第百二十四節 第一歩を
首都ユズリハの城――。人払いがされた中庭で、腹も満ちて魔力補填もできたルシアは、転移魔法でシャドウをオヴェリア群島連邦共和国外に連れ出すことになった。
以前に転移魔法は“風属性”の魔法なため、相反する“大地属性”を得意とするルシアでは魔力消費量が多い旨が語られていた。だけれども、ヒロの頼みに対し、ルシアは拒否を口にしていない。
ルシアもルシアで何か所要があるのかも知れない。もしかすると、今回の件を“調停者”として、直に“世界と物語を紡ぐ者”に報告しなければならない事情があるか――。
そんなことをヒロは推し量るが、それは口に出さなかった。
「シャドウを送り届けた後、私とカルラは一度エレン王国に戻ります」
「うん。エレン王国の方にも大統領の訃報を報せるから、公葬の時に戻る感じかな?」
「ええ、恐らくは。私からも先駆けてアルゼイド王とお父様へ報せは入れておきますので、弔問の際にお会いしましょう」
エレン王国とオヴェリア群島連邦共和国は、“聖魔大戦”で活躍した“十英雄”同士の縁があり、交流がある。そのために大統領の訃報を聞けば、弔問外交が見込まれる。
エレン王国国王――、アルゼイド・ファティマ直々に訪れることは無いであろうが、ヒロと所縁あるルシアが使者として派遣されるのが濃厚だ。
「カルラちゃんもエレン王国に戻っちゃうのね」
「ん。一度お家に帰って、復習したいこともあるから」
カルラもエレン王国に戻ってしまうと聞いたビアンカは、残念そうな面持ちを浮かせている。そうしたビアンカに、カルラは少女らしい拙い口調で返して微笑んだ。
「そっか。“調停者”になるお勉強、頑張ってね」
「うん。ビアンカお姉ちゃんも無理ばっかりしないでね。ヒロお兄ちゃんに頼って、仲良くだよ」
「ふふ。ヒロのことは頼りにしているし、喧嘩なんてしていないでしょう? もう仲良しよ?」
カルラに笑顔で促されれば、ビアンカは口元に手を当ててころころと笑った。
自分とヒロの仲が良いのは見て分かっているだろうに。そんな口振りでのビアンカの返答を聞き、カルラはきょとんとした表情を作る。
「んー……。そういう意味じゃ、無かったんだけど……」
腑に落ちない気持ちを声音に乗せ、カルラは嘆声した。彼女の心境としては、ヒロが抱いているビアンカへの想いと、ビアンカの本音を感知しての物言いなつもりだった。
なんとなく気が付いてはいたが――、ビアンカは遠回しな言い方が通じないらしい。そんなことをカルラは幼いながらに思ってしまう。
「……どうして女のガキってのは、ませてるんだろうな」
やり取りを目にしていたシャドウが呆れ混じりに漏らす。
カルラを見ていて感じるのは、微かな懐かしさ。思い出すのは、アムリタも歳の割にはませた発言が多かったこと。
だけれども、カルラとアムリタには似ても似つかない部分がある、などとも思う。
アムリタは明朗快活でよく笑いよく喋る、素直な少女だった。
しかしながら、カルラは――。
「喋るのが得意じゃ無さそうに見えて、意外と毒舌だよな。お手本が良すぎるんじゃねえのか?」
銀の双眸が意地悪に細められ、『お手本』と称されたルシアを見やるものの、ルシアはシャドウの嫌味な一言を気にせず、言葉そのままに受け取ったのか軽くかぶりを縦に振っていた。
「ふむ。――カルラは今回の件で、よく喋るようになりました。エレン王国では勉強や訓練ばかりして雑談をさせる機会が無かったので、少しばかり口下手だったのに」
カルラは元来、人見知りをしやすく話が得意でない性格だった。そうしたカルラの性質はヒトとして生きるにあたって、ルシアやルシトに気掛かりを抱かせていた。
だがしかし、オヴェリア群島連邦共和国へ訪れ、ヒロやビアンカと接する内に徐々に口数が増えてきたように推う。それは良い傾向であり、もう少し年相応な少女らしさがカルラの中に芽生えてくれれば良い、などとルシアは考えてしまう。
ルシアの旨意を察したのか、シャドウは眉間に皺を寄せながら腕を組み、僅かに思慮の様を見せて口を開いた。
「あのな、子供ってのは遊ぶのが仕事みたいなもんなんだ。大人に混じらせて勉強や訓練ばっかで子供らしくさせてやらねえと、将来捻くれちまうぞ」
子供らしさ――、喜怒哀楽の感情を表に出す面がカルラには不足していると。極僅かな接触と雖も、シャドウがカルラに対して感じた印象だった。
ルシアの口振りから思うに、カルラは年齢に見合った子供たちの中ではなく、大人に囲まれての学習や鍛錬に励んでいる。それ故にカルラは妙に大人びているのだろう。
シャドウが思ったことを苦言していけば、ルシアはきょとんと赤色の瞳を瞬き、「なるほど……」と納得を溢す。
ルシアは今の見目の年齢で創造されたため、子供時代の過ごし方を知らない。そのため、『子供として過ごす』大切さに理解が回らなかったのだ。
「エレン王国に戻ったら、生活の改善が必要そうですね。何かしらを考えてみましょう」
「ああ、そうすると良いと思うぜ。ガキがガキらしく過ごせねえってのは、流石に可哀そうだろ」
「お前がそういう諭しを口にするの、凄く妙な感じなんだけど」
ヒロからしてみれば、シャドウへの心象は良くない。それが急に子供の育て方に口を挟んでくるので、意外だという思いを隠し切れなかった。
その思慮を嘲笑気味でヒロが吐露すると、シャドウは不敵に口角を吊り上げていた。
「子供にまで気を使われている野郎にとやかく言われたくねえっつの。子供のことで提言すんのは大人の役割。それができないテメエは実年齢の割に中身がガキ過ぎるんだよ」
アムリタを含めた多くの孤児たちの面倒を見てきたイツキとしてのシャドウと、オヴェリア群島連邦共和国に暮らす人々の成長を見守ってきたヒロは立場としては似ている。
しかし――、イツキは自身の目の届く範囲の子供たちの成長を、父親の代わりという役割で干渉してきた。その反目にヒロは数多の者の成長を、傍観という第三者の立ち位置で見てきた。思うに、心持ちの何処かが違うのだ。
それはヒロの中で、『父親』という大人になりきれない部分が存在するから――。
さような保護者然な――、どこか得意げとも取れるシャドウの棘のある返弁に、立ちどころにヒロは面白く無さそうな面持ちを浮かし、紺碧色の瞳でシャドウを睨みつけていた。だけれども、シャドウはそんなヒロの態度を一笑に付す。
「へっ、テメエみたいな青臭いガキなんぞに睨まれたって、怖くねえぜ。せいぜい俺様と対等に渡り合えるように、色々なことで腕を磨いておくんだな」
「……次に遭ったら絶対に息の根を止めてやるからな。覚悟しておけ」
再三の口喧嘩に陥りそうな剣呑な空気が場に流れ始め――、喧嘩するほど仲が良いのかと訳合の逸れた思いからビアンカは苦笑いを浮かし、カルラは金と銀の双眸をまじろがせてしまう。
下手をすれば襟元の掴み合いでも始めそうな一触即発な雰囲気ではあったが、不意と風切り音を鳴らした杖がヒロとシャドウの間に割り込む形で制した。さもすれば鼻面を叩く勢いに吃驚を露わにした二人が杖の持ち主を見やれば――、煩わしげな溜息をつくルシアと目が合った。
ルシアは不満を体面で大いに表しており、次に言い合いをするならば全力で叩くことも厭わないと物語っている。
「まったく。仲が良いのは結構ですが、喧嘩は遠慮していただいてもよろしいかしら? ――シャドウはどの辺りに行きたいとか、ありますか? 何でしたらエレン王国に御一緒いたします? “傲慢”に引き合わせましょうか?」
呆れ混じりにルシアが案を投げれば、シャドウは慌てた様子で大きくかぶりを振った。
「じょ、冗談っ! き、希望を聞いてもらえるってなら、フィネロ王国とニルヘール神聖国の東部国境線の辺りにしてくれっ!」
狼狽にシャドウが声を荒げて希望を述べる。
シャドウが願い出た行先は、中央大陸の北部を領土とするフィネロ王国と南東部のニルヘール神聖国の間にある東部国境線付近。そこには緩衝地帯とされる大森林が存在したはずだと、ビアンカは記憶していた。
「そこに、なにかあるの?」
ビアンカからあけすけな疑を投げ掛けられ、シャドウは言いにくげに蘇比色の髪を搔き乱す。答えあぐねく呈を見せるが、翡翠色の瞳が尚も見据えて小首を傾げるので、観念から嘆息を吐き漏らした。
「……俺とアムが暮らしていた町が、近くにある。久しぶりに町の復興具合を見に行くつもりだ」
幾分かの間を空けて口切り出された回申に、ビアンカは納得したところがあったのだろう。傾げていた首を正すと、微かな笑みを浮かして頬を綻ばせていた。
「アムリタさんのお墓参り、するのね」
シャドウからの返しとは掠りもしないビアンカの推測だった。だが、シャドウは銀の双眸を細め、否定も肯定もしない。けれども、的を射ていたと悟ったビアンカは猶々と微笑む。
「まあ、その話はどうでも良いだろ。――それより、“喰神”の小娘。テメエの持っている俺の剣だけども……」
「あ……、これ……」
まるで主題を逸らすような不意な言葉に、翡翠色の瞳がまじろいだ。ついと黒い外套の下に携えている剣――、ユキから譲り受けたショートソードの鞘にビアンカが触れたのを認め、シャドウは首肯する。
元々はイツキを名乗っていた頃のシャドウが扱っていた代物で、多くの魔族を殺めるのに使用された剣だったという。
その剣を返せと言われるとして、ビアンカは眉を顰めてしまう。しかし――。
「そいつはテメエが持っておけ」
「え?」
慮外なシャドウの申し出に、ビアンカの瞳が再び瞬いていた。
「そいつに籠った魔族の遺恨は、“呪いの烙印”を形作ってもおかしくねえくらいにデカくなっている」
饒舌に語られていくシャドウの言葉に、ビアンカは意図が読めずに首を傾げてしまう。だが、ビアンカの反応を意に介さず、シャドウは口述を続けていった。
「本当だったら、知り合いに押し付けちまおうと思っていたところなんだが。――テメエも“呪いの烙印”を従わせる才があるみたいだからよ。テメエにくれてやる」
シャドウのかつての知人は、魔族に関わる事象の管理や手使に長けていたそうだ。その知り合いに預け、保管してもらおうと考えていた鍔の無い形状をしたショートソードは、期しくもエレン王国でのいざこざでユキの手に渡ってしまった。
魔族の思念を宿した剣は最悪の場合、持ち主に牙を剥くほどの恨みを蓄えている。それなのに、どういうわけかビアンカはそれを従わせて抑え込んでいる状態にあると、シャドウは気付いていた。
それらをシャドウが綴っていけば、ビアンカもヒロも呆気に取られた表情を浮かべる。
「い、良いの、かしら?」
「おうよ。ユキの手に渡っちまった時、どうするかと思ったけども。小娘が持ったままってなら、俺も安心だ」
「そう、なのね。――ありがとう」
ビアンカが微笑んで礼を口にすると、シャドウは「気にするな」と言いたげに苦笑する。
「――さあ。そうしましたら、行きましょうか」
話の区切りが見えたところで、ルシアが促しを口にする。すると、シャドウは頷いて宜いを示した。
「無理しないでね。できれば、ユキさんやアユーシさんと話し合って、穏便に済ませて」
それができれば苦労が無いことは、ビアンカにも分かっている。そうは言うものの、シャドウの事情を了した今となっては、できることならばシャドウとユキの関係を円満な状態にしてほしいと願ってしまう。
そんなビアンカの憂慮に、シャドウは口角を吊り上げるだけで応えることをせず、オヴェリア群島連邦共和国を後にするのだった。




