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片翼の鳥~出会いと別れの物語~  作者: 那周 ノン
第三幕【毋望之禍】
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第百十七節 偽りの正しさ

 遥か遠く、水平線が陽炎と混ざり合って揺らぐ紺碧の海。

 陽光眩く陸地へ目を向ければ、遠浅の内に珊瑚を抱く翡翠の海。


 思えば、今、オヴェリア群島連邦共和国の地で肩を並べる“呪い持ち”は、どちらも海の色を瞳に持っているのだ。

 人々の営みを見守り、優しく育み慈しむ穏やかな海。時に嵐を呼び荒れ狂い、人々の生活を脅かす海。()の二人は、その瞳に抱く海のような二面性を持ち合わせている。


 さようなことを連邦艦隊本船の甲板で、端正な顔立ちをした青年が思い馳せる。


 青年の腰まで伸びた灰色の長い髪が潮風になびく。(こうべ)を動かして赤色の瞳を泳がせれば、片眼鏡(モノクル)の硝子面が光を反射させた。


 すらりと背の高い身が纏った中央大陸で主に目にする衣服は――、オヴェリア群島連邦共和国が誇る連邦艦隊の海軍将官や海兵たちから(いささ)か浮いていた。

 だけれども、それを気にする者は誰もいない。皆がみな、忙しなく動き回り海原に降ろしたボートに縄梯子、綱の様子を気に掛けている。


 クリッパー船及びガレオン船群の甲板には、舷側から海原に向いた砲が置かれている。砲撃を行ったことを示すように黒い煙を立ち昇らせてはいるが――、そのどれもが普通の砲火によるものでは無い、魔力残滓である淡い燐光を含む。


「――さて、ルシア。なにか言い訳はありますか?」


 風が弄ぶ髪を鬱陶しげに手で払い、自らの後ろで頭を下げて佇立しているルシアへ問い掛けた。


「申し訳ございません。これは、私の一存での行動です」


 言い訳を口に出すでも無く、ルシアは自身の非を認める口述を零す。その声音には震えが混じり、彼女の畏怖を窺わせる。


 連邦艦隊の舷側が向く風下。海原には海賊船旗を翻すガレオン船が浮かび、その目端には場に不釣り合いな荒涼な大地が広がっていた。そこに打ち上げられた数匹の巨体の蛇――、シーサーペントは凄惨な亡骸となって横たわる。

 その有様から見て、ルシアが“大地属性”魔法を操って、シーサーペントたちを地上へと打ち上げる作戦を遂行したのが明らかだ。


 唯一の違いとして、陸地に姿を現したシーサーペントに集中砲火を見舞わせた砲が、通常の砲撃と違うものだったことだろう。


「ユキ君とシャドウ君の案件で知らせを受けて足を運んでみれば、貴女は“羨望”――、“海神(わたつみ)”の彼の管下にいるではありませんか。流石に驚きましたよ」


「言い訳は何一ついたしません。ですが――、何卒、ヒロ・オヴェリアとビアンカ・ウェーバーの両名を。そして、カルラを咎めるのだけはお止めください」


 自らを見ようとしない青年の背に、ルシアは深々と頭を下げる。そうした彼女の口振りに、青年は初めてルシアへと赤色の瞳を向けた。


「……貴女ひとりが全ての責任を取ると?」


「はい」


 青年の感情を窺えぬ声音にルシアは頭を上げられぬまま、責めを負う意志を返弁とする。


 身体が強張り微動だにできなかった。()()()の意向に沿わない動きを見せた“調停者(コンチリアトーレ)”の末路を、ルシアは知っている。きっと自分は破棄(ころ)されるだろうが――、それも致し方ない。

 心残りがあるとするならば、双子の弟として創造さ(つくら)れたルシトを独りにしてしまうこと。彼はルシアが破棄されたと知れば、黙ってはいない。


 覚悟と無念さが胸中に蠢くルシアの耳に、ふと喉を鳴らす音が聞こえた。例えるのであれば、まるで悪戯が成功した時に揶揄(からか)いを含意して漏らしたもの。

 ルシアが恐る恐る青年を見やれば、腕を組む姿勢でいる青年は目尻に皺を寄せてくすくすと笑っていた。


「ふふ。そんなに怯えないでくださいよ。――この件で君は、ルシア・ギルシア一個人として、友人のヒロ君に力を貸したのでしょう?」


 青年が赤色の瞳を細めて問えば、ルシアは黙したまま首肯(しゅこう)した。その返しに青年は幾度か軽く(こうべ)を縦に動かし、穏やかに微笑む。


「今回は愛娘の遅い反抗期を祝しましょう。私はルシアの父親として、可愛い我が子を助けに来ました」


「お父様。それでは……」


 思いも掛けない許しに、ルシアの赤色の瞳がまじろいだ。完全な慮外の成り行きに、呆気に取られ――、次には安堵で浅く吐息が口をついてしまった。


「“収集物(コレクション)”として埃を被せていた“魔導砲”に魔力を籠め、持ち込んだ甲斐もありましたね。偶には使ってあげないと、砲身も錆びてしまう」


 吃驚の色を見せていたルシアを意に介さず、青年はゆるりと連邦艦隊の甲板に設置した砲へ視線を投げていた。


 海原から陸地へと叩き出されたシーサーペントたちに、無慈悲な集中砲火を見舞わせた砲の正体は――、“群島諸国大戦”で同盟軍の脅威になった“魔導砲”だった。それが複数台、魔力の砲を打てる状態で現存していたのだ。


「これを全て破壊しようと躍起になっているヒロ君には、“収集物(コレクション)”として残していることで怒られてしまいそうですが。連邦艦隊の皆さんも上手に扱ってくれましたし、まだまだ現役で役立ちそうですね」


 全ての“魔導砲”に手ずから魔力を籠め、連邦艦隊の海兵たちに砲撃をさせた。

 魔力を帯びた砲の圧倒的な破壊力を前に、海の(ぬし)として恐れられるシーサーペントたちは身を裂かれ焼かれ――、と。(たちま)ちに無様な肉塊に成り果てた。

 このような強い武器を利用せず、根絶しようとするのは勿体ないのではないか。そんな風に思うものの、その行程で目にする物語が思いの外に面白いので不問としている。


「ヒロ君には『義』を掲げる良き役者として舞台に上がっていてもらいたいことですし、未だ未だ退()()はご遠慮願いたい。――この砲を目にしたことは、この場にいる者たちの記憶から抹消しておくこと。良いですね」


「仰せのままに。――ありがとうございます」


 まるで、ヒロを()()ことを暗喩する言い方だとは思う。だが、ルシアにとって青年の言葉は絶対である。異を唱えることなく、(うやうや)しい態度で以て(うべな)う。


「さて。あちらも一段落がついた頃でしょうかね。“正偽(せいぎ)”を掲げる者たちと彼女が関わる物語――。面白いお話となりました」


 正しいことだと、自分自身に嘘をついて執行される“正偽(せいぎ)”。

 いつぞや泳がせるためと見逃したものが、行く末を見守る少女に(えにし)の糸として絡みつくとは思ってもみなかった。その結末は、どのようになるのか――。


 自身の書き綴る手記に残す物語としては、予想外の展開になった。しかしながら――、その予期せぬ事柄が面白いのだ。


 青年は赤色の瞳を細め、首都ユズリハのある陸を愉快げに眺めていた。



   ◇◇◇



 とどめの一手を止めたモルテと、それを成した幼い少女――、カルラを二対の銀色の瞳が驚愕で見据えた。


「なにを――、している?」


 カルラに触れられた不快感に眉を寄せ、モルテが低い声音で聞けば、カルラは言葉無くゆるりと(こうべ)を振るう。


 何が起こったのか、何がしたいのか。現状を目の当たりにしてシャドウは(いささ)か考えるも、兎にも角にも()げる好機が訪れたと思う。

 瞬時に足に力を籠め、その場から退こうとするシャドウだったが――、不意に足へ鋭い痛みを感じたと同時に力が抜けて膝を折った。


「ぐ――っ、この……っ!!」


 忌々しさを含有した悪態が口をつく。その視線の端を、左側に向かった一線が銀の軌跡を引く。


「僕は元々左利きでね。左手で得物を握って腱を斬ることくらい、雑作も無いんだよ」


 背後から聞こえてきたのは、凄みを帯びたヒロの声。


 ヒロは右手で腹を押さえ、左手には剣身に文字が彫り込まれた大型の短剣を握る。彼の隠し玉ともいえる魔力を帯びた短剣は、容易にシャドウの膝裏の腱を断ち切り、逃げる力を奪っていた。


 足を支える力を失ったシャドウは尻もちをつくように、腰を落とす。銀色の瞳がヒロを睨み、「もう動けるようになったのか」と語るが、ヒロは唇に弧を描いて獰猛な笑みを浮かべた。


「“海神の烙印(こいつ)”は、僕が大怪我を負えば負うほど魔力を蓄えて傷を早く治してくれるんだ。――驕りが仇になったな」


 短剣を握る左手の甲――、黒い革の手袋に覆われながらも赤黒い燐光を放つ“海神(わたつみ)の烙印”を示し、ヒロは言う。

 “海神(わたつみ)の烙印”が有する宿主の傷を癒す力で、ヒロは辛うじて動ける程度まで回復した。傷は未だ塞がりきってはいないものの、シャドウがモルテと対峙して隙を見せたことで、痛みを押して立ち上がったのだ。


「最後に、何か言い残したことはあるか?」


 ヒロは遅鈍な動きでシャドウの前に回り、短剣の切っ先を差し向けた。紺碧色の瞳は威圧的に煌めき、咎人を裁く執行人としての真摯さを表情に帯びる。

 さようなヒロの様子に、シャドウは一笑に鼻を鳴らした。


「あー……。そんなもん、ねえよ。俺の負けだ。煮るなり焼くなり、好きにしろ」


「そうか」


 何かを企んでいるわけではない、本心からの観念をヒロは悟ると、シャドウの(かたわ)らに片膝を付いて(かしず)いた。


 左手の短剣を逆手に握り直し、シャドウの左肩――、肩甲骨と鎖骨の間に鋭い刃先を定めた。鋭利な刃物を肩甲骨と鎖骨の合間から、胸骨と鉛直になるよう刺し込めば、心臓から繋がる太い血管を傷つける。それの意味することは、即死だ。

 例え国の大統領を手に掛けた者だと(いえど)も、せめて苦しませずに絶命させてやろう。そうすることが、自身の大切な存在(ビアンカ)を救う所業を成した者への、海の男としての(はなむけ)だと思った。


 そうしたヒロの意向を汲んだのだろう。シャドウも満足げに口角を吊り上げる。


「“海神(わたつみ)”に祈れ。――(おの)が罪を認め、罰を受けることで……、お前のようなヤツでも“ニライ・カナイ”は迎えてくれる」


 覇気を宿しながらも、どこか穏やかさを感じる声音で綴られる祈りの言葉。その口上を耳にしながら、シャドウは(こうべ)を僅かに落として、銀の双眸を伏した。


 ほんの少しヒロの左手に力が加われば、自分の命は絶たれる。

 差別主義組織に(くみ)していた生き残りたちへの褪せぬ憤りや、(こころざし)半ば故の無念さは確かにある。だけれども――、口惜しさと同伴するのは、漸く()()()()()()()という開放感。


 なんとも不思議な感覚だと思慮していると、不意とシャドウの耳に届くのは焦心を孕んだ声。


「――待って、ヒロッ!!」


 ビアンカが制止をかけると共に、膝を付いて(かしず)くヒロの背に覆い被さるように縋った。咄嗟に両の手でヒロの左腕を掴み、動きを制する。


「ビアンカッ?! なんで止めるんだっ?!」


 望外なビアンカの妨げに、紺碧色の瞳が驚愕に見開かれる。ビアンカの行動を理解できず狼狽(うろた)えるヒロだったが、次にビアンカが発する言葉に息を呑んだ。


「シャドウを、殺しちゃ、ダメ――っ! 彼は、人間に強い恨みを抱いた魔族だからっ!!」


 ビアンカの力強い訴えが、澄んだ音となって尾を引くのだった。


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