第十九節 禍福糾纆②
古き時代より人々から『呪い持ち』と呼ばれ、畏怖される者たちは――、時に頑なに人と接することを恐れ、自分自身を卑下し永遠を生き続ける存在だと。ハルは知っていた。
それはハルが、旅から旅へと。一つ処に留まらない“旅人”の生活を経験した際に、出会うこととなった一人の“呪い”を身に宿した人物から悟った事柄だった。
故に――、ハルは自身の持つ理解力の範疇を凌駕したことを、ビアンカが物語っていたことを察する。
そして、ビアンカが十五歳ほどの少女の見目をしてはいるものの。恐らくは、自分自身よりも遥かに年上の存在なのだろうということを、推し量っていた。
(あいつも。もう――、四百歳を超えたって、笑って言っていたっけな……)
旅の最中に出くわした“呪い持ち”の知人を思い返し、ハルは心中で思う。そうして、思い出した人物に対し、「懐かしいな」と瞬刻思いを馳せ、内心で笑ってしまう。
(ビアンカの宿す呪いが、どういうものかは分からないけれど……。どんなものだろうと、俺には関係無いものだ)
ハルは結論を出し、赤茶色の瞳に覇気を宿す。
(魔物が襲い掛かって来ないのも、大方、ビアンカが呪いの力を使おうとしたからってところだろう。だったら今の内に――)
ハルとビアンカを取り囲みながらも、“欲深い狼”たちが襲い掛かって来ない。それどころか、その狼の姿に似た魔物たちは尾を腹の下方へ巻き、どこか警戒して襲い掛かることを躊躇っている様相を窺わせていた。
さような事象を認めたハルは、左手に握っていた剣を鞘に納めたかと思うと――、自由が利くようになった両の手でビアンカを抱き上げる。
「きゃっ――!!」
突然、ハルに横抱きに抱え上げられたビアンカは驚きから、小さく悲鳴を漏らす。すると、途端にハルの腕の中で身動ぎをし、抵抗する様を見せた。
「ハルッ!! 私に触れない方が――」
「俺には、魔法や呪いの類は効かないから。安心しろ」
ビアンカが再び拒絶を発しようとする声に被せ、ハルは真剣な面差しで諭すように口にした。
「え……?」
ハルの言葉の内容に、ビアンカは呆気に取られた表情を浮かべていた。
「何……、それ……? それに……、何でハルは、私の呪いのことを知っているの……?」
「――詳しい話は、後回しだ。今はさっさとこの場から逃げ出して、あんたを医者のところに連れて行くっ!!」
唖然とした様を顔色に宿すビアンカに、ハルは微かに笑みを見せ言う。
すると、次の瞬間にハルは地面を力強く踏み締め、その場から駆け出していた。
駆け出したハルは――、目の前に立ち塞がっていた“欲深い狼”に向かって、大きく足を振り払う。ハルからの蹴りを食らうこととなった“欲深い狼”は悲鳴を発し、砂埃を巻き上げながら転がり吹き飛んでいく。
目前の障害が無くなったことで、ハルは足早に“欲深い狼”たちの包囲を抜け出す。
だが、獲物が逃げ出したことに気付いた“欲深い狼”の群れは、我に返った情態を見せ、背を向けて走り去っていくハルを、唸り声を上げながら追尾する動きを見せ始めた。
“欲深い狼”は、獲物として標的にした存在に対し、執着心が異常に強い魔物だった。
獲物が逃げ出しても、疲れ果てて足を止めるまで追い回し――。それは、あたかも狼の習性のように、群れで連携を取り、徐々に獲物を追い詰めていく。
自分たちを追ってくる魔物の習性を、ハルもビアンカも了しており――、背後に迫ってくる“欲深い狼”たちに、辟易とした様と焦燥を窺わせていた。
森の出口まで辿り着ければ、エレン王国の宮廷魔術師が張った結界があるため、魔物たちはそこからは一歩も出ることはできない。
そのことをハルは理解しており、森を抜けるまで足を止める気は更々無かった。
だがしかし――。“欲深い狼”たちの足は速く、ビアンカを抱え上げた状態のハルが追い付かれるのも、時間の問題であった。
ことの末路を察したハルは、軽く舌打ちをする。それと共に、何かを思い出したような表情を、瞬時に浮かべていた。
「――ビアンカッ!! あんた、魔法札は使えるかっ?!」
走り続けているために息を上げながら、ハルは声を絞り出す。
突然の声掛けに、ビアンカは「え……?」と、一瞬だけ言葉の内容を理解するのに時間を有してしまう。
「え、ええ。扱うのが苦手な属性はあるけれど……、使えるわ」
瞬刻遅れたビアンカの返答。その返事にハルは頷く。
「俺の上着。――内ポケットの中に、“大地属性”の中位魔法札が入っている。あいつらの足止めくらいにはなるはずだから、使ってくれっ!!」
ハルが思い出したのは、自警団で支給された魔法札の存在だった。
エレン王国には魔法を扱える者が多いため、その魔法能力者たちが魔法札を作成する練習用に作った物を、自警団に支給している代物であった。
普段、自警団の任務で使用することは、ほぼ皆無であったため――、ハルはそれの存在を今まで失念していた。
ハルの提案にビアンカは頷くと、言われた通りにハルの上着の内ポケットへ、利き手である右手がまだ動かないために、辛うじて動かせる左手を差し込む。
「これね――」
ハルの上着の内ポケットを漁り、ビアンカが取り出したのは、“大地属性”の魔法が込められたことを表す紋様が描かれた札。
ビアンカは魔法札を左手に持ち、意識を“喰神の烙印”へ集中させる。
(――込められている魔法は、地面を隆起させて防御壁を作る魔法ね。これだと少しの足止めしかできない。それなら……)
魔法札に込められている魔法の特性を、“喰神の烙印”の呪いを通じて察したビアンカは、一巡思案する。そして、思いついたことを実行に移すため、手にしている魔法札に“喰神の烙印”が持つ魔力を送り込む。
「<大地の魔法札よ。――今ここに込められた力を解き放ち、大地の威厳を示せ>」
ビアンカは、魔法札に“喰神の烙印”の魔力を送り込むイメージをしながら、魔法札に込められた魔法を解き放つための言の葉を紡ぐ。
手にしている魔法札が淡く光を発し始めたのを確認したビアンカは――、自身を抱き上げるハルの腕から身を乗り出すと、背後に迫って来ていた“欲深い狼”たちに向かって魔法を放っていた。
途端に、ハルとビアンカに迫る“欲深い狼”たちの眼前にある大地が身震いするやいなや――、魔物たちの進路を妨害するように、地面や岩を突き崩す大きな音を立てながら隆起する。
本来であれば、ハルが渡されていた“大地属性”の魔法札の効果は、それで終わるものだった。
しかし――。
隆起した大地は、盛り上がった岩と土を更に揺るがせ躍らせたと同時に――、大地の津波となり“欲深い狼”たちを飲み込む。
そうした事象に、“欲深い狼”の喚き叫ぶ声が、大地を揺るがす音と共に森に響いた。
「うえ――っ?!」
思いも掛けていなかった背後の有様に――、ハルは驚き、間の抜けた声を上げる。
「は……?! 今の――、中位魔法だよなっ?!」
ビアンカが解き放った魔法札の魔法は――、明らかにハルの知る中位魔法の威力では無かった。そのことにハルは驚愕の色を表情に見せる。
「はああああ?! ルシアの奴、上位魔法の札を俺に持たせたのか?!」
自身に魔法札を直々に支給してきた存在――、エレン王国の“神官将”の一人であるルシアを思い、ハルは信じられないと言いたげにしていた。
そのハルの様子を目にして、ビアンカはおずおずと口を開く。
「あ、あの、ごめんなさい。私が魔力を継ぎ足して……、魔法札の威力を上げたの……」
「なっ?! そんなこともできるのかよ、あんた……っ?!」
ビアンカの言葉に、ハルは吃驚してしまう。
魔力の継ぎ足しを行って魔法札の威力を上げるなどという芸当を――、ハルは今まで見たことも聞いたことも無かった。そして、そこまでの魔力を有するビアンカに対しても、驚く様子を醸し出す。
しかしながら、当のビアンカはというと。利き手である右手が動くようになったのか、その手に目を向け、右掌を閉じたり開いたりという行為を取っていた。
「魔物を仕留めたお陰で――、右手の傷も治ったわ。これで両手が使えるけれど、まだ足止めで手伝えることはあるかしら……?」
“欲深い狼”たちを仕留め、その魂を“喰神の烙印”に喰わせたことで、ビアンカの右手の裂傷は完全に癒えて、自由に動かせるようになった。
そうして、更にハルに自分にできることはあるかということを尋ねるが――。ハルは、そんなビアンカの様子に顔を引きつらせて苦笑いをする。
「いや。もう大丈夫だ……。森の出口が見えてきた――」
呆気に取られたまま、ハルは視線で進行方向を示す。
ハルの動きに釣られるようにビアンカがそちらへ目を向けると――、彼女の瞳に、森の木々が途切れ湖が広がっている景色が映っていた。




