第六節 思い馳せる
成長の止まった身体。老いも死も知らず、時を刻むことを忘れてしまった身体。
“喰神の烙印”が持つ呪いの力で、出会った人々の命を卑しくも貪り、己の命の糧として生き続ける身体。
百余年以上を、さような所業を行いながら生き、十五歳の時のまま変わらない自分自身の姿――。
そのことにビアンカは思考を囚われ、ぼんやりとした様子を窺わせていた。
(――“喰神の烙印”を継承して、あっという間に百年以上。その間に、私は何に出会えた……?)
ビアンカが一人での旅立ちを決意してから、早百年以上の年月が過ぎている。
その合間にビアンカは、多くの戦争や騒乱に巻き込まれ――、己が望まぬまま、戦場に身を置いていたこともあった。
だが、ビアンカの宿す“身近な者たちに不幸を撒き散らし、死に至らしめる呪い”は、戦場を通して彼女と出会った人々を、ただただ死に追いやるだけであった。それはあたかも、“喰神の烙印”の呪いが人の魂を狩るための餌場を求め彷徨うようであり――、呪いのもたらす結末は、ビアンカに深い虚無感を与えるに至っていたのである。
そんなビアンカであったが――、彼女は、ある人物を探して一人旅を永く続けていた。
(ここ――、エレン王国みたいな、賑やかで活気のある……。どこかリベリア公国を思い出して懐かしい気持ちになる国なら、もしかしたらって思ったけれど……)
思い馳せ、ビアンカは浅く溜息を吐き出す。
――私は一体……、何に期待しているんだろう……?
ビアンカは心中で、自分自身に問い掛ける。
何かに導かれるようにして――。自分自身の本能ともつかない直感も相まって、ビアンカはエレン王国を訪れてみようと思った。
そうして足を運んだエレン王国ではあったものの、これと言ってビアンカの望むものは見つからなかったのである。
(拍子抜けも良いところ、よね……)
そう考え、ビアンカは自身を嘲笑し、微かに笑いを零していた。
「――ちゃんっ!! ビアンカ姉ちゃんっ!!」
突如ビアンカの耳に届いた大きな声。唐突に大きな声で自身の名前を呼ばれたため、ビアンカは思考の渦から現実に引き戻され、驚きから大きく肩を震わせた。
「え……?」
ビアンカが呆気に取られた面差しで声の主を見やると、アインがビアンカの持つ釣り竿の先を慌てた様子で指差ししている姿が映る。
「引いているよっ!!」
一際大声を上げ、アインは叫ぶ。その一声でビアンカは、ハッと我に返った。
思い出したように、ビアンカは釣り竿を急ぎ引き上げるが――。既に釣り竿に仕掛けた釣り針からは餌だけが綺麗に無くなっていた。
そうした釣り針の有様を見て、明らかにアインとシフォンが落胆した様を窺わせる。
「あーあ。せっかく引いていったのにな」
「勿体ないなあ……」
アインとシフォンが口を揃え、冗談の色が混じった責める口調でビアンカに文句を零す。
「あはは。せっかく教えてくれたのに、ごめんねえ」
ヘラッとビアンカは笑みを表情に作り、謝罪を口にする。
するとアインは「仕方ねえなあ……」――、と。更に文句の言葉を零しながらも笑い、再びシフォンと雑談をしながら釣りを再開し始めた。
アインとシフォンの二人を傍目にしつつ、ビアンカも気を改めて釣り針に餌を付け直し、再びそれを湖に投げ込む。
釣り針を投げ込んだことにより湖面には波紋が広がり――、ビアンカは小さな波を見つめながら、自身の不注意に自嘲じみた笑いが込み上げてくるのを感じていた。
(――考え事をして意識を飛ばすなんて、らしくないなあ……)
ビアンカは、アインとシフォンに誘われ、エレン王城の裏手に存在する湖に訪れていた。
湖は思いの外大きなもので水も澄み渡り透明度も高く、辺りも城壁が国の城下街一円を囲った内部にあるとは思えないほど緑豊かな草木が森となり生い茂っており――、広大な城郭都市となっているエレン王国の状態を窺い知れ、ビアンカを至極感嘆させた。
湖に訪れてからは、アインとシフォン――、二人の少年と「誰が一番多く魚を釣れるか」という勝負をしていたのであるが。そうした最中で、ビアンカは意識を余所へと投げ出していたのだった。
「……何やっているんだかなあ」
ビアンカは呆れ混じりの小さな声で、誰に言うでも無く独り言ちる。
ビアンカの見つめる湖面には、彼女の投げ込んだ釣り針に付けられたウキが静かに漂う。残念なことにその周囲に、魚影は見えなかった。
そうした湖面とウキの様子に、ビアンカは溜息を一つ吐き出す。
釣りは無我無念の心を持てる――。そのような理由で、ビアンカは釣りが好きであった。
また釣りは――、ビアンカにとって大切な人から教えられた事柄であり、それを趣味として永い時を生き続けている。「年寄りくさい」と、からかわれることも多々あったものの、それでもビアンカには“心の安定を図る”という目的もあって、その好みを曲げることは無かったのである。
釣りをして無我無念となる――。
それでも先ほどのようにビアンカは、ぼんやりと物思いに耽ってしまうことも、少なからずあった。
(――それにしても、随分と久しぶりにあんな思いが頭を過ったものね……)
ビアンカには、永い時を生き続けることに、後悔など無いはずであった。寧ろ後悔よりも希望を抱き――、たった一人で成すべきことを果たすために生き続ける覚悟を決めたはずだった。
しかしながら、ビアンカの宿す呪いである“喰神の烙印”が持つ力は、彼女の予想の範疇以上に強大で、宿主であるビアンカ自らの意思に反し、人々の魂を掠め取り死に追いやっていく。そうした事様はビアンカの心を疲弊させていき、次第に彼女の心から“人らしい感情”を奪っていった。
けれどもビアンカは、その事実から目を逸らし、自分自身に嘘をつき――。悩みや後悔など何も無いと自身に言い聞かせるよう、頑なに前へと進む道を無理矢理に歩んでいたのである。
(――どうして今になって、こんなことを思うようになった……?)
“喰神の烙印”の呪いがもたらす、宿主を不老不死とする力。“人と呼べざる者”になり、老いも死を知らない身体となり、永遠の時を生きることを許され、その限りの無い命を彼の人との約束を果たすために使い生き続ける。そう決めたのに――、と。ビアンカは心中で思う。
この子供たちの賑やかな雰囲気を目にして、昔の自分自身と彼の人を心の片隅で思い出してしまったせいなのか――。
この賑やかさの中に、自分の本当の居場所は無いのだと。感じてしまっているからなのか――。
この国に居ても、自身の目的は果たせないと。心のどこかで諦めてしまっているためか――。
(なんか嫌だな。なんでこんな風に、色々と考え込んでいるんだろう……?)
エレン王国に辿り着いてから、ビアンカは自身の気持ちが落ち着かず、浮足立った情態だと感じていた。
そのような気持ちを振り払いたいと思い、こうしてアインやシフォンからの釣りの誘いに乗り、それを楽しむつもりだった。
不安なことも、心の奥底に潜む罪の意識も後悔の念も。全てを空っぽにしたかったと――、ビアンカは思い成す。
無意識の内にビアンカの口から、また一つ、重苦しい溜息が漏れていた。
「お姉ちゃん。どこか……、痛いの?」
再三の物思いに苛まれ、半ば上の空でいたビアンカに、不意に幼い少女の声が掛かる。
ビアンカが驚き、声のした方へ目を向けると。いつの間にかビアンカの傍らに座り込んでいる幼い少女――、カルラの姿があった。