第二十六節 合縁奇縁
ビアンカがハルの家で世話になり始め、一週間が過ぎた――。
ハルが暮らす家は、旧住宅街の一角にあった。ハルが独りで暮らしているので然程大きな家では無く、客を迎えて泊まらせることも想定していない故に、客間のような部屋も存在しなかった。
そのため、ビアンカはハルが寝室としている部屋を借り、占領するという形でハルの家で過ごすこととなっていたのだった。
この一週間は、入れ替わり立ち代わりで、ビアンカを見舞いに来る者が多かった。
アインやシフォン、ロランが賑やかさを連れて見舞いと称して遊びに来ることもあれば、イヴが心配をして差し入れの料理を作り訪れていた。更にそこへ、ニコラスが弟子であるティアラと助手のアンナを引き連れ、ビアンカの怪我の様子を看に往診に赴き――、と。目まぐるしく、エレン王国で知り合った者たちがビアンカの元に訪問してきた。
そして、ハルは――。初めの三日間ほどは、自警団の仕事が休めないということで、ビアンカを家に残して仕事に出ていたが、残りの日数は「有給休暇をもぎ取ってきた」と言い、今はビアンカと共に家に居る。
ハルは献身的にビアンカの世話を焼き、足の怪我で大して動けずに暇を持て余しているビアンカの話し相手になり――、互いに穏やかな時間を過ごしていた。
そんな日々を過ごした、ある日の昼下がり――。
足の骨折も未だに癒えず、ニコラスが手配すると言っていた治療の適任者も訪れないため、ビアンカは松葉杖を借りてはいるものの、自身で動くことが億劫だと感じていた。だので極力動かず、ハルの寝室に置かれたベッドで惰眠を貪って過ごす。
そのビアンカの耳に部屋の扉を叩く音が聞こえ――、伏した瞳を縁取る長い亜麻色の睫毛をふるりと震わせ、彼女は目を覚ました。
「――ビアンカ。起きているか? あんたに客が来たぞ?」
「……客?」
ビアンカが寝起きの声で返事を口にし、ベッドの上で上体を起こすと――、それと同時に部屋の扉が開かれる。
扉を開き部屋に入ってきたハルの背後には、ビアンカにとって見覚えのある少年が立っていた。
ハルと共に部屋に訪れた少年を目にして、ビアンカは翡翠色の瞳を丸くする。
「ルシト……?」
ハルの後ろに控え立ち、彼が『客』だと言った人物は――、ルシトだった。
ルシトはビアンカを見て早々に、赤い瞳を細め、嘆声を漏らす。
「――やあ。また厄介事を起こしてくれたね?」
ルシトは開口一番に言う。そのルシトの言葉に、ビアンカはムッとした表情を浮かべてしまう。
「厄介事って……。私、別にルシトには迷惑なんか掛けていないわよ……?」
唇を尖らせ、不服げにする様を見せたビアンカに、ルシトは再三の嘆息を吐き出した。そのルシトの面持ちは、「何も分かっていないのか」と、そう言いたげにしている。
「あのね。僕――、ニコラスに頼まれたから、わざわざ来たんだけど?」
「え……?」
「ワケアリな怪我人の治療」
ルシトが口にした言葉を聞き、ビアンカは、はたと納得した様子を窺わせた。
「じゃあ、ルシトがニコラス先生の言っていた『治療に関する適任者』なの……?」
「そういうことだね」
ビアンカが納得した様を見せて口にすると、ルシトは微かに口角を上げた笑みを作る。
「それより、あんたさ。頭、ぼさぼさだけど。何とかならないの?」
「う……。今まで寝ていたんだもん。仕方ないじゃない……っ!」
ルシトはベッドに腰掛けるビアンカの有様を見て、失笑を零す。
ビアンカの亜麻色の長い髪は、いつもであれば一括りにされて纏められているのだが――。今までビアンカは眠っていたために髪を解いており、見事なほど乱れていたのだった。
そのことをルシトに指摘され、ビアンカは憤慨の声を荒げると共に、ベッドサイドに置かれた髪留めを手に取り、そそくさと手櫛で髪を梳いたかと思うと、纏めて簡易的に結ぶ。
そうしたビアンカの態度に、ルシトは可笑しげに肩を震わせて笑う。
「――ビアンカとルシトは、顔見知りなのか……?」
嫌味とそれに対する返しの応酬をするルシトとビアンカを目にして、ハルはどこか面白く無さげな表情を微かに浮かせていた。
それを見たルシトは、ハルに視線を投げ掛けると、鼻で笑う様を呈する。
「何? 嫉妬でもしているの?」
「な……っ?!」
唐突なルシトの言葉。それに、ハルは焦りの色を今度は表情に顕わにして、絶句してしまう。
さようなハルの反応に、ルシトは嘲る顔付きを見せていた。
「大の大人で、しかも男の嫉妬は――。見苦しいよ?」
立て続けにルシトの放つ言葉に、ハルは二の句が出ない情態を晒す。そのハルが面差しに、徐々にだが不機嫌さを帯びていくのが、黙して見守っているビアンカにも分かった。
「安心しなよ。僕とこいつは、ただの“腐れ縁”だから。あんたの考えているような、そういうのじゃないからね」
「――お前……。本当に可愛くない奴だよな……」
絞り出すような、怒りを含んだ声をハルは漏らす。だが、そうしたハルの怒りを剥き出しにした声音にも臆さず、ルシトは尚も嘲笑する。
「あんたに可愛いとか思われたくないから、そう思ってもらっていて構わないよ。そもそも、可愛いとか思われたら――、気持ち悪すぎて反吐が出る」
「ちょっと……、ルシト……」
このまま押し黙って見ていては喧嘩になり兼ねない――、と。ビアンカが遂に静止の声をルシトに投げ掛けようとすると、ルシトがビアンカに赤い瞳を向け、反対にそれを制した。
ビアンカの言葉を押し留めさせたルシトは、再び視線をハルに向け、大げさな溜息を漏らす。
「――っていうかさ。ここの家主は客人に対して、持て成しの一つもできないわけ?」
更にルシトが嫌味の言葉を投げ掛けると、ハルは不機嫌な様相を一層醸し出す。――かと思うと、舌打ちを一つ零し、踵を返すと大股で部屋を後にしていった。
ハルが部屋を退出し、次には――、ハルの機嫌の悪さを顕著にしたような、扉を激しく閉める音が部屋に響く。
「ルシト……、ちょっと嫌な風に言いすぎ……。部屋を外していてほしいなら、そう言わないと……」
ルシトとハルのやり取りに、口を挟めずに噤む結果となっていたビアンカは、ルシトを諭すように言う。
ビアンカがルシトの言葉を静止させようとした際、ルシトがビアンカに視線を投げ掛けて制したことの意図を――、ビアンカは聡く察し、押し黙っていたのだった。
「良いんだよ。そもそも、僕は――。あいつが好きじゃない」
「いや。好きとか嫌いとかじゃなくてね……」
ルシトらしい風体の返しに、ビアンカは呆れ混じりに苦笑いを浮かべる。
「あいつの真の正体も分かったら。何か、無性にからかってやりたくなってね」
言うとルシトは、悪戯げに笑みを見せる。その笑みは、ハルに対して取った行動を一切反省していない様子をビアンカに悟らせ、彼女に深い溜息を吐かせていた。
ルシトも――、ハルの前世である、彼と同じ名の少年を知っている。そして、その時の少年、ハルとルシトは折り合いが悪かったこともあり、生まれ変わりの存在であるハルにも、その正体が分かった途端に、同様の態度を取ろうと心に決めて訪れていたのであった。
「まあ、とりあえず。邪魔者は居なくなったところで、治療を始めようか……?」
ルシトがシレッと口にした言葉に、ビアンカは「邪魔者って……」――、と内心で嘆息する。
しかしながら、治療をしてもらわなければという思いがあり、気を取り直し、ビアンカは翡翠色の瞳でルシトを見据えていた。
「治療って、どうするの? 癒しの魔法を使う、とか?」
そんなビアンカの問いに、ルシトは首を振るった。そのルシトの反応に、ビアンカは「違うのか」と言いたげに小首を傾げた。
「“呪い持ち”たちは、魔法に対する耐性が強いから。治癒魔法でさえ、それほど効果を望めないんだ。――だから、魔力を直接“呪いの烙印”自体に分け与えて、“呪い”が本来持つ宿主を癒す能力を向上させる方法を取る」
「そ、そんなことをして、大丈夫なの……?」
思いも掛けていなかった治療方法に、ビアンカは驚愕の様を面持ちに見せる。
ビアンカの言葉に――、ルシトは一巡考える様を漂わせ、何かを言い淀む。かような印象をルシトの態度は、ビアンカに察し付かせるのだった。




