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片翼の鳥~出会いと別れの物語~  作者: 那周 ノン
第一幕【優しい嘘】
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第十五節 遅疑逡巡

「――ねえ、ハル……」


「ん? 何だ?」


 ビアンカはその場で立ち止まり、ハルに声を掛ける。その声掛けにハルも立ち止まると、見つめていた左手を下げ、ビアンカに目を向けた。

 ハルの赤茶色の瞳に見据えられ――、ビアンカは一瞬だけ言葉に詰まる様子を見せるも、気を取り直し言葉を続けていく。


「あのね、自己紹介の時。あなた、握手をしようとしてくれたのに……。私、それに応えられなくて、ごめんなさい。――今から改めて、握手させてもらっても、良いかしら……?」


 ハルに、自身が宿す呪い――、“喰神(くいがみ)の烙印”の存在する左手で触れてみようと決意したビアンカは、さも正論と言える理由を口にする。そうして、意識をして革の手袋で覆われた左手を、ハルに静かに差し出した。


 そんなビアンカの申し出に、ハルは驚いたような面持ちを浮かべたが、すぐにそれを笑みに変える。


「ああ。――改めて、よろしくな」


 ハルは笑顔で言うと、快くビアンカの左手を握り返す。


 その瞬間だった――。


「――――っ!!」


 ビアンカはハルに手を握り返された僅かな時間で――、息が詰まるような感覚を覚えた。

 何故ならば――、ビアンカの左手の甲に刻まれた呪いの証。“喰神(くいがみ)の烙印”が、ハルに触れた途端に、突如(うごめ)き、ビアンカへ微かな囁きを漏らしたからであった。


 ――『やはり、この男で()()だな。懐かしい気配がする……』


 ビアンカの深層に語り掛ける囁きは――、男とも女とも、大人とも子供とも判別の付かない声で、そう言葉にしていた。


 ハルの察せられなかった魂の気配。それを、ハルに触れたことで“喰神(くいがみ)の烙印”の呪いは、漸く確信としてビアンカに告示する。

 “喰神(くいがみ)の烙印”が告げた真実に、ビアンカは奥歯を微かに噛み締めた。


(――やっぱり……、そうなんだ。でも、彼は……)


 ――『こいつは()()()()()として生まれ変わりをしている。()()が意味することは……、娘よ。お前にも分かるであろう……?』


 ビアンカに語り掛ける“喰神(くいがみ)の烙印”は――、ビアンカを(あざ)笑う様を窺わせる。


(そうだわ。普通の人間として、ハルは平穏な日々を送っている――)


 (いと)わしい声音で囁く“喰神(くいがみ)の烙印”の言葉は、ビアンカにあることを気付かせていた。


 ビアンカの探し求めていた存在。“再会の約束”を交わした少年――、ハルの生まれ変わりだと。そうビアンカに確証させた目の前に立つハルという名の青年は、極普通の人間だった。

 普通の人間として生まれ変わっているということは――。“喰神(くいがみ)の烙印”が本来持つ、“近しい者に不幸を撒き散らし、死に至らしめる”呪いの影響を受け、ハルは――、“魂喰い(えさ)”の対象となる。


 そのことにビアンカは、息を呑む。


(――もう二度と、ハルの魂を“喰神の烙印(あなた)”に喰わせるようなことは、しないんだから……)


 思い至った事柄に――、ビアンカは震えそうになる身体を叱咤し、“喰神(くいがみ)の烙印”に心中で威圧的に宣言の言葉を送る。

 そうしたビアンカの気丈な振る舞いをも、“喰神(くいがみ)の烙印”は、さも可笑しそうにして(うごめ)(あざ)笑う気配を見せていた。


「――ビアンカ……?」


 握手をしたと同時に押し黙り、何か考え事を始めた様相を見せたビアンカに、ハルは首を傾げる。そんなハルに気付いたビアンカは、彼を見上げ、内心を悟らせないように微笑んだ。


「ありがとう。――ハルはやっぱり剣を扱うから、立派な手をしているなって思って。驚いちゃった」


 沈黙してしまったことを取り繕うように、ビアンカはそう口にして、握っていたハルの手を離す。

 握手を終えたハルは、ビアンカの言葉を素直に受け取り、照れくさそうに笑みを浮かべていた。


「あーっと……、俺の話を聞いてもらっても良いか?」


 話が一区切りついたことを見計らい、ハルはやや躊躇(ためら)い気味にビアンカに問い掛ける。その切り出しにビアンカは首を傾げ、「何?」と言いたげな表情を見せた。


「――ビアンカは、俺の名前を聞いた時に驚いていたみたいだけれど……。誰か、同じ名前の知り合いでもいるのか……?」


 ハルが意を決し発した言葉に、ビアンカはキョトンとする。

 あまりにも呆気に取られた面持ちをビアンカが見せたため、ハルは内心で焦りを感じてしまった。


 するとビアンカは、ハルに向けていた視線を、足元に落とし(こうべ)を垂れる。


「あ、いや。言いにくいこととかだったら、言わなくても良いからな?」


 もしかしたら、ロランが言っていたように昔の恋人と同じ名前だったか――、と。ハルはビアンカの醸し出す雰囲気を目にし、触れてはいけない話題だったことを察して、困惑する。


「――私、ずっと……、ハルのことを探していたの……」


 困惑し焦燥していたハルの耳に、ビアンカの小さな呟きが届いた。


「え……? 探していた……?」


 ビアンカの呟きにハルは反応し、聞き返しの言葉を口にする。そのハルの問いに、ビアンカは俯き黙したまま頷く。


「もう、百年以上経ったわ。――永い間、あなたとの約束を果たしたいと思って、あなたを探して旅をしていたけれど……」


 ビアンカは覇気の無い声で言の葉を綴っていく。

 だが、そのビアンカの言葉はハルには意味が解らないもので、彼を混乱させていた。


(――百年以上? ビアンカは、何を言っているんだ……?)


 混乱状態の頭でハルは考える。


 エレン王国には――、優に三桁を超える年齢の者が数える程度ではあるが存在していた。そのことをハルは理解してはいたものの、予想を全くせずにビアンカから口にされた内容は、ビアンカという存在に対しての多くの謎が埋めくこととなる。


 冷静になって話を聞かなければと、ハルが頭の中を整理しようと思議した時だった――。


 ビアンカが、伏せっていた(こうべ)を上げて、ハルを翡翠色の瞳で再び見据えてきた。その瞳は愁いを湛え、至極悲しげな色をハルに思いなさせた。


()()()()と私は、一緒にはいられない存在だから……」


「ビアンカ……?」


 ビアンカの口にしていく言葉の数々に、ハルは眉を寄せ、絶句してしまう。


「私がハルと一緒にいると――、またハルが不幸になっちゃうからね」


 言いながらビアンカは、どこか寂しげに微笑んだ。


「あなたには――、普通の人間として。普通に生きて、人生を全うしてほしい」


 それは――、ビアンカの願いであった。


 ハルは、普通の人間として生まれ変わってしまった。

 そんなハルの(かたわ)らに、“喰神(くいがみ)の烙印”という、人間の魂を喰らう忌まわしい呪いを身に宿す自分自身がいれば――、いずれハルは、“喰神(くいがみ)の烙印”の力によって命を落とすこととなるだろう。

 そうならないために、ビアンカは敢えて、身を引くことを選び取っていた。


 ――『いつかは――、()()()()()()()()()()()()()()()に生まれ変わるよ』


 かつてハルがビアンカに約束した言葉。それが、()()()()()()()()と、ビアンカは感じ取る。だので、このハルとはこれ以上親しくなってはいけないと、ビアンカは考え至る。


 ビアンカは鳩尾辺りで拳を握り、痛みを伴う胸中を隠し、ハルに言葉を告げていく。


「――これ以上、私には関わらないで」


 まるで突き放すように発せられた、ビアンカの凛とした声。それにハルは唖然としてしまう。


「それは、どういう――」


 どういう意味だ――、と。そうハルが問いただそうとすると、ハルの言葉を遮るようにビアンカは、ゆるゆるとかぶりを振るう。


「意味は、分からなくても大丈夫。それを知る必要は――、今のハルには無いわ。ただ私に、金輪際、関わらなければ良いだけだから……」


 ビアンカは儚げな――、ハルにどこか諦めた印象を抱かせる笑みを浮かべ、言う。


 ハルの理解の範疇(はんちゅう)を超えたビアンカの言葉の数々は、増々ハルの心中を混乱に陥れていった。

 ハルが、自身の言葉に狼狽(うろた)える様をビアンカは()していた。だが、申し訳ないと思いつつも、「ハルを守るため」という考えの下で綴られるビアンカの言葉は、治まること無く続けられる。


「これ以上、ハルに迷惑を掛けないように。近い内にエレン王国を、出るわ」


 ビアンカは言うと(きびす)を返し、ハルに背を向けた。


「――さようなら、ハル……」


 前進への意欲の無いビアンカの声音で綴られる、別れの言葉。その言葉を発すると、ビアンカは、そのままハルの元から立ち去るように歩んで行ってしまう。

 訳も分からずに見放される形となったハルは、呆然とした様相で、遠ざかっていくビアンカの背を見送るしかできなかった。


 ビアンカの姿が完全にハルの視界から消えた後――。ハルはハッと我に返る。


「――何だっていうんだよ、いったい……」


 唐突に突き付けられたビアンカの物言いに、ハルは釈然としないまま呟いていた。


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