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片翼の鳥~出会いと別れの物語~  作者: 那周 ノン
第二幕【ニライ・カナイ】
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第四十二節 周章狼狽

 ビアンカは不機嫌一色の面差しでヒロを睨みつけていた。物言いたげな鋭い視線を向けられ、ヒロはたじろいでしまう。


「ビ、ビアンカ……。そんなに不機嫌にならないで。怖い顔、しないでよ……」


「不機嫌にもなるわよ。どういうつもり?」


 機嫌が悪いことを隠そうともしないビアンカの声音。それにヒロは身を強張らせる。


「だ、だってさあ。ツインルームより、こっちの方が安上がりだし……。何より、僕が乗船券を買いに行った時には、一人部屋やツインルームがキャンセル待ちの状態で取れるか分からなかったんだよ……っ!」


「あのねえ……」


 焦燥に駆られ早口に弁解を申し立てるヒロに、ビアンカは嘆息(たんそく)を漏らす。その様子は彼の行った所業に対して、心底の呆れを孕む。


 ヒロが“ニライ・カナイ”行きの航行船で取った部屋は、特等級の船室であった。

 だがしかし――、その取った部屋の内容がビアンカの逆鱗に触れていた。


 ユキやアユーシが泊まることとなった船室に比べると、部屋自体は狭い。船室内へと続く廊下の扉をくぐると、そこは既にベッドルームという作りになっていた。そして、部屋に足を踏み入れた早々に目に入るのは、鎮座した大き目のダブルベッドが一つ。

 それ故に、ビアンカは船室に案内された途端に、眉間に深い皺を寄せたのだった。


「あなたのことを信用しようと思った自分が、ほんっとうに馬鹿だなって思うわ」


 怒気を帯びた低い声を喉から絞り出し、ビアンカは言う。


 まだ知り合って間もない、あまつさえ夫婦でも恋人同士でも無い男女なのにも関わらず、何故(なにゆえ)にダブルベッドを使用しなくてはならないのだと。特に()()()()()()()に関して、厳たる教育を受けてきたビアンカは強く憤りを抱く。

 普段は穏やかで、あまり怒りの色を露呈しない彼女だが、今は珍しく憤怒の様を顕わにしていた。


 ヒロの方は先ほど彼が語ったように、他の空き部屋が無かったこともあり一切悪気が無いのは、その焦燥ぶりから見ると明白だった。

 但し、ヒロは色々なことを失念していた。先刻、ユキと話をしていたような、彼の()()()()によるものを、ビアンカにまだ説明していなかった。

 そのため、あらぬ誤解をビアンカから受け、今に至る。


「やましい気持ちは、これっぽっちも無いから……っ!! 本当だよっ?!」


「だから――、何なの?」


 冷めた目元の表情で、ビアンカは肩に担いだままだった棍に手を掛ける。棍の先端を力強く敷物の敷かれた床に叩きつけると、その下にある床板が鈍い悲鳴を上げる。

 返答次第によっては、ヒロを殴り飛ばすことも(いと)わない。さような鬼気迫る雰囲気を醸し出す。


 そのビアンカの動作に、ヒロは「ひぇ」と、小さく声を漏らして後退る。それと同時に背後にある扉に身体が当たり、ガタリと音を立てた。

 冷や汗でも出そうなほど、ヒロは狼狽(ろうばい)を表していた。そして、事情の説明を失念していたことを内心で後悔する。


 もうこれ以上は、どのように釈明をしてもビアンカを怒らせるだけだろう。

 そう考えたヒロは、意を決し、叫ぶように言葉を紡ぐ。


「ぼ、僕は……っ、眠らないんだよっ! ――っていうか、眠れないんだっ!!」


「え?」


 唐突なヒロの言葉に、ビアンカは翡翠色の瞳を丸くする。

 だが、事情を知らずに不思議げな表情を窺わせたビアンカを気に留めず、ヒロは尚も言葉を続けていく。


「この部屋はビアンカが寝る時は一人で使って良いからっ! その間、僕は食堂とか甲板にいるからっ! ね……っ?!」


「待って、ヒロ。眠れないって、どういうこと?」


「僕の宿している呪い(こいつ)のせいだよ。眠ると夢見が悪すぎて、おちおちと寝ていられないんだっ! だから、部屋の鍵はしっかりと閉めて、ビアンカは代わりに良く寝ていて……っ!!」


 理由を知らないために問いただそうとするビアンカの声を振り切って言い捨て、ヒロは後ろ手に扉を開ける。かと思うと――、まるで逃げるように隙間から身を滑らせて、廊下へと姿を消した。慌てて走る音が、徐々に遠くへと去っていく。

 その有様をビアンカは怒りの鋭さが無くなった、呆気に取られた面持ちで見送る羽目になった。


「え……? 何なのよ、いったい……?」


 肩から力を抜き、ビアンカは釈然としない声音で独り言ちるのだった。



   ◇◇◇



 甲板に出ると、昼間の暖かさとは打って変わった、冷たい夜風が頬を撫でる。

 その風に亜麻色の髪と黒い外套(がいとう)をなびかせ、ビアンカはヒロの姿を探す。


 見張りに立つ船夫が(まば)らにいるだけの、ほぼ人気の無い甲板を歩む。

 夜闇の中、船舶ランタンが灯す心許ない明かりと月明りだけを頼りに辺りを見回すと――、船頭近くの手摺に腰を掛け、メインマストの帆摺菅(ほずれくだ)から伸びる筈緒(はずお)を握り、身を乗り出しているヒロの姿が映った。


 海側に身を乗り出し、夜の空を仰ぎ見ているヒロの元へ、ビアンカは歩みを進めていく。

 すると、その彼女に気が付いたヒロは(こうべ)を下ろし、気まずげな表情を浮かべながら紺碧色の瞳を向ける。


「ビアンカ……。も、もう、怒ってない……?」


「怒っていないわよ」


 ヒロの問いにビアンカが答えると、ヒロはホッとした様子を窺わせる。そして手摺から降り、ヘラッと人懐こい笑みを浮かした。


「良かった。凄い気迫だったからさ。どうしようかと思っちゃったよ」


「あなたが詳しい話をしないからでしょう。――『後でゆっくり話をする』の『後で』って、いつになるの?」


「ごめん。ちょっとバタバタしていたから、自分のことが後回しになっちゃって」


「人のことより、自分のことを優先した方が良い時があるんじゃない? それ、あなたの悪い癖よ、きっと……」


 呆れ混じりにビアンカが口にすると、ヒロは一瞬キョトンとした表情を見せ――、次には可笑しそうに笑いを零した。くすくすと笑うヒロを目にして、ビアンカは首を傾げる。


「その台詞(セリフ)。前にハルにも言われたことがある」


 不思議そうに首を傾げるビアンカを見やり、ヒロは言う。その言葉にビアンカは、(いささ)か驚愕した顔付きを浮かべた。


「ハルにも?」


「うん。『人のことよりも、自分のことを優先しろ』ってさ。ビアンカとハルは、優しいところとか、そっくりだ」


 懐かしいものを思い出すように、目を細めてヒロは語る。その面差しは、微かに哀愁を漂わせていた。


(ハルに似ている、か……。ハルもハルなりに、ヒロのことを心配していたのね……)


 ヒロの言葉に、ビアンカは僅かに瞳を伏した。そして、ハルが“群島諸国大戦”の最中で、ヒロの身を案じていたことに思いを馳せ、やはり彼が優しい人物であったのだと思いなす。


「――ところで、ビアンカは寝ないの?」


 不意に話を変えるようにして、ヒロは切り出す。それにビアンカは思わず嘆息(たんそく)を漏らしてしまう。


「そういうところよ、ヒロ。人のことは良いから、あなたのことを話してもらって良いかしら?」


「んあ。ご、ごめん……」


 ビアンカに言われ、ヒロは眉をハの字に落として苦笑いを浮かしながら頭を掻く。そうして、何から話をするべきかと、考える様子を見せ始めた。

 その語るべきことに悩み始めたヒロの気配を察し、ビアンカが先を促すべくして口を開く。


「あなた、さっき眠れないって言っていたわよね。それって、どういうことなの?」


「ああ……」


 ビアンカが問いを投げ掛けると、ヒロは辺りを見回し、自分たちの周りに人気が無いことを確認する。そして、紺碧色の瞳でビアンカを見据えた。


「眠るとね、悪夢ばかりを見るんだ。だから、僕は眠るのが怖くて仕方がない」


「それは……、あなたの宿している呪いの力のせいなの?」


 ヒロの口弁にビアンカは眉を(ひそ)め、更に問いを投げる。それにヒロは頷いた。


「僕の宿している呪い(こいつ)はね。宿主の精神(いのち)と苦痛を糧にするんだよ」


 ヒロは言うと左手をビアンカの目線の高さに持ち上げ、その手に嵌めていた革の手袋を外す。


 月明りの下に照らされるヒロの左手の甲――。そこには、ビアンカの持つ“喰神(くいがみ)の烙印”と同様の、赤黒い痣が刻まれていた。

 それは(いびつ)な紋様ではあるものの、人魚が天秤を携えているように印象付けた。だが、“喰神(くいがみ)の烙印”と違い、不思議と禍々しさは感じない。そうビアンカは思う。


「これが……、あなたの宿している“呪いの烙印”……」


 初めて目にする、他者の宿している呪いの証である烙印。目を見張るようにしてそれを見つめ、ビアンカは何とも言えない複雑な気持ちを覚える。

 いったい、どれほどの力を持っているのだろうか。かようなことを考えるが、それは口に出さなかった。


「――“海神(わたつみ)の烙印”。それが僕の宿している呪いの名前だ。“審判を司る呪い”であり、別名は“罪と罰の呪い”。ヒトの罪の重さを量り、罰を与えると言われている」


「わたつみ?」


「群島の伝承にある海の神様のことだよ。そんな名前が付けられているのは、誇らしいけれど。まあ――、厄介なことには変わりない」


 ヒロは微かに笑みを見せ、答えた。


 海の男であるヒロにとって、『海の神』という名称は喜ばしいものなのであろう。

 しかしながら、それが“呪い”という忌々しいものでなければということを、彼の表情は物語っていた。


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