黒焦げだ。俺たちももう少し近かったら死んでたな……』
『黒焦げだけどな、俺たち』
光が収縮していってクリアになっていく世界は夜中ということもあって見辛くはあったが、クリスタがライトで照射した先に広がる景色は確かに──消し炭の如く何もかもが黒く染め上げられていた。そして完全に光が収束しきったころに見えた世界は──〝世界の終わり〟を形容したが如くの、何もない世界であった。
『マジかよ、クレーターか? 城の跡ごと全部吹き飛んじまってる』
『俺たちがこの程度で済んだのが奇跡だな……それよりも戦は──』
真紅色の輝きが潰えた先に広がっていたのは、半径何十メートルあるのか分からぬほどに巨大な穴の開いたトゥール城跡と──消し炭と化したトゥールの街並みであった。それを見て大統領はぐ、と喉が引き攣れるのも構わず腹の奥底に力を込めて──叫んだ。
「ふたりを探せ!! レドグリフとイクサを、探せ!!」
巨大なヒトガタがどうなったか?
そんなものは確認しなくとも分かっている。モニターの向こうからは音という音が一切していない。クリスタたち兵士の声以外はなにもせぬ、完全なる無音の世界なのだ──あの異常な再生力を持つ化物がおぞましい音を立てて体を再生させることなくじっとしているなど、ありえない。
それはモニターの向こうの兵士たちにもすぐ理解できたようで、痛むであろう体を押し殺して即座に駆け出した。
そしてなおも大統領は、叫ぶ。
「──あのふたりだけは、絶対に死なせてはならん!!」
〝未来〟に繋ぐべく。
〝次〟へと繋ぐべく。
〝希望〟を繋ぐべく。
──〝英雄〟を酷使するという残酷な道を、選ぶ。
「あのふたりは、世界のために必要なんだ!!」
炭で作られた街だと言われてなるほどとなってしまうが如く、黒焦げとなってしまった街中を奔走していた兵士たちがやがて別々の場所で見つけた──〝英雄〟の成れの果てに大統領はまた、叫ぶ。
「絶対に死なせるな!! 〝希望〟を──〝英雄〟を!!」
クリスタが見つけた、瓦礫に凭れかかるようにして力なく腕を地面に垂らしているレドグリフ・キリングフィールドの姿と。
「絶対に──絶対に、死なせてはならん!!」
倭が発見した、地面に大の字で手足を投げ出して力なく倒れ伏している神社戦の姿を前に。