第二十七節 ハルの正体
ルシトから魔力を分け与えられるという荒療治で――、ビアンカの宿す“喰神の烙印”の呪いが持つ、宿主を癒す力を向上させる手技が、滞りなく執り行われた。
魔力の殆どを使い切り、ルシトは疲れた様子を漂わせ「はぁ……」と、重苦しい溜息を吐き出す。
「ルシト、大丈夫……?」
そうしたルシトの状態を目にし、ビアンカは心配げに声を掛ける。すると、ルシトは黙したまま、静かに頷く。
ルシトは“世界と物語の紡ぐ者”と呼ばれる存在が、自身の膨大な魔力を持て余した末に、魔力を分け与えるという形で創り出した存在である。
さような存在であるルシトは、魂というものを持たず、魔力自体を自身の命の源として活動をする。そのルシトが魔力を枯渇させる事態になれば、それは彼にとって“死”へと直結するのだった。
そのことをビアンカは了しているため、最悪の事態を危惧し――。ルシトに無理をさせてしまったと、そう思わずにはいられなかった。
「――やっぱり、完全に“喰神の烙印”の魔力を回復させるのは、難しいな……」
ルシトはうんざりとしたような声を漏らし、灰色の髪を掻き上げる仕草を見せる。
「“喰神の烙印”みたいな食い意地のはった呪い相手だと、僕一人の魔力じゃ心許なかったか……」
ルシトは疲れの混じる声音で、“喰神の烙印”に対しての悪態を呟く。
ルシトの甚だしい魔力を持ってしても、“喰神の烙印”へ魂を喰わせるという所業以外の方法で、魔力を補填しきることができなかった。
それほどまでに、底の知れない魔力を有していたのであろう“喰神の烙印”本来の力を思い、ルシトは憂慮な意中を抱く。
「でも、魔力を分けてもらって――、足が重苦しい感じだったのが治まったわ。これで予定していたより、怪我が治るのが早くなると思うし。助かっちゃった」
ルシトが治療として行った魔力を分け与えるという行為は――、“喰神の烙印”が本来持つべき魔力の値にすると、恐らくは半分回復した程度であろう。
ビアンカは、それを“喰神の烙印”の気配から窺い知ることができたが、ルシトを気遣い、労いの言葉を口にする。
「無理をさせちゃって、ごめんなさい。それと、ありがとう――」
そんなビアンカの謝罪と礼の言葉に、ルシトは軽く鼻で笑う様を見せた。
「いや。僕こそ、力足らずで。悪かった」
言いながらルシトは、ビアンカが上体を起こし座り込んでいるベッドの端に腰を掛ける。そして、余程疲れたのだろう。また一つ、溜息を吐き出していた。
「本当だったら、ルシアも連れてきたいところだったんだけれど……」
「ルシトのお姉さんの……?」
不意にルシトが零した言葉を聞きつけ、ビアンカが問うとルシトは頷く。
「ルシアと僕は、“世界と物語の紡ぐ者”に双子の姉弟として創られた存在だ。そして、属性は違えども、互いに同等の魔力を有している。だから、それを分け合って、いざという時に互いの命の源になる魔力を補い合うことができる」
そこまで言うと、ルシトは言葉を区切る。そうして、「だけれど――」と、思案をする様を窺わせた。
「――きっと、ルシアとあんたが会ったら、喧嘩になる……」
「え? 喧嘩?」
出し抜けなルシトの発した言葉の内容に、ビアンカは思わず聞き返しをしてしまう。
するとルシトはビアンカに赤い瞳を向け、微かに苦笑いを表情に浮かした。
「あいつの“死生観”は独特過ぎて、“喰神の烙印”が持つ性質を――、快く思っているんだ」
「どういうこと……?」
ルシトの言う、彼の双子の姉――、ルシアの思考が推し量れず、ビアンカは不思議そうに首を傾げる。
ルシトは眉間に皺を寄せ一顧し、そのビアンカの問いに答えるべく、口を開いた。
「――『“死”は人間にとって、真なる救い。穢れた魂を清め、新たな“生”を受けるために必要なもの』。これを聞いて、あんたはどう思う?」
「……気が合いそうに無いわね」
「だろう? だから、連れて来なくて正解だったってわけ」
ビアンカが眉を顰め、嫌そうな顔を見せたことで、ルシトは予想通りだといった風体を見せる。
「この台詞を“群島諸国大戦”の時に、ルシアがハルの奴に言った。それで、あいつとルシアは大喧嘩をしているんだ」
「ええ?! ハルと……?!」
“群島諸国大戦”は、およそ四百年以上前に起きた――、今はオヴェリア群島連邦共和国と呼ばれる小さな島国が集まり一つの国となっている地域で勃発した、大きな戦争だった。
そして、当時“喰神の烙印”を宿していた少年、ハルと、ルシト。その双子の姉であるルシアは、共にその“群島諸国大戦”で勝利を収めた同盟軍に身を置いていた。
「ハルと大喧嘩をするって……。そんなに嫌な人なの……?」
ビアンカの知るハルという名の少年は、気さくで人当たりの良い優しい性格の持ち主だった。その彼と大喧嘩をする結果を作ったルシアという存在に、ビアンカは『嫌な人』という印象を持ってしまう。
「前に言ったかも知れないけれど、“群島諸国大戦”当時のハルの奴は荒れていたからね。――“喰神の烙印”は喰らった魂を手放さず、“餌”とする。それをルシアは、『穢れた魂をこの世に出させないという、素晴らしい救いの方法だ』って、あいつに面と向かって言ったんだよ」
「あー……。それ、きっと私も言われたら……、怒る、かなあ……」
ルシトの話を聞き、ビアンカは呆れ混じりの嘆息を漏らす。
ビアンカにも、ルシアの放った言葉が、“喰神の烙印”の呪いが持つ性質を良く知るハルの逆鱗に触れるであろうことは、容易に想像が付いた。
恐らくは、ビアンカも同様の言葉を面と向かって言われれば、正気ではいられないだろうと思う。
「そういえば――。ルシトに一つ、聞きたいことがあったんだわ」
そこでビアンカは、はたと思い出したように口にする。
不意に話題を変えるようにビアンカが発した声に、ルシトは「何だ?」と言いたげな面差しをビアンカに見せた。
「彼――。今のハルは、何で“喰神の烙印”でも魂の気配を上手く察せられなかったの……?」
それはビアンカが、ハルという名の青年に魂の気配を感じないと。そう勘付いた時から抱いていた疑念であった。
普段であれば、ビアンカは人間の魂の気配に聡い。だが、ハルの魂はその気配を察することができず、“喰神の烙印”の痣が刻まれる左手で触れて、初めて感じ取ることができるものだった。
そのビアンカの疑問を聞き、ルシトは「ああ……」と小さく呟いた。
「あいつは――。生まれながらにして、強い魔力を有した存在だったんだ。だけれど、何故だか、魔力を魔法として扱う才能を持っていなかった」
ルシトは赤い瞳を細め、ハルについてを語る。
「ハルの魂の気配は、類稀なる強大な魔力と混じり合い、元の魂の気配を魔力が覆い隠していて察しきれなかった。だから、僕も――、あいつがあのハルだと確信が持てなかったんだ」
「だから、あの時……。私に『あんた自身が確かめること』――って、言ったのね?」
「魂の気配を察することについては、僕なんかより、あんたの方が敏感だろう?」
ビアンカの言葉にルシトは頷くと共に、問いに対して答える。
「まあ……、そうだけど。でも、何でハルはそんな強い力を持っているの?」
更なるビアンカの問いに、ルシトは考える様子を窺わす。そして「これは、僕の考えなんだけれど……」と、一つ前置きを口にし、話を続けていく。
「強い魔力を有しているのは。恐らく――、六百年以上もの永い時に渡って“喰神の烙印”の宿主として、呪いの持つ魔力に魂が触れていたことによる副産物……、みたいなものなんじゃないかと思う」
「確かに、“喰神の烙印”の持つ魔力は計り知れないものだけれど。そんなことって、あるの……?」
ルシトの話した内容に、眉を寄せビアンカは尚も問う。そうしたビアンカの質問攻めに、ルシトは嫌な顔を浮かべもせず、応えてやっていた。
「――そもそもが。そんなに永い時を、“喰神の烙印”を宿したままの者は存在しなかった。歴代の“始祖”たちは、百年保つか保たないかで精神に疲弊を来し、“始祖”の座を継承させている」
そこまで口にするとルシトは、ビアンカから視線を外し、腕を組む仕草を取った。
「あんただって――、目的も無く“喰神の烙印”を宿したまま、っていうのは。精神的にきついだろ?」
「そう、ね……」
“喰神の烙印”が持つ性質。“身近な者たちに不幸を撒き散らし、死に至らしめる”という呪い。
さような性質を持つ呪いを身に宿したまま、目的も無く生活しろと言われれば、ビアンカでさえ正常な精神ではいられないだろうと思いなす。
「それに。――“喰神の烙印”を宿していた、元“始祖”が生まれ変わりをすること自体、あり得ないことなんだよ……」
「え……?!」
「“喰神の烙印”の歴代の“始祖”は――、“継承の儀”を行って“呪い持ち”という存在でなくなっても。死んだ後は、呪いに魂を喰われる運命にあるんだ」
ルシトの放った言葉。それを聞いたビアンカは、唖然とした表情を浮かべていた。




