第十二節 困惑
「いやあ。やっぱり、イヴさんの作った料理は美味しいですねえ」
「ふふっ、ありがとう。そう言ってもらえると、私としても作り甲斐があるわ」
日替わり定食を食べ終わり、ロランはにこやかに料理の感想を口にする。その言葉に、イヴは嬉しそうに微笑んだ。
「――もう時間的にお客様は来ないと思うから、ビアンカちゃんも休んでいて大丈夫よ。私は奥で夕食の仕込みをしているから、何かあったら声を掛けてね」
「あ、はい。ありがとうございます、イヴさん」
イヴはビアンカの返礼に頷くと、食事が終わり空になった食器の乗るトレイを手に取り、また厨房の奥へと姿を消していった。
厨房へ戻っていったイヴを認め、ビアンカは「ふう……」――と、軽く溜息を吐き出す。
イヴがロランとハルの注文した日替わり定食を手掛けている間。ロランとハル――、そして、ビアンカの三人は他愛の無い会話をしていた。
その会話の途中で、イヴから料理が出来上がったことを告げられ――、ロランとハルは遅めの昼食を取り、それを二人が食べ終えて今に至る。
ロランとハルが食事を終えた後も、さくら亭に訪れる客はいなかった。そのため二人は、ビアンカと話をしようという目論見で、食後に出された茶をのんびりと啜っていた。
「ビアンカちゃん。休憩するんなら、そこに座ってちょっと話、しない?」
イヴから休憩を取るように言われていたビアンカに、ロランは声を掛け、ハルの隣の席に腰掛けるように促した。するとビアンカは、ロランの言葉に甘えるように「ありがとう」と笑顔で応え――、促しを受けたハルの隣の席に腰を下ろす。
自身の隣に腰掛けたビアンカにハルは目を向け――、その横顔をまじまじと見つめる。
(――やっぱり。何だか見覚えがあるような……、不思議な感覚になる子だよな……)
ビアンカの横顔を見据え、ハルは思う。
亜麻色の長い髪に翡翠色の瞳――。
ビアンカの容姿は、ハルが無意識の内に、目で追う癖がついていた女性たちの見目と一致している。だが、今まで目にしてきた同じ髪色と瞳の色を持つ女性たちとは違う――、「この少女を探していたんだ」と。そうハルに確信させる、謎めいた感情を彼に抱かせていた。
ハルに見つめられていることに気付いたビアンカは――、不意にハルの方へ目を向ける。
途端に、ハルの赤茶色の瞳とビアンカの翡翠色の瞳の視線がぶつかり合い、ハルは気まずそうにヘラッと作り笑いを浮かべてしまう。そうしたハルの笑みに、ビアンカは不思議そうに小首を傾げていた。
「――あんまり見惚れているんじゃないぞ……」
ハルの様子を察し、ロランが静かに耳打ちをして、可笑しそうにくつくつと笑う。さようなロランの茶化し言葉に、ハルは小声で「うるせえ……」と不機嫌そうに返していた。
「おうおう。怒りなさんなって。――俺は少し遠慮するから、二人での会話を楽しんでくれよ」
尚も笑いを零しながら、ロランはビアンカに気を引かれているハルを気遣い、茶を啜りながらそれ以上の言葉を噤む。
そんな風に気を遣ってくれる悪友――、ロランに内心で感謝しつつ、ハルは再びビアンカに視線を向けた。
「嬢ちゃん。――えっと、ビアンカ……、って名前だよな?」
ハルは赤茶色の瞳を真っ直ぐにビアンカに向け、“豊穣祈願大祭”の際に聞いた彼女の名前を再度問う。その問いに、ビアンカは笑みを見せ、「そうよ」と短く返した。
「よく“豊穣祈願大祭”の時期にエレン王国に来て、このさくら亭に泊まれたな。部屋、空いていたんだ?」
それは、ハルが微かに疑問に思っていたことの一つであった。
“豊穣祈願大祭”というエレン王国を揚げての盛大な政には、余所の街や村、国からの来訪者が大勢訪れる。そのため、エレン王国の城下街にある宿泊施設は全て来訪者――、観光客で部屋が埋まってしまうのである。
そんな中で、“豊穣祈願大祭”の祭り当日にエレン王国に訪れたビアンカが、このさくら亭に泊まっていると聞き、ハルは「よく部屋が空いていたな」と思っていたのだった。
「ああ……。アイン君たちが、泊まるならここだって言ってね。イヴさんに無理を言って、イヴさんが住居にしている離れの方に部屋を借りているのよ」
「あ、なるほど……」
苦笑しながらビアンカが口にした言葉に、ハルは納得してしまう。
(またアインの奴は、自分の頼みを城下の人たちが断れないからって、無理言いやがったのか……)
“ファティマ一族”――、エレン王国を統治する王族の立場を使い、アインが自身の我儘を通すことがあるのを知るハルは、嘆息する。
アインの言動は、有益的地位の濫用だと。そう思わざるを得ないことを、ハルは常々考えていた。
「お兄さんは――、あの後、忙しかったのかしら?」
今度はビアンカが小首を傾げるようにして、ハルに質問をする。
「ん? ああ……、ちょっと色々あって。バタバタしていてな……」
「――あの時のゴロツキの人たち……。みんな、死んじゃったんでしょ……?」
翡翠色の瞳を細め――、ビアンカはハルにだけ聞こえるように、ぼそりと囁いた。唐突に投げ掛けられたビアンカの言葉に、ハルは驚き目を見開く。
「――何で、それを……?」
ビアンカの発した言葉。それに、ハルは心底驚愕していた。
“豊穣祈願大祭”の祭りの際に、ビアンカに絡んでいた粗暴者――。ゴロツキたちは、全員が突然死を遂げていたのだった。
ハルはその場に居合わせておらず、自警団仲間に聞くという人伝ではあったが――。
ハルと、彼に応援で呼ばれた他の自警団員たちによって自警団番所の詰め所――、そこにある地下牢に入れられ、頭を冷やすように言い含められたゴロツキたち。そのゴロツキたちは、静かにしていたかと思うと、夜遅くに突然、牢の中で暴れ出した。
監視役に就いていた自警団員が驚き様子を見に行くと、ゴロツキたちは、まるで何かを振り払う仕草を見せながら慄き喚いていた。――かと思うと、やにわに白目を向き、まるで糸が断ち切られた人形のように、その場に崩れ落ち全員が事切れていたという。
その後は、ゴロツキたちを捕らえてきたハルや関係した自警団員たちの間で、報告書の作成などの後始末に追われ――。運悪く政の時期と重なったこともあり、ハルは多忙を極めていた。
しかしながら――、ゴロツキたちが突然死を遂げたこと。それは自警団と、自警団を管轄するエレン王国の上層部の者たちだけが知る事件だった。そのことを、ビアンカが知っていたという事実に、ハルは驚く。
だが、驚き困惑した様相を見せるハルに、ビアンカは微苦笑を浮かべ――、包帯の巻かれている左手に右手を添えて撫でているだけで、何故それを知っているのかは口にしなかった。
さようなビアンカの様子に、ハルは眉を顰める。
「あ、あのな。――あいつらは別に打ち所が悪くて……、とかじゃないからな。あんたは悪くないんだから、気にするなよ……っ?!」
ビアンカに何故そのことを知っているのか――。それを聞き出そうかと、ハルは一考逡巡する。しかし、そんなハルの口を付いて出たのは、ビアンカには非が無いことを訴える言葉であった。
――自分が叩きのめしたから、死なせてしまったと思っているのか……?
それが――、一考の間に、ハルの脳裏を掠めた思いだった。
その考えが頭に浮かんだ故に、ハルは思わず声を荒げてしまう。
突として声を荒げるハルの態度に、ビアンカは驚いたのか目を丸くしていた。
「うん。――判っているわ。ありがとう」
ハルの思惑を聡く察したのであろう。ビアンカは礼の言葉を述べると共に、また困ったような笑みをハルに見せる。
計らず声を荒げてしまったハルは、ハッとした様を見せ、気まずそうに視線をビアンカから外す。
「あー……、っと。急に大声上げたりして、悪い……」
ハルは居心地が悪そうに、自身の頭を掻きながら謝罪を口にした。しかしビアンカは、そんなハルの謝罪に対して、気にすることは無いと言いたげに、かぶりを振るう。
そうしたビアンカの情態に、ハルは再度ビアンカを見やり、苦笑いを表情に浮かす。
「そういえば――。俺さ、ビアンカと……、ちゃんと自己紹介しあってないよな」
「そういえば、そうね。この前、お兄さんの名前を聞きそびれちゃったなって。私も思っていたの」
はたとハルが思い出したように発した言葉に、ビアンカも賛同する。
“豊穣祈願大祭”の祭りの最中で出会った際。ハルはビアンカの名前を聞いていたが――、ビアンカはアインやシフォンたちに連れられて行ってしまったために、ハルの名前を聞くことを失念していたのだった。
「私はビアンカ。改めて、よろしくお願いします。えっと――」
「――ハルだ。ハル・ライトメア。よろしくな、ビアンカ」
言いながらハルは、無意識に自身の利き手である左手を差し出す。
ところが、握手をしようとして差し出されたハルの手は、ビアンカに握り返されることは無かった。
何故ならば――。
ハルの名を聞いたビアンカが、翡翠色の瞳を見開き、狼狽の色を宿した面貌で絶句していたからだった。




