第九十二節 寒談の場②
黙々と、しかし頬と口元を綻ばせて菴羅の豆腐菓子を口へ運んでいくカルラを微笑ましげに見やり、ヒロはルシアへ紺碧色の瞳を向けた。
「ところで、ルシアさ。一つ、お願いがあるんだけど良い?」
「……なんですか?」
ルシアがマグロの丼物を食べきって箸を盆の上に置く頃合いを見計らい、ヒロは声を掛ける。すると、ルシアはテーブルナプキンで口元を拭って食後の茶を啜りだし、ヒロの言う『お願い』にさして興味無さげに赤色の瞳を向ける。
自分自身の担った職務に対しては忠実なものの、それ以外は職務外として無下にすることがルシアは多い。
“群島諸国大戦”の最中では、『人間が起こす、戦争などの事柄に介入する』という“調停者”本来の為事の下で、ヒロの相談事なども快く引き受けてくれた。だが、それ以降は諮詢に乗り気では無くなり、ルシアの気分次第といった側面が見えて来た。そう以前、ヒロがビアンカにぼやき漏らしていたのだが――。
「人探しをお願いしたいんだ。魔力を察知して探す感じになるから、魔法が得意な君くらいにしか頼めなくてね」
ヒロが真摯さを紺碧色の瞳に彩って口にすると、ルシアは事情を聡く察し付いたのだろう。手にしていた湯呑茶碗をテーブルに置き、「ふむ」と小さく喉を鳴らした。
「それは、ヒロ・オヴェリア個人ではなく、“オヴェリアの英雄”としての依頼なのでしょうか?」
今までの嫌味を言い吐き捨てていたものとは、打って変わったルシアの声音。それにヒロは首肯した。
「まず、事情をお聞きしても良いかしら?」
「うん。あのね――」
ルシアが宜いを示したことで、ヒロはオヴェリア群島連邦共和国へ“邪眼”の魔力の化身であるシャドウが姿を現したことを語っていく。
元々“邪眼持ち”の魔族であった者が記憶喪失となったことで、有していた魔力の制御ができなくなり、魔力自体が人格を持って逃げ出したこと。その存在――、シャドウが様々な国へ渡り歩いては行く先々で、目的不明なままヒトを殺めて回っていることを。
そして、シャドウがオヴェリア群島連邦共和国に姿を現し、ビアンカが強襲されるに至ったことを説話していった。
そうした話を聞き、ルシアは顎に手を押し当て一考する。
「“邪眼”の魔力の化身には心当たりがあるのですけれど。――もしかして、元魔族のユキさんの件でしょうか?」
「あっ、そうそう。そうだよ。そういえば、ユキってエレン王国に居たんだよね。ルシアとも知り合いなんだ?」
思いも掛けない返弁にヒロが問いを投げれば、ルシアは然りを示して頷いた。
「ええ。あの件はエレン王国の中でも魔族が関わったとして大事になったので。お父様が直接動いたんですよ」
「お父様?」
不意と口端に出た言葉にビアンカが反応をすると、ルシアは神妙な面持ちで再び頷く。
「ビアンカさんはお父様に未だ会ったことが無いんでしたね。あなたには“世界と物語を紡ぐ者”と言った方が通じるかしら?」
「ルシアとルシトの創造主だから、彼女は“世界と物語を紡ぐ者”のことを『お父様』って呼んでいるんだよ」
「ああ、なるほど……」
「まあ、私はあの“傲慢”のことを父親だなんて微塵も思っていませんけれど。そう呼ぶように創られてしまったので、仕方ありません」
納得の様相を見せていたビアンカであったが、ルシアが口切り始めた慨歎を耳にして翡翠色の瞳を丸くしてしまう。そういった言葉を聞き、やはりルシアも“世界と物語を紡ぐ者”のことを快く思っていないことを推す。
「んで、噂の“傲慢”様が手を出すような大事ってさ。シャドウはエレン王国で何かやらかしたの?」
ヒロが改めたように口に出すと、ルシアは小さな嘆息を漏らした。
「“魔族狩り”を生業にしていた者たちの殺害、ですね」
「「えっ?!」」
予想だにしていなかったルシアの言に、ヒロとビアンカの吃驚が重なった。だが、二人の驚きを気に留めず、ルシアは言葉を続けていった。
「ユキさんは大怪我を負ってエレン王国に流れ着きました。城下街の城門前で倒れていたところを、自警団に発見されて保護されたのです。そして、それと同じ時期にエレン王国に訪れた“魔族狩り”を生業とする一団を、そのシャドウという方が壊滅させたんですよ」
「なんだって、そんなことを仕出かしたの?」
ヒロの疑問を受けてルシアは口数多く、エレン王国でユキとシャドウたちの間で何が起こったかを綴っていく。
エレン王国に訪れたユキは大怪我を負って倒れており、意識不明の状態が暫く続いた。漸く目覚めた彼は、自身の本当の名前を含めた全ての記憶を失っていたという。
但し――、エレン王国の宮廷魔術師として城に詰めていた“世界と物語を紡ぐ者”は、エレン王国に向かう強い魔力を有するもののことを感知しており、その存在が“邪眼”の魔族であり、本来のユキだったのだろうと見越していた。それは、ルシアが“世界と物語を紡ぐ者”から直接聞いた話なので、間違えは無いだろうとのことだった。
そして、ユキが意識を取り戻すのと前後して、エレン王国城下街で不審な殺人事件が立て続けに起こった。
「その“魔族狩り”の一団は、どうやらユキさんのことを追っていたみたいなんです。情報がハッキリしないのは、殺害現場に駆け付けた自警団が虫の息だった“魔族狩猟家”から辛うじて聞き出した『“邪眼”の魔族を追っていた』というのを、私たちが又聞きになってしまったから。そして、ユキさんが記憶を失ってしまったので本人の確認が取れないから――」
何故にユキが“魔族狩り”の一団に狙われたのか。その真なる理由は明らかになっていない。そのため、運悪く目を付けられて襲われたのではないか、という見解となった。
「お父様は、エレン王国で“魔族狩猟家”たちを殺めて回っている者の正体に気付いていたんです。そして――、その目的も、きっと分かっていた」
「それをルシアは聞いていないの?」
ヒロが怪訝げにして眉間に深い皺を寄せる。その問いに、ルシアはゆるりと首を縦に動かした。
「私とルシトの憶測ですが、シャドウの目的は絞り込みました。それは、ユキさんを守るため。若しくは、報復のため。――このどちらかだろうと」
遅疑逡巡とした推測が調査で進行する最中も、着々と“魔族狩り”の一団は団員の数を減らしていった。
そうした中、事態を重く見た“世界と物語を紡ぐ者”は、自らが動くことを決めた。
「お父様は私たちにすらシャドウの真の目的を告げないまま、珍しく重い腰を上げました。まあ、エレン王国の国守を担っている立場もあり、体裁のために動かざるを得なくなったのでしょうが」
エレン王国城下街で殺生沙汰が頻発したことと魔族――、しかも“邪眼”の魔族が関わっていることを先見していたこともあり、動き出した後の“世界と物語を紡ぐ者”の行動は早かったという。
事の中心人物となったユキを引き連れ、昼と夜とを厭わずにエレン王国城下街で非道を働いていたシャドウを追いつめると、その魔力の封印をしようとした。
「だけれども、お父様はシャドウを取り逃がすこととなりました。あれは恐らく、敢えて泳がせる道を選んだのでしょう」
「どうして……?」
「お父様が『世界と物語の紡ぎ手』だから、ですよ。これから面白いことになりそうなものを、自ら潰してしまうのを望まなかった」
平然とルシアの喉を鳴らした言葉を聞き、ビアンカの眉が寄る。
自らのことを“世界と物語を紡ぐ者”と自負する“傲慢”な人物。そうルシトに散々と聞かされていたビアンカであったが、その身勝手さに憤りを抱く。
自身の主観的な尺度で物事を決め、多くの人々を殺めたシャドウを放任したという事実は許しがたいものだと思った。
「兎に角さ、群島で騒ぎを起こされると困るんだ。ユキと連絡を付けて、シャドウのヤツを何とかしたい」
魔族が関わり肝要事になりそうな事件には、“調停者”の介入が許される。それを領得している故の、オヴェリア群島連邦共和国を守る英雄としてのヒロの要求だった。
だがしかし。ルシアは整った眉を顰め、良い顔をしない。
「……こればかりは、私の一任でどうこうとできるモノではありませんね」
「ダメ、なの?」
ことがことなので文句を言いつつも引き受けてくれるだろう。そうヒロは思案していたため、何故だと言いたげな面持ちでルシアに紺碧色の瞳を鋭く差し向ける。
「お父様が直接関わってしまっていることなので許可をいただかない限り、私たち“調停者”は動けないのです。万が一決まりを破ろうものなら、どのような目に会わせられるか」
ルシアの返答に、ヒロは忌々しげに舌打ちをつく。内心でルシアに対して「使えないヤツ」と考えていることを表す態度に、ルシアの口端から吐息が漏れ出した。
「以前にお父様が関わったことを、自身の一任で手掛けた“調停者”がいました。ですが、彼はその後に破棄されているんです、と言ったら。“調停者”がお父様にとって、どのような存在かお判りでしょう?」
「『破棄』って。もしかして、殺されたってこと……?」
まさかと思いビアンカが問うと、ルシアは首肯する。無言の返しに、ビアンカの眉間には増々皺が寄っていく。
「お父様に報告と相談の手紙を飛ばします。それの返答次第でのお力添え、という形でよろしいかしら?」
「……仕方ないね。頼むよ」
心底の詮方なさを醸し出し、ヒロは大きく嘆声していた。




