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片翼の鳥~出会いと別れの物語~  作者: 那周 ノン
第二幕【ニライ・カナイ】
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第七十節 真実の言明

 ヒロは起きて早々に、寝入ってしまっていたことに吃驚した。


 想像が及びもつかなかった様子で呆気に取られていたヒロを目にし、ビアンカは表情を崩しつつヒロを船室にある浴場に追いやって身を清めさせ、衣服を手渡す。

 ビアンカに手渡された自身が普段身に(まと)っている衣服を広げ、ヒロは再度驚きの様相を呈していた。


 ヒロは濡れたままで水を滴らせる髪を拭うことすら忘れ、事態の不可思議さに喉を鳴らして唸る。

 海賊たちとの戦闘で多数の斬り裂き痕と血の汚れが染み込んでいたはずの黒い服は――、(つくろ)った跡も無ければ染み抜きをするために洗った跡すら見られない。今やさようなものがあったと思えないほどだった。


「……これ、どういうことなの?」


 考え込んでいても答えに行きつかないと思ったヒロは、ビアンカに疑問を投げ掛ける。

 ベッドに腰掛けた状態でいたビアンカは、ヒロの困惑を含んだ声音にくすりと悪戯そうに笑う。


「ヒロに言われた通り、洗ったりはしていないわよ?」


「う、うん。それは、この状態を見れば分かるよ……」


 広げた衣服には、そういった跡は全く見られない。そのことがヒロの頭を増々捻らせていた。


「“呪いの烙印”の持つ魔力は上手く扱えるようになれば宿主を癒すだけじゃなく、身に着けているものも直す効果を発揮することができるの」


「は? 本気で?」


 ビアンカの言葉を聞き、ヒロは紺碧色の瞳を瞬かせた。ビアンカに目を向けていたかと思えば、再び自身の衣服に目を向け――、と。卒爾(そつじ)の感情を窺わせて交互に見比べ、最終的にはビアンカの左手の甲に視線が向けられた。


「“喰神(くいがみ)の烙印”は、そんなこともできるわけ?」


 尚もヒロが問いを投げると、ビアンカは首肯(しゅこう)した。


「ヒロが宿主として力を付ければ、“海神(わたつみ)の烙印”も同じことができると思うわ」


 ヒロが目覚める前。ビアンカが“喰神(くいがみ)の烙印”と話をした際に、ヒロが“呪いの烙印”の宿主として未熟なために、“海神(わたつみ)の烙印”がそうした力を持たないと揶揄(やゆ)していた。


 “海神(わたつみ)の烙印”を身に宿してから四百年以上の間、ヒロが“呪いの烙印”を行使した経験は僅かばかりしか無い。呪いのもたらす代償の苦痛を恐れ、その使用すらも忌避した故に、ヒロは真なる力を引き出しきれていなかったのだった。

 それらを“喰神(くいがみ)の烙印”に聞いていたため、ビアンカはヒロに高説していった。


「そうなんだ。でも、僕は“呪いの烙印”と上手く付き合える自信がないなあ……」


 ヒロは嘆息(たんそく)混じりに言うと、ビアンカの隣に無造作に腰を掛ける。手にしていた衣服を膝の上に乗せて左手を目線の高さに掲げ、露わになったままにでいる“海神(わたつみ)の烙印”に紺碧色の瞳を差し向ける。

 そうしたヒロの仕草を見やり、ビアンカは(おもむろ)にヒロの掲げられた左手に手を差し伸べて触れていた。


「今まで私は“海神(わたつみ)の烙印”に嫌な気配を感じなかった。だから、ヒロが上手く呪いの力を抑えていると思っていたんだけれど。――気配を感じなかったのは、ヒロが“海神の烙印(このこ)”の力を使いきれていなくて魔力が不足していた、ってことなのね」


「むう。僕は青二才で若造だからね」


 ビアンカの口をついた言葉に、ヒロは不服げに頬を膨らませた。先刻の“喰神(くいがみ)の烙印”に告げられた讒謗(ざんぼう)を思い出したのだろう。そのヒロの反応を耳に入れ、ビアンカは微かに笑う。


「これから仲良くしていけば良いわよ。その内に呪いの力を使った後の反動も楽になっていくかも」


「うーん。あの痛いのは本当にイヤなんだよね。僕が上手く扱えるようになるまで、ビアンカと一緒にいてもらうわけにもいかないしさ……」


 ヒロがぼやきめいた声を漏らすと、ビアンカはキョトンとした表情を一瞬浮かせる。すると、ヒロの左手の甲に差し伸べていた手を降ろし、くすくすと笑い出す。


「お互いに時間だけはあるんだもの。焦らずにゆっくりやっていけば良いと思うわ」


 その口振りだと良い意味で取ってしまいそうだ、と。ヒロは内心で思い、苦笑して頬を掻いていた。だが、当のビアンカは含みのある言い方をしたつもりは無いようで、平然とした様子だった。


「まあ、僕なりに何とかやってみるよ。――ところで、そろそろ“喰神(くいがみ)の烙印”のことを話し、しようか?」


「そうね。お願いしても良いかしら」


 ヒロが話題を変える旨の言葉を出すと、ビアンカは首肯(しゅこう)した。頷きで返された(うべな)いに、ヒロも頷きで了解を示して口切りだす。


「僕も大したことを知っているわけじゃないんだけれど。ビアンカは誰から“喰神の烙印(そいつ)”のことを聞いたの?」


「“喰神の烙印(このこ)”が“七魔将”の魔族だったという話を教えてくれたのは、エレン王国でお世話になったお医者の先生よ。その人は、この子のことを“貪欲”を冠していた魔族だって言っていたの」


 ヒロの問いにビアンカが答えると、ヒロは口元に手を押し当てて一考の様を窺わせた。そして、暫し考えた後に再び口を開く。


「エレン王国は確か“傲慢”の奴が居ついているって話だったな。もしかしたら、その話をしてくれたって人は、嘘を教えられていた可能性があるね」


「……なんで、そんなことを?」


 ビアンカが疑問から声を漏らすと、ヒロは肩を竦めた。そればかりは分からないという意思表示だと、その振る舞いでビアンカは推し量る。


「僕が知っているのは、“喰神(くいがみ)の烙印”は“強食”の名を冠していた魔族だったということ。そして――、“傲慢”と凄く折り合いが悪くて、いがみ合っていたということだね」


「やっぱり、“強食”の名を冠していたというのは、本当なのね?」


「うん。これは知り合いの長生き魔族に聞いた話だから真実だと思うよ。その人は『嘘は吐かない』って言っていたし」


 ヒロは過去にある長命の魔族と知り合い、ハルが宿していた“喰神(くいがみ)の烙印”についてを聞いていた。その際に聞いた話によると、“喰神(くいがみ)の烙印”は、かつて“七魔将”と呼称される魔族を率いる将の役割を担い、その中でも“強食”の名を冠する存在だったというものであった。

 そして、教えられたことはそれだけであり、“強食”の魔族が“傲慢”の罠に掛かり命を落としたという出来事は初耳だったと補足する。


 そのことで再びビアンカは様々な解せなさを抱き、考えを巡らせた。


 “喰神(くいがみ)の烙印”の大本となった魔族の正体を、敢えて事実と相違した知識としてエレン王国の医師――、ニコラスに流した存在がいる。だがしかし、それは何故(なにゆえ)なのか。ビアンカには考えも及ばない。

 ビアンカがエレン王国に訪れることを予見し、嘲笑うためだけに成された意味の無い行動のようにも思う。しかしながら、“喰神(くいがみ)の烙印”の大本の魔族が“七魔将”であり、強い魔力を有していたということは真実であり、そこに関しては理知として与えても問題が無いと思われていたかのようだと思いなす。


(――まるで、私をからかうためだけに用意をされた話、みたいね)


 頭の片隅を過る違和感と不愉快さ。それにビアンカは眉を寄せる。


「――『真実は時に、捻じ曲げられて伝えられる。心せよ』」


「え?」


 不意にヒロが発すると、ビアンカは首を傾げた。


「その知り合いの魔族が言っていた言葉。――魔族の中で特に強い力を有していた“七魔将”の話は、何故か真実の中に嘘を織り交ぜられた知見が出回っているんだって」


 尚もヒロが綴ると、ビアンカは深慮の様を見せる。


 ――真実は時に、捻じ曲げられて伝えられる。


 それはビアンカが時折と感じていたものだった。


 “呪いの烙印”や魔族たちが関わったと思われる事象は、残されている文献などの情報と自身の知る知識との間に差異を感じさせるものが多々あった。あたかも故意に情報の錯綜(さくそう)をさせ、躍らせて楽しむかのような。かような悪意を感じたのも事実であった。

 誰が何故そのようなことを、と。ビアンカは考えて、はたと一つのことに行きつく。


「“傲慢”の名を冠する魔族――、“世界と物語の紡ぐ者(ストーリーテラー)”がワザと間違えた情報を流している……?」


 ぽつりとビアンカが思い当たったことを口に出すと、ヒロは頷いて(しか)りを示す。


「僕に話をしてくれた魔族も、同じことを言っていたよ。“傲慢”の奴がワザとやっているんだろうってさ」


 ヒロが同ずるものの、『何故』という問題の解決には至らない。そのため、ビアンカは懐疑を巡らせ始めるが、やはり自身には考えも及ばないものだった。


「その人は随分と過去のことに詳しいみたいだけれど、会えないのかしら?」


「うん。その人は結構ふらふらしているから、僕も半世紀に一度会うか会わないかっていう程度の付き合いなんだ。しかも何かを聞こうとすると、その分の()()を請求されるし……」


 ヒロの話す魔族の存在に興味を持ちビアンカが問うが、ヒロは難色を表情に露わにして返弁する。


「報酬って、お金とか請求されるの?」


「毎回『身体で払え』って言われるんだよねえ。面倒くさいったらないよ」


 猶々(なおなお)とビアンカが問いを投げると、ヒロは眉間に皺を寄せて答える。だが、ヒロからの返しを聞いた途端にビアンカの表情が怪訝さを帯びる。

 ビアンカの気疎いに気付いたヒロは伝え方が悪かったことに勘付き、微かに苦笑いを浮かしてしまう。


「変な意味じゃ無いよ。その人は魔族に関わることを調べたりしているみたいなんだけど、それの手伝いを強要されるんだ。自分の仕事を手伝えっていう意味だからね」


 ヒロが釈明を口にすると、ビアンカは呆れて嘆息(たんそく)していた。


「……ヒロの知り合いは、本当に変わった人が多いのね」


 ビアンカが慨嘆から思わず声を漏らす。誣言(ふげん)の口振りであったが、ビアンカが裏の意味を思わせる言い方を嫌うと了しているヒロは腹を立てることもせず、気まずそうに頬を引き攣らせた。


「ビアンカ。怒ってる……?」


「何で私が怒るのよ」


「ぼ、僕は、ビアンカ一筋だよ?」


 ビアンカへと身を寄せ、ヒロは彼女の顔色を伺うように覗き込む。そうしたヒロの言動に、ビアンカは何を言っているのか理解できずに嘆声(たんせい)してしまう。


「あなたって本当に意味の分からないことを言うわよね」


「えへ。よく言われる」


 戯れの言葉を取り交わし、ビアンカが憤りを感じていないことを察すると、ヒロは安堵からへらりと笑みを浮かべる。そして、気を改めたように屈めていた身を正し、話の続きを綴るために口を開いた。


「まあ、冗談は置いておいて――。その人とビアンカが直に話を出来れば良いなあ。話を聞き出すまでが大変だろうけど、きっと君のためになる話を沢山してくれるよ」


「どんな人なの?」


「うーん、と。全体的に真っ白な人っていうのかな。着ている服がいつも白くて、白銀髪に真っ赤な目をした女の人。凄く印象の強い人だから、一目見れば分かると思う」


「そう、なのね。もし見掛けたら捕まえてみるわ。ありがとう」


「どういたしまして。――というか、大した話じゃなくてごめんね」


 ヒロが卑下ると、ビアンカは(こうべ)を左右に振るう。

 ビアンカの否を言い表す返しを目にして、ヒロはベッドに両手をつき天井を仰ぎ見る。そして一つ、溜息を漏らしていた。


「……僕が君に遺してあげられる話は、このくらいかな。あとは、君次第だね。頑張って」


「え? ええ……」


 微かな笑みと共に小さく呟き零されたヒロの言葉を耳にして、ビアンカは首を傾げてしまう。他意ある言い方で何かの引っ掛かりをビアンカは感じるが、それを口にすることは無かった。

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