表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
焦日  作者: joblessman
5/9

弥勒家の人々

「家へ戻ろう」


 誠のことばに、ユウはこくりと頷いた。



 窓枠の向こうに、吸い込まれそうな夜があった。ガラス片は、絹が掃除を終えており、奇麗になっていた。


「ユウ、まあなんだ、少し話をしようか」


 と誠は小瓶の蓋をあけ、小さな氷晶のようなものを取り出し、口にいれる。「お前もいるか?」とユウに進める。

 ユウは、首を横に振った。

「そうか」と誠は腕を組んだ。

 風鈴がちりんとなった。


「風鈴なんてあったかのう」


 誠は、わざとしみじみと言った。

 ようやく、ユウは口を開く。


「たぶん、絹さんが片付けた後に付けてくれたんだと思う。窓、ごめん」


「まあ絹さんを守るのに必死だったんだ。よくやった」


 風鈴が、再びちりんと鳴った。

 冷たい風が二人を包む。

 誠は、一度咳払いし、話し始める。


「さっきのあれは、夜鬼といってな、まあ人でないなにかだ。夜鬼は、常に血を渇望している。特に人の血を好むが、餓えの果てに動物の血を飲むこともある。厄介なことに、狡猾でもある。ただ、二つ牙を襲うことはない。これは前にもいったな。なぜなら、二つ牙の血はやつらにとって毒になるからだ。一定量飲むと、死に至る」


「もう、いないの?」


「ああ。さっき弥勒家とも一度合流したが、さきほどの夜鬼は、北の峡谷を超えて来たものだろう、という結論に至った。まあこちら側にはもういないだろう。そうそうあの谷は超えられんし、複数いるなら、夜鬼は群れる傾向がある。怖かったか?」


 誠は、優しく微笑んだ。


「う、うん。でも、不思議な感覚もあったんだ。怖かったは怖かったんだけど、なんだろう。それを超えると、気持ちが昂るっていうか、怖いって感覚とはまた違うものになったような」 


 とユウは、赤くなる頬をぽりぽりと掻いた。

 誠は、氷砂糖を舌で転がすと、「うむ」と頷き、言う。


「恐怖は脳を刺激する。恐怖はリミッターだ。行き過ぎるとそのリミッターがなくなる。恐怖がなくなると、人は無敵になる。しかしそれは、ときに人を傲慢にさせる。理性の崩壊にも繋がりうる。図太い理性を芯にしなければならん。特に、二つ牙をもつお前はな。恐怖を忘れるな。内なる自分を恐れるんだ。そして、安易に恐怖を捨てるな。開き直るまで悩み抜いた末に、恐怖からの解放がある。その先に、真の成長がある」 


「う、うん」


 とぎこちなく頷くユウに、誠はなおも続ける。


「それとな、お前はとても優しい子だ。爺の言うことにも抗ったことがない。本気で怒ったこともないだろう。両の牙を持つものは、凄まじい力を持っている。怒りは、人に、我々に、普段にはない力を持たせる。もちろん怒りに身を任せなければならないときがないこともない。しかし、その感覚に酔ってしまってはいけない。感情の爆発もまた、欲だ。感情に精神を、肉体を支配させてはいけない。その先にあるのは絶望だ。特に、何度も言うが、両の牙をもつ我々には、な」


 ユウは、誠の言いたいことを計りかねた。いつになく難しいはなしだな、と思った。

 きょとんとしているユウの頭を、誠はなでる。


「お前は、本当に優しい子だ。和彦さんに似たんだろう」


 顔の知らない父親を褒められ、なんとなくユウは嬉しくなった。


「俊一を待たせている。明日は早いぞ、早く寝ろよ」


 部屋を出る誠の背中は、ユウにはとても大きく見えた。

 

 恐怖、怒り、欲。誠は何を伝えたかったのだろう、とユウは布団の中で考えた。二つ牙をもつものは凄まじい力を持っている、と誠は言った。自分にそんなものがあるのか。山を下りたことのないユウにとって、同年代の比較対象が弥勒家のレイだけであった。しかし、彼女も両牙を持っている。いや、一度女の子に会ったことがある、とユウは思い出した。あの花畑で会った、奇麗で、温かい女の子。牙を持つから山を降りられない。牙を持つから特別で、普通の人とは違う。山の中では時に誉め称えられ、時に畏怖さえされた二つの牙。ユウにとっては邪魔でしかならなかった。その牙は普通の人を怖がらせる、そう聞かされて育った。幼いながらにも、僕はこの牙のせいでどこへも行けないんだ、と理解していた。鏡で見る度、口を開く度現れる二つの牙が、嫌いでしょうがなかった。その牙を初めて見ても、隠さなくていいよと言ってくれた女の子。まだあのときの温かさを、どきどきを覚えていた。まるで夢のなかのようだったな、と。そして、もう会えないんだな、と。まどろみの中で、ユウの胸にむなしさが溢れる。肌寒い夜だった。

 

ーーーーーーー


 蝉の合唱が森全体を覆う。

 額に吹き出る汗をタオルで拭く。

 ユウの足取りは重い。

 

 切り開かれた場所に、古い洋館があった。門の前に、長い銀髪を紐で束ねた壮年の男が立っている。


「お待ちしておりました、大福様」


 と男はやや吊り上がった目をにこりとさせ、お辞儀した。


「おお、聡。久しぶりだな」


 誠のことばに、「ええ。ユウ様も、俊一もお元気そうで」と聡はユウを見た。俊一がお辞儀すると、ユウも倣ってお辞儀した。しかし、ユウは聡と目を合わせようとはしなかった。ユウは、聡の目が怖かった。いつもニコニコしているが、目の奥は笑っていないように思えた。

 聡が三人を部屋へと案内する。


「大福様、奥様はこちらでお待ちです。お嬢様は自室に」


 と聡は誠に言った。


「そうか。ユウ、レイちゃんも悪い子ではない。粗相のないようにな」


 と誠は一人部屋に入っていった。

 聡は、ユウと俊一を別室へ案内すると


「お嬢様、ユウ様をお連れしました」


 と扉を開ける。


「これは、ユウ様。お久しゅうございます」


 エプロンをした、銀髪の長身の女がユウを出迎えた。上歯が一本きらりと光る。


「そ、そうだね、桔梗さん」


 桔梗と呼ばれた女は、にっこりと笑うと、「どうぞ」とユウを部屋へと誘った。

 奥の部屋から、ウェーブのかかった長い銀髪を揺らし、「ユウ、一ヶ月ぶりね」と少女が現れた。


「そ、そうだね、レイ」


 とユウはさきほどの桔梗への返答と同じように、答えた。

 二人が会うのは、ひと月前、少女、レイが大福家を訪ねて来て以来であった。


「また身長が伸びた?もう少しで抜かれそうね」


 とレイはユウの頭をなでた。

 ユウは、ちらりとレイの表情を伺う。

 レイは笑っている。上歯の二つの牙がきらりと光る。ユウは、レイの様子に違和感を覚えた。ひと月前とは、雰囲気が違う。


「聡、桔梗、もういいわ。早くでていってちょうだい」


「何か御用があればなんなりと」


 と桔梗はお辞儀した。


「はい、お嬢様」


 と答えた聡の後ろで、俊一が口を開く。


「ではユウ様、何かあればおよびください」


「なにもないわよ。早くいきなさいあんたも」


 レイがぎろりと俊一を睨む。


「あ、ありがとう俊さん。またあとで」


 とユウのことばを受けて、俊一はお辞儀して、聡と桔梗とともに出て行った。

 扉が閉まるのを確認すると、レイはうっとりとユウを見た。その瞳には、ひと月前にあった純真さだけでなく、妖しさも含まれていた。それをユウは、敏感に感じ取っていた。


「ユウ、クッキーを焼いたの。コーヒーは飲めるようになった?」


「え、いや、まだだけど」


「ふふ、ちゃんとジュースも用意してあるわよ。早く座って」


 とレイはユウをソファーへと誘った。


「どう、おいしい?」


 とユウの膝に手をやりながら、レイは訊ねた。


「え、うん、とっても」


「よかった。今日は久しぶりにユウが来てくれるって言うから、朝から準備したのよ」


「あ、ありがとう。レイ、ごめん、ちょっとお手洗いにいきたくて」


「ああ、そうだったの。気づかなくてごめんね。一緒に」


「い、いいよ来なくても」


「そうね、ユウももう大人になるもんね」


 とレイは笑った。

 ユウは、せこせこと部屋を出た。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ