第五節 行き違い
「よう、ビアンカ姉ちゃん。遊ぼうぜっ!!」
さくら亭の来店を知らせるベルの音と共に、店内に元気の良い少年の声が響き渡る。
威勢の良い大きな声を上げた少年は、アインだった。
アインは肩下までの銀髪――、毛先へ向けグレーから黒のグラデーションを彩る髪を一つに結い、碧色と金糸雀色の双眸をしたオッドアイという、特異な見目をした十二歳の少年である。
アインの後ろには、彼の親友だという少年――、シフォンが店内を覗き込むようにしてビアンカを見つめていた。
シフォンもアインと同い歳の少年であり、光の加減で紫掛かって見える銀髪に青紫色の瞳という、ビアンカが初めて目にする独特な色彩の風貌を持つ。
この二人の少年の、他国では余り見掛け無い見た目も――、エレン王国出身者ならではの特徴なのであろうと。そうビアンカは考えていた。
「まあまあ。アイン君、シフォン君。いらっしゃい」
アインとシフォンの来店に、イヴが二人に笑みを向けて声を掛ける。そうして、二人の後ろに静かに佇む存在に気付き、「あら……」――と、小さく言い漏らす。
「今日はカルラちゃんも一緒なのね」
「おう。今日はルーも城の方に来ていて留守だったからさ。カルラも一緒に遊んでやろうと思って連れてきた」
イヴからの問いに、アインは満面の笑みで返す。
そのイヴとアインのやり取りを聞き、ビアンカは初めてアインとシフォンの後ろで、無言のまま静かに佇む一人の幼い少女の姿を見つけていた。
イヴやアインにカルラと呼ばれていた少女は、年の頃は五歳か六歳ほどか。我の弱そうな印象を見る者に与える雰囲気を宿しているが、非常に可愛らしい見た目を有していた。漆のように黒く長い髪に――、金色と銀色の双眸のオッドアイという。また風変わりな見た目をしているとビアンカは思う。
ただ――、その金色と銀色の双眸を目にしたビアンカは、何か言い知れぬ不安感のようなものを胸に抱く。長くその双眸を見つめていてはいけないと。そうビアンカの本能が、警鐘を鳴らす。
眉を寄せ、カルラを見据えていたビアンカであったが――、不意にカルラと目が合った。
「――――っ!!」
カルラの金色と銀色の瞳に静かに見つめられ、ビアンカは思わず息を呑む。だがしかし、当のカルラはと言うと、儚げにビアンカに笑みを向けていた。
(この子……、何だろう。この子に見られると、凄く居たたまれなさを感じる……)
すると――、食堂の手伝いをするために、普段の革の手袋の代わりに包帯を巻きつけていたビアンカの左手の甲にチクリとした痛みを伴い、“喰神の烙印”が蠢く気配を窺わせた。それはまるで、ビアンカの焦りを嘲けり笑うようなものだった。
(あなたも――、何かを感じるの……?)
三日前の早朝――、エレン王国に辿り着く前。ビアンカから威圧的な言葉で窘められ、鳴りを潜めていた“喰神の烙印”の蠢きに対して、ビアンカは内心で問う。
それらに焦りとも何とも言えない感覚を覚えるビアンカであったが、それを気取られないようにカルラの笑みに、自身も微かな笑みを返していた。
「――ビアンカちゃん」
不穏な思いに苛まれていたビアンカだったが、突として自身の名前を呼ばれ、肩を震わせて反応を示す。やや驚いた表情を顔に浮かべ声を掛けてきたイヴをビアンカが見やると、イヴが苦笑いを見せる。
「食堂の手伝いの方は大丈夫だから。――アイン君とシフォン君のお誘いを優先してあげて」
「え……?」
思いも掛けていなかったイヴの一言に、ビアンカは首を傾げる。まさか食堂の手伝いは良いので、アインやシフォンと遊ぶことを優先しろと言われるとは思ってもいなかった――、と。そう言った反応だった。
「良いんですか?」
イヴの言葉の理由が解らないビアンカは、不思議そうにイヴに聞き返してしまう。そのビアンカの問いに、イヴは微笑み頷く。
「この二人の頼み事じゃあ、私たちは逆らえないからね。無茶をしないように、“保護者”として行ってもらっても良いかしら?」
さようにしてイヴの言うことに、ビアンカは更に首を捻る。
(何だろう? 何か、余所から来た私に言いにくいような。そんな身分の子たちだったりするのかしら……?)
言い淀むようなイヴの言葉。それを聞き、ビアンカは憶測でしかないものの、内心でそう考える。
しかし、考えるだけではその真なる答えには辿り着かず――、ビアンカ自身も踏み込んで理由を聞くことを良しとしない気質をしているため、それ以上考えることを放棄してしまう。
「そうしたら――。お言葉に甘えて、ちょっと行ってきますね」
ビアンカは言うと、身に着けていたエプロンを外し、手早く畳んで厨房の隅に置く。
「ビアンカ姉ちゃん。釣りは好きか?」
ビアンカが快く自分たちと遊んでくれることを察したアインは、破顔の笑みで肩に担いでいた釣り竿を見せ、ビアンカに問い掛ける。突然のアインの問いに、ビアンカは驚いた面差しをするが――、すぐに笑みを浮かべる。
「釣りは好きよ。ずっと昔にね、やり方を教えてもらって。それから、ずっと趣味にしているくらいなんだから」
「おお、そうなんだ。そうしたらさ。城の裏手の森に湖があるから、そこで誰が一番多く魚を釣れるか、勝負しようっ!!」
ビアンカの笑いながら漏らした返答に、アインは気を良くしたのか興奮気味に声を荒げる。意気揚々とした様子を見せるアインを見て、ビアンカは微笑ましい気持ちを抱く。
「それじゃあ、行きましょうか。釣りだったら、負けないからね」
「言ったな。俺だって負けないからなっ!」
「あ、僕も。釣りでくらいはビアンカ姉ちゃんに勝ちたいっ!!」
ビアンカの挑発的な軽口に、アインとシフォンが立て続けに声を上げる。
ただ一人だけ――。カルラは静かにその様子を黙し、見つめていたのだった。
◇◇◇
アインとシフォンが賑やかさを連れ、さくら亭を訪れてから暫くして――。
さくら亭の扉に取り付けられたベルが、来客を告げる音を軽やかに鳴らす。その音にイヴが反応し扉に目を向けると、さくら亭の常連客であるロランと――、その後ろにハルの姿があった。
「あら。ロラン君、ハル君。いらっしゃい」
「こんにちは、イヴさん。今日も一段と綺麗ですね」
イヴの来店の挨拶に対して、ロランが開口一番に口説き文句を口にする。
だが、イヴはロランの言葉をふわりとした笑みを浮かべ受け流し――、カウンター席に着いたロランとハルに水とおしぼりを渡し、メニュー表を差し出す。
「今日の日替わりランチは、鶏肉とナッツの甘辛炒めよ」
「あ、そうしたら日替わり二つで」
「はい。少し待っていてね」
いつものやり取りなのであろう。イヴとロランが気軽い注文の話をしている合間――、ハルは赤茶色の瞳でさくら亭の店内を見回していた。
(あの子……、いないな……)
ロランの話をしていた亜麻色の髪に翡翠色の瞳をした少女――。ビアンカをハルは探していたのだった。だが、その存在がいないことを察し、表情に僅かに残念さを窺わせた。
そんなハルが気付くと――、隣の席に腰掛けるロランのにやけた顔が目に映った。そのにやけ顔を目にして、ハルは心底うざったそうな表情を次には浮かべる。
「イヴさん。今日はビアンカちゃん、店の方に出ていないんですか?」
ハルの内心を察したロランは、厨房へと引いていったイヴに声を掛ける。そのロランの声掛けにイヴは「ああ……」と、ロランの目当てを悟り微かに笑う。
「さっきまでお店の手伝いをしていてくれたんだけどね。アイン君とシフォン君が遊びのお誘いに来ちゃったから、そっちに行ってもらっちゃったわ」
「うわ、マジか。あいつらに先を越されたか」
「あー……。あの二人が来ちまったら、行かせるしかないよな……」
イヴの言葉を聞き、ロランとハルは口を揃えて言う。
「あれさ。結構、有益的地位の濫用だと思うんだよな。俺……」
ハルは、普段のアインとシフォンの立場と言動を良く知るため、愚痴を述べる。ハルの愚痴を耳にしたロランは、「まあ、仕方ないわ」と。それを嗜めていた。
「いや、しかし――。せっかくビアンカちゃんに会えると思ったのに。残念だったな、ハル」
「あら。ハル君はビアンカちゃんに用があったの?」
ロランのハルを茶化す言葉を聞き、イヴがそれに反応する。だが、ハルは首を大きく振り、大げさな否定を示していた。
「いやいや、俺は――」
「そうなんですよ、イヴさん。こいつ、亜麻色の髪の娘が好みだから。もう目を付けているらしいんですよ」
「おおおおいっ!! ロランッ!!」
ハルが否認を口にしようとしたところで、ロランがハルの声に被せるようにイヴに言葉を発する。ハルは慌て、大声を上げて非難の声を放つが――。そのロランの言葉に、イヴは焦げ茶色の瞳を驚いたように丸くしていた。
「あらあらあら。漸くハル君にも、本格的に春が来たかしら」
「いや……、本当、そういうんじゃないですから……」
微笑ましげにくすくすと笑うイヴに、ハルは肩を落とし反論を呟くのだった。