第百二十三節 変わり始める関係
オヴェリア群島連邦共和国の大統領――、ハヤトの突然の訃報に国民たちは唖然茫然と悲壮し、その後はぎこちないながらも普段と何ら変わらない生活を営む。
国の王に当たる人物の崩御に、その反応は淡白過ぎやしないかとビアンカは感じたのだが、ヒロによれば普通のことらしい。
――「死者に悲しみの情を贈るばかりじゃ、死んだ者が安心して“ニライ・カナイ”に行けないと考えられている。だから、葬儀で送り出す時には悼むけれど、日常ではなるべくおくびに出さないようにするんだ」
みんな元気で過ごしているので、安心して眠ってください――。死者への気遣いからオヴェリア群島連邦共和国の人々は、悲しみを胸に押し込めて日常を変わりなく過ごす。
余所の国々から見れば軽薄だと思われるかも知れない。だけれども、これは古くからの慣習であり、今更と変えようの無いものなのだとヒロは語っていった。
ハヤトを含め、彼の護衛にあたっていた兵たち。そして、保安委員長の逝去。彼らの葬儀は名誉ある戦死とされたこともあり、厳粛かつ盛大な公葬として執り行われるという。粛々としたうら悲しい雰囲気ではないという説話に、これもまたビアンカは意外さを感じた。
そして、ハヤトが優れた行いを成したことで、“英霊”として弔われるそうだ。死して漸く、望んでいた正当なる“英雄”の名声を得たハヤトの末路を思うと、何とも複雑な心境を抱いてしまう。
また、国の長が居なくなったことで、新たな大統領を取り急ぎ決めなくてはならない。そのせいで暫しの間、“オヴェリアの英雄”であるヒロが大統領代理を担うことになり、多忙を極めるだろう。
それらを切々と語り、ヒロは困窮を表情に浮かべていた。『暇ができたら、ビアンカの案内を再開しようと思っていたのに』と嘆いて肩を落とす様子や今後の気苦労を思い、ビアンカは哀れみを覚えるのだった。
◇◇◇
「あのさあ……。女の子たちにご馳走するのは、僕は一行に構わないんだよ――」
ルシアの労いと礼を兼ね、簡易な身支度をしてから赴いた首都ユズリハにある高級料亭。国の高官たちが贔屓にするほど格の高い料亭の店先で、ヒロは納得のいかなさを声音に乗せて呟く。そして、次には踵を返し、背後に目を向けた。
「だけどっ! なんでシャドウの分まで僕が払わないといけないのっ?!」
ヒロは大きく言うや否や勢いよく腕を突き出し、シャドウを指差ししていた。
「おう、さすが小綺麗な格好じゃねえと入れない店だな。美味かったぜ、ごちそーさん」
不敬にも指を差し立てられたシャドウだったが、そこは気にせずに口角を持ち上げて悪びれなく笑う。その反応にヒロは目尻を吊り上げていく。
「いや。なんでお前まで、さも当然のように財布を出さないんだって、僕は言いたいのっ!!」
「あのなあ。お尋ね者状態の俺様が金を持っていると思うか? しかも、こんな馬鹿高い店で飯が食えるほどのさあ?」
「それならせめて、遠慮をするとかあるんじゃないか?! 図々しいにもほどがある!!」
金銭の手持ちが少ない旨を、腕を組んで踏ん反り返り自慢げに口述するシャドウに、ヒロは捲し立てて吠える。
そうしたヒロの物言いで煩そうに表情を顰め、シャドウはちらりとビアンカを見やった。
「なあ、“喰神”の小娘よお。こいつ、心狭くねえ? 貧困しているモンに優しい手を差し伸べられない野郎の何処が良いんだ?」
「へ?」
何の脈絡もない唐突な問い掛けに、ビアンカは翡翠色の瞳をまじろいだ。呆気に取られるビアンカに銀の双眸が細められ、どこか悪戯な印象を受ける笑みをシャドウは浮かべる。
「世の中にはイイ男ってのが山ほどいるんだぜ。お前くらいの器量良しなら引く手数多で選びたい放題だろうに、こんな狭量野郎で手を打っちまったら勿体ねえぞ」
「え、えっと。ヒロは……、優しいし、紳士的だと思うけれど……」
「あー、上面に騙されていやがるなあ。こいつの裏側はアレだ、かなりの漁色みたいだぞ」
「え……? ぎょしょく、ってなに……?」
矢継ぎ早な話の意味が解せずにビアンカが首を傾いで返せば、シャドウは瞬く間に呆れた面持ちを浮かし――、かと思えばにやりと唇を歪めた。
「小娘みたいな純一無雑じゃ、“海神”の野郎の好きに弄ばれて泣かされるのが目に浮かぶな。俺、心配だわ」
「ちょっ、ちょっとっ! この子に変なことを吹き込まないでもらって良いかなっ!! そもそも、それは悪ぶって良くない遊びをしちゃった若気の至りだしっ!!」
ゲラゲラと下卑るシャドウの言を一切理解できず、ビアンカは更に首を傾げる。それにヒロが慌てて間に割り込む形で止めに入れば、シャドウは増々愉快げに表情を緩ませた。
「英雄と呼ばれるヤツは好色だって、古今東西で言うしな。“オヴェリアの英雄”様は、こういう物知らずに自分を教え込むのがお好きってか。その趣味は分からんでも無いが、感服もんだ」
猶々と下品な揶揄いが口を切ると、ヒロは頬を真っ赤に染めて言葉に詰まる。図星を突かれたと言い表す分かりやすい態度に、シャドウは本気の笑いを噴き出す寸前だった。
嘲謔に気付いたヒロは慨嘆で掴み掛ろうとするが、シャドウは身軽く躱して行き違いにヒロの肩に腕を回して動きを制した。
ヒロが吃驚から怯んだ隙に、シャドウは腕に力を込めて頭を寄せる。ビアンカに対して背を向けさせられ、驚きで瞬く紺碧色の瞳に目元が笑う銀の双眸の視線がぶつかった。
「いいか。義理立てってのは、女が絡む場合は損だ。ここは一つ、今を生きているモン勝ちだって開き直れ」
「は……?」
小声で囁かれる言の葉に、ヒロの眉間が怪訝げに寄った。急に何を言い出すのだと口に出そうとするが、それよりも早くシャドウは言葉を続けていく。
「男なら惚れた女はさっさとモノにしちまえ。――ガキは良いぞ。見ていて飽きる暇もねえし、毎日が充実して楽しい。父親先輩としての助言だ」
シャドウが含み笑いを浮かべ、人差し指と中指の間に親指を指し入れる仕草を見せると、忽ちにヒロは焦りを表情に帯びる。
「な、ななななっ、なんでっ! お前に、そんなことを言われないと……っ!!」
猥雑に笑って背を叩いてくるシャドウの腕を払い、ヒロは思わず拳を振るう。それすらも容易く躱されてしまい、蹈鞴を踏んで留まった。
射抜くように紺碧色の瞳で睨みつけるも、耳までを赤くしたかんばせで締まらない。さようなヒロの状態に、シャドウは別の笑いが込み上げる感覚を覚える。
「テメエのことは気に食わねえけども。――飯を奢ってもらった礼として、応援はしてやるよ。小娘も本音が言いづれえみたいだから、聞き出せるようにせいぜい頑張りな」
「えっ?! そ、それって……」
「さてなあ、良否のどっちだったかねえ。男気見せて自分で答えの確認をしろ」
「えええっ?! そこまで言っておいて隠すとか、狡いっ!!」
“邪眼”の能力で悪戯半分に覗き視たビアンカの内心をシャドウが口にすれば、ヒロは立ちどころに目の色を変えて食いついた。だけれども、シャドウは打って変わって突き放す。
食い下がりをするものの、自らで確かめることを再三に窘められ、ヒロは不服そうに表情を顰めた。
口喧嘩で剣呑な空気になったかと思えば、今度は肩を組んで何やらひそひそと話を始めてシャドウが大仰に笑い、ヒロが顔を真っ赤にして慌てている。仲が良いのか悪いのか、今一つ分からないやり取りに翡翠色の瞳を瞬かせ、ビアンカは嘆息する。
これが男同士の友情というものなのだろうか。さようなことを、会話の内容が聞こえていないビアンカは思う。
「――まったく。往来の真ん中でする話ではありませんよ。そのような話は夜の酒場でお願いできません?」
子供――、カルラもいるのだから、と。ルシアに呆れから咎められ、はたとヒロは行き交う人々の奇異の目を集めていたことに気が付き、途端に気まずげに頬を引き攣らせる。
「ぼ、僕は、そんなつもりじゃ……」
完全に乗せられたと言い訳を口にしようとするが、ルシアはにこりと微笑んでヒロを見据えている。
これはルシアが悪ノリをする時に見せる顔だと、ヒロは察し付く。何を言われるのかと心ともなく身構えると、ルシアは尚も笑顔のままで口を開いた。
「まあ、前にも言いましたけれど。私もさっさとしてくださった方が楽ですし、有難いんですよね。早く既成事実を作って、群島に縛り付けておいてくださいな」
「どうしてルシアまでっ?! ほ、ほほほっ、本当に止めてっ! 僕にだって心の準備があるんだから、変な風に焚きつけないでよっ!!」
先に問責を口にした舌の根も乾かぬ内にルシアが卑俗を零したため、ヒロは驚愕を露わにする。まさかこのようにシャドウの話に乗ってくるとは、夢にも思わなかった。
面食らったヒロの様子に銀色と赤色の瞳が揃って愉快げに細められ、顔を見合わせると頷き合って意気投合をしてしまった雰囲気を醸し出す。
「いやあ、いい歳して反応が青臭い。嫁娶に夢見がちっていうか、拗らせていて面白いわ」
「昔っからなんですよねえ、この人は。願望が強いくせして妙な拘りがあるでしょう。本当に手に負えません」
「あーっ! 僕で遊ぶのはいい加減にしてっ!! 二人とも早く群島から出て行ってもらえないかなあっ!!」
恐ろしい協定を組まれてしまった、などと感じつつ。ヒロの焦燥を含んだ大声が場に響き渡るのだった。




