第二十二節 “貪欲”を冠するもの
“呪い”に関する真相の話を聞き、押し黙り考え込んでいたビアンカを、ニコラスは赤紫色の瞳を細めて見据える。
ニコラスの視線は――、ビアンカの左手の甲に刻まれる“喰神の烙印”の痣に向けられていた。
「ビアンカ――、と言ったな」
ニコラスに唐突に名を呼ばれ、ビアンカは我に返った様子で、考え事をして伏していた瞳を上げる。
「お前の宿す“呪い”は――。“聖魔戦争”の際に、魔族の中でも特に強い魔力を有していた“七魔将”と呼ばれる存在が残したものだ」
「“七魔将”……?」
聞いたことの無い名称に、ビアンカは首を傾げる。
ニコラスは――、そうしたビアンカの疑問に応えるように頷き、言葉を続けていく。
「世界を救ったと言われている人間の中に、“十英雄”と呼ばれる者たちがいるだろう。それと敵対する立場にいた――、魔族たちを統率する将を担う者たちの呼び名だ」
“聖魔戦争”という魔族との争いで、勝利を収めた人間側の希望とされていた勇者たち。“十英雄”と呼ばれている者たちの物語の数々は、ビアンカも了していた。しかし、その“十英雄”と対峙する者たちが魔族側に存在したことは――、ビアンカは知らなかった。
恐らくは、先にニコラスの口にした、『人間に都合の良いように解釈されて伝わっている』という言葉から、敢えて人間たちが隠してきた存在なのだろうと。ビアンカは推し量る。
「お前の宿す“呪い”は――。今、この世に存在する“呪い”の中で、最も厄介とされているものだ……」
ニコラスが嘆息混じりに発した言葉。それに、ビアンカは眉を寄せた。
「それって、どういうこと……?」
「その呪いの大本は、“七魔将”の一人――。“貪欲”の名を冠し、“聖魔戦争”の折には多くの人間を殺め、その魂を貪ったとされる。それ故に、そいつの遺した“呪い”も、同様に人間を死に追いやり、魂を貪り喰らう」
ニコラスは、ビアンカの左手の甲に刻まれる“呪い”の証である痣――、“烙印”の正体を、一目見て気付いていた。
「“喰神”という呼称も、その“貪欲”の名を冠していた“七魔将”の二つ名だ。至極好戦的であり、人間の魂を自らの“餌”として見ていたと言われている」
「それは――。この子の性質と、全く同じ……」
ビアンカは、ニコラスの語る話の内容の数々に思うものがあり――、自らの左手を掲げ上げる。そして、その左手の甲に刻まれる“喰神の烙印”の痣を、翡翠色の瞳に困惑の色を宿して見据えていた。
(――あなたは、そんなにも危険な存在が遺したものだったの……?)
左手を見つめ、ビアンカは心中で“喰神の烙印”に語り掛ける。
ビアンカの問いに対し、“喰神の烙印”は、微かな蠢きを持ってして――、まるで答えるような気配をビアンカに感じさせた。
“喰神の烙印”の呼応する様に、ビアンカは眉間に皺を寄せる。
そうした、ビアンカと“喰神の烙印”の状況を目にし、ニコラスは嘆息を一つ漏らす。
「その呪いは、一番初めに呪いを受けることとなった者――。“始祖”と呼ばれた人間によって、人知れずに隠されて存在してきたもののはずだ」
ニコラスはビアンカを見据えたまま、静かに言う。
「“喰神の烙印”と呼ばれ、最も畏怖される呪いを、何故お前が宿し――、持ち歩いている……?」
ニコラスの発した疑問。それは、本来であればその性質故に、人間たちから離れ隠されて存在していたはずの“喰神の烙印”という呪いをビアンカが宿し、旅をしているということに対しての疑問であった。
さようなニコラスの問いに、ビアンカは左手の甲を右手で包むように握り、鳩尾辺りに寄せる。
「これは――。ずっと昔に……、いつも傍にいて、私を守ってくれていた男の子から受け継いだものなの……」
それを語るビアンカの面差しは、右手で包み込んだ左手の甲。――そこに刻まれる“喰神の烙印”を慈しむようなものを浮かべていた。
「後で知ったことなのだけれど、その人は“喰神の烙印”の呪いを伝承していた隠れ里の“始祖”の立場にいた。だけれど――、彼なりの理由があって、隠れ里を飛び出して……、私に出会った……」
ほんの少し、真実を隠しながら――。ビアンカは、自身に“喰神の烙印”の呪いを継承させた少年、ハルのことをニコラスに話していく。
ビアンカに“喰神の烙印”を託したハルという名の少年は――、とある女性を探すため、“喰神の烙印”を伝承する隠れ里の“始祖”という立場を捨てて里を出てきていた。
そうして――、それはそうなることを“宿命”付けられた出来事によって、ハルとビアンカは出会い、ビアンカに“喰神の烙印”を継承させるに至る一つの事件を起こした。
「その人は――、ある国で起こった内乱に巻き込まれ、大怪我を負って死ぬはずだった私を助けるために。自らの魂を賭して、この呪いを私に継承させた」
百余年ほど前に起こった、ビアンカの生まれ故郷であるリベリア公国の反王政派による内乱。その最中でビアンカは、王政派の家系――、リベリア公国に仕える将軍家の娘だったため、反王政派の反乱者たちに命を狙われた。
その時の内乱でビアンカは弓で背を射られ、死の淵に立たされていた。そんな彼女を救ったのが――。当時“喰神の烙印”を宿していた少年、ハルだった。
「その人のお陰で私は命を救われたけれど――。彼は……」
ハルは“喰神の烙印”の呪いが持つ特性。宿主を不老不死にする力でビアンカを救うため、半ば無理矢理、彼女に“喰神の烙印”を継承させた。
だが、“喰神の烙印”の継承には、生贄となる魂が必要となる。そこでハルが取った行動は――、自らの魂を生贄として“喰神の烙印”に捧げるという所業だったのだ。
ビアンカの語っていった話の内容に――、ニコラスは納得の様相を窺わせる。
「そうすると、お前は“喰神の烙印”の真なる性質を知らないまま、“始祖”から呪いを継承した、ということか……」
ニコラスの言葉に、ビアンカは然りの頷きを示す。
本来であれば、“喰神の烙印”の呪いは、その呪いを伝承する隠れ里の者――。継承の家系に属する血筋を持った者たちにより受け継がれるものだった。
そのため、伝承の隠れ里に暮らす者たちは幼い頃より、“喰神の烙印”の呪いが持つ性質を、「強大で恐ろしい力」という畏怖の知識として学んでいる。
だがしかし――。ビアンカへ行われた“喰神の烙印”の継承は、あまりにも唐突であった。それ故に、ビアンカは未だに“喰神の烙印”が持つ、強大な力を測りかねている。
――恐ろしい力だとは思ってはいる。けれど……。
“喰神の烙印”によって魂を喰われた少年、ハル。そのハルの魂を、“喰神の烙印”の呪縛から解放し、輪廻転生の輪に還す禁忌を執り行ったビアンカは――、そのハルの生まれ変わりと巡り合う約束を果たすという目的のために、今はまだ呪いの力が必要だと思っていた。
手放せない力だと悟っている。その結果、ビアンカはビアンカなりに思案し、“喰神の烙印”を上手く飼い慣らし扱うという。人道を踏み外した方法を、取っていたのだった。それを「致し方ないこと」と、心のどこかで諦めを抱きながら――。




