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片翼の鳥~出会いと別れの物語~  作者: 那周 ノン
第三幕【毋望之禍】
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第百二十七節 海路の日和に

 夏に差し掛かった頃にビアンカはオヴェリア群島連邦共和国に足を運ぼうと決め、ヒロとの邂逅を果たした。

 “ニライ・カナイ”海域での出来事、オヴェリア群島連邦共和国での出来事と、度重なって(いさか)いに巻き込まれたのは――、やはり“喰神(くいがみ)の烙印”の呪いがもたらす事柄だったのだろうか。


 だけれども、不幸を呼び込む呪いを身に宿しているといっても、悪いことばかりでは無かった。


 “ニライ・カナイ”への船旅ではユキやアユーシと。オヴェリア群島連邦共和国ではルシアやカルラ、シャドウとの出会いがあった。彼らと出会い別れた日々は、ビアンカに今までにない思慮を巡らせる貴重な経験をさせた。

 そして、なによりもヒロとの――、同じ“呪い持ち”との出会いは、ビアンカの心に大きな変化を生じさせるに至った。


 呪いを身に宿す存在は、呪いを知るもの(ひとびと)に忌み嫌われ蔑まれる。


 そう教えられ、そう考え、人と深く関わることを良しとしなかったビアンカに、ヒロは気負わずに人と関わっていくことの良さを示したのだ。

 ビアンカの“喰神(くいがみ)の烙印”と、ヒロの“海神(わたつみ)の烙印”とでは呪いとしての性質が異なるものの――、“呪い持ち”として鬱屈するビアンカの心をヒロが解きほぐしたのは事実。


 ヒロがいなければ、ビアンカは人間に対して、いつまでも一線を引く壁を作っていただろう。


 悪い人間(ひと)もいれば、良い人間(ひと)もいる。人間も捨てたものじゃ無い。

 そんな人間(かれら)を見守って生きるという、選択肢の一つをビアンカは見出していた。


 いつかヒロのように、人間(ひと)の役に立てる存在になれたら――。


 さような願いがビアンカの暗然としていた心に、(ともしび)のように宿るのだった。



   ◇◇◇



 季節は廻り、春の終わりへ差し掛かる頃。オヴェリア群島連邦共和国の碧い海原に、二隻のガレオン船が連れ立ち、波を掻き分けて進む。

 船の一隻は船尾にオヴェリア群島連邦共和国の国章――、朱色の布地に金色の水竜が象られる旗が翻り、それが連邦艦隊の所有するガレオン船であることを物語る。


 近接並走で海を進む連邦艦隊の船と、他大陸へ渡るための航行船。

 その連邦艦隊船の甲板には、潮風に髪を揺らすヒロとビアンカの姿があった。


 オヴェリア群島連邦共和国が誇る連邦艦隊の船には、本来であれば余所の国の者は乗せられない。

 しかし、ビアンカは季節の一巡りをオヴェリア群島連邦共和国で過ごし――、政務や軍務に関わる勉学に励んだ経験を活かして、大統領代理を担うヒロの補佐役に務めた。数多の政務に携わり、官僚や兵たちからも慕われ、もはや余所者という認識を持たれていない。

 そのため、ビアンカが国の保有する船に乗ることで、異論を唱える者は誰一人としていなかった。


 寧ろ、ビアンカが船に乗るのを惜しむ声が多かった。何故ならば――。



「――今まで手伝ってくれて、ありがとう。大分長いこと群島に足止めをさせちゃって、申し訳ない」


「ううん、良いのよ。気にしないで。お陰で群島のことを色々と知れたし、沢山のことを教えてもらったもの。あなたには感謝しっぱなしよ」


「あは。そう言ってもらえると嬉しいな。僕も喋り倒した甲斐があるよ」


 黒い外套(がいとう)を羽織るビアンカは、肩に小ぶりな鞄と持ち歩き用に紐で括りつけた棍を掛けている。それは旅支度を済ませた井出達であり、ビアンカの旅立ちを昭然たるものにする。


 ビアンカの出立を、惜しみ嘆く者が殆どだった。それだけ彼女はオヴェリア群島連邦共和国の人々に慕われ、頼りにされていたのだ。

『元気でいるように』『必ず国に戻ってきてください』――、と。温かな言葉を数多贈られ、後ろ髪を引かれたほど。


「本当だったらさ。僕も旅に付き合いたいのは山々なんだけど――、ごめんね。群島が落ち着くには、まだ少し時間が掛かりそうで離れられなくて……」


 ヒロが眉尻を下げて心の底からの申し訳なさを顕すものだから、ビアンカは気にすることは無い旨を示し、(こうべ)を左右に振るった。


 ヒロとしては、ビアンカと共に旅をしてみたい気持ちが大きい。しかしながら――、未だ未だオヴェリア群島連邦共和国の内部は、前大統領の急な逝去と新たな大統領就任とで微細な混乱を来している。また、ヒロに与えられた職務も数多く残っているため、彼は祖国を離れることができなかった。

 そして、ビアンカが手伝いをするとして旅の先延ばしを申し出たが、ヒロはそれを丁重に断っていたのだ。


 ヒロは――、ビアンカが再び旅に出たいが、時期(タイミング)を見極め兼ねているのに気が付いていた。その発足に踏み切れぬ理由が、ヒロへの優しい気遣いなのも察している。

 ビアンカの好意に甘え、祖国に縛り付けることもできた。だけれども、ヒロは足枷となるのを望まず、彼女に旅の再起を勧めた。


 ヒロの持ち掛けにビアンカは驚いていたが――。その快い促しを受け、ビアンカは旅を続けると決めたのだった。


「ヒロが群島を離れられるようになったら、一緒に旅をしてみましょうね」


「うん、勿論だよ。それを楽しみにして頑張るからさ。――っていうか、散々と言ったけど、偶には群島に顔を出すこと。便りは出すこと。いいね?」


「お手紙はちゃんと送るわ。群島にも、なるべく()()ようにするから、旅については心配しないで」


 こう見えて、ヒロよりもずっと旅には慣れているんだから――。戯れに揶揄(からか)えばヒロはむくれた顔をする。「どうせ僕は旅慣れていませんよ」と口元で小さく漏らしたのがビアンカの耳に届き、くすくすと笑わせた。


「……ヒロこそ無理はしないでね?」


「ああ、分かっているよ。君に呆れられないようにするから、安心して」


 一年近くを身近で過ごし、気を許し合った仲だ。互いに心寂しさや憂慮を感じている。傍にいられない間に何事も無ければ良いのだが――。


 さような心配のし合いから、ビアンカとヒロは手紙でこまめに連絡を取り合うことを。そして、ビアンカには最低でも年に一度、オヴェリア群島連邦共和国に足を運ぶように決め事が成された。

 その案を拒否する理由も無く、ビアンカは承諾を示している。


「英雄殿……、そろそろ……」


 気遣いから場を離れていた海兵長がヒロへ近づき、申し訳なさそうに口入をする。その声掛けに、ヒロもビアンカもはたと船首が向く海原を見やった。


 時期にオヴェリア群島連邦共和国の領海を抜ける。国の保有する船が海の国境線――、中間線を越えたとなっては国際問題に発展してしまう。それ故、ビアンカは連邦艦隊船から航行船へ移らなければならない。


 ヒロとビアンカは再び顔を見合わせ、黙したままで頷き合う。と思えば、ヒロは優しく微笑み、右手をビアンカに差し出した。


「それじゃあ、ビアンカ。君の旅路に幸多からんことを――、群島の母なる海と“海神(わたつみ)”に祈るよ」


「ありがとう。ヒロも元気でね」


 一時の別れの時――。ヒロに名残惜しさはあったが、ビアンカの決意を咎める気は微塵も無い。

 のびのびと大空と海と大地を飛び回り、納得がいくまで旅を続けて胸のつかえを取って、気持ちの整理をしてほしい。かような思いの方が大きかった。


 差し出されたヒロの右手を、ビアンカは右手で取って握る。

 翡翠色の瞳が真っ直ぐに紺碧色の瞳を見据え、見つめられたヒロはへらりと笑みを作る。


「寂しくなったら、いつでも群島においで。また僕の家に連れていくから――」


 そこまで口出すと、ヒロは(おもむろ)に背を丸めてビアンカの耳元へ唇を寄せ、小声で何かを囁く。すると、立ちどころにビアンカの頬が朱を差し、耳までをも赤くさせた。


「え、ええ……、何よ、それ……。気が早いにも、ほどがあるわ……」


「えへ。僕ね、楽しみにしているんだ。ずっと憧れていたからさ」


「もう……。あなたって人は……」


 ヒロは何をするにも強引だ。気が付けば彼の思うままに事が進んでいたりもする。しかも、『気持ちの整理をしてほしい』と提言したにも関わらず、想いを伝えてからのヒロはビアンカを将来の伴侶として見ていた。それに不満を感じはしないが、いかんせん気が早すぎると思う。

 ビアンカが唇を尖らせて咎めれば、ヒロは犯意の欠片も無く彼らしい満面の笑みを見せるのだった。



 接舷間近まで並走する船の間に橋板を渡し、航行船へ移乗する。すぐさま(きびす)を返して連邦艦隊船へ翡翠色の瞳を向けると、ヒロが笑顔で大きく腕を振っていた。


「あのね、ビアンカ。言い忘れていたんだけど!」


「え? なあに?」


 ヒロは波音に負けぬ大声(たいせい)を上げる。思わずビアンカが聞き返すと、ヒロは再び大きく声を張った。


「君のお陰で考えを改める気になれたんだ。僕に、また群島を見守るチャンスをくれて、ありがとうっ!!」


 自分は“ニライ・カナイ”に赴いた際に、深い海の底で自ら命を絶っていたかも知れない。だが、それは様々な事柄が重なって実現することが無かった。

 上手くいかなかったのは――、ビアンカがいたからこそだとヒロは思っている。


 過去ばかりを懐かしみ大切にして、これから訪れる希望ある未来を見ようともしなかった。

 過去に出会ったものたちが“ニライ・カナイ”を越えたのを羨み、孤独を嘆き、いつか自分も死ぬ(ねむる)羨望を抱いていた。

 だが、ビアンカから叱責を受けたのが切っ掛けで、ヒロは生きる活力を見出したのだ。


 ビアンカがいなければ、自分が独りぼっちでは無いことに気が付けなかっただろうと、ヒロは断言できた。

 だので、ビアンカがオヴェリア群島連邦共和国へと足を運ぼうと考えてくれたことに、多大な感謝を感じずにはいられない。


「君がまた群島に来てくれるのを、楽しみにしているよ!!」


「ええ、旅のお土産話を沢山伝えに、ちゃんと戻るから。またね、ヒロ!!」


 中間線間際で連邦艦隊船は舵を切り、船首を返し始める。

 ヒロとビアンカは大きく手を振り合い、徐々に遠くなっていく航行船を紺碧色の瞳が見送った――。


「……寂しくなるなあ」


 ヒロの口を本音がぽつりと溢れ落ちる。振り上げていた腕を下ろし、航跡波を引く航行船が遠く小さくなっていくのを見つめ、その表情は至極寂しげだ。


 煢然(けいぜん)たる気持ちになるなというのが、そもそも無理な話。ビアンカと出会ってからの今までが、充実していて楽しすぎたのだから。寧ろ、これで寂しがらない軽薄な男だったら、自分で自分を殴ってやる。

 気を逸らすように心中で自分に言い聞かせて思い馳せ、ヒロは一つ溜息をついた。


 永い時を独りで過ごしてきたが――、漸く共に生きられる存在を見つけた。


 彼女に救われた命の全てを捧げ、彼女を支えて共に生きよう。

 自分は彼女のための剣――、騎士となるのだ。


「さて――、僕も前を向いて()()()()()。ハルに『お前には任せられない』なんて怒られたくないし、ビアンカにもガッカリされたくないしね」


 誰に言うでも無く独り言ち、彼方の航行船を紺碧色の瞳が優しく見送る。

 寂寞(せきばく)に沈む面持ちは顔色を変え、(いつく)しみを湛えて穏やかに微笑んでいた。



 こうして、大海原を孤独に生きる人魚の物語は終演を告げ、愛する者のために生きることを知った人魚の物語が始まりを迎えるのだった。


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