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片翼の鳥~出会いと別れの物語~  作者: 那周 ノン
第二幕【ニライ・カナイ】
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第五十九節 愁傷

 甲板室の壁面に突き刺さったカトラスを抜き取り、剣身にこびりついた血を払う。刃の状態を確かめてから鞘に戻し、ヒロは肩の力を抜いて一息吐き出した。

 傷だらけになった前腕を擦り、目を向ける。血に塗れる腕は既に傷口が塞がり、出血はしていなかった。


「……とりあえず、()()()()掃滅は終わったな」


 海賊の頭目を仕留めたのを最後に、海賊船の甲板上にはヒロの姿しか無くなった。

 船内には(いささ)か、人の気配はするものの――、甲板室の扉には茨が幾重にも重なって生い茂っているために、中に残っている海賊たちが出てくることは無いだろう。


 ヒロは再び面差しを引き締めたものに変えると、航行船へ目を向ける。


「帆を開けっ! 手摺に巻き付いた引っ掛け綱を切るんだっ! 舵を取るぞっ!!」


 海賊船に目を向けていた者たちへ、声高に指示を飛ばす。


 その指示に船夫や乗船客たちが顔を見合わせあい、頷く。そして、ヒロの言葉通りに次々と動き出した。

 瞬く間にマストに登った船夫たちが帆を展開し、貴族の乗船客たちが手にした刃物で船を捕縛している引っ掛け網を切り落としていった。


 そうした航行船の様子を目にしたヒロは、船尾楼の舵の元へ駆け出す。滑り込むようにして舵に手を掛けると、大きく息を吸い込んだ。


「おもかぁぁじっ! 切るぞおおぉっ!!」


 ヒロは腹の底からの大声(たいせい)を発し、面舵をいっぱいに回していく。


「取り舵っ!! 回してっ!!」


 ヒロの号令に合わせ、航行船でビアンカが声を張り上げ、操舵手に命じた。


「とぉぉりかぁじっ!! いっぱいぃっ!!」


 ビアンカの指示を受け、操舵手が取り舵を切る。


 双方の船が舵を取ると、航行船の右舷側が、船体を擦り合わせる寸前まで迫っていた海賊船と接触した。

 海賊船と航行船が擦れ合い、舷側の木板が押し潰される不穏な音が辺りに重く響く。その音と共に、船体が大きく揺さぶられる。


 船同士が接触して船体が揺れる中、ヒロは再び海賊船上を走り出していた。左舷側を駆け抜け、接触状況を確認する。

 帆が風を受けて膨らみ、航行船が進路を変え――、遂に離脱した。


「――よしっ!」


 二つの船が離れたことを認め、ヒロは手摺に両手を掛ける。


「弓で縄をこっちに渡してくれっ!!」


 ヒロが大きく叫ぶ。その指示に、航行船に乗る者たちが騒めいた。


「弓はあるが……。縄を巻いたら、あの距離まで飛ばせないぞ……」


 海賊船までの距離を目にした誰かが、ぽつりと呟く。


 ヒロの乗る海賊船は双方の船が舵を切ったことで、徐々に航行船から引き離されていた。

 ただ弓矢を飛ばすだけならば届くだろう。しかし、矢に縄を巻いたとなれば、話は別であった。


 誰がやるか、矢を飛ばせるのか。遅疑逡巡と己の観念ばかりを語り、行動に移さない者たちに反応を示したのは――、ビアンカだった。


「弓を貸して。私がやる」


 前に踏み出したビアンカが苛ついた情態を窺わせ、弓を持つ乗船客に手を差し出した。その申し出に、誰しもが怪訝さを表情に帯びる。


「嬢ちゃんの腕じゃ、あっちまで届かないぞ」


 弓を手にした貴族の乗船客が眉間を寄せ、ビアンカを諭す。その一言に、ビアンカは整った眉を吊り上げた。


「だったら誰がやるっていうのっ! 口を動かすより手を動かして、さっさと矢に縄を巻きなさいっ!!」


 ビアンカは恫喝の勢いで強く言い放ち、乗船客の手から弓を奪い取っていた。彼女の気迫に押され、辺りで見守っていた者たちが声を詰まらせる。

 呆気に取られた空気を漂わせる周囲を、ビアンカが翡翠色の瞳で睨みつけた。すると、慌てた様子で船夫が縄を引き、それを手渡された乗船客が矢に巻き付けていく。


 航行船の動きを見やっていたヒロは、ビアンカの言動に苦笑いを浮かせてしまう。だが、すぐに気を取り直し、大きく叫んで指示を飛ばす。


「ミズンマストに縄の反対側を縛り付けておいてくれっ!!」


 ヒロの声に従い、船夫たちの手でミズンマストの帆柱に縄が堅く(くく)りつけられた。


 海賊船に鋭くした(まなこ)を差し立て、船尾楼に立ったビアンカへと縄を巻いた矢が渡される。

 矢を弓に(つが)えながら、握部分を持つ手に力を込めた。足を肩幅程度に開き、斜に構える。


「弓なんて昔に――、ハルに教えてもらったっきりだけど……」


 弦の中仕掛けを矢と共に握り、ビアンカは誰に言うでも無く呟き零す。

 ビアンカの右手で弦が引かれ、弓がしなって微かな音を立て始めた。


 ビアンカの構えを遠目から見やり――、ヒロは目を見開き、息を呑んだ。ビアンカの弓の構えは、ヒロに見覚えのあるものだった。


「――ハルの、構え……?」


 その正体に気付いたヒロは、微かに目尻を下げて唇を歪める。


「ハルは……、本当にビアンカのことを、大切に想っていたんだなあ……」


 感慨深さを抱懐した声が、ヒロの口をつく。哀愁の思いが胸に湧いていた。


「ハル――。できれば、君に……、ちゃんとあの子のことを、紹介してもらいたかったよ……」


 “群島諸国大戦”の折にハルが多弁に語った、彼の探し人であるという女性の話。

 それを聞いたヒロは、その女性と出会えたら紹介してほしいとハルに強請(ねだ)った。


 ――『早く探している人が見つかると良いな。逢えたら絶対紹介してくれよな』


 ヒロの言葉にハルは『逢えたらな』と、素気の無い応じをしてきた。

 だが、その約束は果たされることは――、無くなった。それにヒロは、激しく胸を痛めた。


 ハルとビアンカを取り巻いたものが残酷すぎると。ヒロは思う。


 ハルが命を()してビアンカの命を救ったことで、ハルは幼き日にビアンカによって命を救われている。どちらかが死ぬことで、二人とヒロは出会うことが無かっただろう。

 無慈悲な“宿命”を憶い、やりきれなさでヒロの目頭が熱くなっていく。


「はは……。何か、泣きそうだ……」


 奥歯を噛み締め、ヒロは頭を伏した。



「船は動いて揺れるし、縄があるから狙いを定めにくいわね。(まと)でもあれば良いのに……」


 徐々に離れ行く海賊船に弓を向けながら、ビアンカは不服に眉を寄せる。

 早くしなければという焦りが募り、更に狙いを定めにくくしていった。


 ――『あの男を(まと)にすれば良いじゃないか』


 不意にビアンカの脳裏で不穏な声が響いた。男とも女とも、大人とも子供ともつかない、(あざ)笑う声。それを聞き、立ちどころに彼女の眉間の皺が深くなる。

 ざわりとした蠢きと禍々しい気配を左手の甲に感じ、寒気から肌が粟立った。


「――馬鹿なことを言っていないで、力を貸したらどうなの……?」


 その声に対して、ビアンカは小声で返弁を漏らす。だが、彼女の中で響く声は――、尚も(あざ)笑いの様を感知させる。


 ――『あの男から、()()使()()()と言われただろう?』


「勝手に出てきておいて良く言うわ。手伝う気が無いなら引っ込んでいて」


 声の(ぬし)に対し、悪態の言葉をビアンカは放つ。その彼女の口舌に、声は笑った。


 ――『奴の魂は()()()からな。私が手を貸さねばならない道理が、どこにある?』


 くつくつと(いと)わしい笑いが、ビアンカの心中に響き渡る。それを(わずら)わしそうにして、彼女は軽く(こうべ)を振るう。


「ヒロが手に掛けた海賊たちの魂を喰ったくせに、彼にお礼の一つも言えないの?」


 猶々(なおなお)とビアンカが雑言を発すれば、声は高らかに笑い出した。――かと思えば、ピタリと笑いを止める。


 ――『そうだな。“羨望”の奴は、まだ私に(しょくじ)を振る舞ってくれる気でいるようだ。ここで手放すには惜しい……』


 思案した気配を窺わせた“喰神(くいがみ)の烙印”は、一笑するように言う。

 ビアンカは、言っていることを(かい)せないと語る面持ちを表情に帯びた。


 しかし、ビアンカの思いなど気にも留めず、左手の甲の烙印が蠢きを強くする。それと共に――、何かがそこから這い出していく気配をビアンカは感じた。


 ――『そのまま弓を構えていると良い、娘よ』


 “喰神(くいがみ)の烙印”が発する。それと同時に、ビアンカの両手に誰かの手が重ねられる感覚があった。握られた弓を代わりに引く、強い力が(こも)っていく。


 矢を放てる限界までしなった弓が、僅かに軋む音を立てる。


 ――『手を離すぞ』


 ビアンカの中で響く声が、静かに宣言した瞬間だった――。


「ヒロッ! 避けてねっ!!」


 唐突に張り上がったビアンカの声に、ヒロが肩を震わせた。


「へっ?!」


 ふと、(こうべ)を上げたヒロの瞳に映ったのは――。ビアンカの手を離れた矢がやや上空に放たれ、軌跡を描いて自身に向かい飛躍してくる状景だった。


「えええええっ?!」


 ヒロは焦燥の声を上げ、咄嗟に身を捩る。身体に矢が掠めそうになるが、ヒロは勢い良く射られた矢を手で捕まえていた。


「なんつーじゃじゃ馬だよっ! 海賊も裸足で逃げ出すってのっ、まったくっ!!」


 憤慨に声を荒げ、ヒロは腕で頬を拭いながら矢の()を折った。

 矢に巻かれていた縄を掴み取り、手摺に(たる)ませ気味にして手早く縛り付ける。その最中で背面の鞘から短剣を抜き取り、口に咥えた。


 (たる)ませた縄が海面に接していないことを確かめると、ヒロは躊躇(ためら)い無く縄に飛び移っていた。

 縄を伝い、航行船との距離を測りながら進むと――、(ゆる)みを持たせた縄が船の移動によって引き伸びきり、航行船のミズンマストの帆柱と海賊船の手摺に悲鳴を上げさせ始める。


 ヒロは縄の限界を認め、口に咥えた短剣を手に取ったと思うと切断した。

 引き吊りきった縄が片方の支えを失い、反動でヒロの身体は航行船に向かい振るわれるが――、舷側の壁を蹴るように着面し、難なく海賊船を離脱する。


 航行船から沸き上がる喝采を受け、操る者のいなくなった海賊船が海原を進んでいくのであった。


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