第二十節 呪い持ち
ニコラス医院は、エレン王国内でも『ワケアリ』の事情を持つ患者を多く診ることで知られる。
その医院名が示す通り――、ニコラスという名の、見目は若いが腕利きの医師が営んでいる病院だった。
エレン王国の『旧住宅街』と呼称される、古い建物が並ぶ区画に建てられているニコラス医院も、周りの家々に負けず劣らずの古い建て構えが印象的であった。
だが、建物自体は古いものの、その内装は手を加え修繕が施されており、真っ白な壁紙が清潔感を醸し出す。
病院特有の消毒液の独特な匂いが、ビアンカの鼻孔を擽る。それを嗅ぎ、「あまり好きな匂いじゃないな」――、と。ビアンカは内心で思う。
エレン王城の裏手に広がる森。そこからハルによって助け出され、ビアンカはニコラス医院に運び込まれた。
そしてビアンカは、その病院内の診察室にある診察台の上に、外套などを脱がされた状態で座らせられていた。
ニコラス医院の医師――、ニコラスは濃い灰色の長い髪に赤紫色の瞳をした、二十代後半ほどの年齢の青年だった。羽織った白衣と、掛けている眼鏡が知的な雰囲気を漂わせ、如何にも医師然とした心象をビアンカに抱かせる。
だが、何よりもビアンカが気に掛ったのが、そのニコラスの耳であった。ニコラスの耳は――、左右に大きく張り出しており、人間のそれとは明らかに違うものであったのだ。
(――エルフ族……?)
ニコラスの耳を目にして、ビアンカは勘がえる。
エルフ族は遥か古に滅びたとされる種族であり、永い寿命を有し、非常に知的で頭の良い者が多い。そして――、人間嫌いの種族として、度々と古い文献に姿を現す種族だった。
ニコラスの助手――、ティアラとアンナと名を呼ばれていた二人の若い女性が、手際良く用意をした薬液の入った万能壷や膿盆を手に持ち、ニコラスの傍らに控える。
ティアラは白銀髪を、ターバン風に布を巻き付け纏めている。銀朱色の瞳は、ニコラスの一挙一動を真剣に見つめており――、恐らくは一介の助手というよりも、ニコラスの弟子という立ち位置にいるのだろうと、ビアンカは推察する。
反対にアンナと呼ばれていた――、栗色の肩辺りまでの長さの髪と、髪と同じ色の瞳の、まだ少女の域を抜けていない印象を受けた女性は、純粋にニコラスの助手という立場な雰囲気を醸し出していた。
その二人の女性が手渡した生理食塩水をガーゼに浸したものを使い、ニコラスはビアンカの血で汚れる肌を拭き取る。――かと思うと、不意にニコラスは眉を顰めた。
「――これは……」
そこでニコラスは、拭き取った血の下にあるビアンカの傷の状態を目にして、小さく呟きを零す。
ビアンカの負った怪我――。それは、傷口の周りに乾いた血の痕が大量に付着しており、大きな怪我を負ったことを雄弁に物語っていた。
だがしかし――、ニコラスが傷口だと思われる箇所を清拭すると、その傷の殆どが既に塞がり、癒えていることに気付いたのだった。
それを目にしたニコラスは、何か考える様子を窺わせる――。
(――なるほど。だから、ハルの奴がこの娘をここに運び込んできた、というわけか……)
ニコラスは赤紫色の瞳を伏せ、納得した様相を見せて嘆息した。
そうして再度、一巡思案する様を窺わせ――、ニコラスはティアラとアンナに目を向ける。
「ティアラ、アンナ。すまないが、少しだけ席を外してもらって良いか……?」
ニコラスの静かな声音での指示に、ティアラとアンナは一瞬だけキョトンとして、互いの顔を見合わせる。だが、次には二人ともニコラスを見やり、「分かりました」――と。素直な返答を口にした。
その後、すぐに踵を返し、診療室を立ち去ろうとするティアラとアンナの背に、ニコラスは「ああ、そうだ――」と言葉を投げ掛ける。そんなニコラスの声掛けに、退室しようとしていたティアラとアンナは振り返っていた。
「ついでに廊下で待っているハルに、足首を折ってはいるが命に別状は無いので心配はいらないと。伝えてやってくれ」
「はい、分かりました。ハルさん、凄く心配していましたもんね」
ニコラスの指示にアンナが返事の言葉を漏らすと、苦笑する様子を見せる。
ハルがビアンカを、このニコラス医院に運び込んできた際の慌てぶりは――、ハルを良く知る病院の面々を、至極驚かせるほどのものだったのだ。
だので、それを口にしたアンナの言葉に、ニコラスも微かに思い出し笑いの苦笑を漏らす。
「では、伝えておきますね。――私たち、待合室の方で作業をして待っているので。用事があったら呼んでください」
アンナはにこやかに笑みを浮かべ、ティアラと共に診療室を後にしていった。
二人が出て行ったことを見止めたニコラスは、改めたようにビアンカに赤紫色の瞳を向け、彼女を見据える。
ニコラスの眼差しは――、どこか厄介なものを見る。さような色を宿していた。
一瞬だけニコラスは小さく溜息を漏らす。そして――、その口を開く。
「――お前は、“呪い持ち”だな……?」
ニコラスはビアンカを見据え、そう口にした。
突如ニコラスの口から発せられた言葉の内容に、ビアンカの顔色が瞬時に変わる。
驚愕の表情。それをビアンカは形相するが、すぐに顔付きを警戒心が宿ったものに変え、ニコラスを睨みつけるような眼差しを向けていた。
しかし、自身を警戒して睨みつけてきたビアンカを目にし、ニコラスは静かに笑いを零した。
「心配をする必要は無い。別に俺は、“呪い持ち”に対して偏見も――。恨みも持ってはいない」
諭すような優しげな声音で、ニコラスは言う。
ニコラスの発した言葉の意味は、ビアンカには理解できなかった。だが、彼女を見つめていたニコラスの赤紫色の瞳は――、どこか哀れみを含んだ色を窺わせる。
「あなたは……、何者なの……?」
ニコラスに対しての警戒心は緩めないまま、ビアンカは問う。
すると、そのビアンカの問いに、ニコラスは瞳を伏せた。そうして暫しの間を置き――、再び伏していた赤紫色の瞳でビアンカを見つめる。
「――俺は、魔族の生き残りだ……」
「えっ――?!」
あまりにも唐突なニコラスの暴露の言葉に、ビアンカは驚愕の表情を次には浮かべてしまう。
「本当に、あなたは魔族なの……? エルフ族じゃ、なくて……?」
ニコラスの左右に大きく張り出した長い耳を視線で示し、ビアンカは疑問から声を絞り出す。
そうしたビアンカの疑問の言葉に、ニコラスは然りを意味する頷きを見せた。
「エレン王国の要人に、医療の腕と知識を買われ――。この長い耳を持つ故に、“エルフ族の生き残り”ということにしてもらい、医院を営んではいるが……」
そこで、ニコラスは言葉を一度区切った。話の合間に、再三何かを考える様相を窺わせるが、再び自身のことを語り始める。
「――本来であれば、俺もお前のような“呪い持ち”同様に、忌み嫌われる存在だ」
自身が魔族であることを卑下するように、ニコラスは言う。
「私――。魔族は……、初めて見るわ……」
驚いた表情を浮かべたまま、ビアンカは口にする。
ビアンカは、“喰神の烙印”の呪いを継承し、百余年あまりの年月を旅してきたが――。こうして、魔族という種族に出会うことは初めてだった。
魔族と呼ばれる種族は、エルフ族同様に古に滅びたとされる種族であった。
一個人の各々が強い魔力を有し、人間には扱えない強力な魔法の数々を操ることに長けた種族。ビアンカが目にしたことのある古い文献によると――、非常に好戦的で残虐非道な性質の持ち主たちであり、人間たちと敵対していた存在だとされていた。
しかしながら――、ビアンカの目の前にいるニコラスには、そのような文献に残されている、魔族が恐ろしい存在だったという所感を、微塵も感じさせないのが事実であった。
「そうか。――まあ、今の魔族の生き残りたちは、大抵が自身の正体を隠しているからな……」
ビアンカの言葉を聞いたニコラスは、微かに愁いを帯びた面差しを暗示する。
「先ほどまでここに居た白銀髪の娘――。ティアラも正体を隠してはいるが、魔族の生き残りだ。あれも出自のせいで居場所に困っていたために、俺が拾って弟子として扱っている」
「そう、なんだ……」
ニコラスの言葉の数々に、ビアンカは驚愕した思いを持つ。
「――それで。ニコラス先生が、わざわざ私に自分の正体を明かしたってことは……?」
ビアンカは警戒心の緩んだ翡翠色の瞳でニコラスを見やり、話の本題に入るように言葉を紡ぐ。
「“呪い持ち”のお前にとって――。俺たち魔族に聞きたいことが、あるのではないかと思ってな……」
自身を見据えるビアンカの翡翠色の瞳と、赤紫色の瞳を交差させ――、ニコラスはビアンカの問いに言葉を返していた。




