第四十七節 模擬試合①
「アユーシさんの剣術のお師匠様って、ヒロなの?」
賑やかだった朝食を終えた後、甲板まで出てきたビアンカは、隣に佇むユキを見上げて問い掛ける。すると、ユキは然りを意味する頷きを示す。
「アユーシは子供の頃から“姫神子”として、色々なことの英才教育を受けていたらしいんだけれど。戦い方に関しては実戦経験が不足していて、型に嵌った戦法しか取れなかった。――そんなあいつに今の剣術を教えたのが、ヒロなんだよ」
ヒロと共に綱を使い甲板に境界線を引くアユーシに目を向け、ユキは言う。
ヒロとアユーシの周りには、何が起こるのかと言いたげな面持ちで取り囲む船夫や乗船客の姿があり、時折、『線から中に入らないように』と促す二人の声が聞こえてきていた。
「へえ。剣術を教えられるくらいだしヒロも、それにアユーシさんも腕が立つのね」
そうしたビアンカの感嘆を混じえた声に、ユキは再び頷く。
「……でも、鍛錬試合なのに。あの二人、真剣を使って勝負をする気なの?」
ビアンカが不思議に思っていたのは、ヒロもアユーシも鍛錬用の刃先を潰した剣などを準備した様子が見られなかったことである。
自身が昔に剣術を習っていた際は、木剣を扱って鍛錬試合を行っていた。そのことを思い出し、ビアンカは疑問を口に出す。
「アユーシはヒロに出くわす度に、ああやって勝負を持ち掛けているんだけどな。二人とも馬鹿だから、毎回と真剣勝負なんだよ……」
言いながらユキは、嘆息を漏らした。その言葉を聞き、ビアンカも呆れ気味に顔を顰めてしまう。
「よっし。これでいいっしょ。――ユキちゃん、いつも通りに審判係、頼むよん」
「へいへい」
境界線を引き終えたアユーシが手を上げ、愉快げに声を上げた。それにユキは肩を竦め、面倒くさそうにしつつ返す。そしてヒロとアユーシを交互に、赭色の瞳で見やった。
「それじゃあ。二人とも、位置につけ」
凛とした声音でユキが放った言葉に従い、ヒロとアユーシは対面するように、それぞれの位置に着く。
アユーシは腰に巻くベルトに手をやり、外套の下。その背面側に隠していた剣の鞘を左腰に回して、幅広の剣であるブロードソードを手にする。
それを見やり、ヒロが身に纏うマントを手で払い、左右に下げる鞘の内の左腰に携えていた湾曲がかかった剣、カトラスを右手で引き抜くと――、鐺が剣身と擦れて微かな音を立てた。
各々に剣を抜いたヒロとアユーシは、互いに黙したまま構えを取る。
その様子を認めたユキは、スッと片手を掲げ上げ、口を開く。
「勝負は一本。どちらかが負けを認めるか、俺が危険と判断して止めたら終わりだ。――始めっ!!」
掲げた腕を振り下げ、ユキが開幕の合図を発したのと同時だった。
鋭い音を立て、ヒロが甲板を蹴った。それと共にカトラスを握る右手首を上方へと捻り、切っ先をアユーシに向ける。アユーシはブロードソードの剣身に掌を押し当てる構えを取ると、片面に刻まれる深い溝――、樋で受け流す。
金属同士が擦れ合う不快な音を立て、カトラスの刃が樋をなぞり上がる。刺突を流されたヒロは、僅かに驚いたように眉を動かした。
勢い余り、腕を上げる形となって隙ができたヒロの右脇腹に、アユーシはブロードソードを躊躇いなく薙ぎ払う。
その躊躇無い真剣での払いに、見守っていた船夫や乗船客の誰もが息を呑むが――。
ヒロは無理のある姿勢のまま、腰を落とす。強引に軸足となった右足首を外側へと捩じったため、履いているブーツの滑り止めが甲板の床を舐めて高い音を鳴らす。
いちどきに剣戟の音が響き、アユーシの左側から薙がれた剣は、ヒロが左手で右腰に携えていた鞘から手早く引き抜いた凹凸の刻まれる短剣――、ソードブレイカーに捉われていた。
「いただき――っ!!」
ヒロの唇が弧を描いたかと思うと、ソードブレイカーを握る左手首を捩じり上げる。ギャリッ――、と不穏な音色を耳にして、アユーシがヒロの動きに慌てて合わせ自らの剣を刃砕きの凶刃から逃がす。
「ヒロちゃん、そりゃないわっ。これ折られたら、アユーシおねーさんの武器が無くなるっ!!」
間髪入れずにヒロが横斬りに掛かったカトラスを、後ろに飛び退き躱しながらアユーシは不服を申し立てるが、声音は楽しげだった。
そのアユーシの物言いを、ヒロはカトラスの峰で自身の肩を叩きながら、悪戯そうな笑みを浮かべ聞く。
「アユーシこそ。僕が痛いこと嫌いなのを知っていて、強引に斬り込んで来ようとするの止めてくれない? 君の剣はユキからコレクションを貰えば良いけど、僕は変えが効かないんだから、ね……っ!!」
「ふひひ。痛い目に合わせようとすれば、ヒロちゃんが本気出すと思ったんよね。早々に二本目を出してくれて、おねーさん嬉しいわんっ!!」
軽口を叩き合いながら、ヒロとアユーシは再び剣を交える。その都度、金属音が船上に響き――、それと共に観衆と化した船夫や乗船客の声が上がった。
ちょっとした見世物となったヒロとアユーシの試合の様子を、ビアンカは呆気に取られ見守る。
これほどまでに本気で真剣を振るい、ヒロとアユーシが模擬試合を行うなどと思ってもみなかった。そう彼女の表情は、如実に表していた。
「――な? 馬鹿だろ?」
呆気に取られた様相のビアンカを傍目に、ユキは二人の動きから目を離さずに失笑の言葉を零す。それにビアンカは素直に頷いて返事をしていた。
「でも……、ヒロもアユーシさんも、凄いのね。いつもは不真面目な雰囲気なのに、あそこまで立ち回りができるなんて……」
ビアンカが思ったことをつい口に出すと、ユキは肩を震わせて笑う。
「ま、まあ、お茶らけてて不真面目ではあるよな。だけど、腕が立つのは確かだ」
「あんな風にやっていて、怪我とかはしないの?」
「……するぞ。主にヒロが、なんだけどな」
言うとユキは苦い表情を浮かした。その言葉にビアンカは眉を寄せてしまう。
「ヒロの奴は女に甘くて、かなり手加減をしてやって寸止めをする。――問題はアユーシだ。あいつは加減取りが下手だから、結構な割合でヒロが怪我をさせられている」
「大丈夫、なの……?」
「ヒロの奴が怪我をしても大丈夫なのは……、あんたの方が分かっているだろ?」
ビアンカが憂慮の色を声に乗せて問うと、ユキはぽつりと返答を零す。
その言葉は、ヒロが“呪い持ち”であり、呪いの持つ特性故に、怪我をしても問題が無いということを示すものであったが――。それにビアンカは、更に心配げな面持ちを浮かし、ヒロとアユーシの様子に目を向けた。
「ただ、ほぼ毎回なもんだから、ヒロの奴が試合を渋るようになっちまってな。あいつ、痛いことが嫌いだから……」
「普通は、痛いのってイヤなものじゃない? 上手く止められるの?」
ビアンカが怪訝そうにして聞くと、ユキは首肯する。
「大怪我をさせる前に止めるのが、模擬試合での俺の役割。――俺は元々“邪眼”を持っていたから、ヒトの精神に干渉する得能を持っている。それは目が変わっても、残った力なんだ」
辺りの騒々しさに紛れ込ませるように、ユキはさり気なく口にする。その言葉を聞き、ビアンカは納得の様子を窺わせ、微かに首を上下させた。
“邪眼持ち”の魔族の特性を、ビアンカはヒロから詳しく聞いていた。
“邪眼”の魔族は強大な力を有する。それはビアンカも知識として知り得ていたが、その特徴の一つとして、彼らはヒトの精神に干渉し、思考を読み取る力を持つという。
そのことを耳にした際、ビアンカは僅かにユキに対して警戒心を抱いたほどであるが。ヒトの考えを察知する能力は、ユキが意識しなければ使えないという説明を受けていた。
つまりは――、ユキはヒロとアユーシが模擬試合を行う最中に、精神に干渉する能力を扱って二人の考えを読み取り、時に静止を投げ掛けているのだろうと。ビアンカは推察する。
「アユーシの考えは単純だから読み取りやすいんだけど。ヒロの奴は何を考えているのか、よく分からないんだよな……」
「そうなの?」
「あいつの意識は本当に表面しか見えないんだ。――というか、あいつ自身が読み取らせる考えを選んでいるような、そんな感じがする」
ビアンカが不思議そうにして問うと、ユキは肩を竦めて答えた。
(ヒロは……、色々なことを、二人にも隠しているっていうことなのかしらね……)
ユキからの話を耳にしてビアンカは、楽しげな様相でアユーシと剣を交えるヒロを目にして思う。
(そういえば……、ヒロに案内されたお店のご主人が、海賊のことについて話をしていたけれど。あれも秘密にしているのかしら。何を意味していたのか、聞きそびれているな……)
この模擬試合が終わったら聞いてみよう。そう考えながら、ビアンカはヒロとアユーシの手合わせを見守るのだった。




