第三十五節 群島諸国大戦
「――ハルは同盟軍に身を寄せることで、オーシア帝国の追手から身を守ることができるようになった。同盟軍はハルの力を借りることで、オーシア帝国に対抗して戦況を好転させる活路を見出した。謂わば、双方にとって好都合の関係を結んだ」
ヒロは途中とちゅうで飲み物を口に運び、口腔内を潤しながら、“群島諸国大戦”当時のハルの話を続けていく。
そうした語り手の説話に、ビアンカも飲み物を口につけながら耳を傾ける。
「まあ、ハルは元より群島に来て――。そこで同盟軍に近づく気だったみたいだけれどね」
「どういうこと?」
口を噤み、話を聞いていたビアンカであったが。そこでヒロの発した言葉に反応を示した。
「同盟軍の旗頭――。軍主が“呪い持ち”だったからさ」
ヒロはビアンカに目を向けて答えを口にする。
(ああ……。そういえば、そうだったわね……)
ヒロの言葉を聞き、ビアンカは自身がオヴェリア群島連邦共和国に足を運ぼうとした理由を思い出していた。
オヴェリア群島連邦共和国が、まだ“群島諸国”と呼ばれ、海を挟みながら小さな島国が身を寄せ合うようにして点在し、各々の国が各領地を治めていた頃。
この島国で最たる軍事力を誇っていたオーシア帝国が、武力で以て群島諸国を統治しようと目論んだ。様々な国を力ずくで制圧し、徐々に戦火を広げていくオーシア帝国に対し――。それに反旗を翻したのが、ヒロが語っている“同盟軍”――、各国の勇士やオーシア帝国に遺恨の念を持つ海賊たちで編成された集団だった。
開戦当初は同盟軍の力は微々たるものだったと伝えられている。だが、軍主となる上に立つ存在が現れたことで、同盟軍は着々と力を増し――、遂にはオーシア帝国を滅ぼすに至った。
ビアンカは同盟軍の話を耳にし、その同盟軍の軍主が自分と同じ“呪い持ち”という出自だったことを知り、それに興味を持った。そして、オヴェリア群島連邦共和国で“群島諸国大戦”の逸話を調べてみようと考えていたのである。
だが――、ヒロの話を聞き、ビアンカは一つの疑問を抱く。
「どうしてハルは、軍主と接触しようとしていたの? ヒロの話を聞いている限りだと、同じ“呪い持ち”だから親近感を感じて……、とかじゃ無いわよね?」
ビアンカが口にした内容に、ヒロは可笑しそうにして笑いを零す。それはビアンカの問いに、『否』を表すものだということを、彼女は察し付く。
「うん、違うよ。――ハルが探していた人が“呪い持ち”だったんじゃないかっていう、彼の憶測があった。だからハルは軍主に、一度は接触をしようと考えていたらしいよ」
「そういう……、ことだったのね……」
ヒロの答弁にビアンカは眉間に皺を寄せ、彼を見据えていた瞳を僅かに伏せた。
(――私が“魂の解放の儀”の最中で、過去に誘われて、そこで小さい頃のハルに出会った。その時からハルはずっと、私のことを探していたみたいだけれど……。そのせいで、まさかオヴェリア群島連邦共和国にまで足を運んでいたなんて……)
罪悪感で胸の内にチクリと痛みが伴うのを感じ、ビアンカは右手を鳩尾に寄せる。
ハルが放浪をして探していたという人物は――、ビアンカのことであった。
ビアンカは、かつて“喰神の烙印”に喰われたハルの魂を、その呪縛から解き放つために、“魂の解放の儀”と呼称される禁忌を執り行った。その最中でビアンカは、“喰神の烙印”からの試練として、今からおよそ七百年以上前の時代に導かれ、そこで幼少時のハルを救うという事象を起こしている。
“魂の解放の儀”でビアンカが幼いハルと出会ったことは、実際にあった出来事とされ――。ハルは、命の恩人であるビアンカを探し、永い旅路に出ることになったのだ。
その時の邂逅は、巡り巡って新たな縁となり、百余年以上前にハルとビアンカは“宿命”とされる再会を果たす。
だがしかし――、ハルが再び巡り逢ったビアンカは、彼の命を救った本来のビアンカでは無いという不可思議な現象を生み出していたのだった。
沈思黙考の状態に陥ったビアンカを目にし、ヒロは僅かに小首を傾げる。
「どうかしたの、ビアンカ……?」
心配の色を宿したヒロの声掛けに、ビアンカはハッとした様子を見せて我に返った。そして、ヒロに再び目を向けたかと思うと、ゆるゆるとかぶりを振るう。
「ごめんなさい。色々なお話を聞かせてもらって、ちょっと驚いちゃって……」
まるで取り繕うように言うと、ビアンカは微かに笑みを作る。
かようなビアンカの風情に、ヒロは何か察した様を窺わせるが――。彼は敢えて、ビアンカを問いただしはしなかった。
(――ビアンカは、もしかしてハルが誰を探して旅をしていたのか、知っている……?)
ビアンカの口振りや表情の変化、視線の動きなどから、ヒロは考察する。
(うーん。ハルの探していた人って、そういえば――)
――『俺は人を探している。その人は亜麻色の長い髪に翡翠色の瞳をした、今の俺と同じくらいの見た目の歳の女性だ』
ヒロの脳裏を、いつかのハルの言葉が掠めた。それを思い返したヒロは、はたと視線をビアンカに投げ掛けていた。
ハルが珍しく多弁に語った、彼の探し人である女性。
亜麻色の長い髪に翡翠色の瞳をした、当時のハルと同じ年頃の見目である人物――。
その特徴は、今、ヒロの目の前にいるビアンカの容姿そのものだと。そう彼は気付く。
(ええ……。まさか……)
行き当たった答えに、ヒロは心中で驚愕してしまう。
(これこそ――、理由のある巡り会いの“宿命”ってやつかな。永い時を掛けて巡る“円環の理”に囚われていたってところか……)
そして――、“呪い”が持つ強い力があれば不思議では無いことに思い当たる。それを思い、ヒロは嘆息を吐き出す。
「――ところで、ヒロは“群島諸国大戦”について、開戦当時から知っていて詳しいのね。オヴェリア群島連邦共和国だと、その辺りの話は詳しく聞けるのかしら?」
ビアンカの放った言葉を聞き、ヒロはキョトンとした表情を浮かべて紺碧色の瞳を丸くする。すると次には、眉を寄せ、どこか気恥ずかしげな情態を漂わせた。
「あ、あー……。あのね、ビアンカ。群島の正式名称ってさ。やたら長いし言いにくいし、舌を噛みそうだろう? それに……、僕が何か恥ずかしくなるし……。君も『群島』って言うと良いと思うよ……」
「え……?」
唐突に恥じ入るように言い始めたヒロに、ビアンカは思わず首を傾げてしまう。その表情は、「何を言っているのだろう?」と彼女の胸中を物語っていた。
「それと、“群島諸国大戦”について詳しいのは、当たり前だよ」
「え? え? どういう、こと……?」
ヒロの言うことが理解できずに、ビアンカは更に疑問を投げ掛け、怪訝そうにする。
そうしたビアンカの様子に、ヒロは自分自身を指差す仕草を見せた。
「僕が――、その同盟軍の軍主だからね」
「えっ?!」
思いも掛けないヒロの告白に、ビアンカは肩を跳ね上げて吃驚の声を上げた。
そうしたビアンカの驚いた動向に、ヒロは酸いような笑いで口元を歪める。
「気付いているかと思っていたんだけど、気付いていなかったのかあ。“呪い持ち”なんて、そうそういないから、軍主の話を聞いて僕だって繋げてくれていると思ったのに」
言いながらヒロはくつくつと笑う。そして改めたようにビアンカを見据え、口を動かしていく。
「僕の姓名は、ヒロ・オヴェリア。群島の正式名称が不本意ながら、僕の名前から付けられていてね。誇らしい反面で、恥ずかしくて仕方ないんだよ」
「そ、そうなのね……。他人事みたいに軍主や同盟軍の話をしていたから。全然そんな風に思わなかったわ……」
ビアンカは呆気に取られた様で、思ったことを素直に口にしてしまう。さようなビアンカの正直な物言いに、ヒロは更に可笑しそうにして笑った。
“群島諸国大戦”が同盟軍の勝利で終結した後、オーシア帝国の脅威に晒された――、今までバラバラであった諸国は一つになり、“群島連邦共和国”へと姿を変えた。そうした中で、新たな国の名前は、オーシア帝国を打ち破り同盟軍を勝利へと導いた軍主の功績を称え、その軍主の名から付けられたことをビアンカは知っていた。
しかしながら、まさか『群島諸国の立役者』と称される英雄がヒロであるとは、ビアンカは思ってもみなかった。
(――人は見た目じゃ、分からないものね……)
猶々と目尻に皺を寄せ、人懐こい笑顔で笑うヒロを目にし、ビアンカは内心で嘆息をしつつ本音を吐露するのだった。




