第百三十四節 不本意な再会①
「エブリンさんは何で野草採りをしていたの?」
エブリンを肩で支えて歩調を合わせつつ、ビアンカは思い至った疑を問う。
ある種の素朴な疑問だった。グローブ大森林にヒトを襲う動物や魔物の類の気配が無いと謂えど、足を踏み入れる人間には不埒な輩もいるだろう。そこに年若い少女が一人きりでいた事由は、いったい何なのだと――。
「野草がお薬の材料になる、とかなのかしら?」
敬語で話して気を遣わないでと言われたのもあり、やや砕けた口調で再三の問いを投げれば、エブリンは首肯して微笑んだ。
「それもあるんだけど。――ここに自生している草花はいい色に染まるの」
「あ、なるほど。草木染の材料採取だったのね」
森の中で草花の採取をしていた理由は、これで合点がいった。エブリンは布や糸を染める材料として、グローブ大森林に自生する植物を集めていたのだ。
言われてみれば、グローブ大森林は青々とした木枝だけでなく、鮮やかな花や実も風に揺れている。真紅や紫、蒼や黄色と実に様々な色合いが目につく。
「この時期の野草は食べられるものも多いし、薬の材料にもなって良いんだけどね。特に染色で綺麗な色に染まるの。――あたしの住んでいる町の特産品の原料として使っているのよ」
「特産品? 作って売っているの?」
「そう。草花で染色した麻に糸、その糸で刺繍した生地をフィネロ王国のカルミリア女王様が買い取ってくれるのよ」
町は裕福とは言えずに人々が結託し、多種多様な仕事をしているのだ――、とエブリンは綴った。
男女ともに日々の糧を繋ぐために畑仕事にも精を出し、女が特産品である布類を手掛けて男がフィネロ王国まで赴き金に換えてくる。そうした生活を何年もエブリンの暮らす町は営んでいるという。
「住人自体が町の公金を稼いでいるとな。――それは風変りよのう。何故にさようなことをしておるのか……、理由があるのじゃろ?」
背後から聞こえてくるクロエの声に反応を示し、榛色の瞳が細められ、エブリンは然りに軽く頷いた。
「あたしの暮らしている町は、あたしが小さい頃――。十年くらい前にほぼ壊滅状態になったことがあるの」
翳りを宿す声音でエブリンは言う。その意想外な返答に、ビアンカの口端から「え?」と小さな声が漏れれば、エブリンは眉根を下げてビアンカに目を向けて微笑む。
「本来だったら『町』と呼ぶには、今は質素で素朴な状態でね。荒廃した町の復興は未だ終わりきっていなくて、みんな元通りにしようと一生懸命にやっている。――そこを有難いことにカルミリア女王様が復興支援として、特産品の買い取りや製作物の依頼という形で援助してくださっているの。他にも街へ口利きしてくれていて、色々な縫製のお仕事を貰っているのよ」
なるほど、と思う。フィネロ王国の『白百合の女王』と呼称される女王カルミリアは、慈悲深き智恵王として名を馳せる。ビアンカはフィネロ王国の城がある“首都アスセーナ”に赴いたことは無いものの、その賛辞は“旅人”であるビアンカの耳にも届くほど。
かような“白百合の女王”の思量によって、荒廃した町は自らの手で再び立ち直れるように動いているのだ。それらは領民を完全なる資金援助で堕落させず、彼らの可能性と前向きさを信用しての英断的な裁量なのだろう。
そして――。その語りから、エブリンの暮らしている町が過去に何事かの事件が起こり、荒廃したことも推し量れた。
エブリンの話を聞いていて、何があったのかと新たな疑問も湧き上がる。だけれども、それを問うには些か好奇心が過ぎるのと詮索のしすぎを感じ、ビアンカは発問を留めていた。
談笑を興じながら、川に沿ってゆっくりと進む。歩きやすい場所を選び、牛歩の足運びを進めている内に日は翳りを見せていたが、漸く眼前に森の木々が拓けて一つの町が姿を現した。――否。そこは町と呼ぶには小さく、どちらかといえば村や集落と呼ばれるに相応しい、質素な家々の立ち並ぶ地が目に映る。
周りは森から連なる木で囲われ、一見するとグローブ大森林の中に存在する村里だ。一応はという形で一円を腰高の木柵で囲われ、土を耕した畑と傍らで草を食む馬耕用の馬、積み上げられた干し草。物干し竿に吊るされた多数の麻は特産品にする商品の下準備であろうか。
質素であるが長閑な空気を感じる――、というのがビアンカとクロエの抱いた第一印象だった。
「ほうほう。なんとも自然豊かで生活感の漂う田舎じゃて。――確かにエブリンの言うておった通り、『町』とは呼べぬ規模よのう」
クロエが歯に衣着せぬ実直な感想を述べるものだから、ビアンカは白眼視をクロエに向けてしまう。「もう少し言い方があるでしょう」と翡翠色の瞳が語るのをちらりと一瞥し、クロエは悪びれなく喉を低く鳴らして笑った。
「送り届けた礼も大して期待できそうもないのう。――まあ、その代わりと言ってはなんじゃが……」
「もう。クロエって謙虚な気持ちが無いのかしら。失礼にもほどがあるわよ」
何かをクロエが言い掛けていたのに被せるように、ビアンカが慨嘆を申し立てた。それにクロエが言葉を噤めば、尚もビアンカは冷ややかな視線をクロエの身に刺す。
だが、そうしたビアンカを意に介さず、クロエはゆるりと深紅色の瞳を町へ流して歩み始めていた。
「早々にエブリンを町に戻し、その後に暫し休憩をさせてもらおうぞ。いい加減にわらわは腹が減ったわい」
「あ、はい。勿論お礼はちゃんとしますし、町のみんなにも事情を話さないといけないし。……ビアンカちゃん、行きましょう」
なんという相変わらずな不遜な態度だろうか――、などとビアンカに溜息をつかせつつエブリンを苦笑いさせつつ、クロエは町へと足を運び始める。その背を見送りながら、ビアンカは再び深く嘆息した。
「……エブリンさん、ごめんなさい。なんか、気を遣わせちゃって」
「い、いや。なんていうか……、クロエさんは自分を強く持っていて良いんじゃないかな、なんて。――美人だから許される何かがあるわよね……」
苦笑い混じりにエブリンは言うと、ふと言葉を止めた。どうしたのかとビアンカが視線を向けると、エブリンは「ただ――」と続けていく。
「クロエさんって我が強いから、兄さんと気が合わなさそうで心配かも。……何事もなければ良いんだけどね」
「エブリンさん、お兄さんがいるの?」
「あたしの本当の兄じゃなくて、町で育った子たちにとっての兄的存在っていうのかな。暫く旅に出ていたんだけど最近になって帰ってきて、町守をしたり畑仕事を手伝ってくれているのよ」
「へえ。頼れるお兄さんなのね」
旅というものは、時に危険も付きまとう。そして、現在は守り人の役割を担っているということから、それなりの手練れだったと思われた。
しかしながら――、自分を押し通す性質のクロエと気が合わなさそうという言葉が、気掛かりだ。クロエは言うなれば奸の側面がある。一概に悪い人物と言い切れないのだが、傲慢不遜さが癪に触らなければいいのだがと憂慮が湧き上がる。
「ビアンカにエブリンよ。ぐずぐずするでないぞ」
「あ、ごめんなさい。今行く――」
ビアンカとエブリンより先に進んでいたクロエは立ち止まり、声高く不満を露わに言う。それにビアンカが反応を示し返弁するが――、はたと言葉を止めて瞬く間に顔色を変えていた。
ビアンカのそれは、焦りを帯びた面持ちだった。不意と嫌な予感を感じ、と思えば再び言葉を発するために口を開き――。
「クロエッ! 危ないっ!!」
ビアンカが大きく声を張り上げるよりも瞬刻早く、クロエは目を眇めて右手を掲げていた。その動きに併せて辺りに金属同士の打ち当たる、剣戟に近い音が響き渡る。
深紅の瞳は涼しげな暉を帯び、大地を踏み締めた足は微動だにしていない。クロエの眼前に挙げられた右手にはいつの間にか黒い日傘が握られ、赤黒い燐光を散らした。
何が起こったのかと榛色の瞳が瞬くに反して、翡翠色の瞳は驚愕にまじろいでいた。
「ちっ……、気付いていやがったか……」
「ほほほ。エブリンから感じた魔力の波長で、よもやと思うたが。数奇な巡り合わせじゃて。本当におんしだったとはのう」
「まさかテメエに嗅ぎつけられるとはな。ここんところツイてないにもほどがあるぜ」
切っ先の無い形状の、無骨な剣が空を切る鋭い音がヒュッと鳴る。
靡く蘇比色の髪に鋭く獰猛に煌めくは銀の双眸――。忌々しげな舌打ちを洩らした後に耳に入った声は、聞き覚えのあるものだった。
何故に彼がここに居るのだと、焦燥して頭が混乱する。しかも、やにわにクロエに斬りかかったのだから、理由も解せずに余計に狼狽する。
不意打ちで仕留めにかかった一撃をクロエは易々と――、日傘で凌いだことに更に吃驚してしまう。
「言葉の綾ではなく、正に『ここで逢ったが百年目』――。随分と探したぞ、イツキよ」
「ああ、そうかよ。――生憎と俺はテメエなんぞに逢いたくはなかったけどな」
不穏な空気を辺りに纏わせ、クロエは武器替わりに握った黒い日傘の先端を差し向ける。
それを銀の双眸の青年――、イツキは睨みつけ、自らの剣を振るうために身構えた。




