第四十節 ワケアリの旅人たち②
「ビアンカ、左手が気になる?」
船室へと向かう道中、不意にヒロが耳打ちをする。その言にビアンカは驚いた表情を浮かした。
ビアンカの反応を目にしたヒロは、紺碧色の瞳を細め首を僅かに縦に動かす。
「当たり――、だね。さっきから左手を気にしていたみたいだからさ」
ヒロは、疑問を表情で語るビアンカに微笑み掛ける。
「左手の甲に右手を添えて、力を入れ気味に握っていた。おくびにも出さないようにしていたみたいだけれど、眉が微かに顰められていた。“喰神の烙印”が痛みで何かを訴えかけていたんじゃない?」
ビアンカが話の最中に左手の甲に手を添えていたこと。強い痛みを伴う“喰神の烙印”の蠢きを悟られぬように、素知らぬ顔をしていたこと。それらにヒロは、聡く察し付いていた。
「――詳しい話は後でするけれど。あの二人が目の前にいたんじゃ、“呪いの烙印”が反応しても仕方ない」
ヒロは自らも左手を掲げ上げ言う。彼の洞察力に、ビアンカは思わず感嘆をしてしまう。
「あなた、人のことを本当に良く見ているのね」
「これも軍主なんていうのをやっていたからかな。みんなが今日は元気かなー、とか。いつも気にしていたからね」
嘆息を漏らしつつビアンカが口にすると、ヒロは尚も笑顔で答える。
「あと……、あなたの“呪いの烙印”も、あの二人に反応をしていたの……?」
ヒロの持つ“呪い”については、ビアンカは踏み込んで聞いていない。興味が無いわけではなかったのだが、深入りした質問を彼に投げることを、ビアンカは躊躇っていた。
それは初めて出会った“呪い持ち”の宿す呪いを、おいそれと聞いて良いものなのか。彼女が遅疑逡巡と考えてしまった結果だった。
だが、ヒロはビアンカからの問いに、嫌な顔一つしないで口を開いた。
「僕の方は君に会った時から、反応を示していた。だから、あの二人がいるのに初めは気が付かなかったんだ。――っていうか、もしかして“喰神の烙印”ってば、僕に会った時に反応しなかった?」
「え、ええ……。その通りよ」
ビアンカが返弁を口に出すと、ヒロの表情が不服げな色を宿した。そうした彼の応じに、ビアンカは首を傾げる。
「どう、したの……?」
「いや。相変わらず“喰神の烙印”は、僕のことを若造扱いで目もくれないんだなって思って。昔っからそうなんだよなー……」
「え?」
ヒロのぼやきにビアンカがキョトンとした表情を見せると、ヒロは溜息をついた。それは彼に対する“喰神の烙印”が取る態度に好ましくないことを示してのものである。
「僕の宿しているこいつは、まだ年若いから嘗められてるってこと。まあ、その辺りの話も、追々していくね。色々と濁して話をしないといけないのも、お互い大変でしょ?」
「あ……、そうね。ごめんなさい」
咄嗟に謝れば、ヒロはゆるゆるとかぶりを振った。
「僕こそ。君に話をさせてばかりで申し訳ない。――後でゆっくり話をするよ」
静かな声音でヒロは紡ぐ。その言葉の中に微かな悲観が織り交ぜられていたことに、ビアンカは気が付くことは無かった。
◇◇◇
ユキとアユーシが取った船室は特別等級の部屋であり、室内も広く、リビングとベッドルームなどの設備が整った部屋であった。ベッドも広めのものが二台置かれており、窓は大きく開けていて海を一望できるようになっていた。
それらは如何にも夫婦や恋人同士といった、上流階級の観光客を宿泊させるためという雰囲気を漂わせていた。
「また、立派な部屋を取ったねえ」
「急遽、この船に乗ることになったからな。滑り込みで乗船券を買ったら、キャンセルで空いたこの部屋しか無かったんだよ。本当だったら、二等級くらいの部屋で良かったんだけどな」
ヒロが部屋を見回しながら尋ねれば、ユキが嘆息と共に答える。その表情は「手痛い出費だった」ということを雄弁に物語った。
「あー。そういえば、僕も乗船券を買いに行った時に同じことを言われたな。やっぱり空き待ちで等級の高い二人用の部屋しか無くてさ。一人部屋を二個、取れなかったんだよね」
「あ? そうしたら、あの子と同室なのか?」
ヒロの物言いを聞き、ユキは思わず顔を顰めてしまう。だが、ヒロは気に留めない様子を見せて口を開く。
「うん。まあ、問題無いかなーって思ってさ」
「それのことは話したんだろうな?」
ヒロの性質を理解している故に、ユキは問いを投げ掛ける。すると、ヒロはヘラッと笑みを表情に浮かした。
「ううん。実はビアンカの話を聞くばっかりで、自分のことを殆ど話してないんだ」
悪びれの無いヒロの返答に、ユキは肩を落とす。そうして再び溜息をついた。
「お前、早いところそれは言っておかないと。誤解を受けて張り倒されても、俺は知らないからな……」
「あはは、痛いのは嫌だなあ。部屋に案内する時にでも言っておくよ」
ヒロは言うと、窓際に赴きアユーシと並んで海を眺めているビアンカに目を向ける。そして紺碧色の瞳を細めながら、楽しげな笑いを微かに零した。
そんなヒロの様子に、ユキは何か考える様を見せるが――。それも一瞬で、すぐに気を改める。
「まあ、とりあえず話を始めるか……」
「うん。そうだね」
ユキの促しを受けヒロは同意を示し、アユーシとビアンカに声を掛けて呼び寄せた。
リビングに置かれるソファに各々が腰を掛けたところで、ヒロが仕切るようにして「まずはアユーシの話からかな?」と切り出していくと、意を唱えることも無くアユーシは笑みを見せて首を縦に動かし肯定を表す。
「アユーシは西の大陸にある“クトゥル教国”で、『姫神子』って呼ばれていた子だよ」
ヒロの言葉にビアンカが驚いた面持ちでアユーシに目を向けると、琥珀色の瞳を愉快げに細めて首を縦に振るうアユーシの姿が映る。
「クトゥル教国の“姫神子”って。確か“異端者”を庇って、そのまま行方不明になっているって聞いたことがあるけど……?」
西の大陸――、その地の中央に位置する『信仰の国』と称されるクトゥル教国。全知全能の女神・マナへの信仰をどこよりも強く有している教団が存在する国では、神の血を引くと告示された存在が男児ならば“神子”、女児ならば“姫神子”と呼ばれて個人崇拝をされている。
ビアンカが旅の合間に耳に挟んだ話によれば、今現在“姫神子”として奉られていた人物は、三年ほど前に“異端者”を庇った罪でクトゥル教国を追放されるに至ったという。
「その“姫神子”が、アユーシおねーさんだよ。因みに“異端者”っていうのは、ユキちゃんのこと」
自身の身の上なはずにも関わらず、深刻な様相を微々とも感じさせずにアユーシは笑いながら綴る。反面でアユーシに指差しをされたユキは“異端者”と言われ、苦い顔を窺わせた。
何故なのかを問いたい面持ちを見せるビアンカを目にし、ユキはゆっくりと口を開く。
「俺の追い人がクトゥル教国で面倒事を起こしてくれてな。俺とそいつは見た目が似ているから、俺がやらかしたんだろうって騒ぎになっちまってな……」
「うんうん。その面倒事の現場におねーさんが居合わせましてだね。ユキちゃんがやったんじゃないってのを証明しようとしたんだけども、だーれも信じてくれなくってねえ」
どこか辟易とした色を声に含みながら、アユーシは視線を在らぬ方へと向けながら当時を思い返すようにして話す。
その口振りはユキに付き合ってしまったことに後悔を感じているのでは無く、自身の話を微塵も信じようとしなかったクトゥル教国の要人たちに対しての呆れを内包する。
「事情を色々と知っちゃった手前、ユキちゃんを放っておくこともできなくて奔走していたら。いつの間にやら罪人――、“異端者”を庇ったってんで、教国を追放されちゃっていました」
「ユキさんの追っているっていう人は、いったい何をしたの?」
あっけらかんとした様相で言葉を締めくくったアユーシの語り。それに疑問を持ったビアンカが問う。
追放された事柄をさして気にしていない風体を醸し出すアユーシとは対照的に、ユキは真剣な面差しを浮かべていた。
「殺しだよ。クトゥル教国の神官長を手に掛けた。ただ、あいつが何のためにそんなことをしたのかは――、俺にも分からない」
「殺された神官長は、元々あまり良い噂も聞かなかったしねえ。裏で何らかの悪さをしていたのは確実なんだけど、そこは教国が知らぬ存ぜぬで隠蔽。証拠も何にもなくて真実は闇の中、ってね」
ユキの言論にアユーシが補足すれば、二人は互いに顔を見合わせて頷き合う。
そうしたユキとアユーシの掛け合いを目にし、ビアンカは目の前の二人に並々ならぬ絆のようなものを見出した気がした。
「多分、ビアンカの“呪いの烙印”が反応を示したのも、アユーシの引く血のせいだ」
「え?」
ビアンカの隣に腰を掛けるヒロが耳打ちをするように囁く。その声にビアンカは翡翠色の瞳を丸くして声を漏らした。
さような彼女の反応を目にして、ヒロは可笑しそうに笑いを零す。
「論より証拠ってね。ねえ、アユーシ。ビアンカと握手をしてみてあげてくれない?」
「おん? 良いよー?」
ヒロの申し出に快くアユーシが応え、それと同時に右手をビアンカへと差し出す。
その差し伸ばされた手に、ビアンカも倣い、身を乗り出して右手を伸ばした。その最中にビアンカは左手の甲――、“喰神の烙印”が一際と警鐘を鳴らす痛みを感じていた。




