第二十五節 告白
ビアンカの話を聞き、腑に落ちた様子を窺わせていたハルは――、黙したまま再び歩みを進め始める。ハルの面持ちは、何かを考える色を浮かせていた。
「――実はな。俺も、ビアンカの名前を初めて聞いた時や、あんたの姿を見ていてさ。初めて会った気がしないなって。ずっと思っていたんだ」
足を動かしながら、ハルはぽつりぽつりと。静かに語り始める。
「聞き覚えのあるような名前。見覚えのあるような顔。――だから、気になって仕方が無かった……」
「そう、なの……?」
ハルの紡ぐ言葉を聞き、ビアンカはハルの肩口に伏していた顔を上げ、意外そうな声音で問いを投げ掛ける。
ビアンカの問いに、ハルは小さく頷いた。
「でも――。そういうことなら、何となく腑に落ちるっていうかさ。俺の抱いていた感情に、間違いは無かったんだなって。そう実感したよ」
「ハルは、私の言ったことを信じて……、くれるの……?」
ハルが、自分自身の語った話を信じている口振りで返してきたことに、ビアンカは驚いた様相を見せていた。
まさか信じてくれるとは思っていなかった――、と。ビアンカの表情は物語る。
「ああ……。色々と、思い当たる節がな。沢山あるんだ……」
言いながらハルは、赤茶色の瞳を微かに細める。その仕草は、彼の言う『思い当たる節』というものを思い返している。さような雰囲気を醸し出す。
「俺が旅をしていたっていうのもさ。誰か探さないといけない人がいるって。そんな気がしていたっていう、凄く曖昧で変な理由だったんだよ」
そう言うと、ハルは自身を嘲笑するように笑いを零す。
ハルは十代半ばほどの頃に生まれ故郷を出て、“旅人”として各地を巡る旅をしていた過去を持つ。
その旅に出ようと思い至った理由は、ハルが口にしたような――、他人には決して理解できないであろう至極茫々たるものだった。
「それは……、ハルが昔から気になっていたこと、だった……?」
再三のビアンカの問いに、ハルは如何にもと言いたげに頷く。
「俺、ガキの頃からさ。誰かと、また逢う約束をしていた気がしていたんだ。まだ二桁の年齢にもなっていない頃から、そう思っていて。凄く不思議に思っていた」
ハルは細めた瞳で遠くを見据える。その眼差しは、今まで不可思議な感情に苛まれていた自身の心中の確たる理由を知り得て、胸のつかえが取れた印象を漂わせていた。
「その逢う約束をしていた相手が誰だったか、思い出せなくて――。本当に実在する人物だったのかとか。ずっとモヤモヤとした気持ちを抱いて旅を続けて……」
そこでハルは、はたと言葉を区切った。そうして、一巡思慮するように押し黙り――、次にはまた口を開く。
「――旅を続けている途中でさ。俺、あんたと同じ“呪い持ち”に会ったことがあるんだ」
「え……?!」
思い掛けないハルの言葉に、ビアンカは驚きから声を上げる。
“呪い持ち”と呼ばれる存在は――、忌み嫌われる強い力を有するため、人目を避けて隠れ暮らす者が多いと、そうビアンカは認識していた。ビアンカでさえ、百余年を超える旅の中で、自身と同じような“呪い持ち”に出くわしたことは無かった。
それ故に、ハルが過去に“呪い持ち”である人物に出会っていたという事実に、驚愕してしまう。
「その“呪い持ち”に、そのことを話したら――。『それはきっと、理由のある巡り会いの“宿命”を意味することだから。前を見据えて進むと良い』って言われてな。流石、齢三桁の年寄りが言うことは感性が違って意味不明だなって、その時は笑っちまったけど……」
ハルが旅の最中で出会った“呪い持ち”である人物は、自身の抱く不可解な感情に対し、諭しの言葉を口にしていた。ハルが思うに、その人物が語った言葉は、永い時を生き続けた中で多くの人間を目にし悟った事柄を、敢えて抽象的に話したものなのだろうと考えていた。
「――“宿命”……」
ビアンカはハルが言う、彼の出会った“呪い持ち”が口にした言葉の一部を反覆する。
――『“宿命”というのは『宿して生まれるもの』だ。これは生まれる前から決まっているもので――、決して変えることのできないものと言われている』
いつかルシトがビアンカに語った言葉が、彼女の脳裏を掠めた。
(これが“宿命”だとするなら……。この人――、生まれ変わったハルは、私と出会うことを、生まれる前から決められていた……?)
その考えに思い至り、ビアンカは微かに眉を寄せる。
「まあ、そんな良く分からない諭しの言葉をそいつから賜りまして。気付いたら――、エレン王国に流れ着いていてさ。んで、この国に来て、ここで待っていれば逢えるんじゃないかっていう。確約も無い確証が湧いてきてな」
ビアンカが異なる出来事に不穏を感じていることに気付かず、ハルは言葉を続け、笑う。
(エレン王国でハルに巡り会えたのは、“運命”じゃなくて。彼が生まれ変わって、再びこの世に生を受けた時から決められた“宿命”だった――、ということなの?)
ハルが話していった内容を聞き、ビアンカはそう考えを及ぼしていた。
エレン王国で、生まれ変わったハルとビアンカは、出会うべきして出会った――。
さように考えれば、ビアンカ自身がエレン王国を訪れようと思い付いたことにも、納得ができるものがあった。
「俺さ――。ビアンカ。あんたのこと、好きだぜ」
「へ……?」
気付くと歩みを再び止めて立ち止まったハルが、不意にそう告げる。それを聞き、ビアンカは吃驚から拍子抜けしたような声を漏らす。
そうしたビアンカの間の抜けた返しに、ハルはくつくつと笑い始めた。
「いや。この歳になって、恥ずかしながら――、一目惚れだ。それまでは、ずっと女性に興味なんか無くてさ。散々、ロランの奴とかにからかわれたりしていたんだけれど……」
ハルには付き合った女性がいないわけでは無かった。だけれども、その女性たちの中には――、ハルの中で「何かが違う」という心情を覚えさせ、深く踏み込んだ付き合いへと続く者はいなかったのである。
しかしながら――、ビアンカを目にしたハルは、彼女に対し一つの心緒を受けていた。
「俺、あんたを一目見て、『ああ、この子が現れるのを待っていたんだ』って。そう思った」
「でも――、私とハルは……。寿命の永さが違うから。一緒にはいられないの……」
ハルの唐突な告白に対し、ビアンカは再び声音に哀愁の色を纏わせ――、互いにとって残酷ともいえる言葉を口にした。
「一緒にいられる今だけは……、傍にいてくれないか? あんたの怪我が治って……。また、あんたが旅に出るまでの間だけでも良い……」
ビアンカの言葉を素直に受け取り、ハルは優しい声音でそれに返していた。そうしたハルの返答に、ビアンカは声を詰まらせる。
「俺は、いつかまた……。ビアンカ――、あんたを置いて逝ってしまうだろう。だけれど、きっとさ。生まれ変わる前に約束した通りに、“ずっと一緒にいられる存在” に生まれ変わるよ」
優しくハルが口にした言葉を聞き、ビアンカは肩を震わせて反応を示していた。そのビアンカの反応に、ハルは微かに笑う。
「その約束は……」
「ああ……。“魂の解放の儀”が終わった後に、あんたと前の俺が約束した言葉だな……」
ハルは言いながら、苦笑いを浮かべていた。
ビアンカと話をしている内に――、ハルは朧気ながらも、幾つかの前世での記憶を呼び覚ましていたのだった。
その中でハルは、生まれ変わる前にビアンカと約束していた言葉を思い出し、紡ぎ出していた。
「ビアンカには、また辛い思いをさせてしまうけれど……。俺も、あんたと前の俺が交わした約束を守るよ」
言葉を失ったように押し黙ったビアンカに、ハルは憂いを帯びた声音で語り掛ける。
――いつか俺は、ビアンカを置いて逝ってしまう。また、こいつに悲しい思いをさせてしまう……。
ハルは心中で思い馳せる。そのことは、抗いようの無い決まってしまっている出来事となる。それにビアンカが絶望を感じないように、ハルは彼女に紡ぐべき言葉を選び取っていく。
「この約束は、“優しい嘘”にはしない。だから――、諦めないで、前を向いて歩み続けてくれないか……?」
ハルは微かに首を捻り、背負うビアンカに赤茶色の瞳を向ける。その眼差しは真摯の色を宿し、ビアンカとの新たな約束を守るという決意を窺わせていた。
そのハルの言葉と眼差しに、ビアンカは眉をハの字に落とし、困ったような笑みを見せながら頷いた。
「私、あなたが普通の人間としての一生を全うできるように……。あなたから受け継いだ“喰神の烙印”の力を使うわ。前は守ってもらってばかりだったけれど、今度は、私がハルのことを守りたい」
自身を背負うハルの前に左手を伸ばし、“喰神の烙印”の痣が露わになっている左手の甲を示し、ビアンカは覇気を持った声音で言う。
「はは。そりゃ、頼もしいな。頼りにしているぜ」
ビアンカの宣言を聞き、ハルは微笑む。
このハルの生まれ変わりである青年が、普通の人間として安寧に人生を全うできるように――。
そのために自身が宿す“喰神の烙印”の持つ力を使おうと。ビアンカは決意を固めるのだった。




