【ジャーナリスト ⑷】
二〇三三年 一月 八日 午前六時二十分(フランス時間)
パリ、ルーヴル美術館跡。
芸術の都パリ?
そんなものとうに滅んだ。
──そう悪態を吐いてカメラマンは荒廃しきった街並みをカメラのファインダー越しに眺める。
エッフェル塔なんてのは真っ先に粗大ゴミと化したし、セーヌ河岸の美しい街並みだって今やただの荒野である。当然、セーヌ川のほとりに聳え立っている世界最大級の美術館、ルーヴル美術館も例外ではない。
歴史なぞ無差別に。
記録なぞ無関係に。
過去なぞ無意味に。
ヒトガタは根こそぎ、破壊しつくしてしまった。
「おいジョン、逃げるぞ。そろそろ気付かれそうだ」
傍でビデオカメラを回していたジャーナリスト仲間が声を潜めながらそう言ってきて、カメラマンは神妙に頷く。
ルーヴル美術館跡まで数百メートルほど距離はあるものの、二十メートルをゆうに超える巨大なヒトガタはここからでも十二分に視認できる。そして、とてもつなくおぞましい。
日本やアメリカに現れたという巨大なヒトガタと特徴はそう変わらないが、大きさが桁違いである。おそらくはそれに比例して防御力と再生力も桁違いに違うのではないかとカメラマンは考えていた。つい数時間ほど前、ミサイルによる攻撃が行われたのだが──直接被弾した一発目ではヒトガタの赤黒い鱗を数枚そぎ落とすのみに留まり、二発目に至っては飛来してきた瞬間に触手で絡め取って飲み込んでしまった。体内で爆発したはずであるのだが、巨大なヒトガタには痛みに呻く様子は一切見られなかった。
「匂い消しだ」
仲間に手渡された獣の脂が詰まった缶をカメラマンは有難く受け取り、それを首筋や脇下などに塗り込んでいく。巨大なヒトガタは人間の匂いと声に反応し、襲うことは既に判明していることである──それから姿を隠す手段として人間の体臭を獣臭で隠すという方法がジャーナリストたちの間では用いられている。
尤も、それでも全てを誤魔化し切れるわけではないため最後にモノを言うのは運であるのだが。
「ん? 車がこっちに……」
ふいに死体と瓦礫の海と化して荒れ果ててしまったパリの煉瓦道を軍用車両が一台、猛スピードで駆け抜けてきていた。フランス陸軍の凡庸トラックである──あの巨大なヒトガタを討伐しに行くにしてはあまりにも心許ない。凡庸トラック一台であの化物にどう対抗するというのか──そうカメラマンが考えているとふいにその軍用車両が停車した。
そうしてその軍用車両から降りてきたのは──ジャーナリストたちの間ではもはや知らぬ人間などいないほどに有名になっている、〝最強〟の一般人と〝皇帝〟の米軍兵であった。
「レドグリフ・キリングフィールド……イクサ・カミヤシロ」
運転席から降りて助手席にいた女性──神社戦をエスコートしているレドグリフ・キリングフィールドの姿にカメラマンは思わずシャッターを切ってしまう。切らずにはいられない。
なんせ──〝英雄〟である。
かたやアメリカで圧倒的なまでの剣戟で巨大なヒトガタを斬り伏せてみせた〝皇帝〟。
かたや日本で猛獣の如く力任せに暴れて巨大なヒトガタを捻じ伏せてみせた〝最強〟。
ヒトならざる力を持った〝人外〟であり、救国の〝英雄〟であり、そして化物に対抗することのできる〝化物〟である。
今や世界中のメディアはヒトガタとこのふたりの〝英雄〟に注目してやまないし、SNSでもこのふたりの動向を気に掛ける声で満ちている。
「少しいいかね」
低く落ち着いた、けれど決して対等ではない圧倒的なまでに高位から──いや、皇位からの言葉にジャーナリストたちは思わず身を竦ませ、強張ってしまう。
けれどそれに構うことなくレドグリフは言葉を続けた。
「見たところしばらくあのヒトガタを撮影していたようだが、気付いた点などあれば言いたまえ」
「え……あ、えっと……日本やアメリカに現れたというヒトガタと比較して巨大なのは見て分かる通りですが、フランス軍とイギリス軍の共同戦線による攻撃を顧みるに、おそらく防御力や再生力も遥かに上だと思われます……」
「で、あろうな。他には?」
レドグリフはそう問いながら視線をルーヴル美術館跡に向け、触手を大きく振り回して避難している人々を探して回っては蹂躙している巨大なヒトガタに向ける。その傍ら、レドグリフの隣で無言で佇んでいる戦の頭も撫ぜていて何だか奇妙な光景である。
「えっと……あ、ジョン。さっきのアレ、撮ってただろ?」
「あ、ああ……コレな」
仲間に言われてカメラマンははっとしたように自分のカメラをもたつきつつ操作し、レドグリフと戦にとある一枚の写真を見せた。
「ほんの一瞬で、偶然獲れたんですが……口を開けたかと思えば花のように頭部がぱっくり開いて……ミサイルを呑みこんだんです」
望遠カメラで偶然にも撮影に成功した、数時間ほど前のミサイル攻撃の瞬間を捉えた一枚であるのだが──巨大なヒトガタの頭部がハイビスカスのように鮮やかに花開いて、けれどその内部はナイフのように鋭く尖った無数の赤黒い牙で犇いていて──さらにそこから他の触手とは明らかに違う、黒い触手を伸ばしてミサイルを絡め取って飲み込んでしまった。
その説明を受けてレドグリフはふむ、と頷いて情報提供に対する礼を端的にカメラマンに述べる。
そして腰に差していた二本の軍刀を抜いてレドグリフはまっすぐ──数百メートルほど先にいる、巨大なヒトガタを見据えた。
その隣で戦も同様に腰を低く構えて四肢駆動の構えを取る。
画面越しに散々見た、ふたりの〝英雄〟の構えにカメラマンは畏怖と、そして興奮とで滾る血流そのままに無為にシャッターを切る。隣では仲間も同様にビデオカメラを回し続けている。
そんなジャーナリストたちをレドグリフたちは一切意に介さない。
「れど」
「ああ。行こうか、戦」
戦の呼び掛けにレドグリフはジャーナリストたちに掛けたのとはまるで違う、とても優しく甘やかな声で応えて微笑んだ。
そして地面が、爆ぜる。
「うわっ!!」
「いてっ!?」
飛び散った煉瓦の破片にジャーナリストたちが悲鳴を上げた頃には既に、レドグリフと戦ははるか先を駆け抜けていた。
レドグリフが先行し、それに遅れる形で戦が全力疾走し。
「ぬあああああああああ!!」
「アアァアアアアァァア!!」
「──■■■■■■■■!!」
激突、する。
レドグリフの放った剣戟──情報通りに目に見えぬほどに速い斬撃によって巨大なヒトガタの触手が一本、斬り落とされたところから戦いは始まり、ふたりの存在に気付いたヒトガタが腕を鋭く振り下ろしたのを戦の腕が受け止め、逆に戦の腕によってあらぬ方向にへし折られる。ぶるりと痙攣して体中からいくつもの刃を生やした巨大なヒトガタに、けれどレドグリフと戦は退却せず刃を避けながら巨大なヒトガタの懐に潜り込んでそれぞれ、強烈な一撃を喰らわせた。
大砲が爆ぜるような音と、硝子が砕け散るような音と、金属が擦れ合い削られるような音とが耳障りなほどに響いて巨大なヒトガタの胸部が大きく抉れる。
それをカメラのファインダー越しに眺めて、カメラマンは恐怖に引き攣れた声で呟いた。
「──化物だな」
レドグリフと戦。
ふたりの英雄。ふたりの人外。ふたりの化物。
その存在は散々知っていたし、調べたし、聞かされてきた。
けれど実際目の当たりにしてカメラマンは、思う。
化物と英雄は紙一重である。