第四節 さくら亭にて
エレン王国を揚げての盛大な政――、“豊穣祈願大祭”の祝祭が無事に終わり、三日が経っていた。
漸く余所の街や村、国から訪れていた観光客も帰路につき、エレン王国の城下街が日常の雰囲気を取り戻し、さしたる厄介事も一段落した頃だった。
「――よう。お兄さん。今、お暇?」
太陽が真上に昇りきり、正午を過ぎた時間――。城下街を歩く、色の抜けた淡い金髪に赤茶色の瞳をした青年は、不意に声を掛けられる。
聞き覚えのある声の主の方へと青年が煩わしげに顔を向けると、そこに白銀髪に浅葱色の瞳を持つ青年が、ニンマリと笑顔で手を振っている姿が映った。
「んだよ、ロラン。気色の悪い声の掛け方しやがって……」
同年代故に“悪友”のような間柄になっている青年――、ロランに声を掛けられた青年は眉を顰める。
「あはは。ツレナイねえ。――今日は自警団の方は非番か?」
「ああ、祝祭も終わったからな。漸く休みをもぎ取った」
くつくつと笑い絡むように近寄ってきたロランに対し、青年は鬱陶しいという装いを見せて答える。鬱陶しげにしつつも、そこは悪友の仲ということもあり、いつものやり取りといった様子を窺わせるものであった。
「そうしたらさ。昼飯食いに一緒にさくら亭に行かねえ?」
青年の返答を聞き、ロランは笑みを崩さずに提案のように口にした。
「ロラン。お前、どうせイヴさん目当てだろ?」
そんなロランの提案に、青年は苦笑混じりの言葉を発する。
青年の悪友であるロランは――、生粋の女性好きとして、女性と見れば誰彼構わずに声を掛ける悪癖を持つ。そうして、ロランの言う“さくら亭”というエレン王国にある宿屋兼食堂となっている店は、イヴという名前の女将が切り盛りしている店であり、彼はその店の常連であった。
「それがな、聞いて驚け。心の友よ」
青年の肩に肘を付くようにロランは寄り掛かり、青年に耳打ちをする。
「二日くらい前からさ。さくら亭にかーわいい女の子のウェイトレスが入ったんだ」
「は……?」
自身に寄り掛かってきたロランを邪魔そうに振り払い、青年は更に眉間に皺を寄せる。
「まだ十五歳だって。後五年……、いや三年もすれば凄い美人になるぞ。あの子」
青年に振り払われながらもロランは笑い、そのさくら亭に新しく入ったというウェイトレスの少女のことを語る。その言葉を聞き、青年は「もう年齢まで聞き出しているのかよ……」と、内心で呆れの悪態をついてしまう。
「あと、お前さんの好きな亜麻色の髪をしていたな。好みにピッタリじゃねえ?」
ロランは茶化すように言うと、カラカラと笑う。
「お、俺は別に――っ!!」
亜麻色の髪の女性が好みなどと言った覚えは無い――と、青年が口にしようとした。だが、ロランは青年が言おうとした言葉を察し、それを制する。
「またまた。このロランさんが気付かないと思っておいでで? お前さんが亜麻色の髪の女性を見掛ける度に、目で追っているの、知っているんだぜ?」
言うとロランは悪戯そうに、満面の笑みを見せる。
青年はその事実を言い突きつけられ、押し黙ってしまった。
(あー……、確かに。亜麻色の髪の女の人を見ると、気にはなっていたけど。そんなに判りやすかったか、俺……)
青年自身に――、ロランによって指摘されたことは、身に覚えがあるものでもあった。
青年は、自身でも何故だか解ってはいなかったのだが、亜麻色の髪の女性に対して異常な反応を示してしまうことがあったのである。そう考え、青年は嘆息する。
そのことに思い馳せる青年であったが、はたと、今しがたロランの言っていた言葉を思い返し――、彼の口にした人物に心当たりがあることを思い出す。
「なあ、ロラン。その女の子って、もしかして――。ビアンカって名前の子か?」
「おう? 当たりだけど……。何だ、もう目を付けていたのか?」
唐突に投げ掛けられた青年の問いに、ロランは浅葱色の瞳を丸くする。
(ああ、やっぱり。あの子、あの後に姿を見なかったけど――。そうか、イヴさんのところの宿に泊まっているのか……)
三日前。“豊穣祈願大祭”の最中で出会った、ゴロツキに絡まれていた黒い外套を身に纏った少女――、ビアンカ。
ビアンカはゴロツキとの一悶着があった後に、アインやシフォンたちに連れられて祝祭で賑わう城下街の大通りへと姿を消していた。その後――、青年が自警団の仕事で忙しかったこともあり、結局再会することは無かったなと。青年は思う。
ビアンカの存在を思い返していた青年がフッと気付くと、目の前に立つロランがにやけた面持ちをして佇んでいた。
「……何だよ」
「いやあ。流石、“亜麻色の髪の乙女”に対して、反応が早いなと思いましてね」
ロランは変わらずに、にやけ顔で大げさな身振り手振りをしながら、青年を更にからかうように軽口を叩く。そんな様を見せるロランに、青年はワザとらしく嘆声した。
「それじゃ、今日はさくら亭で昼飯ってことで。ビアンカちゃんに会いに行こうぜ。――なあ、ハル」
ロランは楽しげに言うと、踵を返して歩き出す。
「――ったく。仕方ねえな……」
有無を言わせない風体のロランに対し、青年――ハルは、ロランの後を追うようにさくら亭のある方向へ、歩みを進めていくのだった。
◇◇◇
昼食の時刻も過ぎたさくら亭の食堂は、繁忙も終わり、まだ疎らに店内に客が残ってはいるものの――、漸く一息つける時間を迎えていた。
その食堂の一角で、ビアンカは白いエプロンを身に着け、短く溜息を吐き出す。
「ビアンカちゃん、お疲れ様」
ビアンカの溜息を聞きつけた、さくら亭の女将であるイヴが、笑いながら労いの言葉を掛ける。労いを聞き、ビアンカは微かに笑みを見せ、ゆるゆると首を振るっていた。
「イヴさんこそ、お疲れ様です。でも、昨日までに比べると、忙しさの質が変わりましたね」
「そうね。“豊穣祈願大祭”も終わって、観光に来ていたお客様たちもチェックアウトしていったし。漸く落ち着いた――、って感じねえ」
イヴはビアンカの言葉に、穏やかに笑って答える。
さくら亭の女将であるイヴは、大らかで人当たりの良い女性だった。焦げ茶色の長い髪を一つに纏め、髪と同じ色の瞳は常に優しげな雰囲気を宿し――、とても魅力的な女性だと、ビアンカは思っている。
ビアンカが世間話の一つとしてイヴと語らった際、イヴはさくら亭を立ち上げた伴侶を流行り病で早くに亡くしていることをビアンカに明かした。そうして、その伴侶が残したさくら亭を存続させていくことが、イヴにとっての当面の目標なのだという。
そのような話をイヴから聞いたビアンカは――、“残された者”という境遇同士なこともあり、少しでも何かイヴの助けになりたいと内心で考え、さくら亭の手伝いを自ら申し出ていたのだった。
勿論、ビアンカにとって、人の多く集まる宿屋兼食堂の手伝いをすることによって、エレン王国の情勢など、様々な情報を得ることができるという利点も少なからず存在した。
ビアンカが初めて訪れたエレン王国という、古くから存在している大国――。
このエレン王国には、魔法を扱える者の出生率が下がり衰退の道を辿る世界の中で、魔力を持って生まれた希少な存在である者たちで構成された“魔法騎士団”と呼ばれる特殊な軍団があり、それを“神官将”と称される将軍が取り仕切っていること。王族である“ファティマ一族”を守護する立場に立つ“宮廷騎士団”という一団があることなど――。実に多種多様な見聞がビアンカの耳に入ってきた。
(――旅の合間に『一度は行ってみるべきだ』って、沢山の人に言われたけれど。本当にエレン王国は変わった国よね……)
一種独特な国であると、余所の国や街でも度々と噂に上がっていたエレン王国。その国は至極賑やかであり、国民も皆が皆、穏やかで人当たりの良い気質を持っている。旅をする渡り鳥のような生き方をしてきていたビアンカにさえ――、優しく手を差し伸べる者たちが多いと。そう彼女は感じていた。
そうして、そう感じる半面で――、ビアンカは、今は亡き故郷。望郷となってしまっている国を想う。
(よく統治されて穏やかな国風――。“リベリア公国”を思い出すな……)
さようにして哀愁の念を抱いていたビアンカであったが――。
ビアンカの思考を断ち切るように、さくら亭の扉に付けられていたベルが来客を知らせる音を鳴らす。
「あっ、いらっしゃいませ――」
我に返ったビアンカは訪れた客に、来店の挨拶をしながら目を向けるのだった。