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片翼の鳥~出会いと別れの物語~  作者: 那周 ノン
第四幕【古の一族】
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第百三十三節 受難の今人

 川の音に紛れて聞こえた、女性が助けを求める声。ビアンカが声のする方向へ歩んでいくと、川原と森の木々の境――、一見では気が付きにくい草木や枝葉で隠れた場所は、腰ほどの高低差が有って一段低くなっている。

 フィネロ王国領は丘陵(きゅうりょう)や台地が多い。このグローブ大森林も例に漏れず、彼方此方(あちこち)で起伏が有り、緩やかに波打つような地形をしていたようだ。気付かぬままに茂みを進んでいたら、足を踏み外していたかもしれなかった。


「ここですっ! お願いします、助けてっ!!」


 茂みを踏み、手で掻き分ける音が聴こえたのだろう。救済を求めていた女性の声が一際大きく上がり、ビアンカへ居場所を(しら)せて(いざな)う。


「段差の下ね。――今行くわ!」


 言うや否や、ビアンカはひらりと段差の下へ降り立ち、足早に声の方へ向かう。張り出した枝葉を手で押し払い、歩みを進めていくと――。


「ああ……、良かった。誰も通りかからなくて……、どうしようかと思っていました」


 安堵を彩った声を耳に入れると共に、翡翠色の瞳は茂みの奥で座り込む一人の少女を映していた。


 赤毛に見えるほど赤みの強い茶髪を緩い三つ編みに結った、鈴を張ったような(はしばみ)色の瞳の少女。歳の頃はビアンカの見目より(いささ)か上の十六か十七ほどか。衣服は木綿のエプロンドレスという、普通の町娘によく見る(おもむき)だ。


 森の中ほど辺りで助けを求めてくるのだから、グローブ大森林に足を踏み入れて遭難した“旅人(わたりどり)”でもいるのかと。そう思い込んでいたビアンカは一瞬だけ驚きに目を瞬いたが、すぐに気を取り直して少女の元へ駆け寄った。


「大丈夫ですか? 怪我は?」


 ビアンカの憂慮の問いに、少女は眉根を下げて見上げてくる。その様子に立ち上がれないのか、と新たな疑問が湧き上がった。

 少女の(かたわ)らに(ひざまず)きながら、身体の状態を翡翠色の瞳が確認する。僅かに土埃に(まみ)れてしまっているが、一瞥(いちべつ)では怪我は無い。衣服の乱れなども見受けられないので、暴漢に襲われたなどではないようだった。


「足を、痛めてしまって……」


「足ね。――ちょっと見させてもらうわ」


 訴えにビアンカが少女の足を見やり、長いスカートの裾を僅かにたくし上げた。

 目に移った少女の細い足首は腫れと赤みが視て取れる。「少し足首を動かすから、ごめんなさい」と一声かけてから言葉の通りに少女の足首を動かすと、苦悶の呻きが少女の口をつく。


「……折れてはいなさそうですね」


 足首を動かしてみた触覚に違和感は無いので、骨折はしていなさそうだ。けれども、患部に腫れと赤み、熱を帯びているのが窺えるため手酷く捻ったのだと思われた。

 このままでは立ち上がれても、歩くことは痛みでままならないはず。さて、どうするか――、と考えていると背後に茂みを掻き分ける葉擦れ音が響き、ビアンカの翡翠色の瞳と少女の(はしばみ)色の瞳が揃って視線を動かした。


「雇い主を放って行くでない。人助けの前に先ずは許可を得るのが普通だろうて」


 開口一番な文句が投げ掛けられると、少女の(はしばみ)色の瞳が声の(ぬし)を見やって怪訝そうに顰められる。

 突として全体的に真っ白な井出達の――、更に頭から白い羽織物を被っている人物が姿を現せば、ある意味で当然の反応だろう。少女が警戒心を顕したため、ビアンカは安心させようと微笑みを浮かし、次には頭を傾いで翡翠色の瞳をクロエに向けた。


「この人、足を痛めているのよ。――治癒系の魔法札の手持ちが無いんだけれど、クロエは治癒魔法とか使えない?」


「ほほ、使えぬワケがあるまい。わらわを誰だと心得ておる」


 クロエは魔族であるため、魔法を得意としているのは了している。それ故のビアンカの申し出だったが、どうにもクロエは一言二言が余計で苛つきを覚えてしまう。

戯言(たわごと)ばかり言いおって」とくつくつと笑うクロエに白眼視を向けつつ、ビアンカは慨嘆を飲み込んで一つ溜息をついた。


「ねえ。そうしたら治療をお願いできないかしら?」


(まこと)遺憾(いかん)じゃが、それは無理な注文よのう」


 大げさな身振りで間髪入れずに返された否に、今度こそビアンカの顔付きが変わった。偉そうな態度を示したくせにできないのかと、不服を大いに含んだ冷然たるものに取って代わったのだ。


「……なあに? まさか勿体ぶるつもり?」


「勿体ぶるつもりでは無くての。生憎(あいにく)とわらわは()()()()()()おる、と言えば察するかのう。――魔法の行使には()が必要じゃ」


 クロエの返弁に、ビアンカの亜麻色の眉が顰められた。口述の意味を暫し咀嚼して黙考するが、すぐに言っていることを察し付き納得する。


 クロエは曲がりなりにも魔族なので、強大な魔力を以て魔法を扱うことは容易い。だがしかし――、今は空腹なので集中できないと言いたいのだ。いつぞや“調停者(コンチリアトーレ)”であるルシアも、魔法を使うにあたって『空腹では集中できない』とぼやいていたのを(おも)う。

 案外、魔法というものは制約――、空腹で集中力が落ちることも制約なのか分からないが――。そういうものが多いのだと思慮していく。


 そういえば昼食も取らずに歩き通しだったことも、ついでのように思い出した。

 そもそもクロエの言う『空腹』も、遠回しに『血を寄こせば治療魔法を使う』と暗喩しているのでは、などとも考えてしまう。もしかすると、吸血鬼の魔族は血を魔力に置き換える性質でもあるのかとも推し量るが、尋ねる気にもなれなかった。

 さようなことに思い馳せ、ビアンカの口端から再三の嘆息(たんそく)が漏れる。


「あの……」


 クロエと言葉の応酬をしていたビアンカは、不意に声をかけられ、はたとする。翡翠色の視線が動けば、呆気に取られた(はしばみ)色の瞳が見上げていた。


「あ、ごめんなさい。――治療をしてあげたいんだけど、私たちにできる方法が無くて。どうしましょう……」


 “水属性”の治癒魔法が籠められる魔法札の手持ちも無い。クロエも今は治癒魔法が使えない。このような森の中ほどでは、応急処置で行えることもたかが知れている。

 せめて人里に近い場所ならば良かったのだが――。かようなことをビアンカが考えていると、少女はやや前のめり気味に口を開いていた。


「あのっ。そうしたら、大変図々しいことは承知の上なのですが――、町まで行って人を呼んでいただけないでしょうかっ?!」


「え? 近くに町があるの?」


「はい。私の暮らしている町が、川沿いに下っていった場所にあります」


 人々が居を構える場所は水辺近くが多く、昔から『川に沿って歩けば人里に辿り着ける』と言われるものの、まさか緩衝地帯付近に町が存在するとは思ってもみなかった。

 しかしながら、川沿いに下って行けばいいとは言っても、どの程度の距離が離れていてどの程度の時間を町まで要するかが予測できない。


「……ここにあなたを置いてけぼりにするのも、気が引けてしまいます。ゆっくり休み休みでも良いので、私たちと一緒に町まで行きましょう?」


「え、でも……」


 今は昼も過ぎてしまった時間帯だ。きっとビアンカたちが少女の言う町に辿り着き、救援者が町を出る頃には日が暮れ、辺りはまた宵の闇に包まれる。いくらグローブ大森林にヒトを襲う動物や魔物の気配が無いと(いえど)も、少女を一人残してしまうのは気掛かりだった。

 それをビアンカが暗示させる口振りで述べると、少女は申し訳なさそうに眉根を下げた。


「私が肩を貸して支えます。急がなくても、私たちは大丈夫なので」


 ビアンカが言えば背後から「お人好しじゃのう」と、少女には聞こえぬほどの囁きで何やら聞こえたが、無視してビアンカは少女に微笑む。


「ありがとうございます。……正直なところ独りで残されちゃうと思うと、凄く不安だったので助かります」


 ビアンカの微笑みに釣られるように、強張っていた少女の面持ちが微かな笑顔に変わる。その表情の変化にビアンカは緩く頷き、屈めていた腰を上げて少女に右手を差し出した。


「私はビアンカ。こっちの白いヒトはクロエね。――あなたは?」


「エブリンです。ご迷惑をおかけしてしまいますが、よろしくお願いします。ビアンカさん、クロエさん」


 (はしばみ)色の瞳をした少女――、エブリンは目を細めて花が咲いたような笑みを浮かべ、差し出された手を握る。それを確認したビアンカは、エブリンの身体を支えて立ち上がらせてやった。

 ビアンカとエブリンの取り交わしを一部始終、クロエは手を貸そうとせずに見つめたまま。と思えば「ふむ」――、と喉の奥を鳴らし、思い至った疑問を投げるために口を開く。


「エブリンとやら。――おんしは何故(なにゆえ)にグローブ大森林に入り込んでおった? このような場所で油を売っておったからには、何か理由があるのじゃろう?」


「……ねえ、クロエ。もう少し聞き方とか、あるんじゃないかしら?」


 あまりにも唐突で不躾な疑問の口出しに、不敬を申し立てるべきエブリンより先にビアンカが眉間を寄せてクロエに冷然たる視線を投げる。しかし、クロエは一切気に留めず、尚もエブリンを見据える。

 エブリンはというと、思いも掛けない疑に(はしばみ)色の瞳をきょとんと丸くしている。だが、それもほんの一瞬で、再び表情をふわりと緩めた。


「うふふ、良いんですよ。油を売っていたのは本当のことですし」


 エブリンはクロエの傍若無人さに気を悪くしたでも無く笑う。不意とビアンカの肩へ回していない方の――、空いている手でゆるりと何かを指差した。

 翡翠色の瞳と深紅色の瞳がエブリンの指し示したものを眼界に映すと、そこには(とう)でできた籠が転がっていた。籠の周りには草花が散乱しており、採取物を入れていたのだろうことを物語る。


「あたし、ここの森に野草や花の採取に来ていたんです。――グローブ大森林には小さい頃から出入りしていて、勝手も分かっているからって奥の方まで入り込んできたら、飛び出してきた鹿に驚かされちゃって」


「なるほどのう。それで足を滑らせ、下に落ちて難儀していたというワケか」


 森の中にうら若い娘が一人きりでいるのに疑問があった。だけれども、大した理由ではなかったようだ。

 クロエには何か思うところがあったようだが、おくびにも出さない。それ故に、彼女の極々僅かな変化に、ビアンカは気が付かなかった。


「ふむ。したらば、エブリンを町に送り届け、礼として一宿一飯でも振る舞ってもらうとするかの。野宿と携帯食ばかりでは、乙女の柔肌が荒れてしまうでな」


 クロエは下心を包み隠すことなく言い放ち、(とう)の籠へ歩み寄って拾い上げる。

 なんて不純な動機なのだろう――。クロエの言動の数々は、猶々(なおなお)とビアンカを呆れさせ、溜息をつかせるのだった。


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