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焦日  作者: joblessman
2/9

枝垂柳の老婆

 山深い道を歩く。

 夕暮れの光が、高木の間から差していた。

 水滴が、少年の銀の髪にぽつりと落ちた。

 途端、大量の水滴が、草葉を叩く。

 虫の音が掻き消える。

 少年は、走り出した。


 山の中腹に、小さな家があった。真新しくも古くもないドアプレートに、『枝垂柳』と書かれている。少年は、雨から逃げるように、そこに入っていく。

 カランコロンと小気味良い音が室内に響く。少年の前髪から、ぽたりぽたりと雫が落ちる。

 がらんとした部屋のなかには、奇妙な形のした壷や、歪な杖などが雑に置かれている。その先に、大釜を混ぜる老婆が一人。


「ま〜た来た、ユウ坊」


 老婆が、飽きれたように言った。


「ジュースを飲みに来たよ、ミケ婆」


 とユウ坊と呼ばれた少年は、にっこりと笑った。尖った二本の上歯がきらりと光る。


「ビショビショやないか。先にふきい」


 ミケ婆は、そばにあったタオルをユウに投げた。


「ありがとう。変な天気だね。日は出ているのに」 


 とユウはタオルを受け取り、髪の毛を拭きながら続ける。


「にしても、いつ来ても誰もいないね。いつも思うんだけど、外からお客ってくるの?道もないし」


「山の東側は随分前に閉ざされたが、西側からは来れんこともないじゃろう。そっからちらほら来るんじゃ」


「え?そうなの!?」


「なんじゃ、知らんのか。弥勒家の方はそこから時々おりとるぞ。まあ普通の人が行き来できるほど楽な道じゃないが。ああ、お前さんの母さんもよう降りては怒られとったな、あ、いや、すまん」


 とミケ婆がバツ悪そうにジュースを出す。ありがとう、とユウはやや俯きながら、それを飲んだ。


「お母さんとお父さんは崖崩れから僕をかばって死んだんでしょ。まだ僕の歯が生え揃わない年のころに」


「さすがにもう聞かされておったか。お前の母さんは元気な人じゃった。和彦さんっていったかいの。お前さんの父さんを連れて来たときは驚いたもんじゃ。まさか普通の人間と結婚するとはーーーっと、昔話はいかんな」


「やっぱり僕は普通じゃないんだね」


 ユウは、雑に置かれたいびつな壷を訝しげに見た。


「両の牙をもつものはもれなくな。下に降りたいのはわかるが、辛いだけじゃ。じいさんに怒られたか?」


 ミケ婆は、再び大釜の前にたち、木べらで混ぜはじめた。


「おじいちゃんは怒らないよ」


 とユウは物憂に答え、近くにあった親指ほどの大きさの瓶を手に取った。水が入っている。木製のコルクを抜くと、きゅぽんと音がした。ミケ婆が、それに鋭く反応する。


「ユウ坊、そりゃいかん!」


「へ?」


 とミケ婆の方を振り返ったユウの髪の毛から、水滴がぽたりと落ちた。小さな瓶のなかへと吸い込まれるように。


「あああああああ」


 とミケ婆は口をあんぐりとさせ、止まった。


「え?うそ?なんかした?ぼく」


「ああ、忘却水が。それはなあ、ユウ坊。とっても貴重なものなんじゃ」


 ミケ婆は膝をついた。

 ユウは、とりあえず瓶のコルクを締めた。




「忘却水?」


「そうじゃ、ユウ坊」


 落ち着きを取り戻したミケ婆は、ユウの対面に座り、ココアを一口すすった。


「飲んだら何か忘れられるってこと?」


「その通りじゃ。コップ一杯も飲めば、10年分の記憶を忘れさせると言われとる」


「すごいね!そんな水があるなんて」


「すごいねじゃないわ馬鹿もん!純度100%じゃないと商品価値0じゃ!水の滴る糞ガキめ!」 


 ユウは恐る恐る「数滴なんだよね、瓶に入ったの。それでもダメなの?」と訊ねた。


「ダメ!効用がはっきりしなくなるから!」


 ごめんなさい、とユウは肩をすくめた。全く、とミケ婆は息を吐いた。


「買い取るよ。僕の血と交換じゃダメかな?」


「二つ牙の血は売り物にならん。それで過去に何度争いをおこして来たか聞かされておろう。そのせいでこんな山奥に引きこもることに、っとついつい昔話をしてしまうな。いかんいかん」


「別に他の人が飲んだからって不老不死になるわけじゃない。普通の薬と思って使えば」


「ダメじゃダメ!二つ牙の血は効果が強すぎる。そんな万能な薬は世に出回ってはいけないんじゃ!一回出回っただけで大きな争いが起きるんじゃ!」


「ごめんねミケ婆。この忘却水はどうするの?」


「売りにもだせんし、どこへでももっていけ。この山に住んでる以上、どうせ飲ませる相手もいまい」


 とミケ婆は捨て鉢に答えた。


「ごめん」


 としょげているユウに、ミケ婆は調子を変え、訊ねる。


「ユウ坊ももう14か?許嫁の方は15だったかいのう。どうじゃ、性欲は沸いて来たか?」


「な、なにを急に」


「まだまだうぶか?まあでもそろそろじゃろう。ほれ、雨もやんだし、帰りい」


 とミケ婆は立ち上がり、コップを片し始める。


「まって、ミケ婆。今日は変身の仕方を」


「前も言ったろうユウ坊、あれはわしだけの力なんじゃ。お前さんらも髪の毛ぐらいはいじれるじゃろう」


「髪の色と長さを変えられるだけだよ。ミケ婆みたいに動物になったり」


「ダメなもんはダメ!あと、わしが動物に変身できることは誰にも内緒じゃぞ!?お前のじいさんにもだ!ほら、暗くなるぞ、さっさと帰りい」


 はいはい、とユウは『枝垂柳』を出た。


 すっかり雨は止んでいた。地面がぬかるんで、時折足を取られる。ふと立ち止まり、ユウは上を見た。木々で遮られ、空は見えない。強い風が吹くと、森が大きくざわめいた。雫が降り注ぐ。ユウは、再び歩きはじめた。

 弥勒家を迂回するように、北へ向かう帰路を行く。

 途中、日の入りを見ようと寄り道した。オタタイ山の北には峡谷があり、そこまでやってくると木々が晴れ、森と森の間から空が覗ける。切り立つ崖と深い谷に背筋を凍らせながらも、ユウは西の空を見た。焦げるような赤黒い夕日がそこにあった。それは、森全体を覆っていた。なんとなく不安になって、さっさと帰ろうと翻したユウの目の端に、二本の木の杭が見えた。橋でもあったのか、と崖の向こう側を見ると、同じように二本刺してある。峡谷の向こう、北の森にも2、3家がある、とユウは、祖父の誠から聞いていた。自身は、この峡谷の向こうに行ったことがないし、向こうに住む人ともあったことはない。

 西日が閉じていく。急いで帰らなければ、とユウは薄暗い森へと戻っていった。


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