第百十九節 孤影悄然②
「なんで、テメエがそれを……っ!」
驚愕でシャドウが語気を荒げれば、カルラは小首を傾げて自身の目の片方――、銀色の瞳を指し示す。“邪眼”でヒトの心を視られるのだから当たり前じゃないか、と言い表す仕草にシャドウは声を詰まらせた。
まさか、そこまで心の奥底を視られるとは思ってもいなかった。想定外の事態に狼狽え、冷静になろうとして蘇比色の髪に手を添えて搔き乱す。
そんなシャドウの態度は、他言しにくい事由の存在を明白にした。
「あなたにも理由があって、差別主義者たちを襲うようになったのよね? それがカルラちゃんの言う、アムリタさんと関係があるの?」
「あー……、その。なんだ、なあ……」
ビアンカが追究を投げると、シャドウは歯切れ悪く言い淀む。
言うか言うまいか。そもそも、何故にこいつらに言わなければならないのか。余計なことを言い出して――。
さようなことを矢継ぎ早に思うも、カルラの金と銀の双眸に見据えられているのに気付き、シャドウは嘆声した。
「くそっ、分かったってのっ! 言うよ。言えば良いんだろっ!」
シャドウが“邪眼”で思念を読めると顧みての、カルラの圧力ともいえる直視だった。射抜くほどの金と銀の眼差しは、シャドウへと沈黙の語り掛けをしていたのだ。
(なにが『二人は“翼賛”――、協力者になってくれるはず』だっての。ガキの甘っちょろい考えで大人の事情に口を挟むなってんだ。……そうそうと理解者ができるんだったら、苦労はしてねえ)
自身が行っていることは、人に褒められるものでも賛同を得て理解されるものでも無い。
ただでさえ、過去に行動を共にしていた馴染みの人物にも見放されているのだ――。しかも自分は、その存在に命を狙われる立場となった。
事情を了しているはずの顔見知りでさえ、今や敵なのだ。それらを考えるに、ヒロとビアンカが話に共感を示し、力を貸してくれるなどあり得ない。
だけれども、カルラは尚も真っ直ぐに見つめてくる。その様子にシャドウは観念から、首を上げて空を仰いだ。
「……俺の本当の名前はイツキだ。シャドウって名は、もう一人の俺――、ユキって名前を付けられたんだったか。あいつの『影』を意味して、“傲慢”の野郎が暫定的に付けたもんだ。嫌味で洒落ていると思って、そのまま戯れにシャドウを名乗っていたってところだ」
くつくつと自虐的な笑いで喉を鳴らしていると、眉間に深い皺を寄せていたヒロが、ふと口を開いた。
「ユキは全ての記憶を失っていたらしいじゃないか。だけど――、今までの口振りで思っていたんだが。お前には古い記憶が残っているのか?」
「俺様は別に記憶喪失になっちゃいねえ。――“邪眼”の魔力が記憶を無くしたことで暴走して、魔力の化身である俺が人格を持って逃げ出したって言われていたみてえだが。俺が自分の中から、ユキを追い出したんだよ」
「はあ? 聞いていた話と違い過ぎないか?」
思い掛けない返弁に、ヒロは増々怪訝を表情に帯びる。そうした様を目にしたシャドウは、フッと鼻を鳴らして唇に弧を描いた。
「そりゃあ、なあ。真実が捻じ曲げられて、ユキに伝えられているからだ」
「それって、もしかして……」
――『真実は時に、捻じ曲げられて伝えられる。心せよ』
いつかヒロが顔見知りの魔族から聞いたという話が、ビアンカの脳裏を掠めた。
実際に起こった事柄と違うことをユキへと伝えた存在。それに行き当たり口に出せば、シャドウはゆるりと首を縦に動かした。
「テメエらも分かっているだろ。“傲慢”――、“世界と物語を紡ぐ者”を自負する野郎が造言を吐き出し、それを俺の片割れが信じ込んでいるってワケだ」
矢張り“世界と物語を紡ぐ者”の仕業かと、ビアンカもヒロも眉根を寄せた。
ユキに真実を告げず、嘘を織り交ぜた出来事を語った。それによってユキは、自分自身が二人に別れた人格の大本だったと信じ込んでいる。彼自体が本当であれば『影』の名を持つに相応しい存在なのだと気付くことなく、シャドウを追っていたのだ。
「甘い考えを具現化させて外に追い出したってのによ。“世界と物語を紡ぐ者”に言いくるめられて、せっかく人として穏やかに過ごせる機会を無駄にしていやがるんだ。なんとも、まあ――。自分の半身のこととはいえ、哀れなもんだぜ」
嘆息と共に漏らされたシャドウの口述に、ビアンカは引っ掛かりを感じて首を傾げた。
ユキは自身のことを『普通の人間と同様の存在だ』と語っていた。彼は“邪眼持ち”ではないもののヒトの心を視る能力を僅かに残し、表層にある考えを読むことはできた。しかし、“邪眼”の魔力の殆どはシャドウが有しており、ユキには大した魔力が残されなかったのだ。
人間よりも少しばかり魔法の扱いに優れているだけの、普通の人間に近い存在。それがユキだった。
「『甘い考えを具現化させて』――、って。ユキさんは、あなたにとって何だったの?」
シャドウの話で疑問に思ったこと。それをビアンカが問うと、シャドウは一瞬だけ思慮を窺わせた。その様子はどこか言いにくい呈を察せさせ、ビアンカの首を傾がせる。
だけれども、シャドウは思断ちの溜息を吐き、仕方なさげにして口を開いた。
「ユキは――。俺の抱いていた、“願望”の塊だ」
「どういう、こと?」
「……甘っちょろい願いを持っていたんだ」
再び天を仰ぎ、静かにシャドウは言う。その声音は悲壮と無念さを孕み、並々ならぬ事情があったのだろうと悟らせるものだった。
「俺はなあ。なーんも無く、平凡に生きることを望んでいた」
「え?」
「大した立場も持たない人間みたいに、呑気に過ごしていたかった。――だけどな。甘い考えを持っていたんじゃ、ダメだと思った。非情にならなきゃ、いけなかったんだ」
「それで? その考えを一人の人格に寄り合わせて生まれたのが、ユキだって言うのか?」
思い掛けない返弁に呆気に取られたヒロが聞けば、シャドウはゆるりと首肯した。
ユキは元々シャドウの心の内に在った、『人間のような平凡な生き方をしたい』という願望が形作った存在だという。
シャドウはある目的を果たすために、甘さとも優しさとも取れる感情が邪魔になると踏んだ。それ故に“邪眼”の魔力を操り、願望を自身の外へと追い出した。
そこで世に生を受けたのが、普通の人間と何ら変わらない存在であるユキだったのだ。
「どうして、お前はそこまでした? そんなことをしてまで、なにがしたかった?」
「甘さを捨てねえとアムの――、アムリタたちの仇が討てねえって気付いたからだ」
猶々と投げられたヒロの問いに、シャドウは迷いなく言い放った。銀色の双眸がヒロを睨むように見据え、自身の行った所業の正当さを語る。
「なにがあったのかしら? アムリタさんって誰なの? 名前からして、女性――、よね?」
ビアンカの言う通り、『アムリタ』の名は女性に付けられることが多い、西の大陸の響きを持つものだ。女性の名が出てくるということは――、件のアムリタはシャドウにとって、恋人などの深い関係だったのだろうか。
さような想いから口端を出た問いに対し、シャドウは再び頷くと浅く吐息を漏らしていた。
「アムは――、俺の『娘』だ」
「「えっ?!」」
完全に慮外なシャドウの返答に、ヒロとビアンカの吃驚を含んだ声が重なる。意外だと物語る声音を聞き、シャドウは体裁悪そうに髪を搔き乱した。
「あれだぞ。娘って言っても、俺の本当のガキじゃねえからな。拾った人間のガキを連れ歩いていただけだ」
「ど、どういうこと、なの?」
驚きが冷めやらぬ様子でビアンカが再度問うと、シャドウは自嘲の一笑に鼻を鳴らす。そして暫しの思案をし、「前置きが長くなるが……」と零しながら再び口を開いた。
「俺はある人物と連るんで、“魔族狩り”をしていたことがある。だけども、そいつとちょっとした意見の食い違いがあってな。それを切っ掛けにして、“魔族狩り”からは足を洗って、ふらふらと放浪をしていた――」
シャドウがイツキという名で過ごしていた頃――、彼は親交のあった人物と“魔族狩り”を生業として旅をしていた。
たった二人で行っていた“魔族狩り”は、人間に危害を加える魔族だけを標的にしての更生を主な目的にしていたそうだった。勿論、考えを改める魔族ばかりではなかった。諭しを聞き入れない魔族は狩りの対象として殺めた。そのことによって、彼らは『同族殺し』などという異名を頂くに至ったという。
そうした日々の中で、ふとした思想の行き違いによって、イツキと連れは言い争いを起こし、袂を別った。
その後にイツキは“魔族狩り”を止め、自由気ままに生きる道を選んだ。
魔族であることを隠し、人間に紛れて旅から旅の“旅人”に身を窶し、旅の金銭が足りなくなれば人間に雇われて護衛業をして旅費に充てていた。
「その時に妙に羽振りの良い行商人の護衛に就くことになってな。まあ、金さえ貰えるなら、運ぶ荷が何であろうと気にしなかったんだが――。その行商人は裏で人身売買をする奴隷商をしていた」
「え。それじゃあ、もしかして。アムリタさんって……」
事の成り行きを聡く察したビアンカが口を挟むと、シャドウは「正解だ」と言いたげに口角を吊り上げる。
「ご名答。アムは口減らしとして実の両親に売っぱらわれた、奴隷商の商品だったんだよ」
荷馬車の護衛に就く際に、行商人からは「馬車の中に決して足を踏み入れるな」と念押しをされた。余程人に見られたくない、ワケアリな商品を運んでいるのだろう――。さして人間の所業に興味が無かったイツキは深く考えることもせずに、よくあることだと思った。
馬車の移動を開始して暫くの後、行く手を阻むように強奪目的の山賊たちが姿を現した。狡猾に連携を取り、馬車を取り囲む山賊の数は多かった。行商人は護衛役がいるにも関わらず、山賊の多さに恐れをなして早々に逃走。
まさか雇い主が命惜しさに荷を置いて逃げ出すなどと、露ほども思っていなかったイツキは呆気に取られたが、山賊の多さを意に介すこと無く軽々と討伐を行った。
護衛の報酬は目的地に到着してから渡される約束になっていたが、肝心の行商人は逃げ出したままで戻る気配が無い。
賃金を貰い損ねたという理由から、イツキは馬車に乗り込んで金になりそうな荷を漁る。
その時だった――。
木で組まれた箱型の馬車、覗き窓すらない空間の中。高く積み上げられた荷の奥で、身を丸めて小さくなって怯えている幼い少女の姿を、イツキは見つけていたのだった。




