第十三節 有為転変
昼の時間も大分過ぎ、各々の仕事に勤しむ人々が行き交うエレン王国の大通り――。
そんな広い大通りを、ハルとロランは連れ立って歩いていた。ハルもロランも――、その面持ちに、どこか思いが燻ぶっている様を漂わせる。
「――ビアンカちゃん。急にどうしたんだろうな?」
「ああ……。何か、俺の名前を聞いた途端に、固まっていたよな……」
ハルとロランは、つい先ほどまで居座っていた、さくら亭での出来事を思い返す。
ハルが自らの名を名乗った後――。ビアンカは、酷く狼狽えた様子をハルとロランに窺わせていた。
その狼狽の仕方に、どうしたのかとハルが聞こうと思ったと同時に――、さくら亭に客が来てしまった。そこで我に返ったビアンカは慌てて席を立ち、接客をするために場を後にしていた。そのためハルは、それ以上の話ができなかったのだった。
「うーん……。案外、元カレの名前がお前と同じ――、『ハル』だったりしてな……?」
ロランは言いながら苦笑いを浮かべ、ハルを見やる。
「そんなの知るかよ。ま、とりあえず……、その内に何気なく聞いてみる」
「おや? いつになく積極的だね、お前さん?」
ハル自身に好みの傾向がある亜麻色の髪の女性に反応することはあっても、今まで色恋沙汰に興味を持たずに過ごしてきたことを知るロランは、ハルの一言に浅葱色の瞳を丸くしてしまう。
ロランの言葉にハルは眉を寄せながら――、一顧する様を醸し出し、口を開く。
「――何か、俺さ。あの子のこと、気になるんだよな。昔っから知っていた子なような……。放っておいたらいけないような。そんな気がしてな……」
ハルが呟くように零した言葉に、ロランはニヤリと笑う。
「……何だよ?」
そんなロランの悪戯を思いついた子供のような笑みを目にして、ハルは赤茶色の瞳を怪訝そうにロランに向けた。
「いやあ。ハルにも遂に春が来たかな、と思ってね」
言うとロランは、カラカラと可笑しそうに笑った。
「ただ――、相手は十五歳のお嬢さん。しかも、“旅人”なのは忘れないように。早い内に捕まえておかないと、余所に旅に出ていっちまうからな?」
「ああ、分かっているよ……」
さようなロランの言葉を――、ハルは真摯に受け止める情態を見せていた。
「しかし、そこまで気になるってのは――、“運命の出会い”ってやつかねえ」
歩きながらロランは天を仰ぎ、ぽつりと呟く。
(――“運命の出会い”、か。言われてみると、そういう感じがしなくも無い、よな……)
ロランの言葉をハルは心中で反復し、自身の感情がそれに似つかわしいのかも知れないと考える。
出会ったばかりだというのにも関わらず、ハルはビアンカのことが気になって仕方が無かった。ただ――、それは恋愛感情とは、また別のもののような気がしなくも無かったが。
ハルのビアンカに対して抱く情感は、確実にビアンカを気になる存在として認識していた。
「ビアンカちゃんの見た目って、本当にお前の好みにピッタリ当て嵌まるしさ。所謂、赤い糸のお相手ってか?」
「その辺は……、どうなんだろうな。俺には、何とも言えない気分だよ」
ロランが茶化しのつもりで放った言葉。その言葉をハルが真に受け反論をしてこなかったため、ロランは「あ、これは重症だ……」――と、心中で混迷するのだった。
◇◇◇
顔色が悪い。そういう理由で、イヴからさくら亭の手伝いは大丈夫なので休むように――と、促されたビアンカは、イヴから借りている部屋のベッドに横たわる。
ベッドに横たわった途端に、ビアンカは大きく重苦しい溜息を吐き出していた。
そうして、翡翠色の瞳を細めながら、自身の左手を天井に向けて掲げ上げる。
革の手袋と包帯を外されたビアンカの左手の甲には、“喰神の烙印”、その呪いの宿主の証である、赤黒い痣が刻まれている。
その痣は、まるで死神が鎌を抱くような形をしており――、いつ見ても禍々しい印象を抱くとビアンカは思う。
自らの左手の甲に刻まれる痣を翡翠色の瞳で見据え、右腕も共に上げ、右手の人差し指で左手の甲の痣をゆっくりとなぞる。そしてビアンカは、小さく嘆声した。
「あなたの力でも感じ取れなかったということは――。彼は、ただ『ハル』と同じ名前というだけ……?」
ビアンカは、“喰神の烙印”に問い掛けるように言葉を漏らす。
しかし――、ビアンカの問いに呪いの証であるそれは、応えることは無かった。そのことに、ビアンカは再三の溜息を吐き出していた。
「あのね。この前、『余計なことは、一切しないで』って言ったけど。こういう時は何か教えてくれても良いんじゃないの?」
自らの宿す呪い――、“喰神の烙印”の呪いは、煩わしいほど存在を主張してくる時もあれば、ビアンカの言うことに従い鳴りを潜めてしまうこともある。
百余年の月日を共にした過ごした本来は忌むべきものである呪いは――、今やビアンカにとって、ちょっとした話し相手になりつつあった。
(――本当、性悪で気まぐれなんだからなあ。この前だって、お腹を空かせると可哀そうだと思って、せっかく喰らっても良い魂を選んであげたのに、その時も文句ばっかりだったし……)
ビアンカは――、否、ビアンカの宿す“身近な者たちに不幸を撒き散らし、死に至らしめる呪い”と畏怖される“喰神の烙印”は、“豊穣祈願大祭”の最中にビアンカに絡んできたゴロツキの魂を喰らった。
それは、ビアンカが“許可”を与えた故の魂を掠め取る所業となったが、“喰神の烙印”が本来好むべき魂では無かった故に、非常に不満げな気配をビアンカに推し量らせていたのだった。
(お腹が膨れれば――、何だって良いくせに。美食家気取りなんだから。この子は……)
尚も左手の甲に刻まれる痣を見つめ、ビアンカは悪態を思いつつ嘆息する。
“喰神の烙印”に親しくなった者たちの魂を喰わせないため、ビアンカが行っている所為の一つ。彼女が魂を喰らうことを許した者だけを、今は“喰神の烙印”は喰らっていた。
他者に害を為す者たちの魂ならば惜しくない――、という考えからの行いは、ビアンカに“死”という概念を希薄にさせる結果となっている。
だがしかし――、ビアンカ本人は、そのことに気付いていなかった。
「あのお兄さんのハルを見ていると――、どこか懐かしい感じがして。ハルの生まれ変わりなのかなって、思えなくもないけれど……」
ビアンカが百年以上の月日を費やし、探し求めている存在。彼女に“喰神の烙印”という呪いを託し、自らの命を投げ出した少年――、ハル。
そのハルとの、“再会の約束”を果たすために、ビアンカは永い時を、たった一人で旅をし続けてきた。
そんな最中、エレン王国で出会ったハルという、ビアンカの探し人である少年と同じ名を持つ青年は、ビアンカに「もしかしたら」――、という微かな希望を抱かせていた。
(――だけれど、あのお兄さんのハルからは、私の知っているハルの魂の気配は感じられなかった……)
そこまで考えビアンカは、はたとあることに気が付き、ハッとした表情を浮かべる。
(そうだ。あのお兄さんのハルからは……、魂の気配すら感じられなかった……?!)
魂の気配に敏感なはずのビアンカだったが、そんな彼女が彼の出会った青年――、ハルに魂の気配を感じなかったことに気付く。
そのことに気付き、懐疑していたビアンカの左手の甲――、“喰神の烙印”の痣が、不意にチクリとした痛みを伴い蠢く気配を見せた。それは、あたかも「漸く気付いたか?」と。そうビアンカに訴えかけるような蠢きだった。
「あなたは……、気付いていたっていうのね……」
“喰神の烙印”が見せる気配に、ビアンカは忌々しそうに呟く。
ルシトと同様の――、膨大な魔力から作られた仮初めの魂の持ち主ならば、魂の気配は微々たるものであることを、ビアンカは知っていた。だがそれでも、魂の気配というものは感じ取れるものである。
だけれども、ビアンカが出会ったハルという名の青年には、その魂の気配すら感じなかった。
――いったい、どういうことなんだろう……。
眉間に皺を寄せ、ビアンカは逡巡と考える。
しかしながら――、いくら考えようとも、今までに出会った人々の中に、ハルと同じような魂の気配を感じないという存在がいなかったため、その答えに辿り着くことはできなかった。
「今度、会ったら。今日のことを謝って、一度確かめてみよう――」
意を決した覇気のある眼差しを翡翠色の瞳に湛え、ビアンカは、誰に言うでも無く独り言ちていた。




