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片翼の鳥~出会いと別れの物語~  作者: 那周 ノン
第四幕【古の一族】
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第百二十八節 諍いの芳香

 朗らかさと賑やかさを懐旧(かいきゅう)する。まるで遠い昔の出来事だったように懐かしむが、実のところはつい最近のこと。

 思い起こせば、胸の奥がぎゅっと締め付けられる。何やら随分と古い記憶のように脳裏に甦るのは――、それだけオヴェリア群島連邦共和国で過ごした日々が色鮮やかで、離れがたかった本音が声を上げているからだろうか。

 早々(はやばや)と郷愁の念に近いものを抱きつつ、ビアンカは一人旅を続けている。


 潮の香りがしないことも、海鳥の声が聴こえぬのにも僅かに慣れた頃。

 再び中央大陸に渡ったビアンカは、ソレイ港の北東部――、ゼクセ多民族国家領を抜け、北方のフィネロ王国領内の国境に沿って西側へ足を向けていた。


 ソレイ港からそのまま西に渡らなかったのは、エレン王国領を抜けた後にニルヘール神聖国領を通らなければならないから。


 中央大陸の西南を領土とするニルヘール神聖国は、“神聖国”とは名ばかりな非常に好戦的な国だった。

 南部で隣り合うエレン王国とは長く対立関係にあり、大きな争いに辛うじて発展していないが、国境付近で牽制の取り合いを続けている。

 北部で隣接するフィネロ王国とも友好とは言えぬ状態にあり、またフィネロ王国とエレン王国が同盟協定を結んでいるため、それを快く思っていないのだと噂されていた。


 そんな国へ足を運べば、きっと(ろく)なことが起きない。

 さように考えていたビアンカは世界を巡る旅を始めて早百余年、ニルヘール神聖国へ赴いたことは無い。そうして、ただ通り過ぎるだけだと(いえど)も、足を踏み入れたくないと嫌悪した。


 それ故に遠回りといえど、北上してフィネロ王国領に入ってから、西側にある港町に向かう計画を立てていた。



「え? フィネロ王国軍が出てきているんですか?」


 情報収集のためと立ち寄った街で遅めの昼食を摂っていると、思わぬ情報に亜麻色の整った眉が顰められる。

 そうしたビアンカの反応に食堂兼酒場を切り盛りする店主夫妻――、恰幅の良い体躯をした夫人が「そうなのよう」と井戸端会議の奥方さながらに相槌を打った。


「ここから西側の“グローブ大森林”は緩衝地帯でしょう。そこに領土を広げようとして、ニルヘール神聖国軍が上がってきているんですって」


 中央大陸の西部、フィネロ王国とニルヘール神聖国の境に広がるグローブ大森林は、世界の中心(へそ)と呼称される“ユグドの大樹”が(そび)えた神聖な場所だ。

 “ユグドの大樹”は世界創生の頃から存在すると伝わる世界樹であり、自然遺産にも指定されている。そのため、グローブ大森林は保護区域となって何処の国にも属さない――、緩衝地帯となっていた。


 その地を自国領土とするために、ニルヘール神聖国が進軍しているという。


「フィネロ王国の“白百合の女王”が動くくらいだ。ニルヘール神聖国の連中は嫌がらせの牽制なんかじゃ無く、戦争を仕掛ける気満々なんじゃねえのか」


 下手をすれば隣接するフィネロ王国のみならず、自然遺産に害を為すとして他国をも敵に回し兼ねない。ニルヘール神聖国の不穏な動向に憂虞して、腹の出た店主が冴えないかんばせでぼやく。


「それじゃあ、西の方に抜けるのは難しいのかしら。西の港町へ行きたかったのだけれど……」


「両国の軍勢がぶつかるとしたら、森の外側――、東部国境線付近の平野部だろう。フィネロ王国軍は森を避けて東に回って南下していくはずだから、森事体を通り抜けていけば行軍で足止めは受けないと思う……、けどなあ」


 緩衝地帯を突き進むような真似を、フィネロ王国軍は決してしない。先にニルヘール神聖国軍がグローブ大森林に辿り着きはしないのかと思うが、行軍速度と距離を考えれば難しい。憶測から両国軍が衝突するのは、グローブ大森林のやや南東部。“東部国境線”と呼ばれる辺り。

 フィネロ王国軍がグローブ大森林を避けて東に回り南下する前に森へ入ってしまえば、行軍にも(いさか)いにも巻き込まれずに済む。


 それらを思いなして店主は綴ったが、はたと言葉を止めていた。なにか問題があるのかとビアンカが首を傾げれば、店主は眉間に皺を寄せてビアンカを見やる。


「流石に嬢ちゃん一人っきりで森に入っちゃ駄目だ。いかんせん危ねえから、西行きは諦めな」


 思い掛けない店主の諭しに、ビアンカはきょとんと翡翠色の瞳を瞬いた。が、次には店主の心配を察し、へらりと笑みを作る。


「ええ、そうね。無理はしないことにするわ」


 つい思ってもいないことが口端に出た。“嘘も方便”――、とはよく言ったものだが、ここで『森を抜けます』と言い返せば止められて押し問答になるのは目に見える。

 ビアンカが欺瞞(ぎまん)を口にしたとは思わぬ店主は、彼女の諦めの良さに満足げに頷く。


「代わりに南東の方へ行ってみるわ。フィネロ王国領でも南東側なら、それほどきな臭い感じはしないでしょうし。そのままゼクセ多民族国家の方へ下っていこうかしら」


 聞かれてもいないのに、つらつらと嘘の予定を口切っていけば、店主も夫人も増々安堵を彩り首肯(しゅこう)する。

 ヒトを安心させる虚妄(きょもう)も時には必要。嘘と誤魔化しが得意だった()の人も、多弁に誤魔化しを綴る際はこんな気持ちだったのだろうか――、などと頭の片隅で考えて口元が緩む。


「お嬢さんは何で西に行きたかったのかしら? 誰か知り合いでもいたの?」


「ううん。特に当てがあったわけではないの。今まで群島に居たんだけれど、あっちの海と西の海で違いがあるのかしらって思って、比べてみたかったのよね」


「あら、そうなの。観光旅行だったのね。こんな時期に当たっちゃって、気の毒ねえ……」


 ビアンカくらいの年頃の少女が単身で旅を――、というのは滅多に目にするものでは無いが、今の時世で女性の一人旅はさして珍しくも無い。十代半ばといった見目のビアンカは、年齢の割には大人びた受け答えをする。

 夫人はビアンカに対し、『しっかりと自立した子』と印象を受けたのであろう。彼女の旅を『おひとり様の観光旅行』と決めつけ、納得の様相を見せた。


「まあ、旅で足止めはよくあることだし。仕方ないって割り切ります。――ご馳走様でした。美味しかったです」


 食事を終えて人当たり良く微笑むと、ビアンカはカウンター席を立つ。会計を済ませようとすると――、傍目(はため)に人だかりができているのに気が付いた。

 酔っ払いだと思われる男が複数人、円テーブルを囲っている。声の調子から、喧嘩などでは無くて賑やかに談笑をしているようだが、昼間から酔って騒ぐのは如何(いかが)なものかと呆れから溜息が漏れ出す。


 厄介事では無さそうだし、自分には関係無い。気にするだけ時間の無駄――、と辛辣に心中で吐露して、早々に食事の代金を支払ってしまう。

 ビアンカの視線の流れで思惟(しい)を察したのか、店主は「賑やかですまないね」と苦笑いを浮かす。だが、謝罪に対してビアンカの亜麻色の長い髪は、ゆるゆると左右に揺れた。


「色々と教えてくださって、ありがとうございました。また街に立ち寄った時に、ご飯を食べに来ますね」


 ビアンカは折り目正しく頭を下げ、店を後にしていく。さような所作の一つひとつに店主夫妻は感嘆から目を瞬かせていた。


「随分とできたお嬢さんだったねえ」


「良いところの嬢ちゃんって感じだったなあ。歳の割に落ち着いているし、礼儀正しいし」


「そうねえ。それに比べて――」


 夫人の眼差しが(すが)められ、酔った男の人だかりを睨みつける。


「ほら、あんたたち。いつまでもうちのお客さんに迷惑かけるんじゃないわよ」


 険しさを表情に帯び、夫人は重く床板を踏み鳴らして群がりに近づいていく。男を一人二人と押し退けていけば、酔った男たちは不服の(まなこ)を夫人に向けた。


「だってよお、女将さん。こんな別嬪(べっぴん)さん、なかなかお目にかかれねえからよお。是非ともお近づきになりたくてなあ」


「……酔っ払いが入り浸っていたんじゃあ、女性客が飯を食いに来れやしないよ。これ以上うちの客に絡むってんなら、出入り禁止にするよ! ほら、解散っ!!」


 夫人が威勢よく声を張って手を打ち鳴らすと、今まで円テーブルを取り囲んでいた男たちは情けない声を漏らして引いていく。

 蜘蛛の子を散らしたように各々の席に戻った酔人を認め、夫人は呆れ気味に嘆息(たんそく)した。


 気を改めて円テーブルの席に着く客を眼界に入れれば――。なるほど、確かに目を見張るほどの美女が鎮座している。これは男どもが騒ぐのも無理はない。


「ごめんなさいね、うるさい連中で。悪気は無いはずだから、許してやってくれないかしら」


 酔客の不敬を夫人が代わって謝罪すると、今まで黙したまま酒のグラスを進めていた女性は(うべな)いなのか、(こうべ)を軽く縦に動かす。


「気にするでない。騒々しく囲われておったお陰で、気付かれること無く話の盗み聞きができたでな」


 女性の特徴的な口調に、夫人は思わず怪訝さを表情に帯びた。


 フィネロ王国領では耳にしない喋り方に、この女性客が“旅人(わたりどり)”なのだろうと察し付く。

 肩辺りの長さで揃えられた白銀髪に深紅色の瞳。肌の色は白磁を有し、身に着けている衣服も白――、と。全体的に真っ白な印象を受け、深紅の瞳が妖艶さを際立たせている。


「ま、まあ、すまなかったねえ。あいつらは追い払ったから、ゆっくりしていっておくれ」


 同じ女として気後れを感じてしまうほどの見目に、ついと夫人は早々に話を切り上げて(きびす)を返す。

 夫人の引け目の感情に一切興味を示さぬ白銀髪の美女は、不意に「くく……っ」と愉快げに喉を鳴らした。


「このような場所で見掛けるとは、なんとも不可思議な巡り合わせよ。無意識に餌場の臭いを嗅ぎつけたか――、()()()の周りでは、ほんに(いさか)いが絶えぬのう」


 猶々(なおなお)と喉を鳴らし、肩をも揺らす。逸楽の独り言を口にしながら、女性は深紅の瞳を細め、口端を歪ませていた。


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