第三十三節 一期一会
青年の発した言葉を聞き、ビアンカは眩暈を起こしそうだった。狼狽え混乱する頭を叱咤し、眉を寄せる。
オヴェリア群島連邦共和国に足を運ぼうと考えた矢先。このような場所で、“喰神の烙印”をビアンカに託した少年――、ハルを知る存在に出会うなどと。ビアンカに考えも及ばなかった。
(まさか……、こんなに早々に――。ハルを知っている人に出会うなんて……)
そこでビアンカはあることに、はたと気付いた。察した事柄にビアンカは、更に眉間の皺を深く寄せてしまう。
(生まれ変わる前のハルが過ごしていたのは、百年以上も前のこと。その彼を知っているということは――、この人って……)
ハルという名の少年がビアンカと共に過ごし、彼女のために自らの命を投げうったのは百余年以上も前の出来事であった。
そして、そのハルを知っているということは――、目の前に立つ青年が十八歳ほどの見目をしているものの、齢三桁は超えているはずだと。
行き当たった事実にビアンカは、青年の左手を見据えた。青年は両の手に、指ぬきの黒い革手袋を嵌めていた。それは、ビアンカの嵌めている革の手袋と同等の重厚感を持つ。
手袋を目にした後――、ビアンカは青年の顔に目を向ける。
さようなビアンカの視線の動きから彼女の旨意を察したのか、青年は左手を自らの顔の傍らに掲げ上げた。そうして、その手の甲をビアンカに見えるように向かせ――、眉をハの字に落としながら、哀愁を感じさせる笑みを表情に浮かす。
(“喰神の烙印”の反応が無いけれど……、この人は――)
このようなことに関して、ビアンカが宿す呪い――、“喰神の烙印”は嬉々として反応を示すだろう。そうビアンカは思っていた。
しかしながら、今まで同様の事態に至ることが無かったため、それはビアンカの心得違いだったようだと彼女は思いなす。
それ故――、ビアンカはことの真相を明らかにするため、青年に疑問を投げ掛けようと口を開く。
「ねえ、あなた。――ハルを知っているということは……」
ビアンカは絞り出すような声で、青年に拙い問いを掛ける。
すると、青年はビアンカが聞きたいことを聡く察しており、頷き示す。
「うん。僕も“呪い持ち”だよ」
返事を発しながら青年は、掲げ上げていた左手をひらひらと振るう。
「やっぱり、そうなのね……。あなたは――」
「ストップッ!!」
青年の言葉を聞き、ビアンカが更なる問いを投げ掛けようとすると――。青年は掲げ上げていた左手の掌をビアンカの眼前に突き出し、彼女の言葉を制した。
青年の行動に、ビアンカは発しかけていた声を噤むと共に、青年の態度に怪訝そうな面持ちを見せる。
「ごめんね。とりあえずさ――、ここで立ち話もなんだし。場所を変えないかな?」
言いながら青年はヘラリと、人当たりの良さそうな印象を与える笑みを作る。かと思うと、周りを気にするように僅かにかぶりを動かした。
「ここじゃ、どこで誰が話を聞いているか分からないし。不敬をしてしまったお詫びもしたいからさ……」
青年は耳打ちをするかのように、小さく囁く。
そうした青年の言動に、ビアンカは自身が不用意な発言を公衆の場でしようとしていたことを察する。
(そういえば、ルシトも前に言っていたわね。“呪い”の力を狙う人たちもいるって……)
かつて、ビアンカにルシトが発した忠告。それをビアンカは思い出す。
“呪い持ち”と呼ばれる存在は、人々に忌み嫌われるもの。それと同時に――、その強大な力を狙う者たちが少なからずいるということを、ルシトは以前ビアンカに語っていたのだった。
それを思い起こしたビアンカは、青年の提案に頷いて返事としていた。
さようなビアンカの頷きを目にし、青年は自身も頷きながら紺碧色の瞳を細める。
「僕の馴染みの店が商業区画にあるから。そこに行こう」
「ええ……」
言葉を発すると共に踵を返す青年に、ビアンカは僅かな警戒心を抱きつつも――。青年の後に続き、歩みを進めていった。
◇◇◇
「おう、ヒロ。久しぶりだな」
青年に案内をされた商業区画の一角にある店に足を運び、店内に足を踏み入れた途端に店主だと思われる恰幅の良い男に声を掛けられた。
その店主の声掛けに、ヒロと呼ばれた青年は満面の笑みを見せる。
「久しぶりに本島に上がってきたよ。ずっと人気の無いところにいると、その内にカメノテにでもたかられちゃいそうだしね」
青年――、ヒロは冗談を入り混じらせ、カラカラと笑う。
(陸……? カメノテ……?)
ビアンカは、ヒロの発する言葉の数々が理解できない様相を見せ、首を捻っていた。
不思議そうにしているビアンカに気付いたのか、店主はビアンカに視線を向け、目を丸くして驚嘆の表情を一瞬浮かせる。
「今日はまた――、随分と可愛らしいお嬢さんを連れているじゃないか?」
「うん。さっき声を掛けて、引っ掛けてきちゃった」
店主の驚いた色を感じさせる声に、ヒロは愉快そうな声音で答える。
かようなヒロの言葉に――、ビアンカの眉間に深い皺が寄る。そして、険悪感を隠さない眼差しを、ヒロの背に向けていた。
「ヒロ……。後ろのお嬢さん、怖い顔してんぞ……」
ビアンカの慨嘆の表情に気付いた店主が、ヒロに苦笑混じりに警告の言葉を放つ。
その店主の言葉に、ヒロは慌てを含んだ顔色を面差しに宿し、ビアンカに向き直った。
「んあっ?! そ、そんなに警戒しなくて良いから……っ!! 僕は群島の男だからねっ。女性は大事にするって決めているんだ……っ!!」
矢継ぎ早に弁解を発するヒロに、ビアンカは言っていることを解せないという面持ちを見せ、首を振るう。
「ちょっと……、何を言っているのか、分からないわ。もし、からかうつもりで連れて来たって言うなら。――私、怒るわよ」
「ほ、ほほ、本当に、やましいこととか無いからっ!!」
尚も焦燥した面様で申し開きの態度を見せるヒロに、ビアンカは警戒心を抱いた翡翠色の瞳を向ける。
そのような二人のやり取りを目にしていた店主が――、大げさな嘆声を上げていた。その溜息は、どこか「いつものこと」という含みをビアンカに窺わせた。
「なあ、ヒロ。本島の人間にお前さんの信条を話しても、通じないぞ。その考えは――、古臭いって群島でも言われているくらいじゃないか」
「うう……」
追い打ちのように放たれる店主の言葉。それにヒロは項垂れてしまう。
「悪いね、お嬢さん。こいつの言っていること、意味不明だろう?」
今度はビアンカに向き直り、店主は言う。その言葉に、ビアンカは頷いて賛同を表す。
ビアンカが頷きという形で素直な返事をしたことで、店主は可笑しそうに笑いを零した。
「まあ、勘弁してやってくれ。こいつは群島の古い風習を大事にしたいってんで、ちっとばかり思考が錆び付いていて頭が弱いんだ。悪い奴じゃ無いってのは、俺が保証すっから」
「古い風習?」
店主の口上を聞き、ビアンカは首を傾げて聞き返す。すると店主は然りの頷きを見せる。
「群島で女っていうのは大事にされる存在だった。『海は全ての命を生み出した母なるもの』――っていう、群島で古くから考えられている信念があってな。『女は命を生み出すもの。母なる海と同等の尊い存在である。それ故に敬い、大切に扱え』って言われてきていたんだ」
「へえ……」
店主の話を聞き、ビアンカは感心したような声を漏らす。
オヴェリア群島連邦共和国は独特な風習が根付いていると聞いてはいたものの、そのような信念を持っているということをビアンカは初めて耳にした。
「まあ、今じゃあ群島の女も強くなってきて廃れた考え方だけど。こいつは未だにそれを引きずってやがる」
そう言うと、店主は視線で未だに項垂れているヒロを示す。
「別に女ったらしってわけじゃ無いから、安心すると良い」
最後の最後に救済するような物言いを口にして、店主はくつくつと笑う。そうした言葉に、ビアンカは苦笑いを表情に浮かべていた。
それによってヒロは――、項垂れていた首を上げた。その顔色には、どこか気恥ずかしげなものを纏わせる。
「と、とりあえず――、納得してくれたよねっ!!」
突として声を荒げ、ヒロはビアンカに詰め寄る。ヒロの行動にビアンカは翡翠色の瞳を丸くし、驚いた様を見せるが――。次には苦笑いを再度表情に浮かしながら頷く。
(なんて言うかな。気さくな感じなんだけれど、考えが理解しにくい人ね。この人……)
ヒロに詰め寄られ、ビアンカは内心で本音を吐露する。
だが、ヒロはビアンカの心中など露知らず。安堵の情態を明示していた。
「そうしたら、いつもみたいに奥の間を借りるからね。今日はこの子の人生相談をするって決めて連れて来たんだから」
大げさな身振りを表しヒロは口にした。それに対し、店主は仕方なさそうに笑った。
「はいよ。ほんと、ヒロはお節介が好きなんだからな」
「お節介じゃありませんっ! 悩める若者に手を差し伸べるのが好きなだけですっ!!」
ヒロの言明に「それをお節介というんだろ」、と。そう言いたげにする店主を差し置いて、ヒロは勝手知ったる様子でビアンカを店の奥に案内していくのだった。




