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片翼の鳥~出会いと別れの物語~  作者: 那周 ノン
第三幕【毋望之禍】
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第七十七節 群島諸国の伝承

「――“オボツ・カグラ”?」


 ヒロが口にした言葉を聞き、その馴染みの無い単語を反復するとビアンカは首を傾げた。

 手摺に凭れ掛かって佇むビアンカの(かたわ)らに座り込み、武器の手入れをしていたヒロは(こうべ)を縦に振るう。


「“ニライ・カナイ”が海底深くに存在する“冥界”への門って言われているのと反対に、“オボツ・カグラ”は遥か上天にある“神界”――、神の国への入り口だって言われているんだ」


 “ニライ・カナイ”への旅路を終え、オヴェリア群島連邦共和国に足を向けたビアンカは、案内役を買って出たヒロと共に再び船上にいた。

 次なる船旅はオヴェリア群島連邦共和国の本国に向けてのもの。その最中で暇を持て余したヒロは甲板上で自身の武器の手入れを始め、ビアンカはヒロが語る古い伝承に耳を傾けていたのだった。


「この“オボツ・カグラ”は『毋望之禍(むぼうのわざわい)』――、予期せぬ不幸な事柄から人間を守る時に“神界”への扉を開き、神族を地上に遣わすんだって」


「へえ。群島には本当に独特な考えがあるのね」


 ヒロたちオヴェリア群島連邦共和国の人々が『本島』と呼ぶ中央大陸や東西の大陸では耳にしたことの無い伝承の数々に、ビアンカは感嘆の溜息をつく。そうしたビアンカの反応に、ヒロは自身の故郷のことに興味を持ってもらえて嬉しい、ということを言い表すように微笑みを浮かべて幾度か頷く。


「でも、群島でも“ニライ・カナイ”の方が有名になりすぎちゃって、“オボツ・カグラ”の考えは廃れてきているんだ。今の若い人たちは殆ど知らないんじゃないかな?」


「……ヒロのそういう言い方、本当にお爺ちゃんみたいよ」


 時折とヒロの口をつく『最近の人たちは』『今の若い者は』という言を聞き、ビアンカは常に考えていたことを言葉として指摘する。すると、ヒロは「ぐぬ……」っと小さく声を立て、眉を寄せた。


「――数えで四百と幾つだったかな。途中で考えても無意味な気がして止めていたけどさ。こう思うと、お爺ちゃんなのは否めないよなあ」


「ふふ。認めると急に歳を取った気がするわよね」


 肩を落として気落ちするヒロの様子に、ビアンカは可笑しげにくすくすと笑ってしまう。


「気持ちは若いつもりなんだけどねえ。でも、本国の人たちと古い群島の話をしているとさ、何で群島(もん)のクセに知らないんだよって思っちゃってね」


 郷土愛の強いヒロが故郷の話をしだすと止まらないところがあるのはビアンカも了している。ビアンカに語る際はやや控えている面があるようだが、同郷の者に古い話をする際は老齢の語り部の如く話し出すのだろうと、ビアンカは推し量って再び笑いを零す。

 しかしながら、ヒロのように古い知識を遺漏(いろう)無く語れる者は少ない。かような存在はビアンカのように知識を求める者には貴重だった。


「ヒロみたいに古い時代の話ができる人は、“旅人(わたりどり)”にとっては貴重よ。これからも沢山のお話を色々な人に聞かせてあげて」


「うん。勿論だよ。ビアンカにも色々話をするから、聞いてね」


 へらりと嬉しそうにヒロは笑う。それにビアンカも笑みを浮かせて頷いた。


「それにしても、群島は空に関する伝承まであるのね……」


 先ほど聞いた“オボツ・カグラ”の話を思い返し、ビアンカは空に目を向ける。


 ソレイ港を船が出帆してから然程(さほど)時間が経っておらずに陸地が近い。そのため、未だに船の周りには並走する海鳥の姿が見受けられた。

 船が波を掻き分けて進む音と海鳥たちの鳴き声を耳に入れ、ビアンカは雲一つない青天を眺める。ふと、太陽の光に眩しさを感じ、翡翠色の瞳を細めると――。太陽を背にし、一羽の大きな鳥と思しきものが遥か上空を飛んでいるのが目に付いた。


「あれ、何かしら……?」


 ビアンカが疑問から呟くと、ヒロはビアンカに目を向ける。


「なにかあった?」


「ええ。太陽のところ、何か大きい鳥が飛んでいるみたいなんだけど……」


 甲板から腰を上げたヒロはビアンカの隣に立ち、太陽光を遮るように右手を額に押し当てて紺碧色の瞳を細める。

 ビアンカの見据える先へ視線を差し向けると、ヒロの表情が見る見る内に(しか)められていった。


「うえ。あれ、海鳥便だよ……」


「え?」


 嫌そうな声音で漏らされたヒロの言葉を聞いて、ビアンカは首を傾いだ。


「僕宛ての手紙を運んで来たんだ。群島本国が僕への依頼書を届けるために使うやつ」


 辟易とした様を乗せてヒロは綴る。そこでビアンカは、ヒロと出会ったばかりの頃に彼が話をしていた内容を思い出した。


 “オヴェリアの英雄”と呼ばれ、オヴェリア群島連邦共和国の海の秩序を守る立場に座すヒロには、大統領を含む高官たちから様々な依頼書が届けられる。

 ヒロの元には“海鳥便”と呼称される連絡手段が使用されるのだが、それが今、上空を飛んでいる鳥と思しき存在だという。


 鳥と呼ぶには(いささ)か大きいような気がする――、と。そうビアンカが考えていると、ヒロは指を口元に押し当てた。息を吸い込んだかと思えば、次には甲高い指笛の音が辺りに響く。


 すると、太陽を背にして飛んでいた鳥が羽ばたきの様を見せ、高度を降ろしてくる。徐々に形態を目視できるようになった鳥の正体に察し付いたビアンカは、驚愕に翡翠色の瞳を見開いてしまう。

 ビアンカは咄嗟に身構えようとするが、ヒロが手をかざすことで制する。


 その鳥は大きな翼を力強く羽ばたかせてビアンカの亜麻色の髪とヒロの黒髪を乱し、野太く鋭い鉤爪を有する足で手摺をわし掴む。途端に木でできた手摺がミシリと悲鳴を上げた。


 ビアンカとヒロの前に降り立ったのは、羽毛で素肌を隠す一人の女性――、海の魔物であるセイレーンだった。

 セイレーンはヒロの姿を認めると煌めく瞳を愉快げに細め、くすくすと笑うような鳴き声を立てる。


 突として船上に魔物が姿を現したことで、甲板にいた船夫や乗船客が焦燥にどよめいた。そうした様子にヒロは気まずげに苦笑いを浮かせてしまう。


「あーっと、驚かせて申し訳ない。こいつは僕の伝書鳩みたいなもんだから、危害を加えないでもらって良いかな?」


 ヒロが声を掛けるものの、辺りにいた者たちは警戒心を顕わにしてヒロたちから遠ざかっていく。


「君たちが手出しをしない限り、()()()()は何もしないから。遠くで見ていてくれる?」


 武器を握って向かって来る者がいないのが救いだと、遠目から見守るだけの者たちを目にしてヒロは嘆息(たんそく)した。


「セイレーンなんて初めて見たわ。魔物が人馴れをすることってあるの……?」


 驚嘆を声音に乗せてビアンカが問うと、ヒロは首肯(しゅこう)する。


「ツクヨミは“調停者(コンチリアトーレ)”の創造主、例のいけ好かない“世界と物語の紡ぐ者(ストーリーテラー)”が手配した魔物らしいんだよね。僕の血の匂いを覚えさせているみたいで、僕がどこにいようとも匂いを嗅ぎつけて手紙を届けに来るんだ」


 ヒロは言いながらセイレーンの足首に付けられている書筒から手紙を抜き出すと、再び甲板に腰を降ろして座り込む。その動作にビアンカは目を向けつつ、ヒロの口舌に首を傾げた。


「“世界と物語の紡ぐ者(ストーリーテラー)”が用意したものを、群島の人たちが使っているの?」


「うん。なんていうか、(てのひら)で転がされている感じがしてイヤだよね。まあ、この連絡手段が無いと僕も困っちゃうから、利用させてもらっているけどさ」


 依頼を受ける(たび)にオヴェリア群島連邦共和国の本国となる島々や海上を渡り歩くヒロへ、新たな手紙を届けることは難しい。通常の伝書鳩などでは一つ処に留まらない特定の人物に手紙を送り届けるという所業は困難であり、そのために魔物の手を借りるに至っているのだとビアンカは推察する。


「ところで、ツクヨミって。この子の名前?」


 ビアンカは思ったことを口にする。先ほどヒロが口にしたセイレーンの名前だと思われる言葉は、ビアンカには馴染みの無いものだった。


「うん、そうだよ。僕が付けてあげたんだけど、群島の伝承にある月の神様の名前なんだ」


「群島には“全知全能の女神・マナ”以外にも信仰されている神様がいるの?」


「そうそう。群島ではね、『全てのものに神が宿る』って信じられている。海の神は“海神(わたつみ)”っていって“海神の烙印(こいつ)”の名前の元になっているし、月の神は“月詠(つくよみ)”って呼ばれて親しまれているんだ」


 ヒロは自身の左手を振るい、微かな笑みを浮かせて言う。その説明を受け、ビアンカは感嘆から再三の溜息をついた。

 オヴェリア群島連邦共和国が独特の風習を持つ国だと聞いてはいたが、そこまで自身の過ごしてきた東の大陸と考え方が違うことに驚嘆の念を持つ。


「“全知全能の女神・マナ”は一人で沢山の役割をこなす神様だけど、群島の神様は大勢いて、それぞれに役割を持っているって感じなのね」


「そういうこと。勿論、群島でも“マナ信仰”は根付いているけどね」


「そうなのね。――あなたは月の神様の名前を貰ったのね。凄く綺麗だし、素敵な名前がとっても良く似合っているわ」


 (うね)のある長い(にび)色の髪に、藤色の瞳。体毛のように身体に(まと)った羽毛も髪と同色の色を持ち、太陽の光を孕ませて輝く艶やかな色彩は、ビアンカに綺麗だという思いを心の底から植え付けていた。


 ツクヨミはビアンカの褒め言葉を解しているようで、鋭くも妖しい目元を細め、肩口から生える翼を口元に掲げ上げて「ふふ……」っと妖艶な鳴き声を漏らす。その仕草にビアンカは見惚れてしまう。


「この子、羽も髪も艶々しているし。ラベンダーのお花みたいな目の色をしていて、本当に綺麗ね」


「あー……、ビアンカ。そいつをあまり褒めないで。調子に乗ると、お礼なのか歌を唄い出すからさ……」


「え? あ、うん……」


 海の魔物であるセイレーンの唄声には眠気を誘う力がある。それを知識として領得していたビアンカは、ヒロの諭しに口籠る。

 もしも機嫌を良くしたツクヨミにこの場で唄われでもすれば、船に乗っている者たちは皆がみな、深い眠りに就いてしまうだろう。


 ビアンカが口を噤んだことで、ヒロは安堵から嘆息(たんそく)を漏らしていた。


「実は会ったばかりの頃にさ。僕も物珍しくて構っていたんだけど、歌を唄われてねえ。三日くらい眠り込んだことがあるんだよ。夢を見る間も無いくらい、良く眠れたのが幸いだったけど……」


「そ、そんなになるの……?」


セイレーン(そいつら)の唄声は、荒くれ船乗り連中にさえ恐れられているくらいだからね」


 苦笑い混じりでヒロから語られる話を聞き、ビアンカは唖然とした表情を浮かして頬を引き攣らせていた。


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