第五十八節 海賊戦④
極々普通の人間として生を受け、歳を重ねていく。いつか伴侶を迎えて子供にも恵まれ、賑やかな家庭を持つ。そこへ更に歳を重ねて、天寿を全うする。
それが夢であり、それがヒトとして生きていく“普通”だと。そうヒロは思っていた。
だが、四百年以上前。ヒロの日常は、“普通”とかけ離れたものになった。
“海神の烙印”という呪われた力を、原初の宿主であったオーシア帝国の第一皇女、ユラから継承した。そのことで、ヒロの“普通”は存在しなくなる。
“呪い持ち”と呼ばれる、人々に畏怖される存在となってからは――。戦いに明け暮れる日々だったと思う。
他意は無かった。自身を拾って育ててくれた、尊敬する養父であった海賊の頭目や仲間だった海賊たちの仇を討ちたい一心で、オーシア帝国に反抗した。そして、気が付くと、ヒロは同盟軍の軍主として祀り上げられた。
責任感の強さか。半ば自暴自棄もあったのかも知れない。与えられた役割に異を唱えることも無く、それを甘んじて受け入れていった。
“群島諸国大戦”が終結した後も、ヒロの周りから諍いは絶えなかった。
再び自身のために用意された立場に座し、愛する故郷である群島諸国――、オヴェリア群島連邦共和国を守るために剣を手に取った。
しかし、ヒロの中では決して叶うことの無い、一つの願いがあった。
羨み、妬み、心の底から欲した。数多もの“普通”である人間に与えられるものが、自分には無いことに深い絶望を抱く。
叶うならば、普通の人間としての、穏やかな死を迎えたい。
幾ら願おうとも叶うことの無い、“死への羨望”。それにヒロは、胸の内を焦がしていた。
◇◇◇
「二刀流の剣技。黒髪に碧い目の男。――小僧。お前、“オヴェリアの英雄”か」
闘争心と凶暴さを剥き出しにして立ち回るヒロの耳に、凄みを帯びた低い男の声が聞こえる。
カトラスを振るって海賊を斬撃し、咄嗟に踵を返す。
ヒロが振り向いた先には、煩わしさを表情に帯びた男が、抜身のカトラスを片手に佇んでいた。
男は髭を蓄えた顔に横一文字の傷跡を有し、薄汚れた色合いの衣服に身を包む。頭には海賊船の船長だということを言い表す三角帽子を被る。
その姿を認めたヒロは、男の如何にもという井出達に呆れ、失笑をしてしまう。
「丸腰の旅客船に、噂の英雄殿が乗り合わせているとはな……」
男が忌々しそうに漏らす。すると、ヒロは口角を上げてニヤリと笑った。
「お前がこの船の頭目か。随分と呑気な登場だな。尻尾を巻いて逃げ出したのかと思ったぞ」
海賊の頭目を煽るような言葉が、ヒロの口をついた。鋭さを増した紺碧色の瞳が頭目を睨みつけ、両の手に握るカトラスを構える。
「“海神”の名の下に、躾のなっていない駄犬を絞めに来た。――罪を悔いて、罰を受けると良い」
「ぬかせっ、青二才の分際でっ! 『海の守り神』だとか呼ばれて褒め称えられ、浮かれていたことを後悔させてやる……っ!!」
ヒロの凛とした言葉を聞き、頭目の鼻上に皺が深く寄る。品行が悪い台詞を発すると、手にしたカトラスをヒロに向かって差し向けた。
その頭目の動きに倣い、僅かばかり残っていた手下の海賊が武器を手に持ち、ヒロを取り囲む。
「――お前より、僕の方が百は年寄りだけどな」
唇を歪めて小声で一笑すると、ヒロは甲板を踏み込んだ。
身を前傾気味にして駆け、頭目との距離を縮めていく。身体の前で交差させた腕に力を込め、左右に振るって展開する。両の手に握るカトラスに風を切る鋭い音を上げさせ、ヒロは頭目と海賊の間を駆け抜けた。
左手に握っていた剣は海賊の胴を一文に薙ぎ払い、右手の剣は頭目のカトラスによって弾かれ、軌道を変えられた。
「おらっ! ぼんやり見てねえで殺っちまえ、テメエらっ!!」
粗い口調で頭目は顎先を使いヒロを指し示す仕草を見せ、手下に命じる。海賊たちは尻込みをしつつも、武器を構えてヒロに向かい行く。
「ふんっ、無駄な足掻きをする……っ!」
踵を返したヒロは嘲笑と共に、群れを成して向かって来る海賊たちの武器を、自身の握るカトラスで次々に弾き返して去なす。
隙のできたことを見計らい、右手のカトラスを左右に振るって蛇行斬りを見舞う。足を踏み込み床板を打ち鳴らすと、身体を捻り左手のカトラスで背面の海賊に斬り掛かった。
手下の海賊を難なく討ち払う。満身創痍の常態ではあるが、その瞳は強い意志を失ってはいない。
そうしたヒロの戦いぶりに、頭目は感心したような短い息を吐き出していた。
雑魚が全て片付いたと言わんばかりの、清々した様子をヒロは醸し出す。そして、再び頭目を紺碧色の瞳で見据えたかと思えば、床板を蹴った。
ヒロは右手のカトラスで下段の構えを取り、対峙する相手の顔を凝視したままで距離を詰める。その様を頭目は薄ら笑いを表情に浮かべ、自身もカトラスを構えることで迎撃する姿勢を見せた。
駆ける足を緩めず、ヒロが下段に構えたカトラスを自らの顔の近くまで掲げ上げ、刺突の兆候を窺わせた。それに頭目の眉がピクリと動き、突きを防ごうとして剣を上げる。だが、次の瞬間に、ヒロはカトラスを相手の眼前で回転をさせたかと思うと、足を狙って振り払った。
足を捉えた一撃が決まると思われた刹那、剣戟の音が響く。
「フェイントとは、やってくれるもんだなあ」
ヒロの刺突に見せかけて足を狙った斬撃を頭目は見抜き、防御の動きを見せていた。低い声が嘲笑うように発せられる。
その反応をヒロは鼻で笑い左手のカトラスを振るうと、頭目はそれを飛び退ることで躱した。
頭目がヒロの攻撃範囲と動きに気を向けながら、徐々に立ち位置を変えていく。
ヒロは頭目の動向に注意をしつつ、カトラスを握る両の手に力を込める。
暫しの睨み合いが続いたかと思うと、頭目が動いた。厭わしいと感じる笑みを浮かべ、肩辺りまで上げた剣で右側からの薙ぎ払いを仕掛けてきた。ヒロが左の剣で防ごうとすると、頭目は身を捻り薙ぎ払いの軌道を変えて返し、逆袈裟斬りの軌道に乗せる。
その意趣返しの動きに、ヒロは強引に右手に握るカトラスを割り込ませて防ぐ。
頭目が薄ら笑いを見せたまま、再び後ろへと引く。ヒロが斬り込んでいくと頭目は彼の連撃を、身を捻って躱し、時には剣で弾いて去なしていく。
隙を見出し繰り出される刃がヒロの頬や腕、脇腹を傷付けていくものの、彼は気にした素振りを見せなかった。
ヒロの勢いに押され、徐々に後方へと頭目は追いやられていくが――。
その背後にミズンマストの帆柱が立ち、退路を塞いだ。
それを好機と見たヒロが左手のカトラスを薙ぐと、頭目は唇を歪ませ、身を滑らせるようにミズンマストから離れる。ヒロの一撃が勢い良く帆柱を叩き――、刃が柱に身を沈ませ、捉われた。舌打ちと共に左手からカトラスを手放し、間髪入れずに右腰に携えるソードブレイカーに手を伸ばした。
頭目の振り払ったカトラスを、ソードブレイカーが捉える。金属同士が打ち当たる音が響いたのと同時に、ヒロの手にしたカトラスが左側から右側へと軌跡を引いて煌めく。
ヒロの払いは、頭目の両肘内側を斬り裂いていた。
「ぐ――っ!?」
肘の腱を斬られ、低い唸り声が喉を鳴らす。手を握る力を失い、武器が甲板の床板を叩く。
追撃を躱そうとして身を捩ると――、そこへヒロは真正面からの刺突を繰り出す。カトラスの凶刃が左肩を大きく抉りながら、背後の甲板室壁面に突き刺さった。かと思えば、武器を手放したヒロの右手が頭目の首を鷲掴み、その身を壁面に叩きつけて捕捉した。
「勝負あり、だな。――さて、お前には一つ、聞きたいことがある」
頭目を捉えたヒロはソードブレイカーを鞘に戻すと、喉から唸るような声を漏らした。その声は彼の口をついたとは思えないほど、低く威圧的だった。
頭目は薄く笑いを浮かべつつも、僅かに畏怖の混じる眼でヒロを見据える。首を絞め上げられていることで苦しげに身動ぎをし、腱を斬られて上がらない腕を動かそうとする。その動きすらも、ヒロは腕に力を込めることで制した。
「お前たちが拾ったという船の残骸。それは、何だ……?」
ヒロは静かに頭を寄せる。鼻先が付くのではないかと思うほど相手に顔を近づけたヒロは、尚も這うような低い声音で問う。紺碧色の瞳が冷徹さを帯び、ゆらりと陽炎のように揺れる。
「は……っ。教える、と、思う……、か? ぐ……っ!」
下卑た笑みを浮かし、途切れ途切れに頭目が口にすると、ヒロは首を絞め上げる腕に力を込める。真面目に答えるまで、締め上げる力を緩めないと。そう行動でヒロは言い表した。
「その残骸に、魔力を帯びた妙なものが、積み込まれていなかったか――?」
強い眼差しで問われるそれに、頭目の唇が歪んだ。
「くふ。あれが、な、にか……、知っている口振り、だな。なら……、その身で味わう、と、いい」
苦しげに綴られる言に、ヒロは何かを悟った様子を見せ、微笑を浮かべた。
すると、頭目の首を掴んでいた腕に更に力を込め、その身体を甲板室の壁面に押し付けながら、静かな足取りで海賊船の右舷側まで歩む。
「噂は本当だったみたいだな。――話してくれて、感謝する」
礼の言葉を口にすると共に、不意にヒロは腕を振り抜き、頭目の身体を海に向かい放り投げていた。
「うおっ――?!」
「罪深き咎人に、“海神”の加護があらんことを――」
冷めきった声音の祈りと重なるように、叫声が辺りに響く。間を置かずして、海が飛沫を上げた。




