第五十六節 海賊戦②
味方にも怪我人が多く出てきた――。
諸所に痛みを訴える身体を叱咤して剣を振るい、幾人もの海賊を相手にしながらアユーシは思う。
「そろそろ、アユーシおねーさんの出番かねえ」
自らも頬や腕に傷を負いながら、周りの戦況に気を配り、アユーシは独り言ちる。若干の疲れの様相は窺い知れるが、彼女の口元には楽しげな笑みが浮かんでいた。
意を固めた色を瞳に宿し、アユーシは更に海賊の群れに踏み込んでいく。
自身に向かって振るわれる海賊たちの刃を去なし、隙のできた箇所を見極めてブロードソードで刺突や薙ぎ払いを見舞わせる。
アユーシの背後を狙った海賊の一撃は、ユキの操る茨が次々に締め上げて黙させていった。
グラディウスと身に纏ったマントを返り血に染めたユキが、アユーシの傍らに身を寄せる。
「――やるのか?」
「おうよ。後ろはユキちゃんに任せたっ!!」
ニヤリと口角を吊り上げて、アユーシは笑う。そして再び海賊に向かって斬り込んだ。
そのアユーシの言動にユキは頷き、彼女の補佐をする姿勢を見せる。
「しかし、まあ……。女の方が痛みに強いってのは、本当だな……」
辟易とした声音でユキは呟き漏らす。感嘆とも呆れともつかない言葉を口にしたユキは、左手で血の滲む右脇腹を押さえていた。
ユキが目にしたアユーシも頬や腕のみならず、左足の脹脛に大きな斬り傷を作り、血を滴らせている。だが、強い痛みを伴っているであろう怪我を気に留めた様子は微塵も見せず、彼女は動き回る。それにユキは心底感心してしまう。
「ヒロもビアンカも結構やられているし。――ってか、あいつらに“光属性”の魔法は効くのか……?」
呪いを身に宿す“呪い持ち”であるヒロやビアンカは、魔法に対する耐性が強い。それは対象を傷つけるための攻撃魔法のみならず、癒しの魔法にさえ効果が及ぶものだった。
いくら二人が不老不死の特性を持ち、呪いが有する力で傷が癒えると雖も、大きな怪我を負えば癒えるまでに時間を要する。
そのことをユキは了しているからこそ、満身創痍になりながらも奮闘の様を見せるヒロとビアンカの姿を認め、憂虞の溜息をついた。
「<――我、女神の寵愛を受けし神の子なり>」
ユキの耳に怒号と剣戟の際に、アユーシの唄うような声音の言の葉が聞こえ始めた。それに気付いたユキは気を引き締めた面持ちで、立ち向かって来る海賊に剣を一線に振るう。
アユーシはブロードソードを振り、海賊を斬り裂きながら尚も“光属性”の魔法を紡いでいく。海賊たちの動きに気を向けながらの呪文詠唱なため、その隙を埋めるようにユキは彼女の背後を守った。
「<加護の光よ。今ここで、勇ましき戦士を癒す力となれ――っ!!>」
アユーシが高らかな声で詠唱を締めた。
神聖な気配を帯びた魔力がアユーシの周りを渦巻き、彼女の長い赤毛とストールを大きくなびかせる。
次には航行船上を太陽の光とは違った眩い光が射し込んだ。立ち昇る魔力の燐光と光が交わった途端、聖なる光は頭上で弾けて淡く輝く粒子が降り注ぐ。
すると――、アユーシとユキの負っていた傷も、勇敢に戦っていた船夫や貴族たちの傷も癒えていった。
敵意を持っていた海賊たち以外の傷が癒えたことを確認すると、アユーシとユキは視線で合図を交わし頷き合う。
「おっし、野郎どもっ! まだまだ休むにはちーっとばっか早いぞっ!!」
間髪入れずにアユーシが味方を鼓舞する気勢を張り上げる。その声に辺りにいた船夫も貴族も威勢よく応じ、勢いを取り戻していった。
「――うう。なにこれ、気持ち悪い……」
メインマストの守備をしていたビアンカが、眉間に皺を寄せてぼやく。
慨嘆を口にしながらもショートソードを振るう手は止めず、下卑た笑みを浮かせながら向かってきた海賊の手にする槍――、パイクの柄を叩き斬り、腹部を蹴り込む。そして、体勢を崩した相手の胸元へ、躊躇無く切っ先を突き刺した。
アユーシの操る“光属性”の魔法による癒しは、ビアンカの負った傷をも癒していた。
しかし、神族特有の聖なる魔法はビアンカに不快感をもたらし、彼女を困惑させて動きを鈍らせた。
(これが魔族の遺恨を受けた“呪い持ち”の弊害なのね。神族の聖なる魔法と私は相性が悪すぎるわ……)
次なる海賊の振るった武器を、身を捻って躱しつつビアンカは一考する。不愉快さがもたらす念慮に意識を奪われながら、左側からの殺撃を仕掛けていくと――。彼女の視界の端に、自身に武器を構えて駆け寄る海賊の姿が映った。
「あっ……!」
いけない、という焦燥がビアンカの脳裏を掠める。だが、思いに反し、鈍った身体はすぐに動かなかった。
振るわれる凶刃を受ける覚悟。それを決し、ビアンカが身構えると――。
「うおおおおぉっ!!」
大声を発し、ヒロがその場に割り込んできた。
ヒロが下段から薙いだカトラスは一撃で海賊の手首を切断する。勢いを緩めず尚もカトラスを振るい、怒撃を繰り出していく。
近寄る海賊を去なすため、脚を振り上げて払う。すると、海賊の脇腹で爪先の打撃を食らったとは思えない鈍い音が鳴り、喉から絞り出すような呻き声を漏らす。そこへビアンカがヒロの翻ったマントをくぐるように踏み込み、止めの刺突を打ち込む。
「悪いね。鉄板を仕込んだ爪先じゃあ、骨が折れるだろ?」
ヒロは使いどころの間違えた揶揄を口にしながら、襲い掛かる海賊をカトラスの薙ぎ払いと蹴りで仕留めていく。
そのヒロの奮闘に倣うようにビアンカもショートソードを構え、剣を回転させながら右足を前方へと一歩踏み込む。剣を引き寄せて左右に斬りつける動作を取ると、魔力を帯びた剣衝が彼女の目の前にいた海賊たちを斬り裂いた。
「……良いなあ、その剣」
ユキから貸し与えられた、魔族の呪念を帯びたショートソードを軽々と扱うビアンカの動き。その動向を傍目にしていたヒロが、羨望の言葉を零す。それを耳にして、ビアンカはくすりと笑った。
「助けに入ってくれて、ありがとう。――でも、この剣は癖が強いから、ヒロお兄ちゃんには使いづらいと思うわ」
「わわっ! このタイミングでそれは勘弁して……っ!!」
ビアンカの不意打ちな『お兄ちゃん』発言に、ヒロは頬を朱に染め、慌てた声で制した。取り乱して口をついたヒロの言葉に、ビアンカは可笑しそうにくすくす笑う。
互いに目前の海賊を去なすと、ヒロとビアンカは背中合わせになり、新たな海賊に向かい合う。
「さっきの、アユーシさんの魔法よね?」
「うん、そうだよ。効果はありがたいんだけど、気持ち悪かったね。あれ……」
うんざりとした様子でヒロが漏らすと、ビアンカは素直に頷き示す。
緊張を解いたように掛け合いをしていた二人に、再び海賊たちが斬り掛かってくるが――。紺碧色と翡翠色の双眸が鋭さを帯び、瞬く間に海賊たちを一掃していった。
自分たちの周りの海賊を討ち払ったことを認め、ヒロは僅かに肩の力を抜いて息を吐き出す。そうしてビアンカに目を向けた。
「もう半分以上は仕留めたんじゃないかな。乗り込んできた海賊は数を減らしたし、思っていたよりも好調だ。初手でユキの魔法が海賊どもも巻き込んでくれたから助かったよ」
ビアンカも上がった息を整えながら辺りを見渡す。
彼女が目にした航行船の様子は味方の尽力もあり、かなり優勢にことが運んでいると察し付かせた。時折と各所を守る指揮者の指示の声が上がり、魔法や魔法札の光が点る。
血で塗れた甲板。そこには、航行船に戦闘用の準備が無かったことを認知し、海賊が足場を良くするために撒いた滑り止めの砂。――汚れる甲板に横たわるのは、海賊たちの亡骸だけだった。
船上の凄惨な有様にビアンカが眉を寄せると、ふと、ヒロが言葉を発する。
「――僕はこれから、あちらの船に乗り込む。この船の総指揮は、君に任せるよ」
「えっ?!」
唐突なヒロの言葉に、ビアンカは吃驚の声を上げて彼を見上げる。
ヒロの代わりなどできない――、と。ビアンカが口に出そうとすると、先んじてヒロが口を開いていた。
「ユキは補佐として動くのは得意だけど、リーダー役には向いていない。アユーシはカリスマ性はあるけど、まだ若くて経験が少ない」
ヒロは紺碧色の瞳を細めて、力強い声で言う。
「ビアンカは将の経験もあるって言うし。君が適任だ」
「でも……」
尻込みする気配をビアンカが窺わせると、ヒロは表情に笑みを浮かせる。
「自信を持って。今は“喰神の烙印”も上手く扱えているし、君の内面には人を惹きつける強さと才がある。――ビアンカは将に向いているよ」
確信を以て綴られるヒロの言葉。
内心を勘付かれたビアンカは息を呑み、口を噤んでしまう。
かつて、ビアンカは父である人物が就いていた将軍職に憧れを抱いていた。
幼き日からの夢として、将来は自身も父と同じく国を守る将軍になりたいと豪語し、剣術鍛錬や勉学に励んでいたが――。その夢は、彼女の故郷が滅びたことにより叶うことは無くなった。
しかし、その際に培った知識や技術を用いて、ビアンカは旅をする百余年の間に様々な戦場を渡り歩いて来ていた。
だが、“喰神の烙印”がもたらす呪いの力の影響を受け、多くの死者をビアンカは生み出していた。それ故、彼女は自身が上の立場を担い、人を率いることが向いていないと――。そう考えるに至っていたのである。
その自信の無さをヒロは見抜き、ビアンカに諭しを投げ掛けた。
「……あなたが言うならやるけど。期待はしないでよね」
「いや。期待しているよ?」
仕方なさげにビアンカが返弁を述べると、ヒロは即座に口に出す。そうしたヒロの返しに、ビアンカは嘆息を漏らすのだった。




