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焦日  作者: joblessman
1/9

洞穴の先

 猫と目があった。猫は、顔の向きを変えると、草むらの奥へと歩いていく。私を待っているかのように、私に見失ってほしくないかのように、ゆっくりと。そして、小さな洞穴の前で立ち止まる。私を一瞥すると、入っていく。私も、ついていく。


 音がない。暗い。中腰で、ずんずんと進んでいく。猫はさっさと先へ行った。出口はまだか。薄い光が見えた。もうすぐだ。光の先へ。


 木々がざわめいている。雲が轟々と鳴いている。


 真っ赤な絨毯が一面に広がっている。妖しくも艶やかで。この世とは思えない。立ちすくむ。

 影。少年が、立っている。


「なぜ、ここに」


 透き通るような奇麗な声。

 ぼんやりとしていて、顔が確認できない。


「えっと」


 戸惑う私に、少年が近づいてくる。銀色の髪の毛が光に反射している。


「ここにきてはーー」


「お、お名前は?」


 私はとっさに質問する。まだ帰りたくないから。

 少年は、戸惑っている。


「え、ぼく?」


 もじもじとする少年の、小さく開いた口が、きらりと光る。


「あれ、上の歯が尖っとるんやね」


 少年は、恥ずかしそうに口を隠す。


「かっこいいね。隠さなくてもいいんよ。私はしゅうか。柊の花ってかくの。柊の葉も、とげとげなんよ」


 怒らせちゃったかな、と少年の顔を伺う。

 少年は、顔を赤らめ、俯きながらに言う。


「と、とってもいい名前だね。僕はーー」


「どこ?ここにいるんでしょ?」


 少女の声だ。少し遠い。

 少年は、途端に小声になり、「早く、あの、逃げて」と洞穴へと私を押し込む。危うくこけそうになる。


「だ、大丈夫?でも、ダメなんだ。もう、君はここに来ては、ダメなんだ」


「ユウ、どこ!?」


 と少女の声が大きくなる。


「ご、ごめんね。でも、あ、ありがとう、楽しかった」


 と私を洞穴まで誘導し、少年は、にっこりと笑う。二つの牙が、きらりと光る。


「うん、楽しかった」


 と私は答え、洞穴の中へと入る。

 なんとなく気になり、私は洞穴の入り口から外の様子を伺う。少年の背中が遠くなる。

 赤い絨毯に、銀髪の少女が現れる。

 少女と、目が、あう。いや、あっていないかもしれない。すぐに顔を引っ込める。何か怖い。なんだろう。あの人は、怖い。

 あの人は、そうだ、なんか、怖い感じがした。

 これは、小さい頃の。


ーーーーーーーーーーーーーー

「柊花、起きんさい!」


 風鈴の音が響いた。柔らかい西日が差している。


ーーー夢か


 柊花は、懐かしさと、ちょっぴり背筋が凍る感覚を覚えた。今の今まで忘れていたが、夢によって途端に鮮明にぶり返した記憶。小さい頃にいつのまにか消えていた、たぶんあまり思い出さない方がよかったこと。夢は記憶の整理をしているというが、なぜこのタイミングで、とその奔放さに飽きれる。


「柊花!」


 階下の声に、ようやく柊花は立ち上がり、部屋を出た。


「何、お母さん、ご飯も炊いといたし、洗濯物もとっといたよ」


 あげく日中はお父さんの畑仕事も手伝ってた、とは柊花は付け加えなかった。母親の悦子も仕事帰りで苛立っているのが分かったからである。


「たくちゃんは部活もしながら畑仕事も手伝ってくれるゆうてたよ」


 フライパンを片手に、悦子は言った。


「たくと比べんとって。あんなチビ」


 と柊花は、たくやの学校での態度を思い出し、苛立った。小さい頃から散々遊んどいて、中学二年で同じクラスになった途端、柊花にそっけなくなったのである。


「たくちゃんもうあんたと同じくらいになっとるやないの。一年もせんうちに抜かれるわ。そんなことより、葵はしらん?帰ってこやんのやけど」


「葵?しらんよ。畑仕事も手伝わんとどっかいっとったし」


「うーん、最近変なとこ行ったって自慢しとって、またそこにいったんかいな」


 立て付けの悪い障子ががたがたと開くと、祖母の久が現れた。


「変なとこってどこさね?悦っちゃん」


「ああ、お義母さん。なんかお花畑?が広がっててとっても奇麗な場所だって。危ないとこはいかんようにいうとったんやけども。夏休みの宿題もせんとほんとに」


「花畑?この地域でそらあかんで悦っちゃん。はよ探さんと。正志はどことや?」


「正志さん?農協の集まりで遅なるって」


「おばあちゃん、なんかしってるん?」


 柊花は、なんとなく胸騒ぎを覚え、口早に訊ねた。


「オタタイ山の深くに小さな集落があるらしいんや。わしが子どもの頃までは一本の山道が繋がっとったんやが、絶対にいったあかん、ってよう言われとった。そこの手前にまあ奇麗な薔薇の畑が広がっとったん覚えとる」


「おばあちゃんはなんでいったん?」

 

「せやな、随分昔の話や」と久は椅子に座り、話しはじめた。


「5年かそこらに一度、神輿に人一人のせてその山登る決まりがあったんや。わしが10もいかんぐらいの頃や。4つ上の優しい姉さんがおってな。わしみたいに太ってへん、華奢で顔も整っとって、柊花によう似とったなあ。姉さんがその神輿のって山に行くことになったんや。その日の前はそりゃ豪勢な料理にお祭り騒ぎや。でもお父ちゃんもお母ちゃんも泣いとってな。で、神輿のった姉さんと、それ担ぐ男衆と、わしら家族だけオタタイ山の花畑まで同行できたんや。そのときやったな、その花畑いったんは」

 

「それでそれで?お義母さん、お姉さんはどうなったんです?」


 ガスコンロの火を消し、悦子は身を乗り出して久に訊ねた。


「姉さんは気丈に振る舞っとった。最後神輿から降りて、両親に深いお辞儀しとったわ。そんで、わしん顔見て、元気にしいや、って、でも、そんとき涙目なっとったん覚えとる。ようやっと、わしもわかったんよ。もう会えへんねんなて」


 久は、遠い目で言った。


「はあ〜そんなことがあったんですねえ」


「悦っちゃんは隣町からきたけえ知らんでも無理ない。それに、そのようわからん行事は姉さんが最後やったんや。そのすぐ後に、土砂崩れかなんかで山への道が途絶えて、そっからはとんとなくなった」


「おばあちゃん、なんでその山にはいったあかんって言われてたん?集落には誰が住んどんの?」


「わしも行ったのはその花畑まででな。集落まではいってへんからそれはようわからん。でもな、一つ牙した鬼さんよ、二つ牙した神さんよ、なんて言ってな、鬼だか神さんだかが出るから、絶対行くな、って言われとったわ。まあ、道はもうないさけ、杞憂やとええけど」


ーーー牙


 久のことばが終わらないうちに、柊花は動き出していた。


「柊花、ちょっと!」


「すぐ帰る!お母さんとお父さんはこの辺り探しとって」


 柊花は、玄関を勢いよく飛び出し、自転車に乗った。葵の自転車がないことに気づいた。

 記憶を蘇らせる。今日の夕方、夢に出てくるまで忘れていた記憶を。

 山の麓にある寂れた神社。雑草が茂っていた。猫?そうだ。あのときの私は、猫を追って、猫に誘われるように、神社の裏手にまわったんだ。すると、小さな洞穴があって。


ーーー杞憂やとええけど


 柊花は、久のことばを思い出し、額の汗をぬぐった。

 信号を渡り、高架下をくぐる。

 稲がマダラに残るだだっ広い田んぼに、夕日が伸びている。

 田んぼを抜けると、民家がちらほらとあった。


「柊花!」


 呼び声に、柊花は自転車を止め、振り返った。

 チカチカと点滅する外灯の下に、自転車に乗った体操着姿の少年がいた。


「なにい、たく。部活帰り?」


「そうや」


 とたくやは所在なく、短く刈り上げた頭を掻いた。


「うち急いどるから」


「ど、どこいくんや」


 柊花は、たくやをじっと見た。


「あんた、学校ではそっけないくせに」


「い、いや、それはやな、周りが」


 アスファルトの匂いが、柊花の鼻を打った。柊花は空を見上げ


「まあいいわ。もう暗なるし、はよ帰りいや」


 とペダルを漕ぎはじめた。


「いや、お前こそはよ帰りい」


 たくやの声は、柊花にはすでに遠いものとなっていた。

 西日の影に、オタタイ山が佇んでいた。

 段々と大きくなるツクツクボウシの鳴き声が、柊花の耳に五月蝿かった。

 


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