第五十節 真意
船夫や乗船客たちに声を掛けられながら、ヒロとアユーシはそれに受け答えをし、甲板に境界線として置いていた綱を回収した。
そして、労いとして差し入れられた飲み物を口にしつつ、ビアンカとユキを含めた四人で話の花を咲かせている。
模擬試合の立ち回りについて。その試合の最中で話題に上がったエレン王国のこと、ハルのことなどを語らっていると――。
「黒髪の兄ちゃんと赤毛の姉ちゃんは、随分と腕が立つんだな」
不意に一同に声が掛かる。声を掛けてきた主に目を向ければ、“ニライ・カナイ”行きである船の船長が口髭を片手で撫でながら近づいて来ていた。
「船長。場所を貸してくれて、ありがとう。賑やかにしてしまって申し訳ない」
船長の姿を認め、ヒロは軽く頭を下げる。それに船長は首を振るった。
「いやいや。寧ろ礼を言いたいのはこっちだ。最初に試合をするから場所を貸してくれって言われた時にゃあ驚いたが。あんたらの試合は船員たちの刺激になったし、乗船客たちの良い余興にもなった」
ヒロとアユーシは模擬試合を行うことになった際、“ニライ・カナイ”行き航行船の船長の元へ、甲板を使わせてもらう許可を取りに行っていた。
――『船の決まり事は全て船長の一任になるから、勝手はできないんだよ』
そうヒロが言い出した故の判断であったが、船長は男女で試合を執り行うと聞いて始めは驚いていたものの、快く許容していたのだった。
「――ところで、このキャラック船は装備を積んでいないのかな? 最近、この辺りで質の悪い海賊が出没しているって聞いたんだけど、対策は大丈夫?」
首を傾げながらヒロが問うと、船長はカッカと大仰に笑い出した。
「この船は船室を多く作るのに改修されちまって、砲列甲板も装備もねえんだ」
大笑いと共に船長が言うと、ヒロの眼差しが一瞬険しくなる。しかし、それも束の間で、すぐに普段の彼らしい穏やかな色を湛えた。
だが、ヒロは口元に手を押し当て、何かを考える様子を窺わせる。
「砲は一門も積んでいないわけか……」
「置き場もねえし、そういうこった。そもそも、海賊どもはオヴェリア群島連邦共和国の巡視船が監視して見つけ次第に追い払ってっから、そうそうと出てきやしないさ。心配はいらねえ」
ヒロが呟き零した言葉を心配と取ったのか、船長は唇を歪め諭すように言う。その船長の言い分に、ヒロは幾度か首を縦に動かす。
「船長たちは、海戦経験はあるのかな?」
猶々とヒロが問い掛けると、船長は首を傾げた。何故にそのようなことを聞くのか、と。その表情は物語る。
「……まあ、心配はしなさんな。安心してくれて大丈夫だ。のんびりと船旅を楽しんでくれ」
船長は僅かに顔を顰めて言い淀みを見せ、濁すように口に出すと踵を返した。そうして足早に、その場を後にしていく。
その船長の背を見送り、ヒロが溜息をついた。
「……大丈夫じゃないと思うんだけどなあ」
潮騒に紛れそうな小さな声で独り言を呟く。それに、ビアンカを含めた三人の表情が怪訝そうな色を纏う。
「ヒロちゃん、何か知ってるん?」
眉を寄せてアユーシが問いを投げると、ヒロは在らぬ方に視線を向け、一顧の様子を見せてから首肯する。
「実はね。最近ここいらの沖合で、海賊連中が悪さをしているって話を聞いていたんだ。それが気になっていてね」
ヒロの口をついたそれを聞き、三人の顔付きが増々怪訝そうなものに変わった。
「だけど、巡視船が出ているって話だったぞ? 問題は無いんじゃないか?」
船長の話から言えば、海賊たちを監視し掃討する役割を担った巡視船が、オヴェリア群島連邦共和国から出されているということだった。
それをユキが口合に出すと、ヒロは腕を組みながら手摺に凭れ掛かり、嘆声した。
「どうも話を聞いた感じだと、ここいら一帯の船乗りたちには内密にされているみたいだね。僕が知らされた話だと、その巡視船の何隻かが行方不明になっているらしいんだ」
「……海賊に沈められた可能性があるってことか?」
尚もユキが問うと、ヒロはゆるりと頷く。
「その可能性が大きいね。“ニライ・カナイ”が見頃になる観光時期なもんだから、観光客を減らさないために隠蔽されているんじゃないかな?」
「は? なんそれっ?! そいじゃ、海賊の話が本当だったら危ないってことっ?!」
アユーシが吃驚の声を荒げると、ヒロは手を顔の前に持っていき、人差し指を口元に立てる。静かにすることを意味する仕草を目にして、アユーシは口を噤んだ。
「何事も無ければ、それで良しっていう考えなんだろうね。一般人を危険に晒すとか、本国の観光協会員の連中は何を考えているんだかなあ」
言いながらヒロは黒髪に左手をやり、前下がりになった毛束を指先で絡め取り弄ぶ。辟易とした声音で発せられるヒロの言を聞き、アユーシとユキは呆れ気味に嘆息する。
ヒロは言葉を止め、眉間を寄せる。沈思黙考の様相を窺わせ、暫しの沈黙が辺りを包む。――かと思うと、力の入っていた肩を落として再三の溜息をついた。
「この船は装備が無いみたいだし。船長は海戦経験が無いみたいだし。どうするかなあ……」
先ほどの船長の言葉を思い出しつつ、ヒロは口元を尖らせる表情を浮かべて鬱屈を漏らす。
「ヒロは、この船が海賊に襲われると思っているの?」
憂虞を宿して吐き出されたヒロの声を聞き、ビアンカは首を捻った。
ビアンカの脳裏には、ヒロによって案内をされたソレイ港にある店の店主が、彼に海賊の話をしていたことが掠めていた。
模擬試合の最中に思い出されたそれは、今、僅かにビアンカの思考の中で、ヒロが“ニライ・カナイ”行きの船に乗るという事柄へ向かわせるに至った真意として繋がる。
「あくまでも『かも知れない』っていう考えだよ。でも、まあ……、躾のなっていない海賊どもにしてみたら、金持ち貴族の乗船客が多いこの船は宝船だろうね」
「それって、どういうこと?」
「貴族連中は金目の物を多く持っている。それを強奪できれば、まず結果は良好。――そして、その貴族たちを人質に取って身代金を要求するっていう手もある」
ビアンカの疑問の声に、ヒロは指折りをしながら答える。それにビアンカは領得の頷きを示した。
(ヒロは元々海賊をしていた。それを考えれば、彼の考察は頷けるものがある、か……)
ヒロからの答弁を聞き、ビアンカが感嘆気味に思いを馳せていると――。
視界の端に、何かがキラリと光るのに気付いた。それにビアンカが驚いたように目線を向けると、ヒロが身を翻し、手摺に手を付いて身を乗り出した。
「――噂をすれば、か。予想通りのタイミングだよ、全く……」
航行船の後方――、海原の彼方。そこに鋭い眼差しを向け、ヒロは低く独り言ちる。
「もしかして……」
その言葉が意味することを察しながらも、ビアンカは問う。
海側に身を大きく乗り出し、太陽の光を遮るように片手を額に押し当て、紺碧色の瞳を細めて遠くを見やっていたヒロは、そこから目を離さぬままで首を軽く動かす。
「四本マストのガレオン船。海の魔物、マーマンと交差した剣を象った構図の黒地の船首旗――。あれが最近この海域で噂になっている海賊船だ」
陽炎の揺らめく水平線。その先に見える一隻の船を肉眼で認め、ヒロは失笑しつつ口を開く。
「ちょっと船首旗を出すタイミングがなってないねえ。もっと船に近づいてから出さないと、逃げられちゃうよ」
「……そこ、教示してる場合じゃないっつの。てか、良く見えんね?」
「慣れているからね」
呆然と口に出されたアユーシの声に、ヒロは口角を上げて得意げに笑う。
恐らく先に光ったのは、望遠鏡のレンズが太陽光を反射させたものなのだろう。
ヒロはソレイ港を出帆して三日ほど過ぎた頃に辿り着く海域を、海賊たちが縄張りとしていることを了していた。さような口振りで、後方の船に気付いた途端に言葉を発した。
(――ヒロは色々なことを見越して、アユーシさんと模擬試合をしたっていうことなの……?)
船夫や乗船客の多くが、ヒロとアユーシの模擬試合を観戦するために甲板に出てきていた。そして、観衆となっていた殆どが、今も尚、甲板で談笑などに勤しんでいる。
今のこの潮合に海賊たちが姿を現した。全てはヒロの思惑通りにことが運んでいたのではないか。ビアンカは考え至り、眉間に深く皺を寄せた。
ビアンカの逡巡とした考えに気付くことも無く、後方の海賊船にヒロたちは目を向けて神妙な面持ちを見せる。
「四本マストっつーと、結構な大人数の海賊がいるってことかあ?」
ヒロの傍らに立ち、目を細めながら海を見つめてアユーシが口にする。遠くを真剣に見据えるが、海面に反射する太陽の光の眩しさに表情を顰めてしまう。
「全長がおおよそ六十メートルってところかな。同型のガレオン船は最大積載人数が六百。実際は船に最大積載人数が乗り込むことは、ほぼ無い。喫水線の程度や進む速度を考えると、大した人数は乗っていないはずだよ」
ヒロが舌も滑らかに船について語ると、アユーシが呆れ返った視線をヒロに向けた。
「ヒロ、お前。『かも知れない』じゃなくて、この船が拿捕されるのを確信していたな。――海賊を潰すつもりか?」
ユキが不信感を宿した低い声で問うと、ヒロは手摺から離れ向き直る。そして、不敵な笑みを表情に浮かした。
「ご名答。僕の目的は、あいつらを壊滅させることさ」
唇に弧を描き発せられたヒロの言葉。それに一同は、唖然とした表情を浮かしてしまうのだった。




