第百十二節 英雄の在り方
故郷を焼かれたわけではなかった。親を殺されたわけでも、恋人を手に掛けられたわけでもない。
この身に危害を与えられたことなど一切無く、恨みを抱く理由など皆無だった。
幼少の頃より伽として耳にしていたのは、古くからオヴェリア群島連邦共和国を守ってきた人外の存在。この国に棲まう、人でありヒトではない存在たちのこと。
多くのことを見聞きして、ただただ人間以外の種族が気に食わない感情を抱いていた。
優れた能力、知識。永き命の時間、優美な見目。人間に勝るものを数多く持ちながら、それを鼻にかけるでもなく人間に友好的なものが多い。
古より害悪だとされてきた魔族でさえ、オヴェリア群島連邦共和国では人々と親和している。
それらを目にしていて、何か裏があるのではないかと訝しんだ。その内に人間を貶め、覇権を奪う気なのではと惟った。そう思い至った途端に、支配される立場へと堕ちることを恐れた。
ならば――、奪われる前に奪おう。
同じ志を持つ者たちが集まる組織を支援し、人間以外の種族を駆逐していった。
争いの芽を早い内から摘み取り間引き、利用できそうだと残した芽の育ちに目を光らせる。思いも掛けない育ちを察すれば、その芽さえも踏み潰して処分した。
これは人間が安寧に過ごすため。自分は極めて正しいことをしている。
使えるものを有効活用し、自分は世界の調和を守っている。
全ては善行として。自分は世界にとって、人間たちにとっての救世主――、“英雄”なのだ。
しかし、“英雄”として座することは、長く続かなかった。
十数年前のある日――。中央大陸にある組織の本部に赴いていた際、そこが強襲される事件が起こった。魔族を含めた他種族で編成された徒党に、組織は襲われたのだ。
栄光が輝きを失うのは、あっという間だった。
蘇比色の髪に銀色の目の魔族が鍔の無い特殊な形状をした剣を振るい、次々に同胞たちを殺める姿に強い憤りを覚えた。だが、口惜しいことに備えの無い人間には、徒党を組んだ魔族たちに立ち向かう術が無かった。
命からがらオヴェリア群島連邦共和国に逃げ帰り、憤怒の心緒を胸に抱き、散り散りになった組織の生き残りたちと連絡を取り合う日々。
他種族の脅威に怯える人々を救う組織を、今一度立ち上げよう。いつか必ず、懇意にしていた者たちの仇を討とうと考えていた。
その後は、組織の再建を図りながらもオヴェリア群島連邦共和国で揺るがない地位を得るため、躍起になった。長い年月をかけ信頼を勝ち取り認められ、期しくも大統領という立場を担うことを許された。
故郷である地の最も高い立場に座し、国の守護者とされる“オヴェリアの英雄”からも信頼され、日々の暮らしとしては安泰なものを得たとは思う。
敢えて不服とするならば――、国守の要となる“オヴェリアの英雄”が人間では無いこと。
国民の信頼を一身に受ける件の英雄は、魔族の力を操る、人でありヒトではない存在だ。今は『人間の隣人』とされているが、いつ魔族の肩を持つか分からない。
そして、人間では無いにも関わらず、“英雄”の名を冠することが腹立たしかった。
世に生を受けた人間の安寧を宿望する自分と、祖国だけを守ろうと考える人外の存在。
“英雄”と呼ばれるべきは、どちらが相応しいのだろうか。同じ“英雄”を冠したにも関わらず、この違いはなんなのだろう。
自分は正しいことをしている。それは間違えようが無い。だのに何故、自分の“英雄”の名は、失墜してしまったのか。
だがしかし、ふと思い当たった存在があった。自身の栄光を貶めた存在だった。あの時に下賤なものたちを率いていた、蘇比色の髪に銀の目をした魔族――。
自身の“英雄”の名を地に叩き落とした存在に、再び芽生えるは憤ろしさ。
奪われたのであれば、奪ってやろう。
さような想いを胸に秘め、巧まれた仇討ちの計は、密やかに押し進められていった。
◇◇◇
金と銀の双眸が視たハヤトの心の裡が信じられなかった。
ハヤトは大統領に就任するよりも以前から、オヴェリア群島連邦共和国を良くしようと躍起になっている部分があった。前向きで真摯に取り組む様にヒロは好感を持ち、ハヤトならば故郷をより良い国へ発展させてくれるだろうと惟っていた。
だから、前大統領の退任話が持ち上がった際に、ヒロは次期大統領としてハヤトを推した。元々ハヤト自身も他の高官たちから印象が良かったこともあり、彼が大統領に就任することに異論する者もいなかった。
オヴェリア群島連邦共和国に尽くし、ハヤトが確立させた決め事も数多くある。そのどれもが、本当に国に改善をもたらしていた。
保安委員会の長を決めるにあたって、ハヤトの知人を中央大陸から呼び寄せて着任させた際には一悶着があったものの――。それでも、その新しい保安委員長は国の保安体制強化に一役買うに至った。
全ては故郷である群島諸国――、オヴェリア群島連邦共和国のためだと。ヒロは考え、ハヤトの為すことに否を唱えることは少なく、信頼を置いていた。
(――なのに。まさかハヤトが差別主義組織で支援者をしていたなんて、信じられない。そんな素振りは全く無かった)
連邦艦隊が出撃する鐘の音と緊急事態を報せる警鐘が鳴り響く埠頭を背に、先に駆け下りた傾斜道を今度は駆け上る。不穏な雰囲気に憂慮と物見遊山の目で佇立する住人たちを避けて走るため、足は思うように進まない。そのことで、無意識に舌打ちが口をつく。
(このタイミングでの海の魔物の強襲。僕を首都から遠ざけようとする動き。そうすると、シャドウの次の狙いは――)
今までシャドウが手に掛けた者は様々な憶測話から、他種族に対して差別的な思想を持つ者たちだろうと思われた。
クトゥル教国の神官長、ソレイ港近くの農村の神父は俗言として人間以外の種族に対し、排他的な思考を持っていたという。オヴェリア群島連邦共和国の保安委員長はと言えば、ヒロに対しての当たりの強さ――。ハヤトから伝えられた『人間以外に良い感情を持っていない者だった』という真実。
それらから考えるに、シャドウの目的は明確とまでは言えないが、差別主義を掲げる者で間違いないのではないか。
(くそ。本当に全部が後手後手だな――!!)
カルラから語られたハヤトの心の内を聞き、想像に及ばなかった事実に驚愕してしまった。そして、何故すぐにそれを伝えなかったと勢いのまま詰めよれば、カルラは一瞬怯えの色を見せながら「気が付かれると、逃げられちゃうから」と呟いた。
人の心を銀の目――、“邪眼”で垣間見る少女は、自身と同じ“邪眼”の異能を有するシャドウが近くにいることを察し付いていた。カルラはカルラなりに最善の状況を作り、ヒロへ伝えたのだ。そのことを悟ったヒロは、それ以上カルラを責め立てることができなかった。
そして、その話からシャドウが次の標的としているのは――、ハヤトであろうことも悟った。
矢張りシャドウはヒロにとって、望まぬ稀人だった。ユキに対して、義理立てをしている場合では無かったのだ。
漸く纏まりの無かったシャドウの真の目的という答えに行き着いたものの――、全てに後れを取ってしまった。受け身な状況に苛立たしさと焦りの想いが先立ち、忌々しさに苛まれていく。
想念が複雑に胸中で暴れることに歯噛みして、走り続ける。あと少しで城への傾斜を上りきる。そう思ったのも束の間だった――。
紺碧色の瞳が太陽の光の眩い反射を感じ取った。
数多の戦経験から煌めきの正体を察したヒロは走る速度を緩めず、上着のポケットへ粗暴に手を差し込むと一枚の札を抜き出した。
「<火の魔法札よ。――今ここに込められた力を解き放ち、炎の矢となり敵を貫け>」
不得手とする属性を操ることへの躊躇いも無く、早口に溢れ出す“火属性”魔法札の魔力を解放するための言の葉。それが締められた途端に札に描かれる火の紋様が赤い光を発し、瞬時に魔力で紡がれた炎が紺碧色の眼界へ幾本もの軌跡を引いた。
炎の矢が着弾点として向かうのは――、太陽の光を反照させて煌めくもののある場所。
背へと迫りくる魔力を感知し、シャドウは処刑人の剣を振り上げた腕を止めた。――だが、その場から退くことをせず、左手を掲げ上げる。
直後にシャドウの背面側の地が蠢きを見せ、瞬く間に茨の群れが這い出してきた。
紡ぎ合わされた茨はシャドウの背後へと立ちはだかり、炎の矢を退ける盾になる。炎の直撃を受けた茨たちは、焼かれて脆くも崩れ落ちていく。
その様子を銀の双眸が煩わしげに一瞥すると、ヒロがカトラスとソードブレイカーを両の手に構えて駆けてくるのが映った。それを認めたと同時に、シャドウの表情に困惑の色が僅かに宿る。
「は? なんで“海神”の野郎がいるんだ?!」
予想外の進撃者を目にして、ついと思ったことが口に出る。
オヴェリア群島連邦共和国の保安委員長に就任していた、元差別主義組織の生き残りを手に掛けた。その次の標的として、のうのうと大統領の座にいるハヤトを狙う算段でいた。
そのために、襲撃の邪魔になるであろう力のある者――、連邦艦隊の兵役者と、この国で最も厄介な存在である“オヴェリアの英雄”を遠ざける必要があった。さような目論見から、シーサーペントたちを“邪眼”の魔力で操って巡視船団を襲わせた。
全ては思惑通りに進み、“オヴェリアの英雄”が自ら連邦艦隊を率いて、シーサーペント討伐と巡視船団の救援に向かったはずだった。だのに何故、ここに件の英雄がいるのだ。
「――くそっ!」
だけれども、考えていても仕方がない。
仕留めるべき相手――、ハヤトを取り逃がすワケにもいかない。かといって、敵意を剥き出しに向かって来るヒロをそのままにしておくこともできない。
気に障る事態だった。どうして邪魔をするのだと、解せぬ思いが胸に湧く。
「テメエだって、いつかは通る道だってのにな――っ!」
シャドウは唸るような声を零し、身を返す。処刑人の剣を強く握り直し、迎撃のために足を踏み出した。




