第百二十節 孤影悄然③
視界の端で癖のある濃茶の髪が揺れる。憂いを帯びた同色の瞳が自身を見上げ、忙しなく手足を動かして追ってくる。
何度「ついて来るな」と恫喝して邪険に扱っても、濃茶の髪と瞳をした幼い少女は、離れようとしない。それに辟易としながらも、イツキは少女を撒くためと足を早めることもせずに歩調を合わせて進む。
“邪眼”の力で視た少女の事情に、僅かながらに同情を覚えた。勿論、今の時世ならば食べていくのに困り、間引きと称して実の子を売るなどよくあることだ。
イツキとしては別段子供嫌いというわけでもなく、町から離れた場所に年端もいかない子供を置き去りにするのに罪悪感もあった。そのため、何だかんだと悪態を連ねつつ、齢二桁に満たない幼い少女――、『アムリタ』と名乗った少女を連れ歩いて世話を焼いた。
次第に絆され、アムリタを実の娘のように可愛がっていた。『お父さん』と呼ばれ、然程悪い気がしていない自分に気付いて嘲笑しながら旅を続けていたが――。
子供であり普通の人間でもあるアムリタを、いつまでも旅に引っ張り回すわけにはいかないとして、イツキは一つの決断を出すに至ったという。
「その時分に請け負った仕事で足を運んだ長閑な町――。いや、町って呼ぶには小さかったんだけどな。住んでいる人間も大らかで、俺の代わりにアムの面倒も見てくれて。早い話が……、居心地が良くて、そこに定住することになったんだ」
子連れでは危険な任務は受けられない。そうは言うものの、稼がなくては自分が食うにも、アムリタを養うにも事を欠く。
そんなことを考えていた最中――。町とするには小さく、村と呼ぶには栄えている。さような場所へ赴く荷馬車の護衛を請け負ったイツキだったが、訪れた町の平凡な長閑さや住人の人柄に触れ、その町に定住することを決めた。
「町には孤児院もあってな。――ガキは嫌いじゃなかったもんだから、アムを預けがてらに他のガキの世話や雑用、町の護衛業なんかを引き受けて暮らしていた」
「それは、また……。なんていうか、『意外』としか言えないな……」
ヒロはついと口元に手を押し当て、言葉を漏らす。今までのシャドウの行いを了しているからこそ、どうせ碌な生き方をしていないという思い込みがあった。
「へっ。これでも良し悪しの分別くらいできるんだっての。俺様を何だと思っていやがる」
唖然とした様子でいるヒロにシャドウは一笑を送り、尚も話を綴っていく。
「ただ、な。流れ者の俺がデカい顔をしているのが気に食わない、心狭い人間もいた。誹謗中傷をされることもあったが――、その辺りは味方をしてくれるヤツらもいたから、さして気にしていなかった」
極々稀にイツキを話頭として、町の住人間での諍いはあった。それでも大事にはせずに庇ってくれる人々がいたからこそ、イツキも事を荒立てなかった。
漸く得た『平凡に生きる』という望みを叶え、アムリタとは父娘として過ごし、彼女の成長を見守った。
アムリタの年齢が二桁を越し、父親役のイツキに対して生意気な口を利くようになってきた。時折、男子の好意に困るなどとぼやき、イツキを呆れさせた。仲の良い父娘だと、町では揶揄われもした。
兎にも角にも、のんびりとした何も無い日々が反対に充実していて、このまま延々と続いていくと思っていた。
しかし――。かような暮らしは、長くは続かなかった。
「――どこかで俺の正体を察して、『魔族だ』ってのを密告した野郎がいやがったんだ」
声音を低いものに変えて、忌々しげに呟かれる。それにビアンカとヒロの眉が顰められ、忽ちに不穏な顛末を察した。
「警戒はしていた。けど、密告で訪れた“魔族狩り”を生業としていたヤツらは、慣れている上に狡猾だった」
イツキは魔族であることを隠し、普通の人間のフリをして過ごした。しかしながら――、生まれ持っての“邪眼”が有する銀の双眸は隠しようがなく、その目の色が魔族にしか現れないものだと知る人間が、彼が魔族であることを告発したのだ。
裏切りによって町に訪れた“魔族狩り”を行う組織は、人々が寝静まった宵に孤児院を襲撃した。
建物に火を放ち逃げ道を塞ぎ、イツキを燻り出そうという魂胆だった。家屋の中には罪の無い多くの子供や、世話役の人間がいるにも関わらず――。
「なんで、そんな酷いことを……」
「多くの人死が出ても、『魔族のせいだ』って言えるからな。俺を仕留めるために体裁なんて無かったんだよ」
火の手が上がった孤児院から子供たちを逃がすために、町の住人の多くが手を貸そうとした。だが、善意の救いの手は――、“魔族狩猟家”たちが刃を振るうことで阻んだ。
形振り構わない惨劇に激昂したイツキは、生き残った子供たちを避難させた後に応戦するに至った。
周りには町の住人たちもおり、半ば人質に取られていると言っても過言ではない状況。
『銀の目の魔族』という報告から、“魔族狩猟家”はイツキが“邪眼持ち”であると了しており、事前の準備は万全の状態。
“魔族狩り”は町を壊滅させるのも厭わない手段で執り行われ、どう考えても不利で負けを認めざるを得なかった。
せめて住人たちが逃げるまで、時間を稼げれば良い――。
自己犠牲の思想でイツキは剣を振るい、負けが確約された交戦を行う。
人間に害をなす魔族を殺め、『同族殺し』と蔑まれようとも人間の営みを守ってきた自分が、人間の手で打ち取られようとは――。なんとも滑稽な話だと思った。
だけれども、魔族を裏切ってきた罪深い者の最期としては、相応しい幕引きなのだろう。眼界で自身に向かって一線を引く、炎の明かりを乗せた剣身に諦観して覚悟を決めた。
しかし――。
「次に目に映ったのは、俺の前に飛び出すアムの姿だった。――せっかく避難させたっていうのに、あいつは戻ってきて、俺を庇いやがった……」
地に倒れ伏したアムリタを目にして、何が起こったのか理解が追い付かなかった。
取り乱して混乱しきり、冷静な思慮を出来ずにいた中――、尚もイツキに剣を振るおうとする“魔族狩猟家”たちに向かって、石や瓦礫が投げつけられた。はたと飛来物が来た先を見やれば、避難していた住人たちの半数が戻ってきていたのだ。戦いの技術や知識、抗う術が無いにも関わらず、身一つでイツキを助けるために。
住人たちに「早く逃げろ」と追い立てられ、異論を挟む暇も与えられずに、イツキは退却を余儀なくされる。満身創痍になった身に追手もかかり、命からがら逃げおおせた。
ほとぼりが冷めるまで鳴りを潜め――、暫しの後に町に戻る。銀の双眸に映ったのは、慣れ親しんだ長閑な町が廃墟の如く荒れ果てている様だった。
恐らく、“魔族狩り”の集団はイツキを匿ったとして、見せしめに町を破壊していったのだと悟った。
自分のせいだと、深い後悔を抱いた。
守るべきものに反対に守られ、生き永らえてしまった。
アムリタの最期を看取ってやることも、できなかった。
町の出入り口で途方に暮れていたイツキを見つけ、辛うじて生き延びた住人たちが声をかけてきた。
恨み言や嘲罵を聞かされるのだろう。だが、町を崩壊させる原因となったのだから致し方ない――。
さように考えていたイツキにかけられた第一声は、『生きていてよかった』という心底からの安堵を宿すもの。
次に聞かせられたのは、『すまなかった』という陳謝。ほんの一握りの心無い住人のせいで、イツキに悲憤を負わせた謝罪。娘であったアムリタが犠牲になったことへの謝罪の言葉だった。
多くの犠牲もあった。住む家も何もかもを失った。しかし住人たちは、その原因がイツキにあるなどと思っおらず、イツキが生き延びていたとして心弛びを表した。
ただただ、それが有難く、優しさが胸に染みた。反目で自己嫌悪から、申し訳なさに圧し潰されそうになった。
「その後のことは――、正直なところ、よく覚えていない。憤りから密告した野郎を締め上げて、どこの誰に伝えたのかを聞き出した」
「……そこで出てきたのが。ハヤトさんの所属していた、差別主義組織の存在だった?」
黙して耳を傾けていたビアンカがぽつりと漏らすと、シャドウは然りを示して頷いた。
「噂には聞いていたが。『人間を異種族の脅威から守る』って大義名分を掲げている、かなり規模のデカい組織があった。――俺も元同業に近い感じだったが、俺様とは似ても似つかねえ。人目を避けて静かにしていた魔族や亜人たちなんかも無差別に殺しているっていう、ロクデナシの集団だ」
「それで? お前は仇討ちのために、その組織を襲って壊滅させたのか?」
「端的に言えば、そういうこった。組織に所属していた面子を殺してやろうと考えた――」
アムリタや孤児院の逃げ遅れた子供たち、イツキを守ろうとして犠牲になった多くの人々のためと考え、イツキは報復で胸の内を焦がした。
さようなことをしようと、無意味なことは分かっていた。仇討ちを成したところで死者は蘇らない上に、きっとアムリタたちには『危険なことをするな』と咎められてしまうだろう。
半ば自己満足もあった。そうすることでしか、胸中に痛みを伴って蠢く忸怩たる思いを昇華できなかった。
異種族に排他的だった差別主義組織に所属する人員を調べ上げ、その過程で同じ志を抱く魔族やエルフ族、亜人などの種族がイツキの下に集った。その中には、懇意にしていた異種族の知人を殺められ、組織に怨恨する人間も含まれていたという。
「そして、ある日――。中央大陸のニルヘール神聖国領にあった社交街に、各地に点在していた組織の重役たちが一堂に会する場が設けられた……」
そこまでを聞き、ビアンカがはたとした様子を見せる。
「……その時に、あなたは仲間を率いて、組織の人たちを襲ったのね」
「ああ。そこからは、あれか。そこのチビガキ――、カルラに聞いたんだな?」
ハヤトの心中をカルラから伝え聞いた際、中央大陸に組織の本部があったらしい旨が語られた。その時に異種族で編成された徒党に、組織が強襲される事件が起こったのだ。
大多数の重役や差別主義を掲げていた者たちは、イツキが率いる集団によって殺害された。恨みつらみを爆発させた者たちの襲撃は、瞬く間に本部の建物内部を阿鼻叫喚の場にしていく。
そうした中――、イツキにとって一つの誤算が生じていた。
「――あの場で組織の支援者だったハヤトの野郎を取り逃がす失態をしちまったのが、そもそもの始まりってところ、だな……」
忌むべき事柄だったと言いたげに、シャドウは眉間に深い皺を寄せて想起を窺わせた。




