第九十一節 寒談の場①
ヒロは人目のある場所で、込み入った事情話をすることを嫌う。そのため、各町の個室が存在する食事処を存知している。そして、ヒロの馴染みの店に案内をされたビアンカたちは、個室へ通されていた。
席に着いた早々にルシアが品書き表を真剣に見据え始めていたため、ヒロの眉間に微かな皺が寄った。
「ねえ、ルシア。まだ食べる気?」
「串焼きは先ほど食べましたけれど、マグロの丼物は未だ食べていませんからね」
「え、ああ……。うん、そうだね。さっき食べていたのは串焼きで、今、食べたいなって思っているのはマグロ丼だもんね……」
先ほど串焼きを食べていたのだから、満腹になっているのではないか。さような意味合いを含んだヒロの問いであったが、ルシアが品書き表から目を離さずに訳合の逸れた返弁をするため、ヒロは嘆息してしまう。
そうしたヒロとルシアの取り交わしを目にして、四百年以上もの付き合いがある者同士は仲が良いな――、などとビアンカは苦笑いを浮かしながら見守った。
「君が食事を摂るところを見るの久しぶりだけどさ。相変わらずよく食べるね」
「確かに、同じテーブルを囲んで食事をするのは久しぶりですね。前回ご一緒したのはリーダーが“海神の烙印”で隠匿されていた九門の“魔導砲”を破壊した際の召集だったので、四十九年ぶりで半世紀前です」
「……よく覚えているなあ。そんな風に数えていられないや」
「それが私の仕事ですからね。特にあの時は一門くらい“魔導砲”を接収しておきたかったので、全部壊してしまったと聞いて余計に印象に残っていますけれど。――決めました。マグロ漬け丼にします」
今までヒロの顔を見ずに嫌味を混じえて談じたルシアが、意を決した様相を見せて首を上げる。
そんなルシアの態度に、ヒロは呆然と言葉少なに返弁して品書き表を受け取ったかと思えば、打って変わった朗らかな笑みを浮かしてビアンカとカルラへ品書き表を差し出していた。
「ビアンカとカルラは何を頼む?」
表情と対応の変化の早さにビアンカは可笑しくて笑ってしまう。
差し出された品書き表を目にして、カルラは不思議げに金と銀の双眸を瞬く。
大きな瞳が品書き表の文字を追っていることから推察するに、どうやら字は読めるらしい。だが、どのような食べ物や飲み物なのかが理解できないようで、次には首を傾げていた。
カルラの様子を目にしたヒロは、紺碧色の瞳を細めて優しげに微笑む。
「ここのお店はね、菴羅の良い仕入れ先があるみたいでさ。それを絞った果汁の飲み物とか冷菓が美味しいんだよ」
「菴羅って、お家の庭とかに生っていた果物よね?」
ヒロの言う菴羅と呼ばれる果物のことは、カザハナ港の家々の軒先やアサギリ港への道中で実を付けている木を見掛けていた。果皮が桃紅色をした実は近寄ると、松脂のような香りがしたのをビアンカは覚えている。
「そうそう、あれって意外と生命力が強くてね。食べ終わった後に種の残った果肉を適当に捨てちゃうと、そこから芽が出るんだ」
「へえ。それじゃあ、彼方此方で見掛けたのは、食べ残しから芽が出て育ったって感じなのね」
「見掛けたのは大抵そうだと思う。僕ん家の周りにも菴羅の木があるんだけど、勝手に生えてきたヤツだし。――ただ、ここで仕入れているのは、甘味が強くなるように丹精込めて作られたものだから。そこらに生っているものより、味がシッカリしているんだ」
多弁に綴られるヒロの言を聞き、この店で出す菴羅が余程勧奨されるものなのだろうことをビアンカは推し当て、くすりと笑う。
「どれが良いか迷っちゃうし、ヒロのお勧めで良いわ。群島の食べ物のことは、あなたに任せておけば間違い無いしね」
極稀に苦瓜の時のように欺かれることはあったものの、ヒロが勧めるのであれば問題は無いだろう。今回はカルラもいるので、子供が食べられないものを奨励してくることも無いとビアンカは見通して、幾度か首を縦に振った。
すると、ビアンカの対面の席に腰掛けていたカルラも同意を示し、こくこくと頷いていた。カルラも何が良いか分からずに決めかねていたようだ。
「あは。そうしたら、菴羅の豆腐菓子と焼き菓子、あとは氷菓の方も頼もうか。僕たち三人で、三つの中から好きなのを選ぼう?」
頬を緩ませたヒロの提案を聞き、ビアンカとカルラは揃って首肯するのだった。
◇◇◇
「私たちがここの港町にいたのは、どこかの誰かさんが首都に到着するまで、まだまだ時間があったからなんですよ」
ルシアは慣れた手付きで箸を握り、注文したマグロの丼物を食みながら口説する。
かような話しぶりを耳に入れ、ビアンカはルシアの口調が、穏やかながらも攻撃的であることに察し付いた。
ルシトは率直に犯意を持って嫌味を口にするが、ルシアは悪気など一切無く嫌味を言葉に織り交ぜる。やはりルシアとルシトは双子の姉弟なのだと、改めて納得してしまう。
「その誰かさんから届いた手紙だと、首都への到着予定日は約一月後。時間も余っていたので、カルラの見聞を広めることと観光も兼ね、アサギリ港へ渡航してきたところだったんです」
刻々と綴られていくルシアの言明に、ヒロはルシアと目を合わせないようにしつつ菴羅のふんだんに乗った焼き菓子を口へ運んでいた。
「船を使ってアサギリ港まで来たの? ルシアさんは転移魔法は使えないのかしら?」
ふと、ビアンカの脳裏を掠めた疑問。それを口にすると、ルシアはゆるりと首を振る。
「転移魔法も使えるんですけれど、あの魔法は“風属性”になるので私には魔力の消費量が大きいのです。私も疲れることは苦手なので、必要が無い限りは属性違いの魔法を使わないようにしているんですよ」
「属性違いの魔法が使える時点で凄いと思うんだけれど。そういう制限もあるのね」
魔法の扱いに真に長けた者たちは、生まれ持っての属性以外を扱うことができるようになることが多い。それを既知している故のビアンカの問いであったが、有している属性が違うことで魔力の消費量が異なるのは初耳であった。
魔法は便利な力だと思っていたが、魔法使いには魔法使いなりの制約があるのだと思い、感嘆の息が漏れ出す。
「それじゃあ、群島までは船で来たの?」
猶々とビアンカが質疑をすれば、再びルシアは首を左右に振った。
「いいえ。群島に来る時にはルシトに送ってもらったんです。ビアンカさんがいらっしゃるなら、ルシトも引き止めておけば良かったですね」
「ルシアと一緒にルシトまでいたら、僕の胃がまた痛くなっちゃうよ……」
「もしかして、リーダー。手紙のお返事にビアンカさんのことをハッキリ書かなかったのって、ルシトを群島から早々に帰すためだったりします?」
小声で漏らされたヒロのぼやきを聞きつけたルシアは言う。冷ややかな眼差しを向けられた詰問にヒロは押し黙り、分かりやすくルシアから目を逸らした。
「あら? 私ってヒロにルシトが担当だって言っていたかしら?」
ヒロの宿す“海神の烙印”の監視と管理の役割を担っている“調停者”がルシアであることは、カザハナ港滞在中にヒロから聞いていた。
しかしながら、ビアンカは自身の前に姿を現す“調停者”がルシトであることを言っていなかったので、首を傾ぐ。
「……“喰神の烙印”の監視役を担当しているのは、ハルの時からルシトなんだよ。それを引き継いだって考えれば、予想はできたんだ」
“群島諸国大戦”の折に、図らずも“海神の烙印”と“喰神の烙印”という二つの呪いが肩を並べることになった。その際、同盟軍に参戦していた“調停者”の双子は各々の監視担当となる“呪い持ち”を定めていた。
生まれたばかりの呪いである“海神の烙印”はルシアの監視下に。現存する呪いの中で最も厄介とされていた“喰神の烙印”はルシトの監視下へ――。
その採択は、“呪いの烙印”の宿主と“調停者”との相性も念頭に入れたものになったという。
「担当が変わるとかは考えなかったの? 私とルシアさんなら女性同士だから、話しやすいとかの理由もあるじゃない?」
「ルシアが“喰神の烙印”の監視役に向かないんだよ。ルシアはね、気持ち悪いくらいに“喰神の烙印”を崇拝しているからね」
「え?」
「うふふ、そうなんですよ。私は“喰神の烙印”が大好きなんです」
「ええ?!」
ヒロとルシアの言を聞き、ビアンカは吃驚の声を上げてしまう。しかも、ルシアが“喰神の烙印”を『大好き』などと宣うため、余計に驚愕の思いを持った。
驚嘆から「何故に」と表情で語るビアンカを目にし、ルシアはにこりと微笑んだ。
「“喰神の烙印”が有する呪いの力は、人々にとって救いの力なんです。特に人間というのは――」
「あーっ! ルシア、ストップッ!! これ美味しいから食べてっ!!」
饒舌にかつ恍惚の様で語り始めたルシアを遮り、ヒロが慌てを含んだ大声を上げる。それと同時に、食器に乗せた菴羅の焼き菓子がルシアの口に押し込まれた。
それによってルシアは話を止め、眉間に皺を寄せながら焼き菓子を咀嚼していく。
「……リーダー。流石にマグロ丼を食べている時にお菓子を食べさせられても、味が今一つ分かりません」
「そ、そう? ごめんね? で、でもでも、美味しいでしょ?」
ヒロは苦笑いを表情に貼り付けて謝罪を口にしつつ、ルシアの話が止まったことで安堵を窺わせる。その取り交わしを目にして、ビアンカはルシアが語ろうとしたことを悟った。
(ああ、ルシアさんって死生観が可笑しいんだって、ルシトも言っていたっけ。この人がハルに言った台詞を聞いて、気が合いそうもないって思ったんだったわ)
ヒロがルシアの言葉を止めたのも、自身とルシアが喧嘩にならないようにするためだろう。変なところで気を遣っていて、ヒロも気苦労が絶えないだろうに――、などと思い馳せていく。
ルシアの人となりを事前に了しているため、恐らく妙なことを口走られてもビアンカが腹を立てることは無い。そのことを後ほど、ヒロに気を遣わないことを含意して伝えておこう。
さようなことを考えつつ、ビアンカは菴羅の氷菓を口に運んでいくのだった。




