第三十七節 海原へ
船旅には些か不釣り合いでは無いか。そう感じてしまうほど豪奢な衣服を身に纏った貴族風の人々が、談笑をしながら桟橋を歩く。旅行鞄を小脇に持った彼らの気分は、行楽地へ遊びに行くといったものなのだろうと、ビアンカは思う。
諸人が行き交うのを傍目に映しながら、ビアンカは桟橋の傍らに佇立し、ヒロが訪れるのを待つ。
船夫や乗船客たちの喧噪の中に紛れるビアンカは、彼女が目にしていた人々とは対比して、いつもの黒い外套を羽織った旅装束。それに棍とショルダーバッグを肩に掛ける。
目的地である“ニライ・カナイ”が存在する海域に船が辿り着くまでは、海が穏やかでも七日ほど掛かる、というのがヒロの言だった。そこから往復を考えると、最短でも二週間ほどは船での旅になる。
そうすると、いつまでも宿屋に手荷物を置いておくわけにもいかず、ビアンカは宿泊していた部屋を明け渡す手続きを済ませて出てきていたのであった。
「ごめん、ビアンカッ! 遅くなっちゃった……っ!!」
漸く桟橋に姿を現して大きな声を上げたヒロのそれに反応し、ビアンカは声の聞こえた方へ目をやる。そして、ヒロの姿を見止めた瞬間――、ビアンカは翡翠色の瞳を丸く見開いていた。
ビアンカの元へ駆け寄ってくるヒロは、片手に過剰なほど色鮮やかな花束を抱えていたのだ。その花束は黒を基調にしたヒロの衣服やマントに映えて、驚くほど美しい色彩を印象付ける。
「どうしたの……、ヒロ……?」
唖然とした声音でビアンカが問うと、走ってきたにも関わらず息の一つも上げていないヒロは、「何のこと?」という面持ちを呈す。
キョトンとした表情を浮かべたヒロに、ビアンカが失笑しつつ彼の抱える花束を指差し示すと――。ヒロは、はたとした様態を表した。
「ああ、これね。――“ニライ・カナイ”に行くなら、花の一つも持って行かないとねって思って」
さようなヒロの答弁を聞き、ビアンカは首を傾ける。
「えっと……、それは何でかしら?」
「僕、言ったよね。“ニライ・カナイ”に行くっていうことは、本島の人間にとっては“墓参り”と同じって。そうしたら、手ぶらで行くわけにはいかないだろう?」
不思議げにしてビアンカが漏らした疑問に、ヒロはふわりと唇に弧を描いて応じる。
そのヒロの雰囲気は花束を抱えていることもあり、様になるなと。ビアンカは的外れなことを考えてしまう。
「でも……、船に乗り込んでいく人たちは、お花なんて持っていなかったわよ……?」
先ほどまでビアンカが暇潰しに眺めていた、船に乗り込んでいく貴族然とした井出達の者たち。その乗船客の皆がみな、旅行用の荷物だと思しきものは抱えども――。花を抱えている者は誰一人として、見掛けなかった。
それをビアンカが口にすると、ヒロの眉間に不愉快げな深い皺が寄る。
「あー……。そいつらは、ただの観光目的だよ。“ニライ・カナイ”を観光名所だと勘違いしている人たち……」
ヒロは嘆声し、呆れ混じりに言う。その風体は三日前――、ヒロの馴染みの店、そこの一室で見せた「嘆かわしい」と言う形容を醸し出していた。
「“冥界”の門が開く頃の“ニライ・カナイ”は、景色が凄く良いって……。だから観光名所にするために、呼び掛けているって聞いたわ」
“ニライ・カナイ”へ赴く定期船が出帆する日までの三日間、ビアンカはソレイ港で様々な話を街の人々に聞いた。その中で彼女は、今、口に出した話を小耳に挟んでいたのである。
年に二回だけ“ニライ・カナイ”は死者の国――、“冥界”への門を開く。
その最中は、“ニライ・カナイ”海域の景色は一変し、絶景を擁するのだと。そのため、そこを観光名所として客寄せをする動きが、ソレイ港やオヴェリア群島連邦共和国各地で見られるのだった。
「そうなんだよ。ビアンカは、あくまでも“墓参り”ってことを忘れないでねっ!」
花を持っていない方の手で勢い良くビアンカを指差し、ヒロは力強く言葉を放つ。
ヒロの念を押す言い方に、ビアンカはくすくすと笑い、首を縦にゆるりと振った。
「――ところで。ヒロの持っているお花って、見たことの無いお花なんだけど。それも群島の辺りで咲くものなの?」
憤慨する情態を窺わせるヒロに、話題を変えてやろうとビアンカは思い、口にする。
するとヒロは今までの渋い顔とは打って変わり、表情を瞬く間に変えて満面の笑みを浮かした。
「うん、そうだよ。こっちの赤いのが扶桑花で、こっちの小ぶりな白い方が緬梔花って言うんだ」
オヴェリア群島連邦共和国に咲く花をビアンカに問われ、ヒロは喜色満面にして答える。
ヒロの様相は、自身の故郷の事柄に興味を持ってもらえて嬉しいという色をビアンカに感じさせ、自然と彼女の表情をも柔らかなものにさせていた。
「花弁も立派で鮮やかな赤い色のお花と、可愛らしい白いお花。とても良い香りもするし、綺麗ね」
ビアンカが顔を綻ばせて言うと、ヒロは幾度も頷く仕草を見せる。
「赤い色の扶桑花はね、『勇敢』っていう花言葉があるんだ。だから僕は――、この花のこの色が大好きなんだ」
「へえ……。それじゃあ、こっちの白いお花は?」
「こっちは小懽木の花。甘い匂いが特徴だねえ。五枚の花弁それぞれに意味があってね――」
ただでさえ口数の多いヒロが多弁に語る花の持つ意味合いに、ビアンカは感嘆の思いを持つ。
暫し、オヴェリア群島連邦共和国独自の花について、語らっていた二人であったが――。
「おーい、そこのお二人さん! 船に乗るならさっさとしてもらって良いかーっ!!」
突として船夫から大きな声で呼び掛けられ、ヒロとビアンカは肩を揺らして船に目を向けた。
二人が乗る予定の“ニライ・カナイ”へ向かう船は乗船客の殆どが乗り込み、今や準備が整い次第、出帆するという状態であった。
「おーっ!! 行くから、ちょっと待っていてくれーっ!!」
ヒロが息を吸い込み、船夫に負けないほどの大声を張り上げた。そうしたヒロの返しに、ビアンカは驚いた面持ちでヒロを見据える。
「ヒロって……、そんなに大きな声が出るのね……」
「ああ。僕、船乗りだったからさ。声の大きさだけは自信があるんだ」
ヒロは言うと、カラカラと笑いを零す。――かと思うと、呆気に取られていたビアンカの右手を、躊躇いなく左手で掴む。
「え……?」
「船、乗船券を買った客が全員乗り込んだら出帆しちゃうよ。急ごう」
「う、うん」
ヒロは促しを発し、踵を返して歩み始める。手を引かれるままに、ビアンカも桟橋を渡っていく。
歩みを進める道中でビアンカは、ヒロが“呪いの烙印”が刻まれているはずの左手で迷うこと無く触れてきた事実に、毒気を抜かれた思いを感じるのだった。
◇◇◇
「あーあ。――ったく、海風はベタついて慣れないもんだねえ」
潮風に畝の強い赤色の髪をなびかせながら、一人の女性が辟易とした声音で発する。
女性の発した声に、その後ろを歩んでいた連れである蘇比色の髪を有する年若い見目の青年が、苦笑いを表情に浮かした。
「そう腐るなって。別に海が初めてでもないんだからよ」
「だってさー。髪はギシギシになるし、肌はベタ付くし。生臭い匂いはするし。海って良いこと無くない?」
女性は赤毛を手櫛で梳き、毛先を弄びながら、尚も海に対して恨みがましく言葉を吐く。その態度は真っ当なことを言っていると自信に満ち溢れており、青年は嘆声を漏らしてしまう。
「しゃーないだろ。あいつの気配が、この辺りでしたんだ。お前だって色々あるのが分かっていて、俺に付き合っているんだから文句言うなし」
青年が諭すように口にすると、女性は振り返り、不服げな眼差しを青年へと向けた。
「そりゃ、そうだけどさあ。つーか、その感じた気配ってのは、本物なん?」
唇を尖らせて女性が問うと、青年が首を縦に動かす。
「ああ。あいつの気配のはずだ……。この船の中に感じる……」
言いながら青年は、桟橋に停泊している船に目を向けた。だがしかし、青年の表情は、自身の放った言葉に確証が無いのか「あまり自信は無いけれど」と雄弁に物語る。
そんな青年の返しと表情に、女性は眉を顰めた。
「船ん中かあ。あっちも追い詰めることができるけど……。こっちもヤバいよな。逃げ場が無いっての……」
女性は自らの頭に手をやって髪を無造作に搔き乱し、不安げな面持ちを窺わせる。しかしながら、それも瞬刻で、すぐに口角を上げて愉快そうに口元を歪ませた。
「まあ、仕方ないから付き合ってやんよ。一蓮托生って、そういう約束だもんな」
今までの不安を帯びていた声音とは一転し、女性はケラケラと笑い声を立てる。
かような女性の言葉に、青年は困ったように眉を下げて微笑む。
「さーて。そんじゃ、船が出ちまう前に乗り込もう」
「ああ。行くか」
意気揚々と言いながら、女性は足早に傍らに泊まる船へ向かう。
先を歩む女性に倣うように、青年も肩に担ぐ荷物を支え直し歩む。
足を動かしながら青年は、決意の色を示唆させる眼差しで船を再び見つめていた。
「しかし……、何で“ニライ・カナイ”へ向かう船になんか乗っているんだ……?」
青年は疑問から眉間に皺を寄せ、誰に言うでもなく独り言ちるのだった。




