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死に物狂いの英雄  作者: 椿 冬華
第二部 フランス編
23/49

【一般市民 ⑶】


 二〇三三年 一月 八日 午後十六時五分(中国時間)

 雲南省昆明市、西山森林公園。


 三方を山に囲まれ、南には巨大な湖が広がっている昆明市の郊外に位置する西山森林公園。中国の誇る名勝区に数えられる名所で、地元民からも観光客からも愛されてやまない。山肌に聳え立つ寺の数々は参拝しにいくのに勇気がいるが、その荘厳かつ雄大な風景に観光客が絶えることはない。


「楽しかったぁ~ここに連れてきてくれてありがとうね、(リー)

「さくら行きたがってたもんな」


 満足しきった表情で笑顔を浮かべる高校生くらいの少女に精悍な顔つきの青年が微笑みながらそう返し、その手を取ってバスから降りた。

 少女はバスから離れると改めて背後を振り返り、つい今しがたまで自分たちが巡ってきた山を眺める。蛇のように細く危険な山道を歩いた甲斐があってとても素晴らしい景色と出会えたと少女はとても満足そうである。


「少し休憩したら帰ろう」

「うん」


 青年の手に引かれながら少女はスマホを取り出し、適当にSNSを流し見する。そこでは相変わらず阿鼻叫喚の山で、少女はああ~と他人事のように嘆く。


「まだまだ大変みたい、化物騒ぎ」

「そうなんだ。日本は大丈夫なの? さくらの家族とか友達は?」

「もう収まったらしーけど……うちの家、北海道だしみーんな無事」


 東京とかはひどいみたいだけどねぇ~、と完全なる他人事の調子で少女は憂うように目を伏せる。

 ヒトガタの襲撃騒ぎが起きた当初こそ少女は家族の安否を気にしてテレビにかじりつきながらスマホを握り締めて震えていたが、家族と騒動にあまり関係がないと分かればこんなものである。だが呑気に観光を楽しんでいる少女を責める人間はここには誰もいない。何故ならば、彼らにとっても他人事だからだ。

 自分と自分の近しい者たちに関わりがなければそれで世界は完結し、異常事態を別世界の出来事として自分と切り離してしまう。

 誰もが、そうである。

 そして──悲劇なことに、今ここにいる彼らは今日、それが他人事ではなくなる。


 最初に感じた異変は、小さな振動であった。


「……? 今揺れた?」

「ん? 気付かなかったけど……」

「あっ、また」

「本当だ。地震……じゃないね。地鳴り?」


 ずずず、とうねるように小さく震える地面に青年と少女は首を傾げる。

 そしてふいに観光客のひとりが指先を山に向けてあれは何だ、と叫んでその場の視線が一斉に山を向く。

 そこにあったのは、一輪の巨大な花であった。


 紅蓮よりも暗く。

 光焔(こうえん)よりも(くら)く。

 朱墨よりも黒く。

 緋縅(ひおどし)よりも(くろ)い。

 蕩けるように甘い香りを放つ、巨大なつぼみ。


 鼻孔を突く脳髄が痺れるほどに甘い香りに少女は頭がぐらりと揺れるのを感じて思わず青年に縋りつく。


「なに、あれ……」


 自分の目が狂ったのか、世界が狂ったのか──背後に聳え立つ山を呑み込まんとするほどにおぞましく大きいつぼみがそこにあった。遠近感が狂っているような気がして少女は目を擦るが、それでも視界に映っているものは変わらない。

 赤黒いチューリップのつぼみが目の前にあるような、けれど根元を辿れば山肌に辿り着いて、そしてその山肌はここから遥か遠く、遠きにある。

 はちみつと花と果実と、ありとあらゆる甘さを煮詰め凝縮しきったようなむせかえる甘い匂いにがんがんと頭痛を覚えて少女は頭を押さえ、鼻を服の袖で覆い隠す。

 そうしている間にも小さな地鳴りはひっきりなしに続いていて、やがて地鳴りは地震となり、地震は地割れと化した。


「きゃあああああ!!」

「うわぁああぁあ!!」


 オーブンの中で焼かれているケーキ生地のように地面が膨らみひび割れ、あたり一面から悲鳴が響き渡る。地割れに人々が足を取られたり落ちたりするのみに留まらず建物までもが持ち上がる地面とひび割れていく地面とに呑まれてその形を歪めていく。


「さくら! こっちだ!」


 青年が少年の腕を掴んで未だ地割れの起きていない地面へと引き寄せ、少女はほっと安心したように息を吐きながら青年の腕に縋った。


「何が起きているの? あれは何?」


 獣の唸り声のような地鳴りを響かせながら揺れている地面に堪えながら少女は山を見上げる。

 赤黒い花はいつの間にかその口を大きく開いていて、ぬるぬると粘液に塗れた──刃だらけの内側を、曝け出していた。それだけではなく少女たちがこれまで辿ってきた山の節々から赤黒い鱗に覆われた、大木のように太い触手が無数に生えている。触手が岩肌を削ってにょきりと生えてくると同時に砂塵が舞い上がり、砂塵が落ち着く前にまた新たな触手が山肌から飛び出してくるものだから山の表面はもはや砂塵に覆われて見えない。

 ただ、砂塵の上でうねっている無数の触手と──巨大な赤黒い花だけが、そこにある。


「Humanoid……?」


 ふとぽつりと隣から漏れた単語に少女ははっとしたように青年を見上げる。


「そんな! 日本とフランスとアメリカだけでしょ!? それに、テレビで見たのはもっと人間っぽい化物だった──」


 ばくんと、少女の目の前で青年の頭部が赤黒いつぼみに覆われた。

 え、と目を見開く少女の視界にはいつの間にか──無数の触手が地面から生い茂っていて、その先端がぷっくりと花開いては人々に覆い被さるように喰らいついていっている。


「り……李!!」


 茫然としていたのも束の間で、少女ははっと我に返って慌てて青年の腕を引っ張る。すぽんと触手は意外にもあっさりと青年から離れ、青年の体が引っ張られた勢いに乗って傾き、少女の体に圧しかかる。

 少女は慌てて青年の体を支えながらその顔を見上げ、けれどそこには暮れかけている空が映るだけであった。


「え?」


 青年の肩から上には、何もなかった。

 文字通り根元から何もなかった。

 何もなかった。

 何も。


「──────!!」


 絶叫が喉を突く。

 けれどその絶叫は、あたりから響き渡る絶命の絶叫に呑み込まれて木霊はしない。

 それが少女を──救った。


「叫ぶな小娘! 伏せてじっとしてろ!!」


 観光客のひとりだろうか。がたいのいい壮年くらいの男が少女の頭を引っ掴んで地面に引き倒した。少女の頭が地面を打ち、一瞬意識が飛びそうになるものの少女は気を失うことなくそっと身を縮こまらせて地面に伏せた。


「李……李……」

「諦めろ、もう死んでる」


 そんなのは言われなくても分かっている。分からないわけがない。首がないのだ。どうやって生き残れというのか。

 そんな恨めしい気持ちが喉から零れ落ちそうになるのを必死で堪えて、少女は涙で歪んでしまった視界を必死に見回す。

 あたりでは人々が地面から生い茂ってきた触手に襲われて死んでいっていて、絶叫と一緒に血飛沫があたりを彩っていいる。恐怖で声が出そうになるのを堪えながら山の方に視線を向ければ、巨大な花はいつのまにか空高く持ち上がっていた。

 そして花の下部分──根元部分が、山肌──どころではない。山そのものを破壊して這い上がって来ていた。文字通り、這い上がって来ていた。

 ヒトの形をした、けれどヒトではない何かが。


「ヒトガタ……」


 ぽつりと、漏れた少女の言葉に隣で地面に伏せていた男がだろうなと首肯する。


「くそが、三体だけじゃなかったのかよ。四体目が、しかも中国に現れるとかどうなってやがる」


 男はそう囁くように悪態を吐いて死にたくねぇよ、と最後に一言振り絞るような声で呟いてまた静かになった。


「…………」


 なんでこうなったんだろう、と少女はぼんやりとした頭で考える。

 無関係であったはずなのだ。

 自分とも、家族とも、友達とも。

 ヒトガタなんていう化物とは全くの無関係であったはずなのだ。無関係でなければならないはずなのだ。だって他人事なのだから。

 それなのになぜこうなるんだろう、と少女は鼻を啜る。


「おとう、さん……おかあさぁ……ん」

 

 ──雲南省昆明市郊外に広がる名勝地、西山森林公園はこの日消滅した。

 そして雲南省昆明市を初めとする中国南部の都市もこの日、いくつか壊滅に追い込まれることとなる。




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