【アメリカ合衆国大統領 ⑴】
二〇三三年 一月 八日 午前九時二十分(アメリカ時間)
ニューヨーク市マンハッタン区、国際連合本部ビル内。
「──中国政府は今回の件について関与を否定しております」
「だろうな。認めるわけないだろう。私でもそうする。たとえ何らかの組織との取引があったとて、それが明るみになるような証拠は残さん」
各首脳陣との会議を一旦終了させ、ソファに深々と腰を下ろして休憩を取っていた大統領に報告をしていた秘書官は重々しく頷き、次なる報告をすべく手元のタブレットを操作した。
「キリングフィールド中将とイクサ・カミヤシロの戦いは未だ継続中とのことです」
「レドグリフもそうだが、レドグリフと肩を並べて戦うことのできるそのイクサ・カミヤシロはとんでもないな……」
大統領はそう言って手元のリモコンを操作し、テレビのチャンネルを回す。放送局はどこもヒトガタ襲撃事件につきっきりで、フランスの戦いと中国の戦い、どちらに焦点を合わせているかは半々であった。フランスにて未だ続けられている〝英雄〟の戦いに視線を留めて大統領は顎を撫ぜる。
「中国に現れたヒトガタに形状が非常に近くなっているが、中国のと比べるといくらか能力は劣っているようだな」
「捜査班の見解ですと中国の特殊個体デウスがおそらく最初に造られたものなのではないかということです。それを元に三体の特殊個体が作られたと推測しているようです」
「雲南省昆明市郊外の地下が怪しいが、中国軍による調査中の一点張りで学国家主席は国連の介入を認めようとしない。まあ、時間の問題だろうがな」
「無関係であると主張の上、研究資料は実は盗難されていた──とかでしょうか」
「そのあたりだろうよ。そこは今はどうでもいい。今対応すべきなのはあのモンスターどもだ」
大統領はそう言いながら眉間を撫ぜ、隈の刻み込まれた目元もそっと親指の腹で擦る。
「お疲れでしたら少し仮眠を取られたほうが……」
「そんな暇はない。中国が水爆使おうとしているんだぞ」
この数時間、中国大陸の沿岸部を移動しながら港町や大都市を破壊して回り、今は内陸部の方に興味を示したのか、西安に向かってまっすぐ移動している。その行動パターンに規則性は一切なく、ただ本能の赴くままにありとあらゆるものを貪って回っている感じであった。
この数時間の観察と研究で分かったことなのだが、ヒトガタの通常個体は人間にのみ狙いを定めて声や匂いに反応し、それ以外は自分に対して害をなすものにしか反応しなかった。アメリカと日本に現れたヒトガタの特殊個体も通常個体のバージョンアップ版、特に学習能力を飛躍的に押し上げたというだけの個体であった。
だがフランスに現れた特殊個体と中国で暴れ回っている特殊個体は他のとはまるで違った。人間のみを狙うようプログラムされていたかのような他の個体とは違い、そこに制限は一切ないようであったのだ。人間以外の生命体どころではない。草木や車、建造物と明らかな無機物も含め──中国の特殊個体デウスは貪り喰らっていた。
数時間前に特殊個体デウスが呑み込んだミサイル艇はそのままデウスの胃袋に収まり、消化され──吸収されたのか、その体が一メートルばかり成長したように見えた。そしてそれは決して見間違いでも勘違いでもなく、この数時間で特殊個体デウスはありとあらゆるものを喰らって六十五メートルにまで成長していた。
中国軍による攻撃に加え、北からはロシア軍が。南からはインド軍やタイ王国軍が。東からは日本に在留しているアメリカ軍が。国際情勢的には緊迫している関係であった国々が人類の危機を前に自国を守るべく手を取り合い、特殊個体デウスへの対処をこの数時間で可能な限り行ってきた。
──とは言っても結果は今こうしているところから言わずもがな、である。
それに痺れを切らした中国が水爆を使用しようとしているのを人々の避難がある程度済むまで待機するよう宥めつけてきたのがつい先ほどのことなのだ。
「大統領、日本の総理大臣からお電話です」
ふいに部屋にノックと共に入ってきた側近のひとりがそう言ってきて、大統領はここで話すと申し付けて電話機を持って来させた。
「シンイチか? どうかしたかね」
『突然の電話すまない、マック。中国軍の動きについて話したくて無理に電話をした』
電話口の向こうにいる、日本の内閣総理大臣の疲れたようなくたびれた声に大統領は苦笑しながらその不安は理解できる、と返す。中国と日本は近い──そして何より、日本は過去に二度も原爆の被害を受けている。──アメリカの手によってだが。
『水爆を使用することに関しての不安はもちろんだが……それ以上に、果たして水爆があのヒトガタ、特殊個体デウスに通用するのか心配でね』
「……確かに」
水素爆弾の威力は原子爆弾の比ではない。原爆の数十倍どころか数百倍、つくりによっては数千倍もの威力を生み出すことのできる恐ろしい核爆弾だ。原爆が核分裂型なのに対し水爆は核融合型の爆弾であり、原爆が微少にしかない材料で核分裂を起こさせなければならないのに対し水爆は潤沢にある資源でもつて贅沢にエネルギーを生み出すことができる。それが威力の違いを生み出しているのだが──日本で例えるならばとりあえず、東京に落ちれば東京はもちろんのこと、周辺県もまとめて消し飛ぶ。
それほどの威力を持つ核爆弾である──さすがの特殊個体デウスであっても有効だろうと大統領は考えていた──が、一抹の不安があることも確かであった。
その不安の原因は明白である。
「レドグリフとイクサ・カミヤシロの戦い──あれらを見ていると確かに、不安になる」
『神社戦さん──彼女が口にしていた、〝百発の爆弾を一度に爆発させても意味ない〟というのが引っ掛かっている』
百発の爆弾があるならば一度に百発全て爆発させるよりも、百回の爆発で攻めた方がいい──確かに戦はそう助言していた。
「レドグリフも特殊個体の再生能力は異常だと、アメリカを発つ前に私に言っていた──」
「ポーカー大統領!! 中国が水爆を搭載した戦闘機を発進させたとの情報が入りました!!」
「なんだと!?」
『……!? マック、ちょっとこのまま切らずにいてくれ!!』
部屋に飛び込んできた職員の言葉は電話口の向こうにも届いたのか、総理大臣は焦ったような声でそう言いながら電話口の向こうで何やら日本語で指示を下し始めた。
それを耳にしながら大統領も電話機を手にしたまま立ち上がり、義堂に向かうと秘書官に短く伝えて部屋を飛び出した。
「主席から連絡は!?」
「ありません! ロシア軍が無人戦闘機を先行させて囮となるという連絡がアメリカ軍大将の元に届き、判明しました!!」
「中国とロシアの共同作戦か!! ──人々への告知は当然、していないな?」
「ありません。特殊個体デウスは現在、西安東部郊外で暴走中ですが……このままですとまず、西安をはじめとした周辺都市は消滅すると思われます」
今現在、西に向けて移動している特殊個体デウスから逃れるべく人々は少しずつ町から離れ、南へ北へと避難していっている。デウスの移動速度が尋常でないために移動手段を潤沢に揃えている裕福層ばかりが助かり、徒歩や車などで逃げるしか方法のない貧民層や中流層ばかりが犠牲になっていってはいるが。
「状況は!?」
義堂に入る矢いなや大統領はモニターに視線を向けながら職員にそう問いただす。大統領の突然の登場に若い職員たちが戸惑いの顔を見せるが、それを壮年の職員が作業に集中するよう諫めてから大統領の元へ歩み寄っていった。
「あちらをご覧ください。軍のレーダーと繋いだものです」
その言葉に首を傾けてみればモニターのひとつに中国の地図を映し出したものがあり、北から南に向けて移動するいくつかの赤い点が表示されていた。
「先行している十数機はロシア軍の無人戦闘機です。その後部、無人戦闘機より五万フィートほど上空を飛行しているのが中国の戦闘機です──どちらも新型のものですね。実験という意味合いもあるかもしれません」
「……。……あそこの緑色の印が特殊個体デウスかね」
「はい。特殊個体デウスに関しては衛星カメラや望遠カメラの情報を元に空軍が随時位置情報を更新させています」
「もう止める暇もないな」
特殊個体デウスのいる緑色の印、そこに赤い点がぐんぐんと迫っている。今更止めに入ったところでもう遅いというのは見るよりも明らかであった。
──そして人類の保有する最大にして最悪の攻撃が、執行される。
「無人戦闘機が現れました!!」
その言葉に視線をずらせば特殊個体デウスを映し出している画面の空にいくつもの黒い点が──ロシア軍の無人戦闘機が飛行してくるのが見えた。
戦闘機による攻撃をこの数時間のうちに何度も喰らっていた特殊個体デウスはその学習能力の高さから先んじて触手を無人戦闘機にまっすぐ伸ばす。けれどそんなのは想定内である──囮なのだから。
本陣である水爆を積んだ戦闘機は見えない。はるか上空に──闇夜に紛れて静かに飛行している。
こくりと無意識のうちに大統領の喉が鳴る。義堂は機械音が雑音を上げている以外は無音で、みな固唾を呑んでモニターを見守っていた。電話機の向こうからも音が響いてくることはなく──日本でも同じような状況であるということは明らかであった。
水爆が効くか、効かないか。
その二択──その二択で、あったはずだった。
「え?」
無人戦闘機を触手で絡め取り相手していた特殊個体デウスの触手が突如、無人戦闘機を相手しなくなった。
相手しなくなり──はるか上空に向けて、天に向けて。
中国の夜空を覆い尽くしている雲に向けてまっすぐ、触手を何十本も伸ばした。
そして数秒もしないうちに、夜空を覆い尽くしていた雲が散らされた。
水爆によって。
「な……」
『マック!! ダメだ!! アレは知能が高すぎる──いや、この数時間で我々が高めすぎたんだ!!』
電話機の向こうで総理大臣が焦燥しきった声で叫ぶ。
この数時間──人類はありとあらゆる手段で特殊個体デウスを討伐すべく、攻撃し続けていた。その蓄積によって特殊個体デウスは人類の攻撃手段を学び──推測するようになってしまったのだ。
無人戦闘機の背後にある本陣を推測し、見つけ出し──先んじて潰してみせてしまった。
夜空を鮮やかに彩る水爆の残滓の輝きを眺めながら、大統領は唇を噛み締める。
「──もはや、〝英雄〟しかおらぬ」
化物に勝てるのは、英雄しかいない。