第百二十二節 それはまるで花冠
――『……“オボツ・カグラ”の天使様じゃないけれど。上手に飛べない鳥は、“道標”に誘われて来ているよ』
船が海原を掻き分ける音とマストの帆が風を孕む音を耳にしながら、ぼんやりとカルラが口にした言葉を想起する。
あの時は神の国だとされる“神界”――、オヴェリア群島連邦共和国で言う“オボツ・カグラ”から遣わされた神の使いが、ビアンカを示しているのかと思った。だがしかし――、それは思い違いだった。
「ビアンカさんが、オヴェリア群島連邦共和国にとっての予期せぬ不幸な事柄――、“毋望之禍”だったわけですね」
思い馳せるのは創造主が去り際に漏らした言葉。
――「彼女は人間に対して呪いを振るう寸前でした。これでオヴェリア群島連邦共和国が滅びていたら“強食”と“羨望”が敵対関係になり、更に面白い展開となったでしょう」
その流れにならずに残念だと喉を鳴らす様に、ルシアの眉間には微かな皺が寄っていた。
ビアンカとヒロを対立させて、いったい何になるというのか。万が一にもそのような局面になれば――、死を知らぬはずの“呪い持ち”である双方の、どちらかが滅びるだろう。
戦に関しての力関係はヒロが優位だが、“呪いの烙印”の宿主としてはビアンカが群を抜いている。あまつさえ、“海神の烙印”がビアンカに従う可能性もあり――、ヒロが圧倒的に不利だった。
彼のふたりが争うなどあり得ないし、正直を言えば見たくもない。それ故、ビアンカを止めたシャドウの機転に感謝の情が湧く。
「――シャドウがカルラの言うところの『上手に飛べない鳥』だった。これは自らの心を切り離すことでしか、行動を起こせなかった彼を表したもの。『道標』はハヤト大統領閣下を国の長に推し上げ、シャドウの目に留まる形にしたリーダーを示していた、といったところかしら」
カルラの言葉は本当に抽象的だ。まだまだ自分の洞察力が足らず、全て事が起こった後に意味を察している。
「ハヤト大統領閣下が亡くなったことで、リーダーは暫く忙しくなりそうですし。きっと首都に戻ったら面倒な頼まれごとをされるでしょうし。――さて、どうしたものでしょう」
これからの事後処理を考慮して、思わず溜息が口をつく。
カルラに嘱目を言い渡したが、彼女は“調停者”の職務を逸脱した行いをしている。
せいぜい“光属性”魔法で、無茶な戦い方をするヒロの補助をする程度だと思い込んでいた。それがまさか“邪眼”の能力でシャドウの心の奥底まで覗き、ヒロやビアンカに告げてしまうとは――。
カルラがこの一件で、ここまで大きく関わりを持ってしまうのは想定外だった。
自分も気が付けば、随分と大きな流れに巻き込まれていた。
本来であれば“調停者”として、一連の流れを見守るだけにしなければいけなかった。だのに、ついと行き過ぎた助力をしてしまった。これも予想をしていなかった事態だ。
「これがルシトの言っていた“円環の理”に巻き込まれる、という現象なのかしらね。理の輪の中心にいるのはビアンカさん――、彼女は“縁の糸”を糸車で巻く?」
否――、これは一つの例えとして、相応しいものがあった。
「この“円環の理”は、さながら“花冠”みたいなものですね。私もルシトもカルラも。そして、リーダーやシャドウにユキさんたちも。ビアンカさんの手掛ける“花冠”に編み込まれた花――」
多くの出会った人々との“縁”を花に例え、数多くの種類の花で飾られる冠を大切に編み込んでいく。
「数多の色とりどりな出会いの花に飾られる冠を頭上に頂くは“花冠の女王”――」
“円環の理”である花冠を頭上に頂き、冠と同様の多くの花に彩られる王笏を振りかざし、人の咎を制するか。
それとも、女王の威厳を以て、傲慢な王が支配する世界を作り替える礎となるか――。
そこまで思想して、愉快げな笑いがころころと零れる。“世界と物語を紡ぐ者”に負けず劣らず、自身も詩人だと自嘲する。
「女王の下には幾つかの駒が必要不可欠ですが、騎士の駒の一つ――、“花冠の女王の騎士”はリーダーが担うのでしょうね」
“女王”に手始めに従うは、剣となって果敢に戦う“騎士”。
いずれは“女王”の周りには多くの役割を持つ駒が揃い、それはまるでチェスのようだと感じる。
「まあ。私はチェスよりも――、群島のボードゲームの方が好みですけれど」
ルシアの上機嫌な笑いは、波間の音と共に風に流れていった。
◇◇◇
「これは……、また。なんとも妙な取り合わせですね?」
オヴェリア連邦艦隊と海賊船団の凱旋に湧く埠頭で、ルシアは瞳を瞬かせて首を傾げた。
ルシアの赤色の瞳が目にしたのは、先ずはビアンカ。その傍らに立つヒロの衣服の有様に、思わず嘆息が口をつく。
そして、ルシアの眉を顰めさせたのは――、ヒロとビアンカの後ろで居心地悪そうに佇むシャドウの姿だった。僅かに視線を動かせば、シャドウの衣服を掴むカルラが映る。
それらを見止め、なにがどのような流れで今の状況に陥っているのかが解せず、傾いでいた首が増々横になっていく。
「えっと……。後ろの方は、カルラの新しいお兄様かしら? それとも、意外なところでお父様……?」
船上で件の人物より伝え聞いた話から、ヒロがシャドウの行いを不問とする予見はあった。だけれども、このように連れ立って出迎えられるとは、露ほども思っていなかった。
それ故に頭が混乱を来し、ついつい訳合の逸れた言葉が漏れ出す。
「ん。お兄さんが逃げないように捕まえた」
「だからっ。俺は逃げねえって言っているだろうがっ!」
得意げにカルラが言い述べれば、シャドウが眉を吊り上げて異論を唱える。その取り交わしにヒロは冷然な視線を投げ掛け、ビアンカはくすくすと笑う。
「カルラちゃんが直に触ると、気分が悪くなるんですって。きっと神族の血のせいだと思うんだけど……」
尚も喉を鳴らしながらビアンカが説明すると、ルシアは納得したのか「ああ……」と小さく呟いた。
神族の血脈は魔族と相性が悪い。そのため、魔族であるシャドウはカルラに触れられることで不快感を催すと言うのだろうが――、そこでルシアは疑問を一つ抱いた。
カルラは神族と魔族、そして人間の血を引く。だが、相反する三種族の血は互いの力を相殺し合っている状態にあった。それ故にルシアやルシトはカルラに触れても何も感じない。
恐らくは“呪い持ち”であるヒロやビアンカも、カルラに触れて問題は無いだろう。この二人は無意識に『神族の血を引く』という理由から、カルラに触れることを避けているようではあるが――。
「……テメエ。余計なことを言うんじゃねえぞ」
不意と小さな声音での恫喝がルシアの耳に届く。声の主に目を向けると、シャドウが銀の双眸でルシアを睨みつけていた。
そうしたシャドウの言動で、はたと気付く。シャドウはカルラを無下に扱っているように見えて、その実は煩わしさを感じていないのだ。しかし、ヒロやビアンカの手前、体裁を気にしてぞんざいな態度を取っている。
子供好きだとは小耳に挟んだが、「なるほど」などと思う。素直では無いと感じ、ついつい口元が緩んでしまう。
「ふふ……。それで――、リュウセイさんたちに労いを掛ける前に私の元に訪れたということは、何か理由があるのかしら?」
気を取り直して赤色の瞳を細めてヒロを見やる。問いを投げるも会同の理由は了している口振りだった。
ルシアが全てをお見通しだということを悟り、ヒロは首肯した。
「君にお願いがあるんだ」
「さて、なにかしら?」
猶々と無知を装うルシアに、ヒロは紺碧色の瞳を真摯に差し向けて口を動かしていき――。
「お願い事は二つ。まずはシャドウを君の転移魔法で、群島から連れ出してほしいということ」
ヒロは自身の顔の高さまで掲げた右手で一つを表すため、人差し指を立てる。フッと浅く息を吐いたかと思うと、二つ目の願いを表して中指を立てて示す。
「もう一つは――、群島の人たちの記憶を挿げ替えてほしいんだ」
「……ハヤト大統領閣下の件、ですね?」
「そう。話が早くて助かるよ。――『ハヤトは首都近海で複数匹のシーサーペントが暴れ、国民の危機を憂いた。そこで居ても経ってもいられなくなり、連邦艦隊を率いて自らも出撃した。“オヴェリアの英雄”と共に果敢に戦ったけれど、勇敢な最期を迎えた』……」
「本当にそれでよろしいのかしら? その筋書きですと、リーダーがハヤト大統領閣下を守り切れなかった失態を被ることになりますけれど?」
「まあ、ハヤトを守り切れなかったのは本当のことだし。それに、賊に襲われて殺された――、なんてなったらさ。群島は血の気の多い連中が多いから、敵討ち騒ぎになっちゃうと思う」
そこまで口にして、ヒロは一度言葉を止める。暫しの間を置き、一息つくと眉を落とした笑みをへらりと浮かす。
「ハヤトが群島を良くするって励んでくれたのは、嘘じゃないんだよ。だから、国民を脅威から守ろうとしたっていう、海の男に相応しい名誉ある戦死にしてあげたい」
「ハヤトさんの亡骸は未だ城門前に置き去りになっているの。カルラちゃんが魔法の結界で見えないようにしてくれたけれど、あのままにしておくわけにもいかないわ」
ヒロとビアンカが立て続けに口述すると、ルシアは深い溜息を吐いた。肩までを落とした吐息は疲れを大いに物語るもので、ルシアが心身ともに疲弊しているのを窺わせた。
「申し訳ないのですけれど、すぐには不可能ですね。私も魔力を大分消費してしまいまして、これ以上の酷使は厳しいです」
望む通りの返弁が来ず、ヒロの眉間に皺が寄る。ルシアもルシアで連邦艦隊と巡視の海賊船団を守りながら奮闘してくれたのだろう。それを領得しているからこそ、ヒロは二の句が出せずに言葉に詰まった。
さようなヒロの焦燥と詮方なさを帯びた様に、ルシアは不満で眉を寄せて大げさに嘆声する。
「ハヤト大統領閣下の件は、カルラに任せます。――その補助はシャドウが行うこと」
「は?」
ルシアからの慮外な提言に、シャドウは銀の双眸をまじろいでしまう。何故に自身がカルラの魔法補助をしなくてはならないのだと、面差しが顕著に表していた。
「それくらいは問題無くできるでしょう。ご自分の尻拭いは、責任を持ってご自身でお願いいたします」
「俺は別に――」
オヴェリア群島連邦共和国で起った事柄の数々は、自身が発端なのは事実である。それをそのままにして問題無いとシャドウが反論しようとすれば、赤色の瞳にきつく睨まれて声を窄ませた。
シャドウを制したルシアは眼光炯々に視線を流し、次にはビアンカとヒロを見据える。
「ビアンカさんも“喰神の烙印”が魔力不足です。早々に魔力をリーダーから分けてもらってください。――リーダーも怪我をして“海神の烙印”が多少なりとも魔力を蓄えていますよね。無いよりは大いにマシ。何だったら痛い目に遭うお手伝いはしますので、魔力を補填してください」
「えええ……」
息継ぐ暇もないのではというほど、多弁で早口にルシアは捲し立てていく。
なんという無茶苦茶な言い分だと一同に思わせるものの、ルシアが苛立っている様相が見て取れるため、誰も咎められずに言葉を詰まらせる。
「それと、転移魔法の件は腹ごしらえをしてからです。イライラしていては集中もできません」
「あ、ああ。お腹が空いて機嫌が悪いのか。――ご飯はお礼がてら僕が奢るよ。首都で一番美味しい一番高いお店に連れていくから、好きなだけ食べてよ」
通例であればルシアはヒロの頼み事を「面倒くさいので嫌です」と一蹴りする。それが何だかんだと宜いから提案を言されて安堵しつつ、辛辣な物言いにヒロは頬を引き攣らせてしまう。
だけれども、そうした場の空気を一切意に介さずにルシアは満足げに頷いた。
「よろしい。なら、口出しはしますので、カルラとシャドウはササッとやってください」
それを言うならば『教示をする』の間違いではないのか――、と。一同に思わせながら。
ルシアの急つく教えの下、カルラが操る精神に干渉する魔法をシャドウが渋々と補助する形で、オヴェリア群島連邦共和国の人々の中にハヤトに関わる偽りの記憶が植え付けられるのであった。




