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片翼の鳥~出会いと別れの物語~  作者: 那周 ノン
第一幕【優しい嘘】
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第十七節 行方

「えっ?! ビアンカ、昨日から戻ってきていないんですかっ?!」


 自警団の仕事が休みの時間。ビアンカの様子を窺おうと思い、さくら亭に足を運んだハルへとイヴから告げられた言葉は、ハルを動揺させて彼の声を大きく荒げさせた。

 ハルが聞き返してきた言葉に、イヴは困ったように眉を落とした表情を浮かべて頷く。


「そうなのよ。昨日、お店の手伝いをお休みして、城下街を見学してきたらどうかって話をしてから。戻ってきていないの……」


 イヴの話の内容を聞き、ハルは「もしかしたら、自分と別れた後から戻っていないのか?」と、心中で思う。


(――何だか思い詰めていた様子だったし。いったい、どうしたっていうんだ……?)


 先日のビアンカの様子。そうして、彼女がハルに発した言葉の数々を思い返し、ハルはいくつかの可能性を一顧(いっこ)する。


 ――『近い内にエレン王国を、出るわ』


 ビアンカが別れ際にハルに言い放った言葉。それを思い出したハルは、眉を(ひそ)めた。


「もしかして。――また、旅をするために、出ていった……?」


 ハルは無意識にぽつりと、小さく言葉を零す。だが、ハルの呟きにイヴは否定を意味するよう、かぶりを振るった。


「それがね……。ビアンカちゃんに使ってもらっている部屋を覗いたら。あの子の荷物――、全部残ったままだったのよ。旅に出るにしても、手ぶらで出て行くわけ無いでしょう……?」


「そう、なんですか……?」


 ビアンカの荷物が残されたままだと、イヴが確認した事実を聞かされ、ハルは自身の思案が外れていたことに内心で安堵の気持ちを抱く。

 旅の荷物がさくら亭に残されたままだというのならば、まだビアンカはエレン王国に滞在しているはずであると、ハルは()し量った。


「あの後に、どこに行っちまったんだ……?」


 しかし、それならばどこに行ってしまったのかと――。ハルは口元に手を当てて考える。


「ハル君は――。昨日、ビアンカちゃんに会ったの?」


 ハルの漏らした言葉の意味を察したイヴは、首を傾げてハルに問い掛けた。その問いにハルは、(しか)りの頷きで返していた。


「はい……。ちょっと、意味が理解できないことを言われて。なんていうか――、凄く思い詰めている感じがしていて、気になって……」


「そうなの?」


 イヴの再三の問いに、ハルは軽く首を縦に動かす。


「そのことで――、改めてビアンカに話を聞こうかと。そう思っていたんですけど……」


 まさか、あれからビアンカが戻っていないなどと、ハルは思ってもみなかった。


 ハルと別れた後に、何か事件や事故に出くわし、戻って来られなくなったか――。

 ビアンカはハルから見ても、どこか儚げな雰囲気を(まと)った麗しい見目をした少女である。ハルの悪友であり、女性に目が無いロランでさえ『将来は凄い美人になる』と絶賛するほどだったために、何か厄介事に巻き込まれた蓋然率(がいぜんりつ)も、皆無では無かった。

 そのことを考え――、ハルは僅かに焦りを感じる。


「――俺、ビアンカのこと。探してきますっ!!」


 もしかしたら――、という幾つもの可能性が頭を(よぎ)った故に、ハルは居ても立っても居られなくなり、イヴに力強い声音で宣言した。

 そんなハルの言葉に、イヴも賛同するように頷いた。


「お仕事中で忙しいだろうけれど、お願いしても良いかしら。私の方も、お店に他の自警団の人や騎士団の人が来たら、見かけなかったか聞いてみるから……」


「はい。お願いしますっ!!」


「こっちこそ。ビアンカちゃんをお願いね」


 至極心配げな様を窺わせるイヴに見送られ、ハルは足早にさくら亭を後にしていった。



   ◇◇◇



「――ああ……。ツイてない時は、本当にツイてないわ……」


 冷たい岩肌に背を(もた)れて身を預け、頭上に広がる空を仰ぎ見て――、ビアンカは辟易(へきえき)とした声音で呟きを零した。


「注意力散漫だったわね。失敗したなあ……」


 頭上に上げていた(こうべ)を落とし、ビアンカは嘆息(たんそく)する。


 ビアンカは、エレン王城の裏手にある森の奥深くに入り込み、考え事をして歩んでいた。思考の殆どを物思いに奪われていたため――、歩んでいた森の木々が途中で切れ、眼前に崖が広がり足元に踏みしめる大地が無いことに、気付かなかったのだった。

 足元が崖になっているとビアンカが察した時、それは既に遅く――、ビアンカは崖の下に吸い込まれるように転落していた。


 地面に叩きつけられる寸前に、咄嗟に受け身を取ったものの――。ビアンカは、無傷では済まなかった。身体の彼方此方(あちこち)に痛みが走り、裂けた衣服の合間からは血が多く滴り落ちていった痕が窺い知れる。

 小さな擦り傷や切り傷は、ビアンカが宿す“喰神(くいがみ)の烙印”の呪いが持つ、宿主を癒す能力で既に塞がっていた。だが、右側で受け身を取ったために、ビアンカは右腕に大きな裂傷を負い、右足には顔を(しか)めてしまうほどの強い痛みを感じていた。


(――右足首は、骨が折れてそうだな……)


 右足首から感じる痛みの強さに、ビアンカは骨折したことを察知する。


 右腕の裂傷は既に痛みを感じなくなってきていた故に、すぐに癒えていくであろう。しかし、流石に骨折までしてしまうと――、それが癒えるまでに暫しの時間を要することを、ビアンカは今までの経験で熟知していた。

 そうして、その傷を癒すために――。また人間の魂を“喰神(くいがみ)の烙印”が必要とすることも、察し付いている。


 そのことに思いを馳せ、ビアンカは辛うじて動く左腕を、目の前に掲げ上げる。

 自身の流した血で赤く汚れた革の手袋。その下に隠れる“喰神(くいがみ)の烙印”を見透かすように、ビアンカは翡翠色の瞳で睨みつけた。


「――お願いだから、勝手に魂を掠め取ること(しょくじ)はしないでよね……」


 ビアンカは静かな声音で言葉を零す。


 頭を打ち、昏倒しなかっただけマシだったと。そうビアンカは思う。

 もしもビアンカが今の状態で意識を失いでもすれば、“喰神(くいがみ)の烙印”は自身の欲望のままに――、人々の魂を喰らったであろう。そのことを考え、ビアンカは微かに身を震わせた。


「あー……。でも、この怪我が治るまで、どれくらい時間が掛かるかしら。ここで動けないまま、一晩明かしちゃったし……。イヴさん、心配しているだろうなあ……」


 崖から転落し、動けなくなってからの一夜。仕方ないと思いつつ、ビアンカは傷が癒えるのを待っていた。

 動けるようになるまで、どの程度の時間を要するかは――、ビアンカには判らなかった。そんな中でビアンカは、さくら亭に荷物を置いたままにしてしまっているために、イヴに心配を掛けてしまうと。どこか的外れな心配をしていたのだった。


 ビアンカの口から――、再び重苦しい溜息が漏れ出していた。


 その直後――。


 不意に辺りの茂みから、枝葉を擦る音がビアンカの耳に届いた。

 葉擦りの音と共に――、微かに聞こえるのは、獣の唸り声。それにビアンカは、目つきを変えた。


「――昨日から厄日だわ。血の匂いに惹かれて、やって来たのね……」


 うんざりとした様相を窺わせ、ビアンカは嘆息(たんそく)し、独り言ちる。


「そもそも、城塞都市になっている国の中にある森に……、魔物が棲んでいるなんて。聞いたこと無いんだけど……」


 ビアンカには、耳に届く獣の唸り声に聞き覚えがあった。

 “欲深い狼(ディプスハウンド)”と呼ばれる、獲物に対して強い執着心を有する、狼に似た姿を持つ魔物――。それの声だったのだ。


 ガサリ――、と。茂みの中からビアンカの察した通り、数匹の“欲深い狼(ディプスハウンド)”たちが姿を現す。

 狼に似た姿をした魔物たちは鼻先に皺を寄せ、牙を向き出しにし、ビアンカに敵意を示していた。


外套(がいとう)の中に隠している短剣が一本。でも、利き手は使えない――)


 ビアンカは冷静な思考で、現状を打破する方法を思議する。


 一巡、どうするかを考えた結果――。ビアンカは左手を口元に持っていき、革の手袋に歯を立てる。そして、口を使い手袋を外し取ったと同時に、今度はその下に巻かれた包帯をも、口だけで器用に解いていった。


 太陽の光の下に、ビアンカの左手の甲に刻まれた“喰神(くいがみ)の烙印”の赤黒い痣が、晒される――。


 ビアンカは何の感情も感じさせない冷めた眼差しを、自身を取り囲もうという動きを見せる“欲深い狼(ディプスハウンド)”たちへ向けていた。

 すると――、静かな動きで“喰神(くいがみ)の烙印”の痣が刻まれる左手を、眼前に掲げ上げるのだった。


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