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青は檻

作者: 一色春


———

手術中と赤く光る文字は、嫌になるくらい無機質だな。

俺はビニールの長椅子に座り、両手を握り合わせていた。どれくらい時間が経っただろうか。

妻の手術中1分は1時間に、1時間は1日のように長く感じた。それなのに頭はやけに冴えていたから、妻との今までを思い出していた。妻との7年間を1つ1つ思い出す。思い出してみると長い様で短く、それでいて長く感じた。

それが、急だ。交通事故なんて。いや、そりゃそうか。急なのは当たり前か。

疲れた頭で赤く光る文字を睨みつけた。握り合わせた両手がじっとりと汗をかいていた。


手術中の文字が暗くなり、担当した医者たちが出てくる。

「安心してください。手術は無事に終わりました。」

いつの間にか立ち上がっていた俺は、スルスルと力が抜け再び長椅子に座り込む。

「大丈夫ですか?」力が抜けた俺を心配する声に

「え、えぇ。ありがとうございます。そ、その妻は無事なんですね」と涙ながらに俺はそう言った。嘘なんかじゃない。当たり前か。

妻の手術は無事成功した。本当に良かった。


手術後、しばらく入院する妻の前でも俺は泣いてしまいそうだった。

「本当に良かった。無事で本当に、」良かったよ。

「心配かけてごめんね。」俺は小さく頭を振る。

これから妻の為に、俺は何ができるだろう


———


手術中と赤く光る文字が嫌で、じっと下を向く。こんな時間だと、病院には誰もいない。


気がつくと俺は眠ってしまっていたようで、ちょうど手術を終えた医者が出てくるところだった。

手術が終わった?

妻の手術が終わった。俺は立ち上がる。

「つ、妻は、手術は、無事ですか!?」

「えぇ。手術は無事終えました。」しばらくは入院していただくことになりますので、、、

無事。入院。妻が生きている。

「良かった。」思わずそう口に出し、再びビニールの長椅子に体を預ける。


妻が入院している病室の窓からカラリとした風が吹く。

「まったく。あなたらしいと言えば、あなたらしいわ」

「ごめん」手術の間、眠ってしまうなんて。少しの間だけとはいえ、罪悪感。

しかし妻はクスッと笑い。喉が渇いたわと言った。

「か、買ってくるよ」たしか、自販機がどこかにあったはずだ。

これから妻の為に、俺は何ができるだろう

「生きてるだけで素晴らしいのよ」妻がそう言った気がした。


「ハッピーエンドはココまで?」

誰もいない部屋に鳥の声だけが残る


———


手術中と赤く光る文字が気まずくて、ビニールの長椅子に腰かけたままじっとしていた。

やけに時間が長く感じる。どれほどの時間が経ったのだろう。

薄暗い廊下は息苦しい。


手術中の文字が大人しくなり、担当した医者が出てくる。

私は反射的に立ち上がる。手術が終わったと理解する。

「つ、妻は無事なんでしょうか」

「申し訳ありません。」最善は、、、

頭の中が白くなる。

なぜこの人は俺に頭を下げるのか。うまく理解できない。


虚無が俺の頭を支配していく。彼女は

虚無が日常を支配していく。彼女はもう

虚無が世界を支配していく。彼女はもういない


ケージの中の鳥がこっちを見ている。妻が飼いたいと言って飼い始めた。薄い青色のインコだ。

結局2、3日しか一緒にいられなかった。2、3日じゃ何も言葉を覚えないんだな。妻はインコに言葉を覚えさせようと、毎日話しかけていた。

鳥は何も言わないで、首を少し(かし)げる。インコはケージの中から俺を見ている。

「そろそろご飯か?」そうインコに話しかける。

妻は毎日何を話していたんだろう。


———


手術中と赤く光る文字に嫌気がさして、ビニールの長椅子から立ち上がる。少し歩くいたところに自販機がある。俺は自販機に小銭を入れる。

ピッと音を立てた自販機は、俺がボタンを押すのを待っている。ぼうっと自販機の光にさらされたまま、何を飲もうかなんて考えられないでいた。

妻は無事だろうか。とそのことだけが頭の中を回る。


自販機の前にどれほどの時間いただろうか。周りには誰もいない。

こんな時間なんだからそりゃそうか、と思い自販機のレバーを引く。さっき入れた小銭がそのまま出てくる。手品でも見た気分で、その小銭をポケットに入れる。

疲れている。と思った。さっきのビニールの長椅子に戻る。

そのまま俺は眠ってしまった様だ。


俺が目を覚ます。それと入れ替わりで、赤く光る手術中の文字が眠りにつく。

手術室の中から医者が出てきて、俺の前で立ち止まる。そして、深く、頭を下げる。

疲れた頭ではどうにも上手く理解できない。

喉が渇いた。何か飲みたい、ドロドロと喉を何かが通る。


妻が死んでしまった。俺が寝ている間に、死んだ。

それから数日の間は、ものすごい速さで毎日が過ぎていった。世界が俺を置き去りにしてるみたいに。俺にはあの日がまだ続いているみたいだ。


24時が過ぎたら、次の日。別に何が劇的に変わることなんて無い。それでもそれはもう次の日で、時計の針がズレていても次の日はやってくる。

人間様が勝手に決めたことに、俺は上手く馴染めていない。

心臓が止まったら死ぬ、ってそれも勝手に誰かが決めたんだろ。

○月✖️日△時□分に交通事故で、彼女が死ぬってことも誰かが決めてたんだろうか。

誰だよ。

何で彼女が死んだんだ。


ドロっと溶けてチーズの様になった時計も、コップをひっくり返してもこぼれない水にだって時間は等しく訪れる。なのに俺の流す涙は途中で止まる。時間が止まったみたいに、ピタッと。

きっと、そういうものなんだろう。みんな時間が等しく訪れていると勘違いしている。止まったって、誰も気がついていないだけなんだろう。

大切な人を失ったこの感情も、誰もが通る道の1マスに過ぎない。そう思わないと、耐えられそうになかった。


「お前、自分の嫁が死にそうなのに何寝てんだよ」「常識的に考えて眠れないよな」「ありえない」「寝てたくせに悲劇の真っ只中です。みたいな顔すんな」


「奥さんがかわいそうだ」「そうだ」「ホントかわいそう」


ケージの中の青い鳥が呟くのが聞こえる。お前らに俺の気持ちがわかるのか。

わかったフリして俺を責めるな。

他人のお前らが、俺の何を知ってるんだ!

俺は最愛の人を失ったんだ。

「その最愛の人が死にそうなのに寝てたのかよ」「お前みたいなやつの気持ちなんか分かんねーよ」「頭おかしいよ、お前」

俺がおかしいのか。そう思うと、世界が急に固まり出す、そんな様に感じた。

何を触っても温度を感じない。何を食べても味を感じない。


「生きてるだけで素晴らしいんだ」って言えたなら、どんなに救われるだろう。

今の俺にはそう言う事さえできない。そう言う事さえ許されていない。そんなふうに思う。

妻の写真が俺を見つめている。

「愛してるよ」なんて嘘っぽいだろうか

「今までありがとう」それじゃ薄情だろうか

「悲しいよ」そんなの当たり前か


妻に何も言えないでいる俺に「ねぇ、何か喋ってよ」と声がした。

声がした方を向くとインコがいる。ケージから抜け出したらしく、その後ろには空っぽになったケージが、俺とインコには興味なんてなさそうにしている。

「生きてるだけで素晴らしいのよ」妻の言葉だ。インコは妻が喋っていた言葉を覚えていたらしい。「おはよう」とインコは妻の言葉を続ける。

「ねぇ、何か喋ってよ」

「なんて言ったらいいか、分かんないんだよ」俺は何を言うことを許されているんだっけ。何も言えない、そんな気がする。

「何でもいいのに」そう言ったインコが首を傾げる。


何でもいいのか。

妻が死んでしまって悲しい。愛していた妻が、もうこの世にいないなんて悲しくてたまらない。

止まっていた涙が流れ出す。

そうかケージの中にいたのは俺の方か。

もう一度、妻の写真を見つめる。

「俺はこれからも生きるよ。生きてるだけで素晴らしいんだって、ホントはもう言えるよ」

流れる涙を止めることができなかった。


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